クランベリーの独白(Cranberry's Monologue)

 奇妙な時代である。

 こんなことを言えば、年を取ったと敬遠されるかもしれない。しかし、私はまだ二十六歳を迎えたばかりの、平成生まれである。

 インターネットだけの世界──。

 それまで、インターネットとかSNSとか、そういった類のものとはあまり縁のない世界に生きてきた。そんな私が、今では『クランベリー』というハンドルネームを有している。

 私は、埼玉県内のデンタルクリニックに勤務する歯科衛生士である。歯科衛生士と言えば、おそらく多くの人が名前くらいは聞いたことのある職種であろう。しかし、その真なる職務内容を把握している者は少ないと思われる。

 なぜなら、多くの歯科衛生士は歯科助手と大差ない勤務内容をこなしているからだ。大抵の業務は歯科医師の診療補助であり、ごくたまに歯磨き指導や口腔清掃を行うところが、法律で許された歯科衛生士の権限である。

 ところが、私のデンタルクリニックは異なる。歯科衛生士がそれぞれ患者を受け持って担当し、それぞれ患者個々人の口腔衛生管理を確立するため、パーソナリティーに合ったプログラムを立案する。

 また数ヶ月おきのメインテナンスで、むしや歯周病の変化を細かくチェックし、定期的に規格性のあるレントゲンを撮って比較する。歯の治療ではなく予防の取り組みに重きを置く。

 今や歯科疾患は、決して口の病気、歯の病気に留まらない。口の病気、歯の病気は全身を反映する。例えば、歯周病は糖尿病と密接にリンクしており、歯周病が悪化すれば糖尿病が悪化するし、逆に糖尿病の人は歯周病になりやすい。また、歯が少なくなって入れ歯(義歯ぎし)に頼る生活になると、おのずと硬い物は食べられなくなる。すると軟らかい炭水化物中心の生活になり、糖尿病や動脈硬化のリスクを上げ、ひいては脳梗塞、心筋梗塞発症の危険性を増加させるのだ。実際、要介護認定の老人で、総入れ歯を使用している者の割合は高いと聞く。

 歯を治療するのではなく、歯の病気を予防する、このクリニックでの歯科衛生士としての勤務は非常にやりがいのある仕事だ。覚えることは非常に多く、頭も使う。歯科に留まらず医科の知識まで勉強が必要だ。内科はもちろんのこと、隣接領域の脳神経外科、眼科、耳鼻咽喉科、頭頸部外科の知識も求められる。患者の急変時の対応のための救急医学の知識も持っていなければならない。ゆえに、週五日のフルタイムの勤務に加えて、日曜日や木曜日の休診日であっても勉強会や講演会にいそしむ毎日。そのおかげか、最近では、患者の容姿や口腔内を見て、全身の病気を類推できることもあるくらい、その知識に長けてきた。我ながら院長のまき先生にも一目置かれる存在である。


 上述のように歯科衛生士の職務としてはかなり充実しているかもしれないが、一方で私生活の刺激の乏しさと言えば、これも群を抜いていた。

 歯科衛生士学校の同級生の多くが、既婚者もしくは婚約状態であり、早い者で子供を二人授かって育休を取っている友達もいた。彼女たちは日々の仕事はそれなりに多忙でも、休日はしっかり保証されていた。『婚活こんかつ』にも精を出せる環境だったのだろう。そのお相手は歯科医師の者もいたり、一方でまったく医療とは無関係の者もいたり多種多様であった。

 私はと言えば、就職したばかりの頃は他大学の合コンで知り合った恋人がいたものの、その多忙さにスケジュールが噛み合わず、別れることを余儀なくされた。それからおよそ四年間、彼氏がいたことがない。

 正直、自分のルックスにはそれなりの自負がある。自分のことを良く表現することは自慢しているようでかなりはばかられるが、友人にこれまで実際に評価された表現を羅列すると、顔立ちが非常に整っていて品があるとか、スタイルが良いとか、フェロモンが出ているとか、重ね重ねそう言われてきた。もっとも、半分はお世辞あるいは揶揄やゆなのかもしれないが。しかし、口腔衛生に無頓着で、歯垢や歯石だらけだった男性の青年、壮年、中年あるいは高齢の患者も、私に会いたいがために根気よく通い続け、自費治療のプランを提案しても「是非お願いします」と首を縦に振ってくれることもあったとか。そんなことを院長が噂していたこともあった。こっそりクリスマスプレゼントを持ってきたりする患者もいた。もちろん、ここはキャバクラではないので、丁重にお断りをしたのだが。また中年女性患者からは、息子とのお見合いを勝手に組まれそうになったこともあった。

 しかし、いくら患者に恋愛感情を抱かれようと、私自身職務中はそういった感情とは完全に切り離されて動いている。公私をしゅんべつするという意味では、社会人としてのかがみに思われているかもしれないが、せっかくの出会いのチャンスや、相手からの好意を無下むげにしている言われれば、否定のしようもなかった。

 彼氏いない歴四年を過ぎて五年目に突入しようとした頃、ひょんなきっかけから出会ったのがSNS、つまりソーシャルネットワークサービスだ。そのコミュニティーの参加資格というのがかなりユニークなものであった。その資格は『その一:ベリー類が好きであること。その二:ベリー類の名前に本名が由来していること』であった。その二に関しては、少々誤解が生まれるかもしれないが、要するにベリー類の果実名に関連するキーワードの一部が、本名に含まれていれば良いそうである。また『その三:できれば二十〜三十歳代の独身であること』という条件もあるのだが、その意図はよく分からない。この条件に関しても幸か不幸か私は当てはまっている。

 そのグループには『ストロベリー』、『ラズベリー』、『マルベリー』、『シルバーベリー』など多数のベリー類のハンドルネームが列挙されていた。

 私は果実の中でもベリー類が全般的に好きである。しかも私の本名には奇しくもベリー類に因んでいると言えるような名前の一部が含まれていた。そして、私が使おうと思ったハンドルネームはまだ使用されていなさそうだ。こんな奇遇はあまりないのではなかろうか。直感的にそう感じた私は、天啓に呼び寄せられるようにその門を叩いた。グループチャットの先住民たちは、特に私の素性や本名を詮索せんさくしようとせずに、受け入れてくれた。

 『クランベリー(Cranberry)』とはツツジ科スノキ属コケモモ亜属に属する常緑低木の総称であり、その名は (crane) のベリー (berry) の意である。

 『クランベリー』こと私、立河たちかわづるは、晴れて、彼および彼女らのSNSグループ『ミックスベリー』に参加することになった。顔が見えない赤の他人とのたわいもないやり取りは最初こそ戸惑ったものの、慣れると意外にも楽しく、私生活に生じた心の隙間を埋めてくれるのには最適なものであった。その後徐々に参加者が増えて十四名もの大所帯となる。

 参加者の一人『ストロベリー』が、第一回目のオフ会を何と泊まりがけでやろうと言い出した。私はこれほどまでの楽しみは久しく経験していなかった。顔は見えなくともまったく知らない相手ではない。チャット上では意気投合したり、冗談を言い合ったりしている仲間だ。いつかみんなで集まって、話し合えたりできれば楽しいだろうな、と思っていたところだった。一日有給休暇を消費し、さらに日曜日に予定されている勉強会の予定も断って、私は意気揚々とオフ会の出席を決めたのだ。


 それが、おぞましい事件への入り口とも知らずに……。


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クランベリー(Cranberry)

 ツツジ科スノキ属に属する常緑低木の総称。蔓苔桃ツルコケモモともいう。鶴 (crane) のベリー (berry) の意味。一般的にはクランベリーが鶴の好物であるということに由来するとされるが、花が開く前のくきがく花弁はなびらが鶴の首、頭、くちばしに似ているからとする説もある。果実は非常に酸味が強く、生食には向かないが、菓子やジャム、クランベリージュースの原料となる。

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