第2話 仮面ハスターの到来

「テスラァアアアアアアアアアア!?」


 俺はベッドから飛び起きて時計を確認する。時刻は五時、早朝だ。


 いくら7月といっても、まだ朝は涼しい筈なのに俺の首筋は汗でぐっしょりだ。


「……あれは夢、か?」


 あれは夢だろう。夢に違いあるまい。


 何せニコラ・テスラを名乗る男と邪神クトゥルーが神々の住まう魔都ル・リエー上空で怪獣大決戦など誰も信じやしない筈だ。ましてや最後にテスラがクトゥルーを道連れに自爆だなんて……。


 ああ、あまりに馬鹿げている。


 いくら


「ロクロー? 汗びっしょりだよ?」


 俺が普段使っている学習机に腰をかけ、少女がこちらを見下ろしている。


 雪のように白い長髮、人ならざる身を示す桃色の瞳。一切の労働を全面的に根源的に徹底的に絶対的に拒絶する意思を秘めたフリルだらけの白いネグリジェ。


「ティナか……。なんでもない。少し変な夢を見ただけだ」


 何を隠そうこの少女、ティナはクティラと呼ばれる邪神だ。俺に人智を超える異能を与え、非日常に招き入れた張本人。邪悪の権化だ。


 彼女に世界は壊せなかったが、この俺の日常はぶち壊しになったのである。


 まあ、恨んではいないのだが。


「夢?」


「夢だよ。クトゥルーとテスラってサイボーグが殴りあって、最後にはサイボーグがクトゥルーを巻き込んでの自爆。クトゥルーが消えてた。でも流石にあいつが死ぬなんてありえないし、正夢だったとしても一時的に退散しただけだろうな」


「確かにパパって根性ないからね。漁船で体当たりされるだけで百年近く眠るし」


「弱っ! 前に戦った時は結構苦戦していたよね俺達!?」


「イスの偉大なる種族ならまだしも、人間の科学でパパと戦えるサイボーグなんて無理無理」


「イスの偉大なる種族? 宇宙人か?」


「そうだよ。私達クトゥルーの一族と対等の立場で地球を支配していた一族。すっごい科学力の持ち主なんだから」


「成る程……そういうことなのねイスの偉大なる種族って。じゃあ本当にやられたのかもしれないな、クトゥルー」


 夢でテスラの言っていたイスってのはそういうことか。


 それにしても、できれば倒れていて欲しいな……クトゥルー。


 だが、ティナは俺の言ったことを聞くとキャハハハと笑い始める。


「ありえないありえない。だったらとっくにロクローが異能グリードを使えなくなっちゃってるよ」


「ああ、そうか。俺の能力ってクトゥルーの力の一部を借りているだけだもんな。じゃああいつは死んでいないのか」


「もしその夢でパパが死んだって言うならそれは只の夢だよ、夢。もしかしてここのところ夜遅くまで本書いてたから疲れているんじゃないの? おっぱい揉む?」


「――――な、なにをぅ!?」


 こいつ、幼児体型の癖になんてこと言いやがる!


 お、お、俺は女性経験0のぼっち系男子高校生だぞ!


 こんなこと冗談でもリアクションに困るわ!


「いぇーい、ロクロー顔真っ赤にしてらー!」


 しばしば忘れそうになるが、これでもこいつは邪神クトゥルーの娘。無邪気に無垢に周囲に悪意を振りまいてくれるのだ。


 世界の破壊とかは願わなくなっただけありがたいが、やはり危険な存在であることには変わらない。


「顔を真赤にしているのは変な夢を見てから熱っぽいせいだし、返す言葉も無かったのは呆れていたからだ。勘違いをするにゃ」


 俺はキメ顔でそう言っ――――噛んだ。


 やらかした。これでは何を言ったところで完全に台無しだ。


 キメ顔していただけに、我ながらとても気持ち悪い。


「…………」


 ああ見ろ! ティナも哀れなものを見るような目で半笑いになっている! 馬鹿にしやがって! ここまでコケにされるのは珍しいことじゃないが他ならぬにそんな顔されたのが最高の屈辱だよ!


「あの、ロクロー……何考えているか分からないけど多分そこまで酷いことは考えてないよ? いや、その、なんかごめんね……うん」


「寝起きで調子が悪いんだ……放っといてくれぇ……」


 恥ずかしい、俺恥ずかしい。誰か助けてくれ。


 その時、俺の部屋の窓がガラリと開く。


 先に言っておこう。この部屋の窓には鍵もかけたし、そもそも此処は二階だ。近くに木なんてないし、窓の向こうの家にはいたずら好きの幼馴染も住んでいない!


「不健全はそこまでだよ緑郎ろくろう!」


 エルフのような金髪イケメンが窓を乗り越えて部屋に入ってくる。ご丁寧に草履を脱いで屋根の上に揃えてのシーンインだ。


 なんでこいつイギリス人とのハーフなのに普段着が作務衣なんだろうね。


「あ、性格悪そうなイケメンが来た! 不法侵入だ!」


「黙り給えこの侵略イカ娘! 僕と緑郎の間に土足で踏み込むんじゃあないよ!」


 もうティナとこいつの罵り合いにも慣れてきた。


「良いからお前はそろそろ玄関から入ってきてくれないかな?」


 そしてその後で俺と話すとなった瞬間に笑顔になるのにも慣れてきた。


「ああ……済まないね緑郎。だが何やらラブコメの波動を感じたものだからつい来てしまったよ」


 如月きさらぎむく、お前は俺の貴重な親友だが、お前のラブコメチェッカーだけは今後一切信用しないと今心に決めたぞ。


「どうでも良いけど見られてないだろうな?」


「大丈夫。仮に見られていたとしても、これつけてれば見られてもすぐに忘れちゃうから」


 そう言って椋は作務衣の懐から石で出来た仮面を取り出して俺に見せつける。


 確かにこいつも異能グリードを持っている。風を司る邪神ハスターから与えられた大気操作の異能グリードだ。


 異能を鍛えたり、石仮面のような呪具を使って神との同調率を上げている為、肉弾戦も自由自在である。


 要するに強い。


「だとしても能力をみだりに使うものではないだろうに……ったく」


「あはは、まあその通りだ」


 そう言って椋は肩を竦める。


「ねえねえ黄印キジルシエルフ、あなたが来たってことはまたろくでもないことが起きたってことだよねー?」


「人を頭おかしいみたいに言わないでもらえるかな!?」


「そうは言うけどポンコツラブコメチェッカー。俺達に仕事を頼みに来たのは事実だろう? なにせ高校生にとっては至福の時間である土曜日の早朝にわざわざ来た訳だから」


「今すごい呼ばれ方したよね!?」


「俺、原稿の締切が近い。俺、眠い。オーケー?」


 本当なら俺はこの土日の間は連載しているweb小説の為の原稿を書く予定だったのだ。椋の所属する組織の仕事だって本当は受けたくもない。


 俺の異能グリードは“物語を紡ぐ”こと。せっかくの休日に書かなくて一体どうするっていうのだ。


「オーケー! いきなり来て悪かった! 君の眠りを妨げたことは後悔しているよ! でもメールなんかじゃ伝えられない特別の用事だったんだ。詳しい連絡や今後の活動については、後で君達のような民間協力者イリーガルにも支部長から正式に連絡が下るから待っててくれ」


「だから要件を言え、要件! 早く!」


「要件か……その、上手く説明はできないんだが……


 ルルイエ……いいやル・リエーが沈んだ?


 ……ふむ、沈んだ。


 沈んだ……?


 あのル・リエーが? あの神々の島が!?


「マジかよ椋?」


「マジだ」


 おいおいおい……あの魔神底都ル・リエーはこの前浮上したばかりじゃないか。


 そのせいでティナが地上に来て、俺は異能グリードに目覚めた。言うなれば全ての始まりとなった場所だ。


 それが……沈んだ?


「きゃはははは! ティナの故郷消えたー!? ティナってば家なき子だよこれ! こりゃもうこの地上を第二の故郷にするしか無いね!」


 ティナはそれを聞いてまた楽しそうに笑っている。きっと自分が追放されたからって、他の連中のことをざまあみろとか思っているに違いない。


「もう少し悲壮感の有る言い方したらどうだいイカ娘……?」


 あまりにも楽しそうなせいで、元々対立関係に有った筈の椋ですら若干ドン引きしてる。


「だってル・リエーにアイス無いし。映画も漫画もテレビも週刊誌も無いし」


 知ってた。ティナはそういうこと言う子だ。でも、だから勘当されたんじゃないかなとちょっと思ってる。


「ねえイカ娘、沈んだ理由に心当たりは?」


「ル・リエーは星の導き正しきときにのみ浮上する水底の邪神城。逆を言えば星辰正しき今このときに沈む道理は無いよー? まあ旧支配者パパを打倒することができる何者かが居るって言うなら話は別だけど……ねえ、緑郎?」


 ル・リエーが沈んだ。


 ティナを通じて俺に異能グリードを与えたクトゥルーが、何者かに敗北したということを意味する。


 一体誰が? どうしてそんな馬鹿げた真似を成し遂げられた?


 ありえないだろう常識的に考えて。


 そう思ったが、俺には心当たりが有る。


「言っても良いと思うよ、ロクロー」


「……分かった。なあ椋、ニコラ・テスラって知ってるか?」


「なに?」


「いますぐ帰ってニコラ・テスラという名前に心当たりが無いか支部長に聞いてくれ。もしかしたら何か分かるかもしれない」


「なにか知っているのか?」


「分からない。丁度ついさっきクトゥルーにまつわる悪夢を見たばかりなんだよ。まだ不確かな情報だからハッキリしたことが言えないし……ともかく頼む」


「そうか、まあ良い。君の言うことを信じよう。そいつがルルイエ沈没に関わっているかもしれないんだね? 一先ず要件は終わったことだし、すぐにブラザーフッドの夜刀浦市支部へ戻って伝えてくるよ」


 椋は石仮面を被り、自らの異能グリードを解放する。


神化チェンジ――――ハスター!」


 その叫びと共に彼は黄衣を纏う多腕の怪人へと変貌する。


 黄の印と呼ばれる三つのクエスチョンマークを巴状に合わせた文様の入った仮面。隙間なく身体を覆う茨のような金属皮膜。そしてその上からは魔術師対策として認識阻害の術式が刻まれた黄色のローブ。


 人はこの姿を仮面ハスターと呼ぶ。人でもない、邪神でもない。神の力で人を守る超越者……それが如月椋の正体だ。


 椋は無数の腕を細く変化させ、それらを束ねて翼へと変える。


「それじゃあ、行ってくる。次の連絡が来るまでゆっくり休んでいてくれ」


「おう、できるだけゆっくり帰って来い」


「ああ、せめて僅かな時間でも、君に安らかな眠りがあることを祈るよ」


 椋は仮面の下でくすりと微笑むと曙の空へ飛び立った。


 ああ、これで土日の休日はおじゃんだ。


 連載している小説とかエッセイとかの続き書きたかったんだけどなあ。


「ロクロー、この後どうするの? なんかやる気みたいだけど体の調子悪いんじゃなかったの?」


「知らない。とりあえず任務で呼ばれるまでは休んでおこうぜ」


「あ、熱っぽいって嘘?」


「知らんな。とにかく眠らせろ。土曜の朝だぞ」


「連載している小説とかエッセイとか書く時間無くなっちゃうよ?」


「ネタ集め! 椋の居る組織ブラザーフッドからの依頼はネタ集めに大事なの! インプットが無ければ、俺みたいな凡人には執筆アウトプットなんてできないんだよ!」


「じゃあ初めてでも分かる神話生物講座の続きはー? 私の話聞いて書いてるじゃない! あれだったら簡単に書けるよ?」


「午前中に何事も無かったらそっちの更新を優先だ。取材料はアイスで良いな?」


「ハーゲンビッツ、サマーシーソルト味で!」


「オーケー、何か面白いネタ思い出しておいてくれ」


 俺はベッドへと寝転び、瞳を閉じる。


 すると冷たい感触が額に当たる。


「……熱無いじゃん。えへへ、やっぱりさっき照れてたんだね~」


 うるせー馬鹿野郎。


【第二話 旧支配者の娘 完】

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