思い出
その人のこと、理想の人だと思ったんだ。やっと王子様が迎えに来てくれたんだって。馬鹿だよね。その時はわからなくて、よろこんでた。すごく楽しかったんだ。
私の困った癖や私が過去にやったことを「ただのいたずらのつもりだったんだろう?」って、「構って欲しかったんだね」ってわかってくれたんだ。私が困った癖を出した時、いつもみんな怖い顔した。「どうしてそんなことするの?」「どうしてあなたはわかってくれないの?」(それは私がみんなに聞きたかった)。困ったり怒った顔をした。
私の気持ちをその人ははじめてわかってくれて、ワンちゃん撫でるみたいにわしゃわしゃーって頭撫でてくれた、ハグしてくれたしスキンシップも多かった。私そんな人初めてだったからびっくりしたんだ。
それからね、風邪引いた時はあの人、うちのほうまで遠いのにわざわざお見舞いに来てくれた。まさか、おうちまでじゃないよ、うちの近くのコンビニの駐車場。待ち合わせして公園でおしゃべりして、帰りに栄養ドリンクとゼリーくれた。あんまり見たことないやつ。ちょっとググったら病院でもらうようなやつだった。
彼と会う度に一緒にごはん食べた。定食屋さんで魚の食べ方が下手だって笑われたっけ。あんまりおいしかったから「ひとくち食べる?」って言ったら「全部一人で食べていいんだよ」ってさ。おじさんと会ったあの駅前の通りのハンバーグ屋さんとか入ってみたかったちょっとお高いお店とか、「帰りにこれ食べな」ってお弁当買ってくれたこともあったっけ。これじゃ餌付けされてるみたいね。
セックスも嫌ならしなくていいって、一緒に添い寝してくれたらそれでいいって笑ってた。一緒にお風呂入るの好きだったな。友達と遊んでるみたいで楽しくてさ。
ああ、こんないい人が世の中にはいるんだなって思ったんだ。この人とずっと一緒にいられたらなって思ってた。今まで出会った中で最高の人だと思ったんだ。その時はね。
「私、空を飛んだんだよ。空を飛んでたんだ。」
気付いたら、ベッドの上を飛んでた。優しいと思ってた人はほんとは優しくなくて、私の体を振り回してた。私は空を飛んでた。それから壁に叩きつけられた。
私が思い出話をしていたらおじさんは眉根を寄せて、なんだか辛そうな顔をしてた。途中までは相槌をしてくれてたけどそのうちに言葉に困ったのか喋らなくなったから私はちょっとだけ恥ずかしくて最後まで喋っちゃおって捲し立ててしまったんだけど、おじさんは顔色がみるみる変わって息をつまらせたみたいに口に手を当てて目を閉じてしまった。
「えっと、ごめん…いっぱい喋っちゃってこんなこと聞かされても困っちゃうよね、ごめんね」
「───、ううん、違うよ。…本当に怖い目に遭ったんだね、こんな出会い方してるおじさんが言うのもなんだし君のことを責めたくはないんだが…君は他人のことをもっと警戒したほうがいいと思う。どんな場所にだって、いい人と悪い人とがいるからね。それは見かけからはすぐにはわからないものなんだよ」
「…、うん、今はそう思うよ。殺されなかったのが運が良かったんだ。殺されてたらおじさんとも出会えなかったしね」
「おじさんと出会えてよかった、かな?」
「うん。できればもっと早くに出会いたかったなあ。私が空を飛ぶ前にさ」
ふざけてあははと笑うとおじさんはそうだねと困ったように笑った。おじさんの手は暖かい。とても暖かい。肌寒さはもうほとんど感じなかった。こんな未来があるとわかっていたならよかったのにね。
私の手に何気なくおじさんは手を重ねて「大丈夫」と言ってくれた。私は笑っていたはずなのに、「大丈夫、大丈夫」と繰り返されるうちにいつの間にか涙がこぼれていた。
「あれ、どうしてだろ。なんで泣いてるんだろう」
「大丈夫、大丈夫だよ。もう心配ないからね」
「うん…」
私をお空に飛ばした人は私を全裸にして正座させてその場で私のスマホから連絡先を消させたから、今はどこで何をしているのか全然わからない。私は記憶力が悪いからどんな人だったのかうろ覚えだし名前もわからない。ただ地元が近くて草野球をやっているとかで白髪交じりで細くてひょろ長い人だった。車は白のハイエースだった。温和で優しそうな見た目で口ひげのある眼鏡をかけた人だった。
私はこの事があってから口ひげのある眼鏡の男性が苦手になった。それからハイエースも見るとビクビクするようになった。
私がこうなったのは私のせいだ。自業自得の出来事だった。それでもおじさんは言ってくれた。
「どんなことがあっても人を殴ったり投げ飛ばす人のほうがおかしいんだよ。君は悪くないんだよ。どんな理由があろうと、意見の不一致なら言えば済むことじゃないか。なんてひどい。君はひどい目に遭ったんだよ。自業自得だなんて言わないでいいんだよ。」
そうなのかな? 私が余計なことをしたせいであの人は怒ったんじゃないのかな。私が間違ったせいで怒られたんじゃないのかな。もしそうでないなら、私は悲しんでよかったのかな。
「僕がもしその人より早く志穂ちゃんと出会っていたなら、僕が守ってあげられたかもしれないと思うととても胸が痛いよ。」
「それは無理な話じゃない? それで胸を痛くされても困るよ。」
私は笑った。涙はもう乾いていた。
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