4

 ハプニングというのはいつも唐突に起きる。しまった、と気づいたときにはもう手遅れだった。

「はぐれちまった」

 夕刻が近づき空が暗がるにつれ、祭りのにぎわいは想像を遥かに超えて盛況し始めた。人と人との間の空間さえ失われているような感じで、先ほどまで確かに一緒にいたはずの三人の、誰の姿も今ここにない。

 いや、誰も、じゃないか。

「おい、仁岡」

「あ……なんだ、紺崎君だけか」

 なんだ、とは失礼な。

「こっち行こう、多分小径がいるから」

 人ごみをかき分け、足取りに何の迷いもなく仁岡は境内の中央へと向かっていく。

「どこ行くんだ? 二人を捜さないと」

「『はぐれたらお社の近くにあるお稲荷さんの所に集まることにしよう』って、小径から聞かなかった?」

 そんな話、

「聞いてないぞ」

「嘘……あの馬鹿」

 まあ、待ってよっか。たどり着いた大きな石造りの狐の像に、仁岡はもたれかかった。

 道行く人々の、草履や下駄を引きずって歩く音が境内の中でこだまする。この微妙な空気を嫌がるように、仁岡が話しかけてきた。

「ねえ……どうして紺崎君は小径と仲がいいの? あたし、全然信じられないんだけど」

「なんでって……」

「小径は、シノっちが好きなんだよ?」

 単刀直入な物言いだった。ここまで直球に俺らの関係に入ってこられたことは一度もなかった。というか、

「なんで駒浦の気持ちを知ってる?」

「見てれば分かる」

 それは女の勘なのか、幼なじみの勘なのか。どちらにせよ恐ろしい能力の持ち主である。

「ねえ、本当に小径はシノっちのことが好きなの?」

「そうなんだろ、一回告白してるし」

 好きな人のことを、その人がいないときに他の人に話すのはなんだか心がくすぐったい。

「どうしてただの幼なじみがそんなに干渉するんだ」

「干渉って……違うし!」

 もう、と仁岡が頬を膨らませて拗ねた。感情表現の豊かな奴だ。……しまった、怒らせるのは面倒だ。

「じゃあ、俺からも聞くけど。仁岡って駒浦と幼馴染なんだろ」

 話の方向をずらしてみる。

「うん……ああ、小径がそう言ったのね」

「あいつ、すごいよな。昔からあんな……才能馬鹿だったのか?」

 才能馬鹿――我ながら上手い言葉を見つけたと思った。仁岡もそれを聞いて苦笑いしてみせた。

「才能馬鹿、ね」

 仁岡が駒浦の話をするとき、また、仁岡が駒浦と話をするときは、独特な親しみがこもる。これが、「幼馴染」というものなのか。俺にそんな付き合いの人間はいないから分からないけれど、同じ「才能馬鹿」という言葉なのに、それを俺が発する時と仁岡が発する時とではまるで意味が異なっているような気がする。

 返ってきた言葉はしかしながら、俺の予想に対して否定的だった。

「小径は……あんな小径、今でも私、信じられないよ」

 つい俺は、仁岡の方を振り向いてしまう。仁岡は構わず続けた。

「昔はあんなんじゃなかったんだよ。話すのも下手で友達も少なくて、教室の片隅で静かに本とか教科書とか読んでるような、そんな男子だった。

 いつからあんな風になっちゃったのか、今じゃもう分かんない。でもあんな小径、あたし好きじゃない。あんなの、本当の小径じゃないよ。口は下手でも、奥手でだまりんぼうの小径の方が、ずっと小径らしいのに……」

 俺の知る駒浦は、いわゆる触れたら爆ぜてしまいそうな話題がとことん似合わない男だ。それだけについ、仁岡は誰の話をしているんだろうと、聞いている最中にも思ってしまう。口下手? 孤立? 話の全てが虚構のようだ。

「嘘みたいって思うでしょう? でも、本当なんだよ。

 あの頃の小径を知ってるのは多分、この学校で私だけ。それを小径がどう思ってるのかは……ちょっと分からないから心配だな。

 偶然学校で、小径がこの旅行の計画書を印刷してるところを見かけて、冗談であたしも参加したいって言ったのに小径は断らなかった。気を、使わせちゃったのかもしれない。もしかしたら今日、あたしがこの旅行に参加してることをすごく嫌がってるのかもしれない……」

 外交的で、実行力のある駒浦を思い出す。無口で、斜に構えた駒浦を想像する。

 仁岡の話が本当なら。俺はそんな駒浦を、全く理解できない訳じゃないんような気がする。

「あいつなら、やりかねないよ」

「え?」

 そう、駒浦小径、あいつなら。

「俺は、昔のあいつのことなんて知らないけどさ。あいつなら……嫌いな自分を捨ててしまうことくらいやっても、おかしくない」

 あいつは、変わりたかったんじゃないのか? 俺が生きる意味を見失いかけていた頃のように、柚希が、生きることに対して疑問を抱いていた頃のように。駒浦は、自分で納得のいく、本当の“自分”を、ずっと一人で探していたんじゃないか?

「あいつは自分が認められる“自分”が欲しかったんじゃないか。そしてたぶん、たぶんだけど。もう少しで、見つかりそうなんじゃないか。だからあいつは、柚希を好きでい続けようと、してるんじゃないか。……たぶん、な」

 不確定な俺の「たぶん」。一体何を言っているのだろう。俺なんかよりも駒浦のことを知っているはずの仁岡に向かって、俺は。

「紺崎君ってさ……いい人だね」

「な、いきなりなんだよ」

「ううん。別に。……小径も、あんなんだけどすごくいい人だから。だから――」

 あんなん、という言葉には、仁岡にしか持てない特別な響きがあった。

「これからも、小径の友達でいてほしいの」

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