地獄の業火

 エクソシズムから一月が過ぎた。初夏から本格的な夏が始まる前の季節、梅雨に入ろうとしている。

曇りがちの空をベランダに見て、智夏はテレビを点けた。

日曜日なので、もう少し眠っていたい時間だが、昨夜田垣から退魔局へ来るように連絡を受けたのだ。

 「あ~~ 日曜なのにご出勤ですか?」

セイラがあくびをしながら、リビングに入ってきた。

すっかり日本こちらの生活にも慣れた様子だ。

学校にも毎日通っていて、休みの日は智夏と出かけるか、家で寝ているようだ。

智夏は教会からの仕事をしているように見えないので、大丈夫かと心配する。

わざと仕事をせずに、このままここで暮らすつもりではないだろうかと、疑問に思う事もあるくらいだ。

 「私は行かなくてもよろしいのでしょうか?」

眠い目をこすりながら、パジャマを脱ぐ気配もなくソファーに座った。

 「いいんじゃないの」

行く気もないのに、良く言うわねと心で思い、智夏は部屋から持ってきた制服に袖を通した。

 「じゃあ、パンを焼いておきますわね」

 「ありがとう」

着替えを終え、テーブルに座る智夏へと、セイラがトーストとコーヒーを運んできた。それなりに同居生活はうまくいっているようだ。

 「また火事ですわね」

テレビを見ながらトーストを小さくちぎり、口に入れるセイラ。本人は上品に食べているつもりだろうが、智夏から見ると、ちぎり方が小さすぎるので、食べるのに時間がかかり、多少イライラする時がある。

 「そうね、多すぎるわね」

智夏は、綺麗な顔に似合わずトーストにかじりついた。

テレビのワイドショーでは、数か月前から続いている火災について特集している。

関西圏で不審火が続き、最近では、大規模な火災になってきていると報じていた。

 「今日の呼び出しもこちらに関係があるのでは」

 「かもね」

智夏はコーヒーを飲み干し、食器をキッチンに運んだ。

 「じゃあ行ってくるわ」

 「はい、田垣さんによろしく伝えてください」

セイラの声を後ろで聞いて、智夏は部屋を出た。

エトランスを抜け、マンションの外に出ると、どんよりとした雲が智夏を迎えた。

退魔局は電車を乗り継ぎ、智夏のマンションから一時間かからないオフィス街にある。車ならもう少し短い時間で行けるのだが、基本電車代しか請求できない。

 「天気の悪い日位、タクシー代が出ればいいのに」

 「ははは、税金とかいうやつだろう。無駄使いはダメという事さ」

姿なき声が智夏の耳にだけ聞こえる。 

 「休みの日に呼び出しておいて、休日手当がほしいわ」

 「陰陽師、退魔師に休日はないさ」

 「そうね」

繁華街のある駅で、乗り換えのため電車を降りた。

人混みの中、いやな波動を感じた。

 「九、今の波動は」

 「ああ、鬼の匂いが微かにするな」

智夏は足早に改札へと急ぐ。いやな波動が駅の出口に向かうのを感じたからだ。

波動とは、霊感の強い人間が感じる匂いみたいなもので、普通の人が発している波動は空気みたいに感じられ、異形の者が発する波動には匂いがつく。獣臭けものしゅうみたいなものだろう。

先日のモモのように、わざと波動を浴びせ、人間を自分の下僕にできる鬼も数多く実在している。

人混みが激しく、波動を発しているぬしは特定できていないが、どうやら以前の空き地へと向かっているようだ。

 「空き地がお気に入りみたいね」

 「霊的に利用しやすい場所なんだろう」

 「なるほどね。まだ未練があるのかしら」

 「未練たらたらのようだな。見てみろ」

空き地に繋がる路地の手前で覗き込むと、空き地の所に前と同じ家が建っていた。

普通の一軒家。二階建てで、ママチャリも前の時と同じで置いてあった。

 「なめてるのかしら」

 「なめてるか、誘っているか、どちらかだろう」

人祓いの結界が張られているせいか、路地には人の姿は見えない。

しかし、放っておくと匂いにつられる人が入り込んでしまうのだ。

入り込んだ人間が、家の前に来ると、手が出てきて中に引きずり込まれるだろう。

智夏が家の前に行こうか迷っていると。向こう側からこちらに向かう人影が見えた。このままでは危険だ。

智夏は路地に入り、家へと急いだ。タイミング的に家の前ですれ違う。

智夏は家の手前で立ち止まった。

立ち止まらずにえなかった。向かってくる男がこちらを見て笑っていたからだ。

年齢は四十を超えているだろうか、目尻に皺が見える。頬はこけていて、病弱に見えるが、目には異様な光を宿している。

だが、一番目を引くのは耳だ。左右で大きさが全然違う。

 「お前は退魔局の人間か」

 「・・・・・」

智夏は無言で頷いた。

 「田垣に伝えろ」

 「田垣さんに?」

男は下を向いて、唇を吊り上げた。

 「地獄の業火を止めてみろと」

男が家の中に姿を消した。同時に家も消え、空き地の看板が智夏の目に映った。




 「左右の耳の大きさが違う男か」

退魔局、次官室で体格の良い男が窓の向こうへ目を移した。

 「知り合いですか?」

制服を着た少女が、緊張した面持ちで尋ねる。

 「蘆屋家あしやけは知っているだろう」

 「はい、昔に土御門家と因縁のあったと聞いてます」

 「彼は蘆屋の流れを汲む男だ」

 「蘆屋道満の子孫?」

 「血筋的にはそうなるが、君と同じで分家の分家」

 「私と同じ・・・」

 「名は土岐桑栄ときそうえい

田垣は椅子から立ち上がると、窓の方へ向かい、智夏と距離を置いた。

 「だが、才は秀でたものを持っていた」

 「・・・・・」

昔を思い出したのか、田垣は遠い目をして窓からの景色を見る。

 「君は退魔局が一枚岩でない事を感じているだろう」

 「はい、陰陽師と退魔師という名ですれ違いが多いと思います」

 「すれ違いか・・  うまい事を言う。   結局はいがみ合いだがな」

智夏は高野山での退魔行の修行を思い出す。退魔師達は陰陽師の血筋を持つ智夏に優しく接してくれたとは言えない。中には真剣に退魔術を教えてくれ、フレンドリーな関係を築けた人もいたが、片手で数えられる程だ。

 「桑栄は式鬼使いでな、退魔局でもトップクラスの術者だった」

 「退魔局の人間なのですか!?」

 「退魔局の人間だった」

田垣は智夏の言葉を過去形に言い直した。その物言いは、桑栄を否定するかのように智夏には聞こえた。

 「彼は陰陽師上位派でな、その傾向が強すぎ、失脚した」

 「陰陽師上位派?」

 「そうだ、退魔局の主要役職者を陰陽師で占めようとしてな」

 「そして失脚」

田垣は窓への視線を外す事なく、しばし言葉を発しなかった。

恐らく、窓からの景色を見るのでは無く、過去を見ていたのだろう。

 「地獄の業火か・・  式鬼使いには相応しいな」

 「桑栄の狙いはなんだと思いますか?」

田垣は智夏の方へと顔を向けた。彼自身は自覚はないだろうが、刺すような視線を智夏は感じた。

 「今の退魔局への挑戦だろう」

田垣が言うには、桑栄失脚後の退魔局の上位人は退魔師系が占めているらしい。しかしこの人選は退魔師、陰陽師関係なしにそれぞれの適正で選ばれているとの事だった。しかし現場で退魔業をする、退魔師、陰陽師には多少の影響があるとも付け加えた。

事実、智夏が数人でチームを作って退魔業を行った時、同等クラスの退魔師がリーダーを名乗り、仕切っていた事を思い出した。

 「退魔師への挑戦ですか。・・・・地獄の業火とは何なのですか?」

陰陽少女は桑栄が口にした言葉を出した。

 「君は陰陽師の優越を何で見る」

 「!?    ・・・式ですか・・ね」

質問を質問で返され、焦った表情を浮かべたが、何とか答える智夏。

 「うむ。では式の何を見る?」

 「     ・・強さ?   数? 」

 「ふっ   君の基準で見ると桑栄はかなりの強敵になるぞ」

 「どういう事ですか?」

 「桑栄は酒呑童子クラスの鬼を、十体以上式として操る式鬼使いだ」

 「まさか・・・・・・    ・・・  」

智夏は絶句し言葉を飲んだ。酒吞童子クラスの鬼を式とするだけでもかなりの術者と言える。それを十体以上式として操るなんて人間業を超えている。

 「桑栄は地獄の鬼を式として操り、現世に地獄の業火をもたらそうとしているのかもしれない」

田垣は再び窓の方へと視線を移していた。

 「この一連の火災は何か関係があるのでしょうか?」

 「全てとは言えないが、予行演習だったのだろう」

陰陽少女はは唇を噛んだ。モモが必至で、時には命をかけて人を救っていた火災が、桑栄にとっては予行演習だったのだ。

 「許せない!」

智夏の言葉が静かに次官室に響いた。

 「倉橋君、事態が大きくなってきた。君一人の力では無理だ。次の指示があるまで待機していてくれ」

 「でも・・・」

 「退魔局総出で動かないと、事態は収まらないだろう」

田垣が緊急会議の為に次官室を出て行った。

智夏は待機指示が出たため、むやみには動けない。

しかし火災が起きれば、モモが現場に赴くだろう。その時自分はどうすればいいのか自問する。答えは出ている。

      助けにいく!!

しかし、酒吞童子クラスの鬼を十体以上操れる陰陽師に自分は勝てるのか?

田垣が見ていた窓に目をやる智夏。そこには繫華街の高層ビルが見えていた。

地獄の業火が起きれば、あのビルも火に包まれ、繁華街一面が火の海になる光景が浮かぶ。

 「阻止しなければ」

智夏は桑栄が消えた家を思い出し、退魔局を後にした。
































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