第14話 恐怖



「ゴアァア!」


 ティオを見失ったトロールは、怒りを込めて吼えながら周囲を見渡す。


 その時、霧の中で小さな破裂音に続いてガサガサと音がする。音に振り向いたトロールはそのまま霧にもう一度突っ込み、音のした方へ向かってがむしゃらに棍棒を振り回した。


 木々を薙ぎ、残っている機雷を粉砕していくも、目的の獲物が姿を現すことは無かった。


 当のティオはというと、霧から少し離れたところでその様子を観察していた。


 霧に突っ込んだ後、ティオはトロールが機雷に引っかかったことを確認し、その爆発音に紛れて方向転換して霧を抜けていたのだ。今は、近場の岩の陰に隠れて様子を伺っている。


(感覚は鋭いが、知能はそう高くないな)


 ティオはトロールをそう評した。


 先ほどの小さな破裂音はティオが極小のフロートマインを起爆させた音である。トロールの気を引くためのものだったが、予想以上に釣られてくれた。


 冷静に見れば不自然極まりないはずなのだが、激昂しているからか、それとも元々知性が低いのか、不自然さそれに気付く様子は無かった。


 トロールが霧の中央付近に戻ったところで残っているフロートマインを全て起爆させる。小規模とはいえ多数の爆発が連鎖し、森を揺らす。それと同時にティオは駆け出した。


「ゴアァアッ!」


 トロールは突然の事態に驚いたような声をあげるが、それだけだった。あれだけの爆発を浴びてもほとんど揺らがないその姿に、ティオは背筋が寒くなるのを感じる。


 今のうちに元来た道を辿ればそのまま森を抜けられるのではないか。そう考えていたが、そんなに甘い相手ではないことを悟り、まずはトロールから少しでも距離をとることが優先だと考え直す。


 爆発音に紛れてトロールから全力で距離をとる。目指す先には洞窟があった。トロールから逃げているときに遠目に見えたのだ。


 トロールが気付く前に洞窟に隠れてやり過ごす。そう考えていたところで、強烈な悪寒が奔った。


「――っ!?」


 感覚に身を任せ、咄嗟に飛び伏せる。その直ぐ上を高速で飛来する何かが薙いでいった。


 ドゴンッと大きな音を立てて自分の数メートル先で地面にめり込んだそれは、1メートルほどの岩だった。


 振り向くと、トロールが真っ赤に染まった目でティオを睨めつけていた。


 さっきまでも十分怒気に溢れていたが、今はその比ではない。もはや八つ当たりではなく、ティオ本人に対して怒りを抱いたのだろう。


 その目を見てティオの体が震え上がる。圧倒的な力量差、強者と弱者、捕食者と被食者。その事実を否応無く意識させられ、根源的な恐怖を呼び起こす。


 自分の意思とは無関係に震える体に、ティオは理解する。これが、死の恐怖だと。


 半ば対応できていたからか、ザンギには感じなかったがそれは、野生ではあまりに自然に、そして理不尽に襲い掛かる。


 生まれて初めて感じた、体の奥底から沸き出る恐怖で、ティオは動けない。


 トロールが恐怖を助長するようにゆっくりと、迫ってくる。やがて、直ぐ目の前と言える位置までティオに迫ったトロールは、その顔を醜く歪め、巨木のような棍棒を振り上げる。


 それをどこか他人事のように眺めていたティオは、走馬灯のように家族のことを思い出していた。


 自分の事を誰よりも理解し、共に研鑽を積んだ兄たち。家を、部下を守り、最後まで家族を守り抜いた尊敬する父。いつも優しく、いつも微笑んで、最後まで自分を助けてくれた母。命より大事な家族。


 しかし、それは露と消える。もうすでに欠けてしまったのだ。もうあの頃に戻れないという事実がティオを絶望に染める。


(……そうだ。だから、だからこそ、僕は……俺は――!!)


 真っ暗な絶望の中、再び灯がともる。あの雨の夜、交わした想いはティオの魂に灼きついていた。


「ライトニングスピアッ!!」


「ゴアアアッ!?」


 もう抵抗はないと油断していたのだろう、ティオが放った雷撃がトロールの顔面に直撃する。ティオは魔術を放つと同時に洞窟に向けて駆け出していた。


 流石のトロールも、至近からの中級魔術の直撃を受け、無傷とはいかないようだ。顔から煙を出し、痛そうに抑えている。とはいえ、魔術の威力や被弾箇所を考えれば、生きている時点で十分規格外といえる生命力である。


 トロールが怯んでいるうちに洞窟へ駆ける。洞窟まであと数メートルの距離まで迫っていたが、トロールも黙ってはいなかった。


「グオォアアア!」


 怒りに満ちた叫び声を上げ、棍棒をティオに向かって投げつける。圧倒的な膂力にものをいわせて投げられたそれは、ティオのライトニングスピアに迫ろうかという速度を出していた。


 しかし、その質量と威力は桁違いである。直撃を受ければティオは比喩でなく、消し飛ぶだろう。だがティオは恐れも不安も抑えつけ、振り向かずに駆け抜ける。


 そしてようやく到達した洞窟へ飛び込みながら、魔術を発動させた。


「震えろ、トランブルシェイカー!」


 ティオを中心に、空気を伝わり衝撃が奔る。砲弾と化した棍棒を止めることは叶わなかったが、その軌道を僅かに逸らすことに成功した。


 棍棒はティオから僅かに逸れ、岩壁に直撃する。洞窟全体を揺らすほどの衝撃に、ティオは今更になって冷や汗を流す。だが、何とか間に合った。


 一息吐く間もなく、ティオは洞窟の奥に目を凝らす。この洞窟が行き止まりだったら意味が無いのだ。トロールに入り口を塞がれておしまいである。


 フラッシュの魔術を用いてとりあえず見える範囲に行き止まりが無いのを確認し、奥へ進む。


 後ろから聞こえるトロールの叫び声には、今まで以上の怒りが込められていた。


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