第20話:新たな疑念

20、


「また、満仲殿の屋敷を訪ねたそうだな?」


 暗がりを行燈あんどんが照らす中、晴明は保憲と対面する。場所は賀茂邸、二日連続で訪ねてきた晴明を、保憲は快く迎えいれてくれた。

 室内で正対しあってからの開口一番で放たれた問いに、晴明は少し間を置いてから顎を引く。


「えぇ。まぁ、そうですね」

「樹神殿、といったか。彼女のことが気になっているのか?」


 すぐ前においてある文机にもたれかかりながら、保憲は笑いながらに問う。

 重ねて訊かれた質問に、晴明は一瞬憮然としかけるが、苦笑する。


「そうですね。美人なのもありますが、なにしろ人が良いので。自然と心配してしまいます」


 保憲の言葉を認め、晴明は頷く。その反応が、問いかけた側の保憲をかえって少し驚かせる。少し意外そうに眉を上げて瞬いた彼は、いつもはごまかそうとするか、むっとして素直にならない反応を示すはずの相手に、予想外の反応を示したことに少し沈黙する。

 が、やがてその口元に柔らかい笑みを浮かべる。


「そうか……。なら、この機会に出来るだけ仲良くなるのだな。お前みたいのは、こういう時でないと女性との出会いは縁が遠そうだからな」

「俺が、女性からは好かれない人間だといいたいのですか?」

「あぁ」

「ひどい言われようですね」

「冗談だ」

「知ってます」


 軽快に言葉を交わすと、二人は揃って微苦笑を浮かべる。この手の揶揄は、二人の間では慣れたものであった。

 そんな前座を踏まえてから、晴明は本題に入った。彼は懐に手を入れ、そこからあるものを掴み取る。


「そんなことより、今晩急に押しかけた理由を話してもよろしいですか?」

「構わない。何の用もないのに、お前がウチへやって来るとは思わん」


 許可の返答がくると、晴明は進み出て、身を起こした保憲の前で空いた机の上に、細長い木の破片を置く。

 保憲は、すっと目を細める。胡乱がるというより、深く思慮する表情だ。


「……これは?」

「昨日、樹神殿を襲撃した道士が使ったと思しき木札の欠片です。満仲殿から渡されました」


 そう言って、晴明は満仲から頼まれた調査の件を口にする。満仲自身では無用の長物であるが、保憲などであれば何か分かるかもしれないと渡された旨を告げた。


「なるほどな。確かに、上手く使えば道士の正体に辿りつけるやもしれん」

「お願いします。俺では、まだそういった品から犯人を特定する力量はありませんので」

「腕云々ではなく、単に儀式の装備を買う財産がないだけではないのか?」

「………………」

「すまん。少なからず不快な問いだったか?」

「いえ。お構いなく」


 謝る保憲に、晴明は首を振る。淡々とした様子は、特に悪感情を抱いていないだろうと推察させるには充分だ。が、それを見て、保憲は晴明が何かしらの感情を押さえつけて隠しているとでも踏んだのだろうか、少し頬を歪めた。

 こほん、と咳払いで保憲は気を取り直す。


「これを渡しに来たのだな。わざわざすまないな」

「いえ。それだけではなくて、ですね……」


 己から何か切り出そうとして、晴明は自ら少しまごつく。そんな様子に「ん?」と眉根を寄せた保憲に、やがて口を開いた。


「少し不審な男と、出会いました」

「不審?」

「はい。播磨の出だという在野の道士、蘆屋道満という男です」


 ゆっくり切り出すと、晴明は説明を開始する。梨花の願い出に応じて手伝いに行った屋敷において遭遇したその男について、晴明はその容姿から雰囲気、樹神たちの関係にいたるまでをつぶさに伝える。

 自らの所感も交えながら説明する彼に、保憲は黙って耳を傾けていた。


「何か裏がある感じだった、と?」


 話を一通り聞いた後、その内容からまず、保憲は最も気になった部分について訊いてきた。その問いに、晴明は頷いた。


「はい。双眸の奥やその身の中に、冷たく鋭い空気を感じ取りました」

「そうか。そいつは、腕が立ちそうか?」

「俺の直感が正しければ。もっとも、保憲さんや師匠に比べれば曇った観察力ですが」

「そんな風には思っていない。お前がそう評価するということは、それなりの人物なのだろう」


 晴明の謙遜を否定し、腕を組みながら保憲はやや思案気な顔をする。晴明からの報告に、少なからず気が掛かった様子だ。


「腕が利きそうな在野の道士、か。確かに、此度の一件と無関係とは思いづらいな」

「背丈も同じくらいでした。容疑者、と見ていいかもしれません」

「分かった。覚えておく。警戒するにこしたことはあるまい」


 嫌疑に、保憲も同意見なのか顎を引いた。犯人が謎の道士である以上、身元がはっきりしない道満はそれだけで容疑者の一人といえる。少しうがった見方ではあるが、しかしこの時機タイミングでの出現はそう疑われても仕方がないことであった。

 そんな会話を交わしている中、二人は部屋の出入口方向から気配を感じ取る。そちらへ二人は振り返った。そこには、まだ幼さ残る少年が佇んでいた。


「保胤、戻ったか」

「はい。ただいま戻りました」


 保憲が正体に気づくと、少年は丁寧に頷き、部屋へ入ってきた。音を立てない慎重な足取りで進んできた彼――保憲の弟である少年・保胤は、晴明と保憲の横手に移動する。


「兄上。例の件なのですが、晴明さんも一緒なことですし、この場で報告してもよろしいですか?」

「あぁ、構わん。晴明、お前も聞いておけ」

「? はい。なんでしょう?」


 話が見えない晴明が頷くと、胡乱気な彼に保胤が膝を曲げて座りながら口を開く。


「つい先日、晴明さんと源満仲殿によって退治された鬼の件です。兄上によって、鬼の魂の埋葬はつつがなく行われまして、確かに右京にいた鬼は一体、討滅されました。ですが――」


 一度言葉を切って、保胤は兄を見る。保憲と目が合うと、保胤は続けた。


「非違の方々の調査によると、兄上が懸念なさっていた通り、以前として死骸らしきものが見つかっておりません。行方不明者の在所は、不明のままです」

「そうか。ということは、やはり……」

「すみません。何の話ですか?」


 顎に指を馳せて何やら考え出そうとする保憲に、晴明は訊ねる。謝りつつ問う彼に、保憲は「すまんすまん」と謝り返す。


「少し言葉が足りなかったな。晴明と満仲殿のおかげで、鬼は退治された。これはまず分かるな?」

「えぇ、はい」

「思い出してほしい。そもそも、何故鬼がいることが分かったか」

「……それは、鬼によるものと思われる失踪者が出たことを、民から陰陽寮に訴えがあったからで――」


 そこで、晴明は「あっ」と声を漏らす。何やら気づいた様子の彼に、保憲は深く頷く。


「そうだ。つまり、鬼によって攫われた、あるいは食われてしまった人間がいたはずなのだ。それが、まだ見つかっていない」


 少し険しさも含んだ顔で、保憲は告げる。

 要するに、人々を攫っていただろう鬼は晴明たちの手によって退治されたのだが。肝心の被害者の居場所が、生きているか死んでいるかはともかくとして、依然として判然としていないのだ。

 察する晴明に、保憲は続けた。


「保胤の言葉を借りれば、現在は非違が捜査しているらしいが……。お前が鬼と会った場所を中心に探しても、行方不明者の死骸はおろか衣服の一部すらも見つかってないのだ」

「それは、妙ですね」

「あぁ、妙だ。骨まで食われたとしても、衣服程度は残るのが一般的な鬼の食い散らし方だ。それすら見つからないとなると……」


 眉間に皺を刻みながら、保憲は保胤を見ると、保胤は頷いた。


「非違の方々も、疑っておいででした。もしかしたら、人々を攫った鬼は別にいるのではないか、と」


 保胤から告げられた懸念、疑惑に対して晴明は表情を一気に険しくする。


「つまり、俺たちが会った鬼が、本命ではなかったと?」

「可能性はある。断言はまだできないが」


 曖昧に濁しつつであるが、保憲は首肯した。

 その可能性に、三人の顔は自然と険しいものになる。鬼がもし、晴明たちが倒したもの以外にいるとしたならば、解決したと思った一件が解決していなかったことになる。このまま放置しておけば、被害がまた増えるかもしれないということだった。

 晴明は、それを悟ると保憲へ問う。


「もう一度、俺が調査した方がいいですか?」

「いや、それはいい。先日お前が鬼を退治してくれたおかげで、上の貴族たちもこの一件が鬼の仕業かもしれぬと考え始めてくれた。そのため、陰陽寮にも調査が許可されている」


 珍しく自ら調べようとする晴明を、保憲はそう言って制する。

 以前は、鬼による被害を上の貴族たちがただの誘拐事件とみていたせいで陰陽寮の道士たちは動けなかったが、晴明が満仲とともに鬼退治をしたことで、上の貴族たちもその可能性を考慮するようになったということだ。これは、晴明たちが実際に鬼を見つけて討ったことが功を奏したといってよい。

 その労をねぎらってか、保憲はこれ以上晴明に無理をさせるつもりはないようだ。


「ここからは、お前は鬼の調査に参加しなくていい。しばらくは普段通りに過ごしてくれ。もしも人手不足を感じたら、またこちらから連絡する。それまでは好きにしてくれ。樹神殿を襲った者の一件も、こちらが請け負う」

「……承知しました」


 保憲の言葉を受け、晴明は頷く。

 樹神を襲った襲撃者の一件も、別にいるかもしれない鬼の件も、陰陽寮が請け負ってくれるらしいということを、晴明は素直に受け入れる。晴明自身が動くより、確かにそちらの方が信用できるといっていい。なにせ、一級の官人陰陽師たちの集まりである。晴明と同等かそれ以上の陰陽師ならばごまんといると、謙遜ではなく晴明自身はそう思っていた。


 ――用件は済み、その後晴明は保憲の好意で夕餉ゆうげの世話を受けた後、その日は自宅へと引き上げる。

 動きがあったのは、その数日後であった。

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