3 僕らは君を助けに来たんだよ、いちおう
「かまいません。通しなさい」
奥の方から声が聞こえた。かわいらしい少女の声だった。
「ちっ、お許しが出た。しょうがない、通りな」
ウツボは横柄な態度で横に体を寄せ、僕らに道をゆずった。
主……、つまり夢旅行者は女なのか?
なんとなく聞き覚えのある声だったけど、誰のだったかは思い出せない。まだ若いその声にみちびかれ、僕らは切りすてた扉をくぐり、中に入っていく。
その通路は自然にできた岩のトンネルではなく、みがかれた大理石の壁と床、塗装された真っ白な天井。明らかに人工のもので、かなり豪華な印象だ。それを壁のところどころにある薄ぼんやりとした灯りが照らしている。
ふたり並んでゆっくり泳いでいくと、やがてホールのようなところに出た。横に広いだけでなく、高さも三階分くらいあり、トップライトからふりそそぐ太陽の光が帯となって中の様子を写しだしていた。
そこは外以上に多くの魚がうごめいていた。小さい魚たちはそれこそ無数にいて、赤、青、金、銀と色別に雲のような群れを作り、それが波のようにうねる。その中を五十センチから一メートルくらいの魚が何匹も泳いでいて、それにあわせて小魚の群れがはじけたり、渦を巻いたりする。
真っ白なイルカが「きゅうきゅう」鳴きながら、愛嬌を振りまいていた。
まさに夢のようでいて、想像だけでは描けそうにない光景だった。
僕らは床に降り立つと、部屋の中空を見上げる。
そこには、魚たちとたわむれるひとりの少女、いや、人魚がいた。
これが夢旅行者か?
人魚は軽くウエーブのかけったピンクの髪をし、両胸を貝殻で隠しただけの裸で、下半身は銀色にきらきら輝く尾びれ。顔立ちは十二、三歳くらいの乙女チックな美少女。その子がまるで空飛ぶ絨毯のような巨大なエイの上に座り、沈むでもなく、浮かび上がるでもなく、ふわふわと中層に漂いながら、挑発的な目でこっちを見た。
「話は聞いていました。あなたたちは夢探偵? なんですか、それ?」
夢の中の探偵だ! そう胸をはっていいたいところだけど、なぜそんなものが必要なのか、僕自身うまく説明できない。
「夢の中に夢怪盗が存在する限り、夢探偵は必要だ。あたしたちは夢怪盗から人々の夢を守るのが使命」
「使命? それはいったい誰から与えられたものなの?」
「誰から? それはあえていえば天。あるいは自分自身の良心であり、人々に対する愛。誰もが持つ優しい心であり、悪を憎む気持ち。水が高きところから低きところへ流れるように。太陽が冷えた人々の体を温めるように。夢探偵の愛は、被害者に向かう。二度と夢を失うことのないように」
またはじまったぞ。ハルカのポエム独演会が。
「よくわからないけど、つまりボランティアなの?」
「ふん。そんな言葉ではくくれない。もちろん、趣味でも遊びでもない」
「じゃあ、報酬は?」
「そんなものは必要ない。強いていうなら、人々の笑顔と自分自身の誇りを守ることが報酬さ」
ないのかよ、報酬?
僕ははじめてその事実に気づき、愕然とした。
いわれてみれば、僕はハルカから夢を守ってもらったけど、なんの報酬も支払っていない。
いや、でもハルカの手伝いをしていることが報酬という気もしないでもない……。
「な? Yジロー」
な? じゃねえよ!
「じゃあ、なぜここに来たの?」
「それは夢怪盗がこの夢を盗もうと狙っているからさ」
「は?」
「あなたはすでに他の夢を盗まれている。もう思い出すことができない。だから盗まれたことに気づかない」
「信じられません」
「でも事実だ。おそらく相手は味を占めた。だからまた来るよ。あなたは架空の世界を無限に作れる夢旅行者だから」
人魚は目をぱちくりした。
「それでわたしが夢を盗まれるのを防ぎに来たと?」
「その通り!」
ハルカは胸をはった。
「このすてきな夢の世界が失われるのを見るのは忍びないからね」
「その言葉をそのまま信じることはできませんね。ほんとうはこうかもしれない。わたしの夢を盗みにその夢怪盗とやらがここに現れるから、捕まえにきた。つまり、わたしは囮」
ほんとうはそうです。
思わずそういいそうになったけど、ハルカは動じない。
「はは、そういう一面もあるかもね。でも守りに来たのもほんとうさ。夢を守りつつ、怪盗を捕まえるのがあたしの仕事だからね」
報酬ないけどな。
「だから協力してほしい」
「わたしになにをしろというのです?」
「君は誰だ?」
「なんですって?」
人魚はあきれ顔で聞き返した。まあ、たしかに……。
怪盗に狙われてるからと勝手に押しかけておきながら、君は誰なんて聞く探偵はいねえ!
「はっきりいうと、君が誰なのか知らない。たぶん、あたしたちが知っている人間だと思うが、絞り込めない。それがわかれば夢怪盗の正体を暴く手がかりになるんだ」
「あははははははは」
人魚は腹をかかえて笑ったあと、真顔になった。
「なんて頼りない探偵さん。というより、夢怪盗とかの話はでたらめで、なんらかの目的でわたしが誰なのか探りにきたんじゃないのかしら?」
「な、なにをいう」
「だってさっきのポエムみたいな演説が怪しいし」
まったくだ。
「そのいかにも名探偵っていう恰好もわざとらしいし」
やっぱりそう思うよね。
「お供が忍者っていうのも……」
大きなお世話だぁあああっ!
「結論、あなたは怪しすぎるので、わたしの素性は教えません」
「く、あとで後悔するなよ」
おまえは捨て台詞を吐く、悪党かっ!
「ちょっと待って。こいつはともかく、僕の顔に見覚えはないかい?」
僕は一歩前に出て顔を突き出した。
ハルカは顔立ちまでちがうからわからないだろうけど、僕のことはわかるはずだ。もし彼女が身近な人間だったらだけど。
「ぜんぜん見覚えないわ」
え? ということは僕らの知らないやつ? それともまさか僕の影が薄すぎるとか?
「ふん、嘘をついてるようにもみえないな。ということは他のクラスのやつじゃないのか、Yジロー」
「だとしたらなおさら聞かなくっちゃ」
僕と彼女の共通の知り合いが、ちんぷんカンガルー一族である可能性が高い。いっきに絞れる。
「いや。ぜったいに教えたくない」
人魚は突っぱねた。
「どうする、ハルカ?」
「しょうがない。ちんぷんカンガルー一族が現れるまで待つしかないだろう」
「いえ、とっととお帰りになって」
人魚は冷たくいいはなった。
「ことわる」
ハルカもゆずらない。
「あなた、さっきいったことと、今やってることがぜんぜんちがうじゃない? やってることは押し込み強盗と変わらない。『太陽が冷えた人々の体を温めるように。夢探偵の愛は、被害者に向かう。るるる、らららぁ』とかいってたくせに」
「るるる、らららぁとかいってない!」
反論、そこかよっ!
「帰らないというなら、追いだすまで。わたしの夢の中で、わたしに勝てるとでも思ってるの?」
「それが勝てるんだ。だから夢探偵なんだよ」
おまえは誰と戦いに来たんだっ!
ってういか、夢探偵の定義、さっきとぜんぜんちがうじゃないかっ!
人魚が右手をかざすと、周囲にいた大小さまざまな魚たちが僕らをとりかこんだ。
「わたしの号令ひとつで襲いかかりますけど。帰ったらいかが?」
「帰ろうか、ハルカ?」
「ことわる」
なんでだよっ!
「そんなに恐れることはないさ、Yジロー。夢の中で死んでも、君自身が死ぬわけじゃない。もっとも痛みや苦しみはリアルに感じるけどね」
怖がらせてどうすんだよ?
「さらにいえば、夢探偵活動中に死ねば、もう他人の夢の中には入れなくなる。つまり夢探偵廃業さ。でもそれを恐れれば、夢探偵の仕事はできない」
そんなこと、今はじめて聞いたぞっ!
「もちろん、夢怪盗も同じだけどね。夢の中で死んだら、もう他人の夢には入れない」
おまえは大事なことは直前までいわないタイプかっ!
「それはそうとして、夢怪盗相手ならともかく、被害者と戦ってもしょうがないだろ?」
「引けないんだ。夢探偵は夢の中で暴力に屈するわけにはいかない」
ハルカと人魚はにらみ合った。
「けけけ」
とつぜん、不気味な笑い声が鳴り響く。しばらく存在を忘れていたコウモリだった。
「ハルカ、そんなことをしてる場合じゃないぜ。来たよ、やつが」
「なに?」
たしかに入り口の方からなにかくる気配がする。
ぴょ~ん、ぴょ~ん、ぴょ~ん。
カンガルーが入り口から飛びこんできた。
「夢、もらいに来たよぉ~っ」
お腹の袋から顔だけ出した女の子が無邪気にいう。
「よく来てくれたっ!」
ハルカが涙を流さんばかりに叫んだ。
怪盗の出現を泣いて喜ぶ探偵ってどうよ?
「そうなんやなあ。わてら夢の中で死んだらそれまで。もう夢怪盗はできんわ。もちろん、夢探偵もな」
コアラが生意気な口をきく。さっきの話を盗み聞きしていたらしい。
「というわけで、ふたりには死んでもらうよぉ~っ」
「やれるものならやってみろ」
こいつらずいぶん強気だな。この前は一目散に逃げたくせに。
「今回は助っ人がいるんや。手強いでぇ」
コアラの声と供に、カンガルーの後ろから男がふたり出てくる。
ひとりは編み笠を被った侍風。もうひとりは筋肉隆々のプロレスラーのような上半身裸の大男。
「夢傭兵か?」
また夢なんとかの新しいパターンかよっ!
たぶん、なんらかの報酬で戦う、夢の中の兵士ってことだろうな。
「そう、しかも最強だよぉ~っ」
「ほんとにいたのか、夢怪盗?」
人魚の呆れ声が耳に響いた。
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