第17話

「――ツァリス!」

 クローセルが飛び込んできたのと同じように現れたのはツァリス。そして、叫ぶエルモアごと鉄橋で爆発したのは、ファンゼンが持っていた爆薬だった。

「きさまっ、まだ生きていたのか!」

「ここで、お前も……俺も終わりだ、エルモアっ」

 二つに割れた橋の上でようやく立っているエルモアに銃口が向けられる。

 が、大人しく死を待つような男ではない。

「我は、滅びぬ! 我こそ絶対であるべき存在なのだ!」

 裏返る声と共に放たれた烈風が、既に半分以上が結晶化しているツァリスの体を切り裂く。

 ぱらぱらと彼を包む眩い輝きは、まるで廃棄光のような残像を残してゆく。それは彼の命の……最期の輝き。

 一瞬の攻防、十数年間の人生をかけた刹那のこの時。

 全てのものが、それを見ていた。

――銃声が唸り、風が全てを切り裂く。

「終わりだ……船は、沈む」

 着地の勢いを支えきれずに膝をつき、ツァリスは眼前に立つエルモアを睨みつけた。

「我は呪うぞ、この……醜い世界を! 信じるものか、許しなど!」

 エルモアは断末魔に、悲鳴ではなく呪詛を叫んで絶命した。その巨体が半壊の鉄橋の上に重い音を響かせて転がる。

「ツァリス!」

 天井から流れ込んでくる風にはためくコートの合間から、銃を握り締めたままの腕が崩れ落ちるのが見えた。

 ツァリスは仰向けに倒れて沈黙したエルモアから視線を外し、湖面を漂う少年達をみおろす。

「――あれ、は?」

 重なり合う琥珀の瞳、まるで古びた石像のようにあちらこちらがひび割れている体、そしてその胸元には一つのペンダントがぶら下がっていた。

「あのペンダントは、リエルの」

 ツァリスが立っている橋の反対側、瞬間的な熱によって溶けた鉄が湖面に浸かっている方へとリエルをつれて泳ぎながら、クローセルは彼の胸の上で光を反射しているペンダントを凝視する。

「あなたは……!」

 先に上がったクローセルに橋の上へ引っ張り上げられたリエルは、圧し掛かるような重みを振り払ってツァリスを見上げる。

 崩壊はいよいよ酷くなり、崩れ落ちる壁面が湖底の結晶を押しつぶし、そして外へと続く橋を分断してゆく。

「ツァリス」

 激しく揺れる船体。立っているのもやっとといった中で、クローセルはツァリスに背を向けた。

「……いくぞ、リエル!」

「でも、でもっ!」

 リエルの膝と背中を支えて担ぎ上げる。

「行くしかないんだよ、俺たちだけでも。そうだろう、ツァリス!」

 動こうとしない……いや、既に動くことも出来ないツァリスは、それでいいと静かに笑う。

「ツァリスさん、あなたは――」

「お前は、母親によくにている……な」

 船全体を揺さぶる振動は傷んだツァリスの体をも無情に揺さぶり、細かい粒へと変えてゆく。

 彼女はそれを、ただ呆然と見ていることしか出来なかった。漂う光の中へと消えてゆく、その体を。

「嫌……嫌っ!」

「しっかり掴まっていてくれよ、リエル」

 嘆くリエルを強く抱きしめ、クローセルはひたすらに走った。

 強く一歩を踏み出すたびに数々の裂傷や打撲が痛みを訴えるが、いちいち構ってはいられない。崩れ落ちる瓦礫は橋を破壊し、結晶堂自体をも破壊してゆくのだ。

――崩壊は、近い。

「待っていてくれよ、リエル」

 崩れかける端を一気に駆け抜け、結晶堂と外を隔てる扉へと辿り着く。見るからに重たげな鉄の扉の側には、手動で開くための赤いレバーが埋め込まれていた。

 クローセルは息の荒いリエルを扉の側に下すと、ガラス製の蓋へと乱暴に拳を突き入れて割り、取っ手を掴んで力の限りに引く。

「……くそっ」

 重い音を擦り合わせながら引き出される取っ手。しかし、限界まで引き出しても扉は動かない。

「開かない?」

 上部に取り付けられているランプは赤いまま、それを見上げるクローセルは焦りに任せて鎮座する扉を蹴り上げる。

「ちくしょう!」

「クローセル、私を置いて……逃げて、ください」

「何を言うんだよ、リエル」

 絶え絶えの息でそう言ったリエルは、視線を隔壁の横にある梯子に向けた。緩くカーブを描く壁面に沿ってすえつけられているそれは、空の覗く天井まで続いている。それを伝っていけば確かに外へと出られるだろう。

 だが、リエルを抱えていては無理だ。

「分かるんです。もう、だめだって」

 砲撃による瓦解が先か、海面に衝突して沈むのが先か。

 どちらにしろ、迷っている暇はない。それは、分かっている――だが。

「やめろよ、そんなこと……言うなよ、リエル」

「お願い」

「嫌だ」

 クローセルは頭を振る。

「クローセル!」

 がくんと足元が揺れる。完全な崩壊が始まったのだ。

 波立つ結晶水の湖に、折れたマストの一部が崩落する。

 それは結晶堂の底に大きな穴を穿ち、湖面は大きな渦を巻いて瓦礫や橋……結晶柱を破壊し……飲み込んでゆく。

「クローセル、お願い!」

 渡ってきた橋も渦に削られて半分も残っていない。分断された向こう側は、既に跡形もなく無くなってしまっている。

 時間がない、彼等がいるこの場所もすぐに押し流されてしまうだろう。

 まして、これほどの崩壊が始まればいくら足の速い小型艇であっても容易に近付くことは出来なくなる。……結晶堂から出られても助かる可能性は限りなく低くなるということだ。

「嫌だよ」

 天井に広がる青。それよりもなお鮮やかで澄んだ青い瞳に、リエルは何も言えなくなる。

「だってさ、俺。君と一緒にいろんなものを見たいんだ。

 セキセイ島で、一緒に結晶花を見た時のように」

「クローセル」

 世界は悲しみに満ちてはいても、それと同じくらい喜びに満ちているということを感じていたいと、クローセルは意志の強い瞳でリエルに微笑む。

「でも、私……あぁっ!」

「リエル!」

 限界だった。

 最後の最期まで粘っていた橋は砂糖菓子のように荒れ狂う水に溶け、彼等から唯一の足場を奪う。

「――つかまれっ!」

 流れ落ちる全てのものと一緒に、引き摺られるように落ちてゆく。

「クローセル!」

「手を!」

 抗うことの難しい強い力にそれでも逆らって。クローセルは落ちてゆくリエルの手を、必死になって掴んだ。 

 失いたくない感触を握り締め、視線を持ち上げて反対側の手を球状の結晶堂を一巡する梯子に伸ばす。

「……うおおおおおおおおっ!」

 掌を……指先までもぴんと張って、金属棒を折り曲げて貼り付けただけの梯子を掴む。

「――っ!」

 己の重さとリエルの重さ。全てが腕に圧し掛かり、肩が外れてしまいそうな負荷が掛かるが、クローセルは悲鳴を噛んで耐える。

「……」

 リエルは何も言えなかった。

 苦痛を隠し切れないその表情は、見ている方も辛い。

 もういいと、離してくれと。言葉は喉をつくが、リエルは押し黙って生還への希望を捨てないクローセルを見上げた。

 その、強い想いに応えたかったのだ。それがたとえ、僅かな時間であったとしても。

「……離さないで」

 きらきらと輝きながら、囚われ続けていた人々が海へと落ちてゆく。

 全てが崩れ落ちる。

 過去の栄光を誇るはずだった船、それを手に入れた男……その犠牲者となった人々全てが海へと落ちてゆくのだ。

「離すもんかよ!」

 掴んだ手を握り返してくるリエルの手に、クローセルは笑う。

「一緒に、どこまでも行くんだからさ! リエル!」

 梯子を掴む腕は痺れ、支えきれない重さに泣くように震えている。

 クローセルは奥歯を噛み締めて懸命に重力と戦うが……限界だった。

「――!」

 握力を失った手が、梯子から滑り落ちる。

 風が耳元で唸り、視界が真白になるほどの勢いで二人は海へと引き摺られながらも、クローセルはつないだ手を引き寄せて、リエルを抱きしめた。

「離さないで、掴んでいて……クローセル」 

「ああ!」

 眼前に青い海が広がっても、不思議と恐怖はない。

 諦めることを拒否するように隻眼を見開くクローセルの視界の端で、きらりと僅かな光がちらつく。

「……船?」

 何かこちらに向って飛んできている。大規模な崩壊が始まった今、船に近付くのは危険……いや、自殺行為といってもいい。

「ノルシリータの船だ!」

「レイナンさん。それに、あれは……」

 巧みな操船技術を駆使して飛来した小型船に乗っていたのは二人。舵を握るレイナンと、その後でこちらをじっと見つめている青い爪のベルデだった。

「しっかり、掴まえているんだよ!」

 輝くベルデの指先が宙を掻き、勢いをつけて落下する二人を包むネットを作り出す。

「――わっ!」

 強い衝撃に舌を噛みそうになりながらネットに揺さぶられ、そのまま転がるように甲板の上に落ちる。

「乱暴だな、お嬢ちゃん」

 手荒い救助に笑っているのは、舵を握っているレイナンだった。絶え間なく外壁が落ちてくる中で、その緊張感の無い笑みは不釣合いだ。

「いいから、早く行きなよ! これで借りは返したんだからな……」

「ベルデ」

「なんだよ、何か言いたいことでもあるのか?」

 横を向いたまま、視線を合わせてこない彼女にクローセルは言った。

「有難う」

 ベルデは振り返らず、ただ、沈み行くヴィーグリーズを見つめている。

「……べつに」

 呟かれた小さな声は速度を上げて離脱する小型船が切る風に流されて消え、その表情は乱れる髪に隠されてうかがうことは出来ない。

「……リエル」

 結晶堂から流れ落ちてくる大量の結晶水。きらきらと太陽の光を反射する無数の結晶が、波立つ海に水柱をたてて沈んでゆく。

「助けて、くれたんです。あの人たちが私を……あなたを」

 それをじっと見つめて、リエルは瞳から涙をこぼした。本来なら液体であるはずのそれは流れ出るはしから結晶となり、軽い音を立てて甲板へと転がる。

 晶化症の末期症状だった。

「レイナン、急いでナグルファルに戻ってくれよ!

 ジュテルニ先生なら、リエルを何とかしてくれるかもしれない!」

 今にも砕けて消えてしまいそうな彼女の細い体を支え、クローセルは懇願するように操舵席のレイナンに声を飛ばす。

「これが、のんびりしているように見えるかよ? 早くこの空域から離脱しねぇと、オレたちもあのけったいな船と一緒に蒸発させられちまうんだぜ」

 がちがちと忙しなくレバーを操作し、レイナンはクローセルの声を突っぱねる。前方を見つめるその先には主砲を突き出すナグルファルや、ハイサルート。そのほかの東海の空賊たちが待機していた。

 ヴィーグリーズが海に沈むまで、待ってやるつもりはないようだ。

「砲撃が始まる! 目を庇えよ!」

「ああっ」

 レイナンの合図にクローセルはリエルを庇うように覆いかぶさり、ベルデはゴーグルを取り付ける。

「……ファンゼン」

 十年過ごした場所、十年共にいた者が今、派手な音を立ててこの世から跡形もなく消えてゆく。

 ベルデは目を逸らさずに、ただじっとそれを見ていた。

 光が爆発し、何もかもが消える。

 後に残ったのは青い空と、深く広がる海と緩やかな風のみ。

 恐怖を与えていた戦艦ヴィーグリーズと空賊ヴァラクタは、今ここで消えたのだ。

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