第四十五頁 暴いておやりよ椿木どる 2
私は街田康助の小説が大好きだった。そりゃ、世間一般では分かりづらいとか難解だとか(同じか)、人によっては”適当に書いてる”などと言いがかりをつける人もいる。確かに私も100%内容を理解しているかといえば自信はないけど、表現、言葉の選び方ひとつひとつの面白さとか、全体を彩る雰囲気とか、あらゆる街田康助のカラーを楽しむ事ができた。本を読んで内容、ストーリーを理解するというよりは、インプロビゼーションの音楽を頭を空っぽにして聴く時の感覚にも近い。ジム・オルークとかソニック・ユースの実験作品のように、彼の作品を読んでいる間はなんとも言えない、ノウズイがとろけるような心地よさに包まれるし、読んだ後は何でも出来る気がした。
私はある理由があってそこそこの数のクラスメイトから嫌われてるけど、彼の作品に出会って「気にする必要はないんだな」と思ってから、毎日が苦痛じゃなくなった。珠美という大事な友達も出来た。彼女は周りからは変わり者、気持ち悪いとされている私をすんなり受け入れてくれた。こんな子もいるんだな、と希望を持てたけど、こんな子が目の前に現れたのも、彼の作品で私が変われたからかな、という気持ちもある。
街田康助…いや、街田先生は言わば私の救世主なのだ。
そして今。
「何か」
その距離約3メートル。
その街田康助が、後ろから声をかけた私の方へ返事をして、振り向いている。いかにも異端の小説家、偏屈といった感じで、長い髪の奥の眼鏡がまた凛々しかった。年齢は正直、若いのか老いているのか分からない。活動の年数から考えると決して若者と言える歳ではないのだろうが、その肌のつやと真っ直ぐな眼光は若者にも劣らないみずみずしさがあった。かっこいい。無愛想だけど神秘的。街田先生ってこんな人かな、と思い描いていた人物像とかなり近い。
「あ、あのっあの……」
「何」
「えっと、私、その………」
2.5メートル。
2.3メートル…
もうすぐだ。2メートル。
2メートル近付きたい。私はこの人に、2メートル近付かなければならない。
「待て」
突然、街田先生が目の前に手のひらをかざし、私が近づくのを制した。
「なぜ小生が"街田康助"だと知っている」
しまった、そう来たか。この人、やっぱり頑なに読者に顔を見せないようにしていただけあって警戒心が強い。ごく平凡な女子高生が彼の顔を知っているわけがないのだ。いきなり街田康助先生ですか、と声をかけるのはまずかったか。
というか、一人称は"小生"なんだ。く〜〜っ!作家って感じだ!ますますかっこいい!
「え、えーと…ケラ!喫茶ケラで、お話してたじゃないですか。あの、スーツの人と…で、あの人が街田先生って言ったから。内容も小説がどうのって言ってたので、えと、もしかして私の好きな街田康助先生なのかなって。人違いだったらごめんなさい!」
人違いだなんてこれっぽっちも思っていないけど。
「ふむ…」
街田先生は、しまったという顔をした。今までこんな、星凛のような辺鄙な町で街田康助とバレた事が無かったんだろうね。お世辞にも売れっ子作家とは言えないので、よほどでなければその名前を聞いてもピンとくる人はいない。油断してたんだろうな。
「だから、私その、先生の大ファンでですね、えーと…」
思い切って1歩を踏み出した。
「サインください!!」
その距離約1メートル。完全に近づいた。先生の本を用意していて良かった。サインというのは、口実だ。サインなど所詮はインクが紙に付着しただけのものだから、意味はない。私が欲しいのはそんなものではない、私の救世主たる街田康助先生が一体この町で、何を考えて、どんな人達と過ごしているのか…それを色々知りたかった。私は先生に救われたのだから、それを聞く権利がある。
「サイン…か」
先生、あなたの手は…いや、口は煩わせません。ただ、こうやって私を近付かせてくれるだけでいいんです。
それだけで、
「うっ………」
目眩がした。よほど緊張していたのだろうか。いや、緊張じゃないと思う。私はその場でよろけて、転けそうになった。
「おい、大丈夫か」
「!!!」
まさかの事態だった。街田先生が、私の手を掴んで地面にへたり込むのを防いでくれた。
でも、手を掴んだという事は。
「うっ……うわっ……あっ……」
結局、私の手はスルッと街田先生の大きな手から離れ、地面に膝をペタンとついてへたり込んでしまった。頭が若干ぼうっとする。
「おいおい」
先生が戸惑っている。そりゃ、いきなりファンですとかいう女子高生が現れたと思ったらヘナヘナと地面に座り込んでしまうんだから。先生でなくても、誰でもびっくりすると思う。
「ご、ごめんなさい」
しかし、びっくりしたのは絶対私の方だ。これは断言できる。
でも私は決意した。ある申し出をこの人に、その才能で私を助けてくれた人に、してみようと思った。
「あの…街田先生。私を、アシスタントにしてもらえませんか」
「…………」
「…………………」
「……………」
しばしの沈黙。先生は、この小娘は何を言ってるんだと思っている。こ、小娘か…まあ小娘だけど。
「小生を漫画家か何かと勘違いしているのではないか。アシスタントなど不要だ」
「い、いえ!小説家の方にもアシスタントは必要です!資料を集めたり、調べ物をしたり…私そういうのは得意で」
「小生のファンと言ったな」
「はい!」
「では、小生の作風にリアルな資料や情報が必要だと思うか」
うっ、その通りだ。よく言えば幻想的もしくは前衛的、悪く言えば支離滅裂。文章のインプロビゼーション。街田康助の作風にリアリティなどひとつもない。それどころかこの先生はリアリティという言葉を嫌っている。あの編集のおじさんとも、リアルとアンリアルを巡って口論をした事があるようだ。
「い…いえ……ないですね…」
私はうつむいて、蚊の鳴くような声で答える他無かった。
「じゃ、じゃあ弟子にしてください!」
とか、血迷ってつい言ってしまった。
弟子にしてくださいって。街田先生がそんなものいらないなんて事、分かってるのに。ほら、凄い顔してる。まためんどくさいのが現れたな、って顔だ。実際そう思ってる。また、か。まあ、また、だろうね。
「サインが欲しいならしてやるから、帰れ。あと、小生がここに住んでいる事を他言する事はやめてもらいたい。もし言えば…」
「地の果てまでも追いかけてつるつるの壺で頭をかち割ってやる」
「分かっているではないか。本当に小生の作品を読んでくれているな。感謝する」
お礼を言われてしまった。今のは街田先生のかなりマイナーなとある作品の、決め台詞というか名言とされているワードだ。
でも、地の果てまで…というのは冗談ではない。やると言ったらやる、その言葉にはそういう"凄み”が込められていた。単なるファンサービスではないし、本人もそんなつもりで言っていない。言ってから、自分の小説の台詞だと気付いたに過ぎなかった。
危うい魅力。それがこの街田康助先生にはあった。
先生の著作のブックカバー裏に、サラサラとサインを書いて先生は立ち去ってしまった。
悪い事したな、と思ったけど、収穫した。いや、収穫してしまった。怒られるから、珠美に話すのはやめておこうと思った。
妖怪。
悪魔。
改造人間。
神。
幽霊。
妖怪については一緒に住んでいる。普通に生活していても絶対に出会う事のない特異な存在との衝撃的な出会いと共存を、街田先生は経験している。悪魔の人は凄い髪型をしているし、改造人間の人は派手だけど気さくでちょっとセクシーなお姉さん。妖怪の子は可愛いな。
こんな経験はどうやればできるのだろうか。こんな経験をしているから、あんな作品が書けるのだろうか。もしくは逆なんだろうか。
運命の人。好きなバンドの曲のタイトルにもあったと思うけど、そんな言葉が頭をよぎった。先生は私の事を気持ち悪いと思うかもしれない。でも、もしかしたら受け入れてくれるかもしれない。先生が私の事を理解したと同時に、私も先生の感情を理解する事ができる。それはちょっと怖い事だけど、後には引けない。変な決意が私の中に芽生えてしまった。
星凛高等学校2年、私・椿木どるは、私を中心に半径2メートルに入った人の「情報」を読み取る事ができる。生い立ち、家族構成、住所、友人知人関係、思考回路、趣味・趣向、あとこれは絶対悪用しないって決めてるけど、その気になればカードの暗証番号まで。今日のスケジュールや出来事、次の瞬間にどんな行動を取るか。私の事をどう思ってるのか…基本的なものから、瞬間的な細かい情報までが"感覚"として伝わってくる。
さらに相手に"触れる"事でその情報が目に見えるようになる。もし私があの編集のおじさんに触れていれば、街田先生がどんな姿をした人なのかが分かったはず。街田先生が私の手に触れた後に流れこんできたビジョンには、さすがに驚いて体の力が抜けてしまったけど。
射程距離に入った相手を照らしてその姿を暴くような、便利だけど弱くて悲しい能力。私はこれをシンプルに「サーチライト」って呼んでる。照射!照射!ってね。表裏や隠し事の一切ない珠美は「私には関係ない」と言ってこの能力を受け入れてくれたけど、彼女は特別だ。近づいただけで人の心や情報を完全に見透かしてしまう私を気持ち悪いと思うクラスメイトの方が普通だ。だから私は彼らを軽蔑はしない。当たり前の反応だ。
私を救ってくれた街田先生。
恩人。まさに貴方の事だ。
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