第22話:満仲の弁明
22、
大声を放っての突然の登場に、その場の衆目が一斉に注がれる。その中心で、しかしまったくたじろぐことも惑うこともなく、満仲は進み出てきた。
検非違使庁に乗り込んできた彼に、一時呆気にとられていた検非違使たちは、やがて我に返る。
「こ、こら貴様! 尋問の最中に何の真似だ!」
「そうだ! 何をしに来たのだ! 我々は今嫌疑人を調べているというに――」
「はいはい。そいつは失礼。だが、それよりも先に俺の話を聞け」
浴びせられる怒号に、しかし一切の躊躇もなく、満仲は泰然としていた。そんな彼は、ちらりと晴明を見て、目が合うなり、にやりと笑う。言外に、任せろと告げているような頼もしい笑みだ。その後、彼は視線を検非違使庁の建物の簀子の上に座る検非違使の長官・
「
「
いきなりの申し出に周りがざわっとする中で、俊は目を細めた。
「我らはこれより、被疑者の言葉が真実かどうかを調べようとしている最中だ。それを邪魔立てすると申すか?」
「ほう。それはどうやって証明すると言うのですか?」
「決まっている。嘘をついておらぬなら、彼には神仏の加護があるはずである。それを、今から盟神探湯や鉄火で――」
「そんな時代遅れの調査法で真実が分かるはずがないでしょう」
俊の言葉を、満仲はなんの淀みも遠回しな言葉使いもなしにバッサリと切り捨てた。その一言に、聴衆はぎょっとし、検非違使たちは思わず敵意を相貌に浮かべる。
その中でも、満仲は悠然としており、少し苦笑いを含みながら頭を掻く。
「第一、神仏の加護云々を確かめる以前に、彼が失踪をした樹神殿と深いつながりがあったと言うのに無理があることに気づきましょう」
「なに?」
「考えてみてください。既に証言したかもしれませぬが、彼は樹神殿と出会ってまだ五日ほどのはずです。そんな相手と共謀して、誘拐事件を起こしたと言うのにはいささか無理がある。どうして出会ったばかりの旅の芸人と、一緒に人々を誘拐する企てをすぐに起こしましょうか?」
淡々とした口調で満仲が言うと、敵意に染まっていた検非違使たちは口を噤む。
適当に言っているように見えて、その癖に内容は理屈が通っていた。出会ったばかりの赤の他人同士が、いきなり犯罪を共謀するというのは少なからず考えづらい話だ。
「そして、大前提でもありますが、今回の一連の事件で行方不明になった被害者の始めの一人目が出たのは、現状で分かっているのでも十日近くも前のこと――彼女が京に着いたと思われる日にちよりもずっと早い。彼女の犯行ということも、まして彼女に晴明が加担したというのにも矛盾がある。結論をいえば、晴明は限りなくシロです」
相手がどうやら聞く耳は持っている様子を見て取り、満仲は正論の事実を並べる。
晴明と樹神が犯罪を共謀していたというならば、満仲の言う通り行方不明者が出てくる以前に、二人が出会っていなければおかしい。顔合わせもせずに誘拐事件を共に起こすなど不可能だからだ。
ゆえに、二人が協力して犯罪を企んで起こした言う理論は不審なものでしかない。満仲はそう指摘する。
「どうですか? その男がこの件とは関係ないということはお分かりいただけたでしょうか?」
「……なるほどな、確かに、理が適っている」
「俊殿⁈」
「だが――」
部下の検非違使が驚く中で満仲の言を認めつつ、しかし俊は目を細める。
「初めから、ではなく途中から手を組んだ可能性もある。また、失踪した樹神とやらが京へ辿りついた時期の証明は誰がする? もしかしたら、本当はずっと前から京へ来ており、隠れて悪事を働いていた可能性もあるのではないか?」
満仲の論理の穴を、意外にも俊は鋭くついてくる。満仲は樹神が十日より前に樹神が京に来ていなかったことを前提に論理を展開したが、彼のいう十日前より京に来ていないという証言は客観的なものではなく、確証に欠くと指摘したのだ。
それもまた正論――満仲は反発せずに顎を引く。
「なるほど。確かに、その可能性はありますね。樹神殿の嫌疑も晴明の嫌疑も、あくまで俺のみの証言であって、客観性を欠いていると」
「そうだ。彼が完全な無実という確証はない」
「分かりました。では、一つ俺から提案があります」
俊の嫌疑を真っ向から批判することはなく、満仲は少し議論の内容を変える。腕を組みながら、彼は言った。
「今回の事件に関する調査ですが、樹神殿の行方は非違のご歴々に任せ、晴明の嫌疑の調査と身柄の確保は、我ら源の家が預かるというのはどうでしょう? 役割分担した方が、そちらも動きやすいと思いますが」
「ほう。お主たちがこの男を囲うと?」
俊が目を細めながら問うと、満仲は笑みを湛えたまま頷く。
「冗談じゃない! 嫌疑人の抑留と調査は我ら検非違使の領分だ! 調子に乗るな、小僧!」
満仲の提案に、検非違使の一人がそう反発する。いきなり尋問の途中に乱入されただけでなく、嫌疑人の身柄を自分に任せろと言う満仲に、そいつは反射ではなく当然の反応として反論した。
暴言めいたそれに、満仲はしかし怒りの色を全く見せることなく、ただすっと目を細める。
「調子になぞ乗っていない。無論、彼が逃げ出すようなことになったら俺が責任を取る。責任を取って、晴明の身柄を押さえてその首を落としましょう」
さらりと、満仲は言う。あっけらかんとしているようだが、その声色は真剣と重みそのものだ。目の色は真剣であり、またその声の迫力は検非違使たちと晴明が思わず息を呑むほどの威圧めいたものがあった。
その一言で検非違使の一人を黙らせた後、満仲は俊に目を戻す。
「どうですか、源俊殿」
「……確かに役割分担をした方が、検非違使としても手間が省けるが――駄目だ」
少し思案を交えながら、俊はそう答える。
途中まで好意的だったが最後に拒否を示した彼に、満仲は眉を持ち上げた。理由を、相手は語る。
「この男の調査は私に任されている。それを、私の独断で別の人間に任せるなど――」
「
相手の言葉尻を受け取って言った後、満仲は袖の中へ手を伸ばす。
そして、そこからあるものを取り出した。出てきたのは、少し黒ずんだ色の濃い木の板――正確には、
それに、俊や検非違使たちは眉根を寄せる。
「? なんだ、それは」
「別当殿からの指示が書かれた木簡です。内容はこうです、『この度の件、嫌疑者と共謀した疑いがある男・安倍晴明の件は、源満仲に委ねる』」
そう言うと、彼は近くにいた検非違使にそれを手渡す。内容を確認したその検非違使は、俊に対してそれを指し出しに動く。受け取った俊は、その内容に目を通し、しばらくして渋い顔をした。
「確かに、検非違使別当・
書かれていた筆の字体から、俊はそう答える。
検非違使別当とは、検非違使佐よりも上の地位にあたる官職である。簡単に説明すると、検非違使の現場でもっとも地位の高いのが検非違使佐だとすると、検非違使全体の長官にあたるのが検非違使別当になる。検非違使別当は参議と呼ばれる朝廷・国政の政治家たちの一人であり、天皇の御在所である清涼殿に上ることを許された殿上人の中でもさらに上の地位にあたる人物でもあった。
要するに、検非違使の中の最高長官にあたる。
その人物からの命令書に、検非違使佐である源俊は、普通は従わなければならない。
ある意味交渉の切り札を、最後の一押しまで取っていた満仲に、俊は唸る。交渉は、これで肩がついたといってよい。
「いかがでしょうか?」
「……仕方あるまい。相分かった。この男の身柄は、お前に委ねよう」
別当からの木簡が決定打になったか、遂に俊は折れた。周りの検非違使たちも、俊より更に上、別当からの命令とあっては文句も言えない。
それに対し、満仲は「かたじけない」と頭を下げる。
そんな彼らの議論を、晴明はただ茫然と眺めていた。
*
「助かりました。何と礼を言っていいか……」
検非違使たちから解放された後、しばらくしてから晴明は、なんとか満仲に御礼の言葉を口にする。
検非違使庁から釈放され、現在晴明は満仲と共に、大内裏から源邸に向け徒歩で進んでいた。
晴明からの感謝に、満仲は手を振る。
「気にするな。これぐらい、煩わしさなど感じない」
「そうですか。しかし、どうやって俺が検非違使に捕まっていると?」
ただ礼を述べるだけでなく、そんな疑念を晴明は訊ねる。
助かったのは事実だが、どうして自分が彼らに捕まっていたと知ったのかが気になった。わざわざ検非違使別当に掛け合い、自分の身柄を満仲に委ねるように工作した上で検非違使庁に乗り込んできたあたり、準備としては出来過ぎな感があった。
その問いに、満仲は半笑いで言う。
「昨日のうちに、満季が非違との会話でお前にも嫌疑が及ぶかもしれないという旨を聞いたことを報告してきたんだ。そこで、昨晩から今朝までに急いで手配した。幸い俺は、別当の顕忠殿とも意を通じているからな」
「昨晩からって、もしかして徹夜ですか?」
「まぁな。なに、大したことではない」
ははっと笑いつつ、満仲は言う。
とても簡単に答えたが、やったのは簡単なことではない。わざわざ睡眠を削ってまで手配をしてくれたということは、大変であっただろうし疲労も蓄積したはずだ。
その事を悟ると、晴明はなかなか頭が上がらない。
「危うく拷問を受けるところでした。ありがとうございます」
「だから、礼はいらん。それよりも気になることがあるだろう」
「……樹神殿のことですか?」
話を変える満仲に、晴明は少し記憶を整理してから訊ねる。
確か検非違使の話では、彼女が昨日失踪したということだった。それはどういうことか、と晴明は気に掛ける。
彼の問いに、満仲は頷いた。
「あぁ。昨日の夕方頃からな……姿を消した。彼女だけでない。その従者二人も姿が見えん」
「え⁈」
満仲の説明に、晴明は驚く。てっきり、いなくなったのは樹神だけかと思ったが、その仲間たちまでいなくなったというのは初耳だ。
「それは、本当ですか?」
「あぁ、消えたのは山吹殿と杏殿――と、詳しい話は、ウチに着いてから話そう」
話が長くなる、というのを暗に示す満仲に、晴明は静かに頷いた。話の仔細を聞きたいのは山々だが、少し思考を冷静に働かせられるように考える時間が欲しい。
その後二人は、無言のまま樹神一座も滞在する、源邸へと向かうのだった。
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