一品目:オークカツ定食(後編)

「……腹、減った」


 センブロム王国の大通り――アセムント通り。

 商人と冒険者と観光客でごった返すこの通りを、オスカーは人混みを避けるように歩いていた。


 鎧は脱ぎ、無精ひげを生やしたままのラフな格好。

 背中にはいつもの麻袋がひとつ。中身は――例の“オーク肉”である。


(まったく……ギルドじゃあれだけ騒がれて、レオンにまで飯誘われて……。俺はただ、静かに飯が食いたいだけなんだよ)


 ため息をひとつ。

 足は自然と裏通りへ向かっていた。


 やがて、薄暗い路地の奥にポツンと灯る看板が見えてくる。


 ――【妖精の宿り木】。


(……やっぱり、ここだ)


 オスカーの“行きつけ”にして、唯一落ち着ける場所。

 彼が戦場以外で気を抜ける、数少ない空間だった。


 扉を開けると、チリン、と小さな鈴が鳴る。


「いらっしゃいませ」


 白衣姿の男が、いつもの柔らかな笑みで迎えた。

 この店の店主であり、料理人のアキヒコ・フジワラだ。


「…………どうも」


 短く返し、オスカーはカウンター席へ。

 麻袋をドスンと置くと、アキヒコが覗き込み、目を細めた。


「おぉ、これは立派なオーク肉ですね。今日はどうなさいます?」

「……がっつり食いたい。肉を食った感があるやつだ」

「なるほど。では――“カツ”にしましょう」

「カツ?」


 聞き慣れたようで聞き慣れない単語に、オスカーの眉がピクリと動く。


(……まさか、あの“カツ丼”の親戚か?)


「カツ丼じゃなくて、揚げたての“カツ定食”にしましょう。ご飯と味噌汁もお付けして」

「……ゴハンとミソシル、だと……!? それは……勝利の組み合わせだ……!」

「え?」

「いや、なんでもない。頼む」


 アキヒコは笑みを浮かべ、カウンター奥の厨房へ。

 手際よく肉を切り分け、金属のハンマーのようなもので叩き始める。


(……な、何してるんだ? 肉を……殴ってる!?)


「驚かせましたか? これは“ミートテンダライザー”といって、肉を柔らかくする道具ですよ」

「……なるほど。……物騒な名前だな」


 オスカーは腕を組み、じっと見守る。

 塩胡椒を振り、小麦粉、卵、パン粉――と順にまぶしていくアキヒコ。

 そして油の温度を確かめ、静かに肉を沈めた。


 ジュワァァァッ……!!


(ッ!? この音……! 前のフライの時と同じだ! 腹が……減る……!)


 香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

 油の中で肉が黄金色に変わっていく様を、オスカーは無言で見つめた。

 香ばしい匂いが漂い、オスカーの食欲をさらに刺激する。

 揚げ終えたカツを切り分け、キャベツとともに皿に盛り付ける。

 やがて、湯気と共に皿が運ばれる。


「お待たせしました。オークカツ定食です」


「……ほぉ」


 サクサクの衣に包まれた肉が、月明かりのように輝いている。

 キャベツの千切り、ご飯、味噌汁。

 完璧な布陣だ。


 まずは味噌汁を一口。


(くぅ……相変わらず、沁みる……。ミソシルってのは、なんでこんなに落ち着くんだ)


 次に、カツを箸でつまんで――一口。


(ッ……!? やわらかい!? これがオークの肉か!? うまい……うますぎるッ!!)


「固くて臭いはずのオーク肉が、こんなに柔らかいとは……」

「叩いて繊維をほぐしてますからね。あと、皮の近くは使わないようにしてます」

「……なるほど、敵にしたくない手際だな」


 そのまま、夢中で食べ進める。

 サクサクの衣、溢れる肉汁、そして――白米。


(ソースをかけて……ご飯を……ッ! ああ、止まらん……! これは……幸福の三連撃だ!!)


 最後にキャベツをひと口。

 さっぱりとした甘みが、脂の重さを一瞬で消し去る。


(……やばい。これ、永遠に食えるやつだ)


 カツ、米、味噌汁、キャベツ。

 再び、最初の一口と同じ感動が蘇る。

 それを何度も、何度も繰り返す。


(あぁ……今、俺は“幸せ”を噛み締めている……)


 最後の一切れを食べ終え、湯気の立つ味噌汁を飲み干した。

 深く息をつき、静かに呟く。


「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました」


 会計を済ませ、席を立つ。

 背中に夜風を感じながら、扉を出る前に一度だけ振り返った。


 アキヒコが柔らかく笑っていた。

 その姿に、オスカーもほんのわずかに口の端を上げた。


 同じ時間。カウンターの隅で酒を飲んでいた初老の客が、ぽつりと呟いた。


「……今の客、なんか只者じゃなかったのぅ」

「えぇ。無口ですけど、いい人ですよ」

「ふむ……【孤高の鉄剣士アルーフ・リベリ】という男がいると聞いたが、まさかのう」

「孤高の……?」

「高難度の依頼を一人でこなす化け物みたいな冒険者だ。伝説の剣士フルード・リベリの名を継いだ、とかなんとか」

「へぇ……そんなすごい人が、本当にいたんですね」

「……まぁ、同一人物とは限らんがの」


 初老の男はグラスを掲げ、軽く一口。

 アキヒコは微笑を浮かべて返した。


 店を出たオスカーは、満ち足りた腹を撫でながら夜道を歩く。

 月の光が静かに鎧の縁を照らしていた。


(……あんなに食ったのに、胃が重くない。……やっぱ、あの店の飯は別格だな)


 ふっと笑う。

 その笑みは、戦場でも見せたことのない穏やかなものだった。

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