五日目
昨晩は、全く眠ることができなかった。眠気という本能的な欲求を感じなかった。というより忘れていた。そんなものの入り込む余地がないほど、私の頭は、様々な考えたちで溢れかえっていた。
私は外に出た。穏やかな朝日がたえまなく照りつけている。あらゆる場所で蝉が壊れたように叫んでいる。私は憂鬱さを晴らすために歩き出した。
乾いた土の感触が、足から伝わってくる。さわさわと揺れる木々はその大地にしっかりと根を張り、道に沿う形で並んでいる。
似たような情景がずっと続いていた。それは自分の現在位置が分からなくなるほどに。私が一歩踏み出すごとに、それと同じだけ新しい景色が現れ消える。それが何度も繰り返される。何度も、何度も、何度も、何度も。
私がその繰り返しに飽きかけていた頃、新しい景色が現れた。それは踏み出すごとに大きくなる。やがて、それが人だという事を知った。
私はその姿に見覚えがあった。足取りは次第に速くなり気づいた時には駆けていた。子兎のように、子犬のように、仔馬のように。人影は次第に大きくなった。私は手を伸ばした。その凛とした姿に。
「しずこ」
私は彼女の両肩を掴んだ。
「静子だよね? 本物だよね? どこにいたの? 何があったの? ケガしてない?」
口は滑るように動いた。
「そう。本物よ。どこにいたは分からない。何も無かった。ケガもない」
静子は私の問いに的確に答えたが、それは明確ではなかった。彼女は右手で左肘を触っていた。彼女がそうするのは決まって意地を張る時だ。彼女の身に何か起こったのだろう。私はそう確信した。
「何もなかった? 嘘。そんなはずない。服は破れているし、泥だらけ。それに全身びしょ濡れ。これで何もないなんて思えない」
「服はその辺の木に少しひっかけただけ。水たまりを思いっきり踏んじゃったから汚れてるのはそのせい」
「水たまり? そんなのどこにあるの。昨日は快晴だった。ほら見てよ。地面はこんなに乾いてる」
「ここが乾いているからといって水たまりが無い理由にはならないわ。ここは山よ。湿ってる場所なんていくらでもあるわ」
彼女はいつものように淡々と答える。
「何も無かったなら、どうして昨日帰ってこなかったの?」
「それは私の自由でしょ。急にいなくなったのは悪いと思ってる。でも実際何もなかったし、あなたが心配するようなことじゃない」
「なんで? なんで何も教えてくれないの? 強がりはもういいよ。私、長い付き合いだからなんとなく分かる。静子が何か隠してるってことくらい。そんなに私が信じられない? 話してよ。力になるから」
「あなたの気持ちは理解した。でも本当に何も無かったわ。それ以上何も言う事は無いわ」
彼女は頑なに何も語ろうとしない。しかし、私たちがこの村に来てからおかしなことがたくさん起っている。静子もその一つに巻き込まれたに違いない。そう考えるのが自然だった。
「どうしてそんなに意地を張るの? こんなに証拠は揃っているのに」
「証拠? なら私の身に何か起こったと誰が見ても分かる客観的な理由を教えてくれる? あなたが言ってるのは、私の状態から予測した単なる妄想でしょ。信じてないのはあなたの方よ。私を疑いたいなら、まず水たまりがない証拠でも見つけてくればどう? そうすればもう少しだけ詳しく話してあげてもいいわ」
私は黙り込んだ。彼女の言う通りだった。確かに客観的な理由は無かった。でも私だけにしか分からないこの直感は明らかに、静子の身に起こった事の凄まじさを垣間見せていた。
彼女は私の手を振りほどきコテージへと帰って行った。
彼女を襲ったのは、「謎の男」なのか「神隠し」なのか。それとも全く別の何かなのだろうか。真相は分からずじまいだった。
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乃愛ちゃんが姿を消した。
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音衣が再びいなくなった。
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