真田乙女十勇士

星と菫

 時は戦国、世は乱世。

 名だたる武将が覇を競い、天下を夢見て駈けた時代。

 熱き血汐をたぎらせて、

 いただき求めて手を伸ばす。

 そんな、日本史上るいを見ないような激動の時代、歴史は己が愛したたけき者を、次次この世に送りました。

 甲斐かいの武田。

 越後えちごの上杉。

 尾張おわりの織田。

 摂津せっつの豊臣。

 三河みかわの徳川。

 いずれも劣らぬ傑物たちです。

 ……しかし、その一方。

 煌めく巨星の裏側で、小さな国のおさたちもまた、生き残りを懸けて時代の大渦たいかを渡ることを余儀なくさせられておりました。

 数によれない諸侯たちは、否応なく自身の器を測られることとなりました。

 知略、才略を巡らせる資質はもちろん、時勢を読み取れる確かな嗅覚さえ求められました。なぜなら万一、仰いだ主君が敗戦の将となった場合、その麾下きかにある者もまた、国か、あるいは命かを喪うおそれがあったからです。小国のあるじたちは、そんな危険と背を合わせながら、己の野望と信念とを秤にかけて、仕える主君を求めなければなりませんでした。

 柔軟に、そしてときには頑強に。


 ここ、信州しんしゆう(現在の長野県)上田うえだも、例外ではありません。

 時は天正てんしょう十年(一五八二)六月、ようやく遅い梅雨を迎えようとしていたこの地もまた、全天下を激震させた大事件の荒波に、慈悲なく呑まれようとしていたのです。


「――それはまことなのかっ?!」

 垂れ込めた闇を裂くかのような音声おんじようが、深夜の屋敷を疾りました。機密が洩れぬよう、離れに設けられた密議の間から発せられたにもかかわらず、それは屋敷の門で不寝番をしている兵の耳にまで届いておりました。

「お屋形様っ?!」

 門衛でさえ何事かと屋敷を振り仰ぐくらいでしたから、廊下で控えていた家臣たちの動揺は言うまでもありません。誰も通すなと人払いの役を仰せつかっていた彼らは、

「いかがなされまいたか?!」

 ですが思わず戸板ごしに己の主人に声をかけておりました。

 ……ややあって、

大事だいじない。退がれ」

 圧し殺した声が部屋の向こうからありました。それは彼らの問いに対する答とはなっていませんでしたが、家臣たちは不審な素振り一つ見せずに、を垂れ、それぞれの持ち場へと退しりぞきました。

 再び、耳を塞がれたかのようなが訪れます。

 先ほどの声の主は、唇を引き結んで目の前の囲炉裏いろりに視線を注いでいます。時折、くべられた薪が、小さな火花を散らして爆ぜました。混乱と昂奮の気配が満ちた空間で、ただその音だけが断続的に鼓膜を刺戟しておりました。

 およそ十畳ほどの部屋の中央に作られている地炉じろ(囲炉裏)から名を取って、『地炉ノ間』と呼ばれているその部屋には、この屋敷の主人と、もう一人、囲炉裏を挟んで対坐している男がおりました。彼もまた黙したままで、じっと己の主人に真剣な視線を向けています。その男もまた、彼の主人、真田さなだ安房守あわのかみ昌幸まさゆきに仕える者でありました。ですが、男はただの臣下しんかではありません。

『草の者』。

 そう独特の名で称される、真田忍者の一人であったのです。


『真田忍者』。

 真田氏が本拠を置く、信州真田の里の奧にそびえる霊峰、四阿あずまや山。その峻嶮しゅんけんな地で修業を行なう行者ぎょうしや山伏やまぶし修験者しゅげんしゃなど、荒業の果てに常人を遥かに凌駕する身体能力と、神秘的な秘術を操れるようになった超人たちを祖とする忍びの一団。修業を修めて下界へ下った者と、土地の者、さらには昌幸が主家しゅかとして仕えていた武田家の忍びとが交じり合い、いつしかどの流派にも属さない、特殊な集団と、それはなっておりました。

 彼らは平時は各地へと潜伏して、その地の動向を探る任を負っています。通信手段が限られていたこの時代、情報戦を制するということがどれだけ重要なのかは論をたないことでしょう。なればこそ、山地にきょを置く昌幸が、他国に先んじて一大事の報せを受けることができたのです。時は六月二日、天下の一大事が起こってから一昼夜で、遠く離れたこの真田の地に、それはもたらされておりました。


“信長、光秀に討たれる――”


 後世に『本能寺の変』として知られることとなる大事件が、京の地で起きたのでありました。


「……むう」

 さすがの昌幸も、その報せには黙考せざるを得ませんでした。先刻はあまりの衝撃に、思わず真偽をただす発言をしてしまいましたが、『草の者』たちの情報の精度は、昌幸自身が、一番良く解っておりました。

「何ということだ……」

 眉根を寄せて瞑目していた昌幸が、ようやくそれだけを絞り出します。呼吸も忘れて絶句している様は、まるでしんぞうを撃たれたかのようでありました。

 その呟きに、男は一瞬、同情を寄せるかのような表情をいたします。感情の制御が絶対条件である忍びの者が、心情を無意識に露呈してしまうのは珍しいことといえました。ことに、その男ほどの熟練の忍びが、感情を悟られるような素振りを見せるなどとは、普段の彼を知っている者ならば、とうてい信じられないことだったでしょう。

 ですが彼もまた、これから全天下を大激震させるであろう一大事を目の当たりにして、内面の動揺を抑えられずにいたのです。

 ……京の地から信州までおよそ百里(約四百キロ)を、草の者たちは約半日で踏破しておりました。各国に設けられた忍び小屋を中継地点として、複数人で継走したとしても、彼らの脚力は目を瞠るものでした。

 その第一報が地蔵じぞうとうげ山中にある、真田忍びの拠点地である草屋敷に届いたときには、すでに夜のとばりが降り始めておりました。ですが、なだけに、ただちにその報せを現当主、真田昌幸に伝えるよう、屋敷に詰めていた男が仰せつかりました。

 男は、全身が昂奮に包まれるのを感じました。皆が団結して手に入れた、宝よりも貴重なその情報をあるじに伝えるという大役を任されたことに、血液の沸き上がりを覚えました。

 この男は、己の主人、真田昌幸に対する、圧倒的なまでの信頼がありました。それは、ほかの真田忍びたちも同様です。昌幸と、草の者たちとは、堅い絆で結ばれておりました。それこそが、真田忍びの、真田忍びたる一因となっているのです。

 通常、忍びとは、忍び社会で完結している集団でございます。忍びと武将との間柄は、あけすけに言ってしまえば、雇用関係以外の何ものでもありません。今で言うならば、忍びとは、派遣社員のようなものでしょう。働きに対する報酬は、その忍び個人にではなく、彼らが属している里に払われます。そして里の長たちが、忍びたちに報酬を与えるような、そんな制度でありました。個々の忍びたちとの感情的交流は、存在しておりませんでしたし、また双方とも、その必要性さえ感じておりません。武将側にしてみれば、忍びの里に褒章を取らせれば充分だと考えておりましたし、忍びの側でも、里の指示で仕えているのであって、それ以上の介入は不要だと考えておりました。

 しかし、真田家当主、真田昌幸は違います。

 昌幸は以前、武田たけだ法性院ほうしよういん信玄しんげんを、主君として仰いでおりました。その時分に受けた影響が、今の昌幸を形作っていると言っても、過言ではないでしょう。

 信玄もまた、諜報戦を重視する、先見に長けた知将でした。彼自身、『三ツ者』と称される隠密組織を用いたり、『歩き巫女』という集団を作って諜報活動を行なわせたりしておりました。なので、忍びに対する思い入れは、人一倍強いものでありました。

“人は城、人は石垣、人は堀”。

 かの名言にもありますように、信玄は人を重視いたしました。それも、身分に分け隔てなく。そして、その『身分』には、忍びの者も、もちろん含まれておりました。それは、集団としての絆は、血よりも濃いと謳われた忍者社会にあって、その里を捨ててまで、信玄に忠誠を誓った忍びたちが少なからず存在したという事実が、証明しているでしょう。

 その緊密に結ばれた様子を、昌幸は信玄の傍らで見ておりました。昌幸自身、信玄の人柄に魅せられていた者の一人でありましたから、彼に感化され、同じ価値観をいだくようになったと考えるのは、想像にかたくないと言えるでしょう。

「…………」

 男は、草屋敷にいる仲間の忍びや、方方に散っている草の者たちに想いを馳せました。その者たちの中には、信玄が歿ぼっした後、二たびあるじを変えて、昌幸と共に行動した武田忍びもおりました。信玄の息子、武田たけだ四郎しろう勝頼かつよりが、己の父ほどには、忍びの者を重用ちょうようしなかったということもありましたが、それにまさって、真田昌幸という一個人いっこじんに、これこそ己の生涯を賭す方だとの確信を得たからではないかと、男は考えておりました。そう、この自分と同じように。

 そこまで昌幸に心服していた彼だからこそ、滅多に取らない無表情の仮面を、無意識に外していたのではないでしょうか。主人の、昌幸の懊悩を察して。

 ……そう、彼の、真田昌幸の苦悩は、それは同情するに有り余るものであったのです。


 真田家二代目当主、真田昌幸は、真田さなだ一徳斎いっとくさい幸隆ゆきたかの三男として産まれ、当初、甲斐の武田信玄の側近として仕えておりました。甲斐の国出身ではない、他国――信濃の家柄でありながら、信玄の寵愛を受け、昌幸は異例の出世を遂げていきました。(その一例をりましても、信玄が血縁と同じくらいに実力を重視していたこと、そして、人を見る才能をそなえていたことが判るというものでしょう。)その信玄をもってして、両眼りょうがんのごとき者と呼ばれた昌幸は、戦闘でも無類の才を見せ、一番鑓いちばんやり(戦場で最初に手柄を立てた者)、二番鑓などと戦功を挙げていきました。

 そんな彼に、運命の転換点が訪れます。

 元亀げんき四年(一五七三)、武田信玄、陣歿じんぼつ

 天正てんしょう三年(一五七五)、長篠ながしのの戦いにおいて、二人の兄、長兄ちょうけい信綱のぶつな次兄じけい昌輝まさてる、戦死。

 この長兄信綱は、真田家現当主げんとうしゅであったため、跡取りのいなくなった真田家を、三男昌幸が相続することとなったのです。

 その後、昌幸は、父幸隆ゆきたかが粉骨砕身の働きによって手にいれた、上州じょうしゅう(現在の群馬県)沼田ぬまた、信州上田を受け継ぎ、己の所有地として平定していったのです。

 ……ですがしかし、その安定したときは、永くは続きません。

 時は天正てんしょう十年、信玄公き後も、引き続き武田家の庇護にあった真田家は、その主君、武田家の滅亡によって、新たに主家を求めなければならなくなりました。そして昌幸が従属する先として選んだのが、

 そう、織田信長であったのです。


「……まさか、また主君を喪うことになろうとはな」

 昌幸は、苦苦しく独りごちました。智、武、共に並外れた才能を有していた昌幸にしても、まさかたった半年であるじを二たび喪うとは想像だにできませんでした。またしても真田家は、仕える主君を選ばなければならなくなったのです。

(……はてさて、一体どうしたものかのう。)

 心中で己に問いかけながら、思案するときの癖なのか、昌幸は口髭を指でもてあそびます。

 その様を男は引き続き見護っておりました。主人のめいを受けるまで、思考の妨げとならぬよう、静かに坐していようとの心積もりでありました。

 だが、恐らく相当はかかるであろう、男はそう見当をつけました。ここ上田を含む小県ちいさがた地方は、これでまた、領地争いの最前線となるであろう。迫るは北条、徳川、そして上杉か。我ら真田は、そのいずれに帰属するべきか。それとも信長き後も、引き続き織田家の臣下しんかとして従属するべきか。判断を誤たば、お家の断絶にもつながりかねん。……殿は、殿は一体、いかなる選択をなさるであろうか……。

 男は男で、知らずのうちに沈思黙考をしておりました。ですが、さすがは日日おこたらず鍛練を続けている草の者だけあります、意識を内側に向けていても、昌幸が彼を呼んだその瞬間、

「はっ」

 ただちに居住まいを正しておりました。

「なんでございましょう」

 思考を中断させて、彼は改めて昌幸に向き直りました。

 その瞳が、真剣な眼差しに射られます。囲炉裏の煙の向こう側で、彼の主君昌幸まさゆきが、真っ直ぐに端坐して、こちらを見つめていたのです。

「…………」

 あるじの礼を持った態度に、男は熱きものが涌き上がるのを感じます。ですが、男が受けた衝撃は、それだけではありませんでした。

「うむ、」

 昌幸は一拍あいだを置きました。そして男に向かって、おもむろにこう尋ねたのです。

「――お主だったら、この先どうしたら良いと思われるか?」

「っっ!!」

 その問いに、男は即座に平伏しておりました。

「お、恐れながら……」

 答える声が、かすかに震えておりました。

 男は、感極まって、なみだを流しそうになっていたのです。

(殿が、わたくしごときに意見を求められた――。)

 もちろん男にも、昌幸が真剣に回答を求めているわけではないことくらいは理解しておりました。それでも仮にも家のおさたる昌幸が、単なる忍びにすぎない自分にこのような問い――お家を左右する、そんな重要な問いをかけてくださったということに、男ははげしく心を打たれていたのです。

わたくしには……」

「うむ、そうか」

 返答を濁した男にも、昌幸はなんら咎めるような素振りを見せずに、あっさりと頷きます。

「苦労をかけたな、帰って休むが良い」

「そのようなお言葉、もったいのうございまする」

 再度さいど男は手をついてます。

「では、御免ごめん

 ……その声だけが、小さな部屋におりました。板戸を開ける音も、閉める音も、昌幸の耳にまでは届きませんでした。囲炉裏から立ち上る煙のごとくに、意識の間隙を衝いて、男は『地炉ノ間』から退出していたのです。

 その美事な技に、昌幸は口もとを緩めます。そして、彼ら『草の者』という忍びを有する己の優位性に、彼の笑みはその深度を増していきました。

(人は宝……、そのとおりでございましょう……。)

 そう昌幸は、亡きあるじに、己の中で息づいている主君に、語りかけておりました――。


     *   *   *


 その同刻――。

 昌幸が独り、野望に胸を焦がされているその同じとき、『真田さなだしょう』から数里はなれたところで、一人の少年もまた、運命の出会いを果たしておりました。

 彼の名は、真田さなだ源次郎げんじろう信繁のぶしげ

 後の世に、


日本一ひのもといちつわもの


 そう称されることとなる、真田さなだ幸村ゆきむらその人でした。


 ここにまた、新たなる星が、人々を惹きつけてまない、そんな美しく輝く一つの星が、まさに今、産み落とされようとしていたのです――。

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