第二十七頁 パンク作家と血まみれ少女 1

「打ち合わせに出る。こんな夜に面倒だがな。遅いから家からは出るなよ」

 放っておくとちょこまかと出掛けだす同居人(?)に釘を刺し、小さなマンションの一室、即ち自宅を出ようとする小説家・街田康助。


 夜の10時だというのに打ち合わせとは実に面倒だ。編集の男がどれだけ忙しいのかは知らないが、彼のスケジューリングのせいかたまにこういうパターンもある。また駅前の喫茶「ケラ」にてあの無個性な編集男を迎え撃たなければならない。

 最近は彼、街田の作風は少しずつ分かりやすくポップなものになってきているらしく、編集も生き生きしていた。全く人は分かりやすいものだけを求めて絶賛し、訳が分からないと思うものは最後まで訳が分からないと決めつけて蓋をする。それだけならいいが、訳が分からないという事を理解するや否やサブカル気取りだなどと言って茶化し、異物を排除しようとする。創作の世界においては昔からよくある話だが、人の本質が見えやすい、くだらない世界のように思えて仕方ない。まだ訳が分からないのが格好良いと言って飛びつく気取った学生の方が可愛げがある。


 2階にある部屋を出て、マンションのエントランスに向かう。街田が住む「コンフォート牛若丸」はマンションとは言っても小さなもので、4階までしかない。勿論エレベーターも無いこじんまりしたマンションで、更にエントランスは薄暗い。しかしそれがかえって入りづらい雰囲気を出していた為、セールスだとか、宗教の勧誘のようなものは殆ど来ない。

 しかし過去に一度だけ、宗教の勧誘が来た事があった。上品そうな初老の女性だった。インターホンを押して、返答すると幸せの何だの救いがどうのこうのと語ってくる。

「私達は宗教であるとか、そういったものではございません。幸せとは何か、生きるとは何かについて、真剣に考え、共に潤いのある生活を目指すコミュニティのようなものでございます」

 それを世間一般では宗教と言うのだよ。しかし街田はここで「うちはけっこうです」と無難に退ける事はしない。

「何か、生きる事において不安、お悩みをお持ちではございませんか」

「悩みがある。小生には、犬が憑いているのだ。祓えるか」

 淡々と答える街田。

「え、い、犬、でございますか」

「そうだ。犬だ」

「なるほどでございますね。それは恐らく、不安からくるものでございます。私達は…」

「いや、不安は特にない。ただ、犬が憑いているんだ。祓ってくれればそれでいい」

 被せながら街田はまた淡々と返した。

「はい、それは心の奥底にある不安が」

「いや不安はない。犬を祓えるのか、祓えないのか。イエスかノーでひとつ」

「す、すみません、失礼します」

 大体この流れで相手は去る。弱った人の心に漬け込んで商売をする下劣な輩どもめ。できる、のハッタリひとつもかませないのか。


 そのような事を特別思い出すでもなく街田は階段を早足で降りる。待ち合わせの時間ギリギリだった。時間は絶対に守るというのが彼の信条である。時間に遅れるという事は相手に優位に立たれるという事だ。その日のやりとり全てに、相手に主導権を握られると言っても過言ではなく、それは避けなければならない。作家は編集の上にとは思わないが、下になっては絶対にいけない。常に対等。後は互いの性格の問題だろう。

「ん?」

 エントランスに誰かが座っているのが目に入った。壁にもたれかけてうつむき、脚を投げ出していた。

「げっ」

 それは見たところ女子高校生だった。この地域では見覚えのないセーラー服、長い黒髪、ぴっちり揃えた前髪。少し地味だがどこにでもいそうな女子高校生だ。


 血だらけの死体という事を除いては。


 女子高校生は死んでいた。制服はボロボロ、スカートからのびる脚は傷だらけだった。脳天には何か棒状のものが深々と刺さっている。そこから流れた血が、長い髪の間からのぞく顔半分を赤く染め、口からもダラリと血が流れていた。床にも血が飛び散っている。コンフォート牛若丸特有の薄暗い蛍光灯が、ぐったりと肉の塊と化した女子高校生を仄かに照らし、さながらホラー映画のワンシーンのようになっていた。

 街田はここ最近、改造人間だとか神だとか異常なものに遭遇してばかりだったが、人間の生の死体とは何とも突然だった。死因は頭に刺さった棒状のものだと思われるので、他殺だろうか。ひっそりと地味なはずの星凛町でまさかの殺人事件とは穏やかではない。さすがに叫びはしなかったが、見なかった事にして立ち去るのはさすがに憚られたので、とりあえず警察を呼ぶ事にした。街田は携帯電話を持たないので、死体を尻目に2階にある部屋に戻った。今日の打ち合わせはキャンセルだ。


 玄関を開けると、居間でテレビを見る同居人、妖怪の猫娘・サシがひょこっとこちらを振り返った。テレビというよりDVDを見ている。先日リリースされた、今話題沸騰中の"宇宙人系アイドル"「亀ノ内・シャングリ・らいふ」のセカンドシングル「ポポポポポ」の初回限定盤Bについている、同曲のミュージックビデオが収録されたDVDだ。

 街田は最近リリースされるCD作品の、初回限定盤は分かるが、初回限定盤AとかBとかいうのは解せなかった。更には通常盤初回プレス、通常盤通常プレスという訳の分からないものまである。ものによって特典、ジャケット写真、時には収録曲までもが異なる。多分熱狂的なファンは全種類買うのだろうが、全く理解ができない。昔のようにレコード、CDが飛ぶように売れる時代ではないので、どこのレコード会社も必死だ。ちなみに「ポポポポポ」初回限定盤Aにはブルーレイディスクがついているが、街田家にはブルーレイプレイヤーは無いのでサシにはDVD付の初回限定盤Bを買い与えた。サシは宇宙人系アイドルという特異なスタイルで売り込む亀ノ内・シャングリ・らいふを、街田がちょっと苦手である事をなんとなく理解していたので、彼が出掛けた瞬間に視聴をスタートさせたのだった。

「あれ、先生忘れ物ですか」

「そんなところだ」

 なんせ他殺死体が自宅の前に存在している。街田はサシを怯えさせまいと適当に誤魔化して、110番を回した。

「○丁目のコンフォート牛若丸のものだ。マンションのエントランスで娘が死んでいる。おそらく他殺だ。いいか、先に言っておくが小生は犯人ではない。しかし貴様らにも形式というものがある事は理解している。事情聴取くらいは受けてやる」

 それを一字一句聞き逃さなかったサシは目を丸くして電話をする街田を見つめていた。画面の中では亀ノ内・シャングリ・らいふが素っ頓狂なテクノアレンジをバックに、機関車がどうのこうのと意味不明な歌詞を熱唱…いや、これは歌手と言っていいのか判断に困るほど、極端にローテンションなボソボソボイスで唄っていた。


 5分程で警察は到着した。交番が駅の側…前に悪魔のカインが飛び降りてきたビルの隣だ…にあるので早い。発見者という事で自宅で待機していた街田家のドアが叩かれた。居間でまだ固まっているサシを置いて街田がドアを開け警察官と面会する。熱血そうな若い警察官だ。

 やれやれ、事情聴取か…と街田は思ったが…

 警察は予測もせぬ言葉を口にした。

「困りますね。悪戯の通報は」

 街田はどういう事か分からなかった。

「死体などどこにもありませんよ。悪戯と判断してよろしいですかね」

 若いくせに警察というのは何故こうもエラソーなのだと思ったがそれ以上に、どういう事だ。小さなマンションだし、エントランスはあそこひとつしかない。ここに来るまでに必ず死体が目に入るはずだし、アレを横切る形になるはずだ。

「ちょっと待て…何を言ってる」

 街田は若手警察官をどかして部屋を出る。階段を降りてエントランスに出た。そこにはもう一人、年輩でおそらく先程の奴の上司と思われる警察官が不思議そうな顔で待機していた。外には彼が乗ってきたであろうパトロールカーが赤色灯をチカチカさせて停まっていた。

 街田は目を疑った。

 死体が消えている。

 つい先程まで、ちょうど上司警察官がいるあたりの壁にもたれかかっていた女子高校生の死体が忽然と消えていた。昔のロールプレイングゲームでは物語上で人物が死ぬとその場からペカペカ点滅して消える演出が悲しみムードを台無しにしたものだが、確か血がその辺りの床まで飛び散っていたはずがそれすら綺麗に消えていた。

 街田が死体に気付き、通報して警察が来るまで5〜6分と言った所。たったそれだけの時間で、誰かが死体をどこかに運び、床の血も綺麗に拭き取ったというのだろうか。間も無くして到着する警察にも見つからずに?とてもそれは不可能と思われた。

「虚偽の通報は場合によっては軽犯罪法違反となり罰せられます。以後、肝に銘じてください」


 結局、悪戯と結論づけて警察は去っていった。疲れているのだろうか。街田は納得のいかないまま、打ち合わせもキャンセルになったのでその日は眠る事にした。

 さすがにサシは怯えきってしまい、その日は街田と同じく書斎で寝た。妖怪でも怖いものは怖いようだった。

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