2-5. 書を守る者(7)

 周囲が闇に沈んですぐ、事務室の扉が図書館側から開かれた。そして誰かが息を呑む。

 ――気づいたか。

 ショウは静かに入り口横に移動して事務室へと意識を向けた。

 ぼんやりと周囲を照らす月明かり。直接の光は届かないが、目が暗さに慣れるとそれだけでもかなり見て取れる。――が、それで侵入者がいる、もしくはいたと気づいたのだろう。

 上げられたままのタペストリーは、ガラスを外された窓をそのままさらしていた。

 ――気配は一人分。逃げるのは難しくない、けど。

 ショウは渋面じゅうめんを作る。調べものはまだ完了していなかった。このまま逃げたところで目的は達せない。ショウは悩んだ。

 そのかんに、やってきた人物は事務室に入る決心をしたようだ。恐る恐るといった様子の足音が聞こえ始める。

 ――一人なら抑えられるか。

 ショウはあえて足音を立てて部屋を出た。そのまま事務室の中央まで進み、やってきた誰かの前にその身を晒す。

「ひっ」

 その人物は声をあげて後ずさった。おびえた様子で壁に手をつき、かたむいた体を支える。反対の右手に持っていたランプは、その急な動きで激しく揺れた。

 そのランプに照らし出された顔を見て、ショウはおっと思う。ショウはその顔に見覚えがあった。しかとは断言できないが、おそらく昼間、立ち話をしていた司書の片割れだ。

「こんな遅くに何してんの?」

 ショウが声をかけると、司書ははっとしたように明かりをかかげた。

「若い、お方……?」

 意外さを含むその声で、司書が怯えていた相手が自分ではないと悟る。

「私を捕まえに来たのではないのですね……」

「捕まえにって、あんたたちが恐れてるのは人なのか? 呪いじゃないのか?」

「呪い? ――いいえ、恐ろしいのは、能力者たちの耳……」

 ショウは首を傾げ、そして遅れて理解する。話が一気に繋がった。

 昨夜。誰もいなかったあの場所で、それでも男は口を割らなかった。それは男が、どこかに特殊能力者の耳があると知っていたからだ。そう考えると納得がいった。

 常に聞き耳を立てられていると知っていて、禁じられた言葉を口にする者などまずいない。ましてや、それを口にした者が捕えられるとわかっているならば、絶対に口にしないだろう。

 となると今度はその耳が何かということが気になってくる。それができそうな特殊能力として、ショウが思いつくのは「遠耳とおみみ」くらいしかない。

「その耳って――」

「あなたこそ、このような時刻に何を?」

 司書はショウの問いをさえぎるように言った。そしてちらりと部屋の奥へと視線を向け、表情を険しくする。

「……何か、ご覧になりましたか?」

「まぁ、な」

「どうぞお忘れください。それがあなたのためとなりましょう。私もあなたとお会いしたことはお忘れいたします」

 忘れるならこのまま見逃すということのようだ。だがショウにとって、見逃してもらうことに大した価値はない。

「見逃してくれんならそれはそれでありがたいんだけど、まだ調べものの途中なんだ」

「調べものがしたいのであれば昼間にお越しなさい。資料は館内にそろっております」

「そろってないだろ。――全部、燃やされちゃったらしいからな。表向きは」

 司書の反応を窺いながらそう言えば、司書の顔色がさっと変わった。

「もしや……あなたは、昼間……」

 ショウは頷いた。司書は肩を落とし、深々と息を吐く。

「あぁ、なんということ。いくら戦争再開の噂に動揺したとはいえ、このような過ちを犯してしまうとは。普段であれば絶対に館内でなど話さなかったものを」

「そんなことよりさ――」

「なりません。興味本位であるというのなら、なおさら。これらのことに関わってはなりません」

 司書はショウの言葉を遮ってきっぱりと言った。それにショウはむっとする。自分の都合ばかりで、まったくこちらの話に耳を傾けないその態度はショウの神経を逆なでた。

「それで俺たちに身を滅ぼせっていうのか?」

「ですから、身を滅ぼさぬために、触れてはならぬと――」

「もう遅い」

 咄嗟に口をついた言葉だった。だが、それは的を射ている。

 もしユウキが市場で風の実を使う前に、もしショウがリョッカを失う前に知っていたとしたら――ユウキはチハルを去らずに済んだだろうし、ショウもリョッカと別れずに済んでいただろう。

 もう遅いのだ。事はすでに起きてしまった。

「それはどういう意味でしょう?」

「知らなければ安全だとは限らないだろ。知らないからこそ呼び込んでしまう危険だってある。俺たちは危険を呼び込んでしまった。今さら知らずになどいられない。だって――」

 これ以上、わからないまま翻弄ほんろうされるのは嫌だった。

 知るべき世代ではない?

 そんなの誰が決めたって思う。自分たちのことだ。勝手に大人が決めるなと言いたい。知らなければ安全だなどというのは、知ってる人間の勝手な言い分でしかない。

「知ることは身を守ることだって言うだろ。違うか?」

 司書が何か言いたげに口を開き、けれど最後は苦し気に目を伏せ肯定した。

「そうですね。それを否定できる者は図書館にはおりません」

「なら」

 しばらく拘束されてくれ、そう言うつもりだった。人を呼ばれては困るのだ。調べものが終わるまで、目の届くところでじっとしていてもらえれば、とそう考えていた。

 だが、またしてもショウが言い切る前に司書が口を開く。

「わかりました。私も司書です。お手伝いいたしましょう」

 ショウは目を見開いた。その思い切りのよさに妙に納得もする。さすがは上の命令に逆らってまで本を残した人物だ。

 ショウは直前までの反発も忘れ、尊敬の眼差しを向ける。

「お知りになりたいのは、あなたが耳にしたことのない特殊能力について、でよろしいでしょうか」

「あぁ。俺が耳にしたことのない特殊能力だ。どうしてそんな扱いになったのか、それにどういった意味があるのか。他にも何か関連することがあるならそれも」

「かしこまりました。では、こちらの部屋でお話しいたしましょう」

 司書は先ほどまでショウが書物を開いていた部屋にショウを招き入れた。


 それから何時間も司書と話をした。司書はいくつかの書物を開き、時には挿絵を見せて、ショウの疑問に答えていく。

 時間はあっという間に過ぎ去った。いくら時間があっても足りなさそうな勢いだったが、夜明け前には何とかひと段落する。

「これで一通りお話はできたかと思います。他にご不明な点は?」

 これが本職だからだろうか。司書は長時間対応した疲れを顔に出すこともなく、そう尋ねる。

 一方のショウも疲れてはいたが、それどころではなかった。ショウの全身からは血の気が引いている。

 司書の話はショウに大きな衝撃を与えた。話を聞くだけで精一杯で、その内容も噛み砕けていない。というよりは、噛み砕いて理解してしまったら、精神が保てなくなりそうで、頭と心が理解を拒否していた。

「今は、ちょっと……」

 そう答えるショウに司書は憐れむような眼差しを向け、小さく頷いた。

「知ることは、確かに身を守ることにも繋がりましょう。けれど知ることは、戦いの場に立たされることでもあります。――どうぞご武運を」

 何も知らずにいればよかったとは思わない。けれど、知らなければ使えたはずの言い訳はもう使えなかった。

 覚悟を決めなさい、と司書は遠回しに告げていた。

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