六品目:クリムゾンブルの牛丼(後編)
五人はギルドに戻り、任務完了を報告すると、一度解散した。
オスカーは自宅に戻り、鎧を外して軽装へ着替える。硬くなった肩を回し、短く息を吐くと、剣を置き、扉を出た。
向かう先は、アセムント通りの噴水広場。仲間との待ち合わせの場所だ。
噴水広場に着くと、すでに三人の姿が見えていた。ビット、ロベル、シェリー。
三人とも、まだ日暮れの残光の中で話し込んでいた。
「……すまない、待たせたな」
オスカーが声をかけると、三人は一斉にこちらを振り向いた。
しかし、誰もが目を丸くして固まっている。
「え、えっと……どちら様ですか?」
ビットの恐る恐るとした問いに、オスカーは小さくため息をついた。
「……オスカー・アンダルクだ」
「えぇ!? 本当に!?」
「【
「ロベル! 失礼よ!」
シェリーが頭を軽く叩く。その瞬間、陽気な声が背後から響いた。
「おっ、全員揃ってるな!」
オックスが豪快に笑いながら駆け寄ってきた。
「そこの兄ちゃんは……まさか、“孤高の鉄剣士”か?」
「ああ」
オックスは一瞬目を丸くし、次の瞬間、快活に笑った。
「はっはっは! まさか素顔を拝めるとはな! お前、思ってたより人間味ある顔してんじゃねぇか!」
「……放っておけ」
「で、美味い店ってのは?」
「……こっちだ」
軽くため息をついて、オスカーは歩き出す。
細い裏路地へと進んでいく。
足音だけが石畳に響き、ビットたちは不安そうに顔を見合わせた。
「お、おい……この先に本当に飯屋なんてあるのか?」
「黙ってついてこい」
そう言いながら進んだ先で、ふっと光が広がる。
路地の奥、温かな灯りの下に、小さな木の看板が掛かっていた。
【妖精の宿り木】
「……こんな所に、こんな店があるなんて」
オスカーが扉を開けると、鈴の音がやさしく響いた。
カランカラン――その音に、カウンターの奥にいた店主・アキヒコが気づき、顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
「ああ」
「どうぞ、カウンターへ」
「いや、今日は連れがいる」
「邪魔するぜ」とオックスが笑いながら後ろに続く。
中に入った瞬間、三人の目が輝いた。
磨き上げられた木の床。
ランプの明かりがやわらかく反射し、空気には出汁と焙煎した香草のかすかな匂い。
まるで森の中の小さな食堂のような、温もりに満ちた空間だった。
「す、すごい……」
「うおっ、なんか……落ち着くな」
「ロベル、静かに」
アキヒコは手際よくテーブルを動かし、六人用の席を作ると、軽く布巾で拭いた。
その動作すら、料理人らしい無駄のない所作だった。
「こちらへどうぞ」
「助かる」
オスカーたちが腰を下ろすと、カウンターの奥に一人の老人――ロージュがいた。
その姿を見たオックスが、驚いたように声を漏らす。
「あ、貴方は――」
「しー……」
ロージュは唇に指を当て、静かに笑った。
オックスは慌てて黙る。オスカーは首をかしげながらも、席に着いた。
「皆さん、いらっしゃいませ」
アキヒコが人数分の水と温かいおしぼりを置く。
その瞬間、湯気に乗ってハーブの清香がふわりと広がる。
「うわ……水が冷たいのに、口当たりが柔らかい」
「おしぼり、温かい……」
「サービスだから気にするな」とオスカーが軽く言うと、三人は驚いたように目を見合わせた。
オスカーは麻袋を取り出し、アキヒコに渡す。
「依頼していた食材だ」
「かしこまりました。……本日の分はいただきません」
「いや、連れの分は俺が払う」
「承知しました。では……クリムゾンブルのお肉ですね。どうなさいますか?」
「子供にも食べやすいものを」
少し考え込んだアキヒコに、カウンターのロージュが提案する。
「牛丼なんてどうじゃ? 腹に溜まるし、若い連中には丁度ええ」
「ギュウドン……?」
「ええ、丼ものの王道ですな」とアキヒコが微笑む。
「それを頼む」
「かしこまりました」
厨房に立つアキヒコの手が動く。
包丁がまな板を叩く音が小気味よく響く。
クリムゾンブルの赤身肉を薄く削ぐたびに、淡い香ばしさと鉄分の匂いが立ち上る。
次に取り出したのは、オラノの実。淡い紫色の皮を剥ぎ、くし形に切ると、切り口から甘い香りが滲む。
「へぇ……オラノの実って、こんな香りがするんだ」
「生だと辛いけど、加熱すると甘みが出るんですよ」とアキヒコ。
鍋の中では、出汁が静かに沸き始める。
醤油、酒、みりん、黄金蟻の蜜――それぞれが渦を巻きながら混ざり合い、甘辛い香りが店中に広がっていく。
そこにしょうがの香りが重なり、鼻の奥をくすぐる。
「……うわ、いい匂い」
「腹減ってきた……」
オラノの実が透き通るまで煮込み、そこに肉を投入。
脂がじゅわっと溶け、出汁と混ざる音が耳に心地いい。
数分もすれば、肉の色が淡く変わり、黄金色のツユをまとって艶めき始めた。
その間に、アキヒコは炊き立ての白飯を丼に盛る。
粒立った米の湯気が、ふわりと甘い香りを放った。
そこに肉とツユを豪快に乗せると、肉の油がご飯の上でとろりと光を放つ。
その輝きは、まるで宝石のようだった。
「お待たせいたしました。クリムゾンブルの牛丼です」
テーブルに置かれた瞬間、誰もが息を呑んだ。
湯気に包まれた丼から、甘辛い香りと肉の芳醇な香りが立ち上り、空腹を一瞬で鷲掴みにする。
「おおっ……なんだこれ……!」
「見ただけで分かる、絶対うまいやつだ……!」
全員がスプーンを構える中、オスカーは静かに箸を取り上げる。
「ハシ……?」
「ああ。この店ではこれで食べるのが流儀らしい」
オックスが真似しようとして、オスカーに止められた。
「扱いづらいから今日はやめておけ」
そして――一斉に口へ運ぶ。
瞬間、言葉を失った。
柔らかい肉が舌の上でとろける。脂の甘みとツユの塩気が一体化し、旨味が波のように押し寄せてくる。
オラノの実はとろけるほど柔らかく、蜜の甘さとしょうがの香りが絡み合って、思わず目を閉じるほどの幸福感をもたらす。
ご飯一粒一粒にツユが染み込み、口いっぱいに“旨味の余韻”が広がった。
「うっ……うめぇぇぇぇぇ!!」
「な、なんだこの味は!?」
「オラノの実が甘い……! 辛くない!」
「口の中で溶ける!」
「スープの香りも……たまらん!」
次々と感想が飛び出す中、オスカーは静かに箸を進めながら思う。
――美味い。
肉の旨味が染み出し、ツユが米を包む。
まるで、剣のように鋭く、同時に優しく、心の芯まで温まる味だ。
「これが“丼”か……」
店主の言葉を思い出す。
“丼とは、ご飯と具材が一体になって初めて完成する料理”――確かに、その通りだった。
「おかわりだ!!」
オックスの声に、ロベルも負けじと叫ぶ。
「俺も!!」
アキヒコは笑いながら、すぐに二人分を用意する。
追加の丼を受け取ると、二人はまるで戦士のように再びスプーンを突き刺した。
その隣でシェリーが味噌汁を啜り、ほっと微笑む。
「このスープ……優しい味。少し甘くて、体に沁みる」
「冬に飲んだら最高だね」とビット。
やがて全員が食べ終え、丼を置く。
満足げな笑顔が、自然と浮かんでいた。
「いやー、美味かった!」
「ほんっとに最高でした!」
「腹が幸せってこういうことか……」
支払いをしようとするオスカーの手を、オックスが制した。
「こんなに美味い飯を食わせてもらったんだ、俺が払う」
「……そうか。ご馳走になる」
「なに、礼は俺のほうだ!」
笑い声とともに、店を後にした。
外はすっかり夜の帳が下りていた。
路地の明かりが灯り、五人の影が並んで伸びていく。
「また食べたいね!」
「もっと強くなって、次は違う料理を!」
「うん、頑張ろう!」
楽しげに話す三人の背を見ながら、オスカーとオックスは並んで歩く。
「あの子たち、真っ直ぐ育つな」
「ああ……そうだな」
「そういえば……お前、魔法に詳しいな。使えるのか?」
「……いや。俺じゃない。妹が使えたんだ」
「……そうか。妹さんも、冒険者だったのか?」
「ああ。冒険者だった」
オックスは静かに頷いた。
「……すまねぇ」
「気にするな」
風が静かに吹き抜ける。
オスカーは夜空を見上げた。
――そういえば。
もうすぐだな、レイナの命日。
街の灯りが、遠く霞んで見えた。
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