第34話:安倍晴明対蘆屋道満
34、
胸の前に引き寄せていた手に握られていた術符は、踏み込みと同時に前へ振り抜かれる。晴明と道満、互いに振るった腕から放たれた術符は、斜陽を裂いて相手へ疾走した。
次の瞬間、激突、そして爆発。
ぶつかりあった術符は火花と白煙をあげながら飛散し、両者の間でけたたましい破裂音を響かせる。破片を粉々に吹き散らしながら、それらは火の粉となって地に落ち、剥げたの地面の上で一瞬のうちに燃え尽きた。
爆発音が響き合う中、道満が動く。白煙が両者の間で広がる中、その白煙を突っ切って彼は晴明へと肉迫。白煙を割いて迫ってきた相手に、晴明は目を軽く開きつつ術符を手に滑り出すと、それを直進してくる相手へ投擲する。迫った術符に、道満は巧みな横への舞踏でそれを躱し、晴明の間合いへ侵入する。
晴明の懐へ入り込んだ道満は、その至近距離から拳を握ると、大きく踏み込みつつそれを晴明へ向けて振り抜く。道士らしからぬ肉弾戦を仕掛けてくる道満に、晴明は咄嗟に両腕を組んだ防御の姿勢を取る。直後、その守りに道満の拳がぶつかり、晴明は後方へ弾かれる。ミシッと腕が拳の威力に悲鳴を上げるのを感じながら、晴明は後方へ跳ばされて間合いを取らされる。
後方へ吹き飛ぶ中で、晴明は新たに取り出していた術符を二符、放射する。前へ進んだ符は、刹那姿を紙の札から光の奔流と共に青い二羽の小鳥に変化、そのまま燕のごとく空へ上昇していく。小鳥は道満へ向かわず、曲線を描きながら茜色の空へ飛び立っていった。
自らの前を飛翔していった小鳥たちに、道満は躊躇わない。道満は術符を両手に持ちだすと、五指に挟んだそれを晴明へ投射する。木札は曲線や直線、折れ線などを描きながら晴明へ接近し、晴明はそれへの対処に追われる。術符を数枚取り出した彼は、その内一枚を前へ突き出して不可視の障壁を展開、道満の術符を受け止める。障壁にぶつかった術符は続々と爆発を起こし、煙を上げながら爆発と火の粉を弾け飛ばせていく。
その黒煙の中に、道満は突っ込んでいく。自ら煙たい黒の中へ飛び込んだ彼は、それに身を隠しながら掌中に術符を握りながら掌底を突き出し、障壁とぶつけ、同時にその障壁を無効化させる。甲高い、鏡が割れるような音と共に砕けた障壁に、一瞬晴明は何が起きたかと瞠目するが、その目前から道満が出現した。ぎょっとする彼へ、道満は素早く身を翻す。くるりと回転した彼は、その勢いのまま黒煙を切り裂いて
痛烈な一撃に痛みを知覚しつつ、晴明は揺れる視界の中で身を起こす。
符術だけでなく体術をも利用してくる相手に苦戦する彼へ、道満は再度迫る。攻める手を緩めずに一気に叩き潰す気なのか、道満はぐらつく晴明へ一気に迫った。
道満有利のまま瞬く間に勝負が決してしまうのか、そう思った時のことだ。
術符を取り出しながら晴明へ接近していた道満が、何かに気づいて空を見上げる。
直後、空で閃光が煌めく。
光を発したと思ったそれは、地面に向けて稲妻を奔らせ、一瞬の内に地面を叩く。そう、それは紛れもなく稲妻だった。紫電のそれは一直線に道満へ向かって突き進み、彼の影を貫いて炸裂する。
当たっていたらただでは済まないだろう威力のそれに、人が射抜かれた手応えは、なし。間一髪の刹那のうちに、道満は稲妻を横に躱していたのだ。
が、余裕があったわけでなく、僅か紙一重の回避でしかなかったために、完全に見切って躱しきったわけでもなかった。
その証拠に、稲妻が発生させた副作用は躱しきることは出来なかった。副作用とは、雷撃が発生させた衝撃波だ。地面を叩いた瞬間に発生させたそれは、道満の身を叩き彼を横へ吹き飛ばす。その威力は、馬が人を撥ね飛ばしたが如く――道満はまともな受け身も取れぬままに横へと弾け転がった。
ごろごろ転がった道満は、その勢いを利用して立ち上がるが、ぐらついて姿勢を崩す。膝をついた道満は、そこで目を細めながらどっと冷や汗を浮かべる。彼とて、今の一撃が直撃していればただでは済まなかったと認識しており、僅かな差での回避を危うく感じたのだろう。その顔に余裕はなく、緊張感が強く張りつめていた。
体勢を崩している道満に、晴明はすぐさま迫ろうとはしなかった。
彼は頭を横に振って体勢を整えると、息をついて落ち着きを取り戻し、改めて道満を見る。
「粗暴な輩だな……」
目が合うと、蹴られた場所に左手を当てながら、忌々しげに口を歪める。
「殴るや蹴るわ……。お前、本当に道士か? 力ずくできやがって……」
「黙れ。京で安穏と生きてきた陰陽師崩れが。辺境の道士の戦いを知らないようだな」
晴明の苦情に、道満も忌々しげに応じる。彼は空を飛んでいると思われる小鳥にも気を割きながら、相手をじっと見つめていた。今の稲妻は、間違いなく小鳥の式神を起点とした晴明の術だろうと、道満は見抜いている。
「どんな手段や過程を用いようが鬼を殺す――その覚悟のほどを貴様は知らないようだな」
そう言うと、道満は再び袖から札を取りだし、今度はしっかりと二足で立つ。
「甘い貴様に、負けるわけにはいかん。邪魔立てするなら、貴様もただでは済まさん」
「やれるものならやってみろ」
相手の宣言に、晴明は受けて立つように言い、自らも札を取り出す。そして構えると、間合いを測り、いかにして道満に傷を負わせるかを計算し始めた。
「――どこへ行く気だ?」
両者が相手を見て対峙する最中、その声は彼らから離れた位置で発せられた。
声の主は満仲だ。彼は視線を晴明と道満に向けたまま、誰にともなくそう声をかける。
その声に、止まる人物が一人。その人物とは、樹神であった。彼女は二人の対峙からは背を向け、どこかへ向かおうと言う構えを見せていた。もっとも、いつの間にか屋敷の庭の周りは、源邸の衛兵たちが遠巻きに晴明たちの戦いを見守っている状況であって、どこへ行けるかという疑問こそあったが、この場ではそれは些事だろう。
彼の声で、そのことに傍らにいた梨花が気づいて瞠目する中、満仲は言葉を続ける。
「ちょっと厠へ――というわけではないのだろう? 今のうちに、逃げようとしているのか。だとしたら、卑怯じゃないか?」
責めると言うにはひどく優しい口調で満仲が言うと、その声に樹神は振り返る。彼女は、そこで少し言葉に迷うような顔をして、それを満仲は一瞥する。
そして続ける。
「アイツは誰のために戦っていると思う? 少なくとも、その結果を見届けてからがいいと思うぞ、動くのは」
「……力ずくで止めたりはしないのですね」
淡く、平坦に笑いながら樹神が言うと、満仲は肩を竦める。逃げようとする相手を力ずくで止めない辺り、どこかこの男も甘い。もっとも、今の彼は梨花の傍らで彼女を守っているため、離れにくいというのもあるだろうが。
「あぁ。俺は女性には基本優しい男だからな。殊に美人さんに対しては」
「お褒め頂き光栄です。ですが、私は――」
冗句に何やら答えかけた樹神だったが、その時彼女は目を見開く。その眼前に向けて、一枚の木札が突き進んできたからだ。
突然のそれに、満仲と樹神が身構えようとする中、刹那空からの閃光が木札を打ち落とす。稲妻は、満仲と樹神の間で爆ぜて木札を滅却させ、樹神に突き進んでいた脅威を消去する。ただ、その爆発の衝撃に、樹神は虚を衝かれたのか思わず尻餅をついた。
突然の稲妻、そしてそれに対する樹神の反応を見てから、満仲は戦いへと目を戻す。木札が飛んできたのはそちらからだ。
「貴様、なに直接樹神殿を――ッ!」
怒声を放ち、晴明は道満に向けて術符を投擲する。弧や直線を描きながら迫るそれを、道満は素早い身のこなしと術符による障壁で受け躱しながら鼻を鳴らす。
「知るか。あの畜生を守るのはお前の仕事だろう。俺の役目は、貴様と戦うことではない。文句があるならせいぜい必死に守ったらどうだ?」
「貴様っ!」
挑発に、晴明は怒り声で応じる。
一見頭に血を上らせたように見えるが、彼の攻撃は冷静だった。晴明は次々と術符を取り出すと、それを道満めがけて息つく間も与えずに続々と投射する。術符は、直接道満をめがけて奔るものから途上で閃光と化すもの、また小鳥に変化して空へ飛んでいくものまでさまざまで、あらゆる手数で道満に迫る。怒ってはいるが冷静さは失わず、攻め手を強めると言う憤りの表し方に、満仲が密かに感心する。
「アイツも一流の道士だな。見直した」
そう言うと、満仲はその顔に笑みを浮かべた。晴明は術符を中心に閃光を、道満も同じく火炎を吐き出し始める中で、彼はその光景を何やら楽しげに見守っていた。
それを見て、傍らの梨花は「何を笑っているのよ」と思わずいいかける。
だが、その言葉が発せられることはなかった。発する直前で、満仲が急に笑みを消し、視線をずらしたからだ。
「……何だ?」
その異変に、満仲が気づくのは早かった。
彼は晴明と道満の戦いの周囲で蠢く、多数の気配を見逃さない。
それは、屋敷の門から続々と侵入してきた。位置的には、晴明と道満が屋敷の庭の西側で戦っている一方、その東に満仲と梨花、更にその向こうに樹神がいる状況である。屋敷の門は更にその東にあり、南方向に設置されたそこから多数の人影が侵入してくるのが確認できた。
続々と侵入してくる影は、武者装束であった。彼らは屋敷の庭へ一直線に侵入してくると、遠巻きで晴明たちの戦いを見ていた源家の武者たちの咄嗟の制止を振り切ってこちらへ寄ってくる。その数は数十人を超え、現状屋敷にいる兵士たちでは到底止めが数のようだった。
その兵士たちの存在に、晴明たちも気づいたようだ。彼らは間合いを開くと、肩で息をしながら手を止めて、そちらに目をやる。
その後、武者の集団は名乗り出た。
「嫌疑人・樹神だな! 我らは検非違使である!」
中の一人である男が、大声で叫ぶようにして自らの正体を告げる。同時に、彼らは腰に下げた矢筒から矢を引き出し、それを背負っていた弓に番えて構えだす。
「おとなしく我らに投降せよ。さもなくば、ここで射殺するぞ!」
脅迫の言葉に、梨花が息を呑んで満仲は舌を打つ。
彼らの行動は、現代でいうところの警官が銃を出して犯人を追いつめている図に等しい。それが弓矢に変わっただけであり、非常識な行動でもなんでもない。
検非違使がここに駆けつけてきたのは、間違いなく樹神の身柄を捕えるためだろう。厄介なことになったと、満仲は内心苦い思いを感じた。
一方で、警戒と緊張に満ちた視線の彼らに、訊ねられた当人の樹神は黙っている。矢の鏃が数十向けられている中でも、彼女は物怖じした様子はなかった。もしかしたら、矢は脅しで、本当に射る気はないとみているのかもしれない。
「どうする、樹神殿。あぁは言っているが」
「………………」
「どうした! 返答は⁈」
しばし黙考する樹神に、検非違使の男は訊ねる。
やがて、樹神は頭を振った。
「……お断りします。私は――」
「そうか。悪く思うな……射よ!」
返答に対しての、その反応はあまりにも唐突だった。
検非違使たちは、構えていた弓の弦を一斉に離す。そうすれば当然、矢は射出されるわけであり――
次々と飛んでくる矢に、反応出来たのは満仲だけだった。彼は梨花を抱えると、慌てて横へ転がり、彼女を守る。
「なっ――」
いきなりの出来事に、晴明も道満も目を見開かざるを得なかった。
放たれた矢は、続々と樹神に突き刺さり、樹神はその勢いに押されて斃れ込むのだった。
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