第60話

「郁ちゃんは本当にかわいい人だし、私も大好きだよ。でも、私郁ちゃんに言ったの。お兄ちゃんにもわかるよう、バッサリ振ってあげてください。って。お兄ちゃんは郁ちゃんしか恋を知らない。郁ちゃんが終わらせてあげないと、前に進もうとしない。郁ちゃんとは違うんだって。コタも横で顔をしかめつつも止めることはしなかったよ。」

「郁ちゃん…。私と拓真は…。」

多分この賢い娘はわかっているのだろう。それでも言わずにはいられなかった。

「知ってる。お兄ちゃんから聞いた。」

あゆちゃんらしからぬそっけない言い方で言葉が返ってくる。

「でもさ。私はお兄ちゃんの妹で、客商売の娘だよ。人のことはわかるし、ましてやお兄ちゃんとコタのことは、誰よりも知ってる。」

あゆちゃんの自信に裏付けられた確信、体に流れる血の自信。

「お兄ちゃんも、つぐちゃんも不器用すぎだよ。本当は二人ともお互いのことを特別に思ってるくせに、お兄ちゃんも。つぐちゃんに至ってはあったこともないのに、過去の郁ちゃんに縛られて。郁ちゃんは前に進んでるのに、お兄ちゃんだけはここにとどまってる。」

「あゆちゃん…。」

「お願い。お兄ちゃんがつぐちゃんに抱いている想いは、ちゃんと恋だって教えてあげて。」

妹にこんなことを言われる拓真は、ちゃんと愛されてる。私は無言で、オレンジケーキを口にする。美味しい。

「妹の私が言うことじゃないのもわかってるよ。でも、私、お兄ちゃん好きなんだもん。顔もいいし、頭も悪くない。性格には難がないとは言わないけれど。やっぱりコタとは違って大人だし。喧嘩小さいころから時々したし、今でも意地悪は去れるけれど、最後は私を守ってくれるしね。」

「…そうね。」

私は亜哉にはいい男になれ、とは言うけれどいい男だと思ったことはない。それは、兄と弟の差なのか。

「そのケーキ、おいしい?」

「…?ええ、とても。」

ふいにケーキについての質問をされて、拍子抜けしながらも答えると、あゆちゃんは花が咲いたように笑った。

「それね、つぐちゃんのところに行く、って言ったらお兄ちゃんが詰めてくれたの。郁ちゃんのことで多少なりとも傷ついてただろうに優しく笑って。”これならきっとつぐの好みだから。それに郁のことで気を使わせちゃったみたいだから”って。」

「気なんて使ってないのに…。」

本当だ。ただ早く、そこから離れたかっただけ。

それでも、このケーキはものすごく私の好みだった。

「お兄ちゃんは、郁ちゃんと一緒にいたころからあんな顔しなかったよ。あんな顔したのなんて、私ですらほとんど見たことない。…郁ちゃんが帰ってきて、つぐちゃんにはつらかったかもしれないけれど、これでお兄ちゃんが吹っ切れたなら、私は悪くはないと思うの。」

「それでも、あゆちゃん。あの人と私は容姿も中身も正反対。どうしたって駄目よ。」

「お兄ちゃんには、ああいう天衣無縫、って感じじゃなくて、つぐちゃんくらいな人のほうがいいと思うけどね。」

「それ、誉めてる~?」

私とあゆちゃんは顔を見合わせて笑った。

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