第1章

第1章 第1話

 この世界は、5つの大陸から成り立っているといわれている。


 冬に支配され、神々の住まう山脈が連なり神の大地とも呼ばれる北の大陸。


 世界の最南に位置するのは、気候・風土共に穏やかな常夏の大陸。

 さまざまな種の生き物が雑多に共存する生者の楽園。


 東の果てにある大陸は、黒髪・黒瞳の人種が住まう神秘の国。

 他の大陸から最も遠くに位置することもあり、他大陸との国交もなく、常に秘密のベールに隠されている未開の地。


 西には異界に続く門がある。

 不思議な種族にあふれ、魔術という名の異能を持つものが数多く生まれる大地。


 そして―すべての大地の中央に位置する最後の大陸、それは、神聖なる獣、龍族の住まう大地。

 彼らは人族と共存し、時に気まぐれに、彼らに祝福を授け、友情を結ぶこともあるという。


 神の代弁者たる龍族の住まうその大地の名を、シェルヴァ・ガーランディアという。








 その草原は、ガーランディア大陸最大にして唯一、獣人族の支配が許されている土地であった。


 大陸の南に位置し、他の、人族の国からの侵略とは無縁の領土。


 それがヴィエナ・シェヴァールカ―古代語で『侵されざる楽園』と呼ばれるこの草原だった。


 この草原では、人族の世界の法は通用しない。守らなければならないことはただ二つ。



 一つ、食べる目的以外での狩猟の禁止。


 一つ、身を守る目的以外での闘争の禁止。



 上記の二つの決まりごとを除いて、この草原に守るべき法はない。


 たとえ人族の身であったとしても、草原の中においてはこの法に縛られる。

 どれほど身分の高い人間であろうと、関係なく。

 草原の外に出た獣人族が、人族の法に従わざるを得ないのと同じように。


 逆に言えば、誰であろうともこの草原に立ち入る権利はあるのだ。

 唯一の条件は、己を守る牙があるかどうか……ただそれだけ。







 風が吹いた。

 草が揺れ、草と草が触れ合う音を響かせる。


 吹き上げられた青臭い匂いを鼻腔に吸い込み―次の瞬間、小さな手が腰の短刀を引き抜いた。


 油断なく、正面をにらむ瞳は左右色違い。

 太陽の輝きをそのまま封じ込めたような黄金きんの左目と、夜の闇を連想させる濃紺の右目。


 金色のたてがみが風にゆれ、短刀を油断なく構えるその姿は、まるで一匹の小さな獣のようであった。


 不意に目の前の草むらが割れた。

 咆哮と共に、大きな獣が飛び出してくる。


 襲撃を冷静にかわして、獣の後方に回り込み、その大きな体を観察する。


 金色の毛皮に黒の縞模様が入った体……虎に良く似ているが、長く伸びた二本の犬歯がその獣の名を浮かび上がらせる。


 俗に、ヴィエナス・タイガーと呼ばれる、この草原でも一、二を争う凶暴な肉食獣だ。


 食物連鎖のトップに位置するこの獣は、恐れを知らぬかのように、小さな獲物と対峙する。



 「……まだ、若い固体だな」



 つぶやく声はまだ幼い。


 その声に反応するようにのどの奥でうなり声を上げながら、獣は少しずつ距離を縮めてくる。


 確かにまだ若い。

 二本の犬歯も、成獣の牙の長さには足りていないのが見て取れる。



 「出来れば、傷つけたくないけど……」



 間合いを取りながら、困ったように眉根を寄せる。

 傷つけたくはないが、それが難しいことも良く分かっていた。


 特に若い固体は、血気盛んで恐れを知らない。

 脅かしたくらいで逃げ出してくれるほど、甘い相手ではないだろう。


 短剣の剣先を、獣へと向けた。


 死にたくなければ、やるしかない。それが、この草原の原則だ。



 「足……はだめか。動きが鈍くなると、他のやつらに狙われる。仕方ない。鼻面を少し削って脅かすか。それであきらめてくれればいいんだけどな。」



 低くつぶやき、短刀の切っ先を地に向けた。

 体の力を抜き、わざと隙を作って獣を誘う。


 その隙を逃すことなく、獣の四肢が力強く地を蹴った。


 だがそれとほぼ同時、草を踏みしめ、駆け出そうとしたその時、猛々しい咆哮と共に、横の草むらから一頭の美しい獣が飛び出してきた。



 「……ロウ!!」



 銀色の毛皮に包まれた、並外れて大きな体躯のオオカミは、主人を守るように立ちふさがると、黄金きんの瞳で敵を睨みつけた。


 とたんに、それまで威勢が良かったヴィエナス・タイガーの腰が引ける。

 若い獣は、明らかに銀のオオカミに怯えていた。


 のどの奥で低いうなり声を上げながら、ロウが足を踏み出すと、それに押されるように若い獣が後ずさりする。

 そして不意にぱっと身を翻すと、あっという間にその巨体は草原の草の間に消えていった。



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