わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 16


 現在、杉浦玲美のマネージャーをつとめる吉田早子も元々はアイドルを目指していた。年齢は二十四歳。玲美とは同い年だが、早生まれのため学年はひとつ上である。東京出身の彼女がタレントへの道を歩むため、芸能事務所マルタプロダクションと契約したのは十年前のことだった。入所時は中学生だったので通学しながら週に数度のレッスンをこなす日々が続いたものである。テレビで華やかに活躍するスターたちと同等の存在になることが夢だった。


 “馬鹿はクビにするからね”


 本気か冗談かはわからなかったが社長の丸田香奈絵からは、そう言われていた。学業との両立が義務づけられていたのである。バラエティ畑出身の香奈絵は当時、ドラマや映画の制作方面に顔が効かなかったため、元々学校の成績が良かった早子をいずれクイズ番組に進出させる方針を固めていた。ティーンの知的バラエティアイドルという珍しい路線を狙ったわけである。早子は言いつけを守り、トップクラスの学業成績を維持しながら、デビューを待った。


 ある日、彼女に“後輩”ができた。研修生という扱いで事務所と契約したその少女の名は近江屋真由子といった。自分と同じくアイドルになるため、鹿児島から上京してきたという。


 “よろしく、お願いします……”


 はじめて会ったとき、おどおどとした態度で真由子はそう言った。黒い髪を三つ編みにした垢抜けない少女だったが、生来の美貌は既に開花をはじめていた。とんでもない素材があらわれたものだ、と早子が危機感を抱いたのも事実である。


 だが、早子は優しく接した。内気でおとなしい真由子をいじめたりはせず、むしろかわいい後輩として面倒を見た。ヘアサロンでのカットの注文の仕方も大手コーヒーカフェチェーン店での暇のつぶしかたも知らなかった田舎者の彼女を連れて歩き、都会での生活を教えたものだった。そして、真由子のほうも自分になついた。


 芸能コースがある高校に通っていた真由子だったが、早子と違い学業はふるわなかったようだ。だが、傑出したふたつの才能を持っていた。芝居と歌である。内気で陰気だったが、なぜか虚構の分野では表現に優れていた。


 “早子はバラエティアイドル、真由子はいずれ女優”


 社長の香奈絵は確固たる将来の方針を打ち出していた。明るく社交的な早子は自己表現に。演技に秀でた真由子は役者に。当てはめる先を早々に決めていたようである。


 早子が十六歳のとき、グラビアアイドルとしてのデビューが決まった。掲載先は週刊漫画雑誌。水着のカットが予定された。芸能活動がいよいよ始まる。長く待望した夢が叶う。彼女は真由子より一足先に華やかな舞台へとあがる、はずだった……


 “早子が乗った車が事故をおこした”


 その知らせが入ったとき、事務所は混乱した。グラビア撮影を数日後に控えていたからだ。そして、運転していたのは大学生の男だった。


 マルタプロダクションは新人の恋愛を禁止していた。だが早子は男と付き合っていたのである。香奈絵の激怒は周囲に当たり散らすほどに凄まじいものだった。元々、気性の激しい女だったが、社員たちは今でも“社長史上最高の憤怒”と当時の様子を振り返るほどに萎縮したという。


 病院に担ぎ込まれた早子は手術を受けた。助手席側のドアが破損し、彼女の脇腹をえぐったのである。命に別状はなかったが手術痕が残ったため、水着でのグラビア撮影は不可能となった。このままだと違約金が発生し、業界の信用も失ってしまう。香奈絵は決断を迫られた。


 白羽の矢がたったのは真由子だった。撮影を担当する写真家が緊急の事態を聞き、事務所を訪れたとき、彼女を見たのである。


 “この娘を撮らせてくれ! 最高の被写体だ! なぜ、こんな娘をデビューさせないのか?”


 真由子を高評価した写真家は香奈絵に詰め寄った。ドラマ制作の現場にパイプを持つまで温存しておく、という香奈絵の計画は変更を余儀なくされた。こちらに落ち度がある以上、仕方のないことだった。


 “水着……ですか?”


 おとなしい真由子は肌を晒すことに難色を示した。だが“事務所の危機”と香奈絵は頼み込んだ。断りきれなかった真由子は最終的に渋々引き受けた。


 真由子は、その日のうちに“杉浦玲美”という芸名を与えられた。撮影当日、行きの車内で真由子……いや、玲美は泣いていたという。男性スタッフに囲まれた中で肌の露出が多い水着姿になる。内気な十六歳には厳しい仕事だった。


 だが、撮影現場での玲美は別人のように落ち着いていた。いざカメラを向けられると、それまでのうかない表情が一転、プロフェッショナルのものに変貌した。ときに明るく、ときに物憂げで、そしてときに挑発的。それが清楚で端正なルックスから向けられるのだから美的に卓越した絵になるのは当然だった。その上、高校生らしからぬ完成されたプロポーションを持っていた。写真家は撮影後、“凄いものが撮れた”と喜悦の感想を述べたという。


 一方で、初仕事を終えた玲美はやはり“真由子”だった。帰りの車内で恥ずかしさのあまり、またも涙を流した彼女は体調を崩し、四日ほど休んだ。天性の舞台度胸は文字通り“舞台”でしか発揮できなかったようである。それを聞いた香奈絵は“あの子らしくなくて、あの子らしい”と語り、笑ったという。


 くだんのグラビアが掲載された漫画雑誌の発売日、問い合わせが相次ぎ、出版社の電話回線はパンクした。のちにトップアイドルとなる杉浦玲美誕生の日だった。ネットでも大きく取り上げられ、日本国民が彼女を認識することとなった。


 既に退院していた早子は、その知らせを自宅で聞いた。悔しかった。本来ならば、自分に回ってくるはずだった仕事を後輩の真由子にさらわれたのである。かわいがり、面倒を見てきた自分が損をした。後悔の念が先に立ち、一晩泣き明かしたものだった。


 それからまもなく、傷心の早子に追い打ちがかけられた。事務所から契約解除の意思を伝えられたのである。デビュー予定の仕事に穴を開け、大学生との交際がバレたのだから当然だった。彼女は途方に暮れた。そんな自分を使ってくれる事務所などどこにもない。心だけでなく身体にも傷が残った。外見的な意味でもアイドルになりたい、という夢は永遠に閉ざされた。


 その後、親のすすめもあって早子は進学を決意した。大学生とは別れ、勉強に専念した。もとからよかった成績はさらに向上することとなり、結果、都内の大学に合格した。


 在学中、アイドルとしてテレビで華々しく活躍する玲美を見るたび、悔しい思いが再燃したこともあった。本来ならば自分も芸能の道をゆくはずだったが、その機会は真由子に奪われた。だが、進む年月は恨みを忘れさせてくれた。自分の責任である、と感情面で割り切ることもできるようになっていた。


 そして就職活動をはじめたころから、もう一度芸能に携わりたい、と思うようになった。表舞台でアイドルになれないのなら、せめて裏方としてでも……


 いくつかの芸能事務所で面接を受けたが、なかなか内定をもらえなかった。その年の求人倍率が高かったから、というのもあっただろうが、やはり“過去”がネックとなったのかもしれない。一度、同業界で契約を解除された身である。その理由を隠し通せず、面接では不利に働いた。


 就職活動が難航していたある日の夕方、携帯が鳴った。電話に出た早子は大変に驚いた。ダメ元で履歴書を郵送した先から面接の日時を知らされたのだ。それはかつて自分を捨てたマルタプロダクションからの連絡だった。


 面接当日、リクルートスーツに身を包んだ早子は目黒にあるビルの前にいた。契約解除から五年。事務所は当時の場所から移転しており、今ではこんな立派なビルの中にある。“あるひとりのスター”が弱小だったマルタプロダクションを中堅にまで押し上げたのだ。


 早子は中に入った。一階の受付で用件を伝えたあと、エレベーターに乗り、事務所がある階へとあがった。階数を告げる音声アナウンスとともにドアが開いたそのとき、目の前に立っていたのは見覚えのある……いや、あのころとは“別人”になっていた“彼女”の姿があった。


「真由子……」


 早子は思わず、言葉を発した口をおさえた。自分の立場を奪った杉浦玲美との五年ぶりの再会は予期せぬ形で訪れた。



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