第41話:救出と臨戦
41、
「ッ⁈」
自らの胸へ貫通した突然の一矢に、頬白は目を剥く。
そして、体勢をやや崩しながら、背後へと振り向いた。その瞬間、次々と風切り音が響いて、頬白へと迫る。
「今だ、行くぞ!」
頬白が背後を見ようとした瞬間、満仲はそう言うや否や地面を蹴った。晴明たちも同時にだ。彼らは一直線に、決して近くはない祭壇めがけて疾走を開始する。
その動きに、頬白は気づかぬはずがない。彼は晴明たちの動きを遮ろうと動きかけるが、その瞬間に矢の雨が彼へと飛来する。祭壇の裏側、山の傾斜と桜の木々の間隙の向こうから襲来する猛威に、頬白は慌てて逃げようとする。が、矢の雨は彼の回避を許さず、次々と身を掠め、一部が彼の身体に音を立てて突き刺さっていく。
避ける余裕もない矢の雨に、頬白は急所を避けながら足踏みしていると、その間に早くも満仲が頬白の許へ肉迫する。樹神との間に身を滑らせた彼は、頬白へ鋭い動きで斬りかかった。夜でも月光によって閃いた瞬速の斬撃に、頬白は後方へ跳んでそれを躱す。そして見事に着地――したかに思いきや、膝を折って体勢を崩した。その瞬間、彼の胸に一筋の切れ目が生じ、血飛沫が噴き出す。躱したかに見えたが、斬撃は浅くではあるものの頬白に到達していたのだ。あまりの鋭さに傷が開くのさえ遅れた斬撃に、頬白は苦しげに呻き、体勢を崩す。
膝を折る彼が前を向くと、そこでは晴明と道満が人質を救出していた。晴明と保憲が、協力して樹神を祭壇から縛めを解く一方、道満は山吹を保護していた。
そしてすぐさま、彼女を抱えて満仲の背から大きく飛び退く。背後で人質が救出されたのを察したのか、満仲は太刀の刃に付いた血糊を払って、頬白を見下ろした。
そんな彼らの一連の動きに、頬白は
「ッ! 貴様らぁっ!」
「おいおい、どうしたぁ?」
怒りを露わに吼える頬白へ、満仲は太刀を持ち上げて嗤う。相手を嘲笑う、あるいは皮肉る人間独特の表情だ。
「能ある鷹さんよぉ。そんなに怒りを露わにしてどうしたぁ?」
「黙れ! この、卑怯者がぁ!」
悪態を叫ぶと、頬白は立ち上がろうとし、失敗する。膝から再び頽れた彼は、両手を地面につけ、地を這うような体勢で満仲やその延長線上にいる晴明たちを睨みつけた。そんな彼の反応をよそに、晴明たちは樹神たちを安全だと思われる位置まで抱えて退避する。
一方で、罵詈を受けた満仲は嗤ったまま首を傾げる。
「卑怯者? 女を人質にして偉ぶっていた奴の台詞じゃねぇな。それに、殺し合いでは油断した方がいけないんだぜ?」
悪びれなく、後ろめたさも感じさせず、満仲は堂々と言い切った。
「樹神殿。ご無事ですか?」
樹神を抱えていた晴明は、そう言って目を下ろす。
その言葉を受け、抱きかかえられていた樹神は目を丸めた後、表情を隠すように顔を下げる。
「あの、その……離れてくれませんか?」
「えっ……?」
「あ、いえ! 別に晴明殿に抱えられているのが不快なわけじゃなくてですね! 今の私、衝動的になっているので、気を少しでも緩めたら襲いかけかねないので!」
軽く悲しい衝撃を受けかける晴明に気付いて、樹神は慌てて言い訳をする。その顔は、ほんの少しだけ興奮からか紅潮していた。
彼女の言葉に、晴明は確かにと思って彼女をそっと地面に下ろして腕を離す。そうすることで、樹神は深呼吸を繰り返して自分の心を鎮めようとし始めた。
そんな二人の態度に、密かに横で保憲が呆れ笑いを浮かべていたが、晴明はそれに気づかず、樹神の前へ進み出る。
「分かりました。では、ここから貴女を守ります」
そう言って、晴明は術符を握り直す。
そして視線を、保憲とは反対側の横手へ移した。そこには、山吹を救出してその縛めを解き終えたと思しき道満の姿がある。彼は視線を樹神に向けており、だがすぐにそれを晴明へ向け、目を合わせ、そして舌を打った。
その態度に、晴明は視線を厳しくする。彼は、道満の手に一枚の木の術符が握られているのに気付いていた。おそらくは、このどさくさにまぎれて樹神へ攻撃を仕掛ける算段でもあったのだろう。晴明があらかじめそれに対する警戒をしていたおかげで、道満はそれを実行に移すことはできなかったのである。
そんな実現しなかった攻防に二人が睨み合う中、周囲では多くの気配が動いていた。
動いたのは、検非違使だ。彼らは満仲たちが仕掛けて頬白から人質が解放されたのを見て、素早く頬白の包囲に移ったのである。その動きは迅速にして適確――京の治安を守る者たちの、更に流石は精鋭といった行動の素早さであった。
また、最初に頬白を射ぬき、それから矢の雨を降らせた方角――嵐山の上層の山肌からは、検非違使とは別の武者たちが下りてくる。
彼らは、満仲配下の郎党たちだ。
あらかじめ満仲の弟である満季に率いられ、隠密に晴明たちの一団と分かれて別行動に移っていた一団で、今回の攻防では、頬白の後ろに回り込んで奇襲を仕掛けるという戦果を果たしてみせた者たちである。その働きは控えめに表現しようとしても見事・完璧と呼べるもので、晴明や保憲たちなどは内心舌を巻くほどのものであった。
「行商・頬白!」
包囲が大方に成ったところで、検非違使の年輩の男が声を上げる。
「京における民衆の連続誘拐、並びに殺人の容疑で連行する! 神妙にいたせ!」
「――さて、これで終いか?」
猛々しく叫んで頬白を捕えようと動きかけた検非違使たちは、しかし満仲が問うたことで足を止める。その言葉は、まったくそのようなものではなかったが、検非違使を一旦押し留めるような警戒の色があったためだ。
彼の問いに、頬白は地面に顔を向けたままである。それが、満仲の敏感な本能に警鐘を鳴らしたのだ。
「このままおとなしく捕まってくれたら、俺らとしては万々歳なんだがな」
「……ふふ……うふふふ――」
目を細めながら問いを重ねる満仲に、忍び笑いが返ってきた。
小さな声は、頬白の口から漏れたものだ。口角を持ち上げ、軽く囀る彼に、周りは不審な目となる。
「こうなっては、もはや仕方がねぇなぁ」
そう言って、頬白はどこからか一枚の術符を取り出す。木札でなく紙の、やけに荘厳な色彩をした術符である。
それを見て、武者と道士で反応が変わった。
「出来れば、転生などしたくなかったが、是非もない――させてもらうよ」
「まずい! 満仲殿!」
「! 満季、射ろ!」
何やら目の色を変えての道士側・保憲の反応に、不審顔であった武者・満仲は即座に危険な臭いを察知、命令を下す。
その声が終わるか否や、頬白は術符を口の中に勢いよく突っ込んだ。
直後、命令を受けた満季が番えた矢を速射し、頬白の後頭部を瞬時に射抜く。急所を一瞬で射られた頬白は、その後勢いよく顔面から地面に倒れ落ちた。
一見すれば、満季の一矢によって即死――したようにみえる。実際、周りの多くの者はそう判断しただろう。
その彼の身体が、突如傀儡士の操り人形のように、ゆらりと持ち上がる。腕を不気味に折り曲げ、両脚は脱力した状態で、まるで宙から引っ張られているかのように、ふわりと浮く。
その現象に周囲が唖然とする中、晴明や保憲、道満などは緊張気味に身構え、満仲は手を額に当てて苦っぽく舌を打つ。
「遅かったか。厄介なことになりそうだ」
そう言うと、満仲は手にしていた太刀を構え直す。その反応と言葉に、周囲は二つの反応に割れる。検非違使たちは驚愕の中に不審顔を浮かべるのに対し、源家の郎党たちは主の意図を読み取ったように、矢を
そんな中で、ある。
「ふふ……ふはははははははははははははははは!!」
哄笑が上がる。
笑い声を響かせた頬白は、その後ありえない変化を見せだす。ぼこぼこと、まるで内部から盛り上がるように筋肉を膨張させていく。沸騰した水の泡のように噴出したそれは、しかし確かな筋繊維として、頬白の身体を物理的に強大化させる。
そうして現れたのは――
全長二丈(約六メートル)を越える、巨大な黒い鬼であった。
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