できない代わりに 4/8 ~二人きり~

 悠には意外だった。翔聖君も、そして亮太までも、メチャメチャ速い。もちろん小学一年生の二人の最高スピードはたいしたものではないが、大人でも維持するのが結構きついくらいのスピードでずっと走り続けている。

 川沿いの道は、自転車と歩行者のみが通れる遊歩道になっていて、信号もほとんどないので、ずっと止まらない。その道を十分近く走ってから、五人は一般道に出てきた。

 最初の交差点に差し掛かかると、目の前の青信号が点滅し始めた。先頭を走る翔聖君と亮太は突っ込もうとしている。

「翔聖、止まれ!」

 蜂谷さんの声を聴いて二人は急ブレーキをかけて止まった。危なっかしい運転だ。二人ともめったにないイベントにハイになっている。

「思ったより早く来られましたね。ここで三分の一くらいですよ」

 横断報道の手前で蜂谷さんが悠にそう言った。


―― まだ三分の一か……。


 悠は体力に自信があったため認めたくなかったが、この倍の距離を自転車で疾走した後アスレチックで子供の相手をして、また帰ってくるのは相当こたえる。まあ自分は何とかなるが、詩織は大丈夫だろうか。

 そう心配して悠が振り返ると、案の定詩織はすでに百メートル以上遅れて、全体重を使いながら、えっこらえっこら自転車をこいでいた。ちょっとやばそうだ。

「詩織、大丈夫?」

 やっと追いついた詩織に悠がそう聞くと、詩織は息を切らせながら何も言わずにがっくりとうなずいた。顔面蒼白。誰が見ても大丈夫じゃない。悠はすぐに蜂谷さんに呼びかけた。

「蜂谷さん、次のコンビニで一休みできますか?」

「ああ、そうしましょうか。この次の交差点にありますよ」

 悠と蜂谷さんのやり取りを聞いて、翔聖君がこう言った。

「え、もう? あそこのコンビニ嫌! 変なにおいするから」

「外で待ってなさい。飲み物買ってすぐ出てくるから」

 これもちょっとやばそうだ。詩織がまた「できない」って事を気にし始めるかもしれない。


 コンビニに着くと、悠は詩織を車止めの石に座らせて、蜂谷さんと亮太と一緒に店内へ入った。匂いが嫌いな翔聖君は詩織と留守番だ。出来れば悠も外で詩織の様子を見ていたいが、蜂谷さんに買い物を全部させるのは悪い。

 悠は亮太の背中を押しながらコンビニに入った。

「りょうた、飲み物何にする?」

「翔聖と同じがいい」

「じゃあ俺と一緒に選ぼうか。翔聖、いつも買ってるやつがあるから」

 蜂谷さんはそう言って亮太をペットボトルの冷蔵庫に誘導しながら、悠の方を振り向いた。

「買い物は俺がしますよ。垣沼さんの様子見ててあげてください。飲み物何がいいですか?」

「あ、ありがとうございます。えーっと、スポーツドリンク二本お願いします。後で払います」

 悠が外に出ると、ちょうど詩織が翔聖君にこう言っているところだった。


「ごめんね」


―― ヤバい。やっぱ気にしてる。翔聖君、何か言ってあげて…。


「……」


―― ああヤバい! 無言だよ!


 翔聖君は詩織を責めるつもりはないかもしれないが、肝心なのは詩織の方がどう感じるかだ。絶対後ろめたく感じているはず。

 詩織は一回うつむいて手をもぞもぞ動かした後、また翔聖君を見た。見られた翔聖君の方は視線を逸らした。あからさまな気まずい空気。

 悠はすかさず翔聖君に声をかけた。

「翔聖君! 今お父さんが飲み物買ってるから。りょうたも翔聖君と同じのがいいって」

「うん」

 目線を逸らしたまま、そっけない返事だ。やっぱりこのコンビニに止まる事になったのが気に入らないのだろう。

「詩織、少しはよくなった?」

 詩織は鼻息交じりに「うん」と答えた。まあ、答えられるだけさっきよりは幾分かよくなっている。


 そうこうしているうちに、コンビニから蜂谷さんと亮太が出てきた。

「翔聖、はい」

 亮太は翔聖君にオレンジジュースのペットボトルを手渡した。黒を基調としたラベルで四百ミリリットルの細長いやつだ。好きな飲み物も何だかイカしてる。

 翔聖君はジュースを受け取ると驚いた。

「え、これここで売ってた? 前来た時なかったよ」

「翔聖のお父さんが見つけてくれた」

 二人ともすぐにペットボトルのキャップを開けて飲み始めた。お気に入りのジュースのおかげで翔聖君の機嫌はひとまずなおったらしい。

「垣沼さん、どうぞ」

 蜂谷さんが詩織にスポーツドリンクを手渡してくれた。「すみません」と言って詩織が受け取るのと同時に、悠はその隣に腰を下ろした。

「急に体調悪くなる事もあるからね。きつかったら今のうちに帰った方がいいかもよ?」

 詩織は鼻から空気を抜くように苦笑いした。

「え、詩織帰るの?」

 亮太が会話を聞きつけた。帰ろうとする詩織、あるいは帰らせようとする悠を責めるような口ぶりだ。

「具合悪くなっちゃったって。今日は残念だけど……」

「いや、大丈夫。ちょっと休んだらだいぶ良くなったから」

 詩織が悠の言葉を遮った。思わず「えっ」とこぼした悠に詩織はこう付け加えて言った。

「平気平気。もうちょっと頑張って、公園着いてからまた少し休むから」

「加減知らない子がヘタに頑張っちゃダメだって!」

 思わず脊髄反射のように言い返し、詩織の表情が凍った。悠はすぐに「しまった」と後悔したが、もう遅い。

「垣沼さんはとりあえず、もう少しここで休んでた方がいいと思いますよ。俺が子供達を連れて行きますから。もし来られるようなら、お二人で後から来てください。でも、木村さんの言うように、無理はしないようにしてくださいよ?」

 詩織は蜂谷さんに、やはり鼻息交じりで「はい」と一言答えた。




                  *



 蜂谷さんから公園までの地図を受け取り、悠は詩織と二人で亮太達を見送った。これでコンビニの駐車場に悠と詩織二人きりだ。いつもそばには亮太がいるため、案外こういう時間は少ない。

「ねえ……ごめん」

 まず悠がそう謝った。

「実は、ちょっと前から気になってたんだよね。詩織、急に元気なくなる事あるから。何が原因なのかなって」

「え? いや、元気なくなってるっていうか、そういうのはさ、課題がたまってたりすると」

「またそうやって」

 はぐらかそうとした詩織を悠はパシリと黙らせた。ここで詩織にしゃべらせても、どうせ嘘をつくに決まっている。

 悠が詩織のコンプレックスを知らないままだと、詩織は知られる事をずっと怖がり続けなければいけない。そんな状態がずっと続くのは、悠にも嬉しくない。

「この前、ホルス達と会った時、ちょっと分かったんだよ。詩織がいつもどんな事気にしてるのか」

 詩織はペットボトルを握りしめたまま黙っている。

「私それまで、ある意味甘く見てた。私は高校卒業してすぐ岡本食堂に就職したから、大学に入った人ってもう……何も心配なく楽しくやれるもんだって、なんとなーく思っちゃってたんだよね。でも、ホルス達の詩織の扱い見て…」

 カチャカチャ音がした。詩織がペットボトルのキャップを外して、スポーツドリンク飲み始めている。

「詩織、大学入ってから一年半、ずっとああやって過ごしてたの? あれじゃ自信なくすよ。ねえ、結構つらかったんじゃない?」

「こっへえ!」

 詩織は返事の代わりに、ペットボトルの中身をこぼすぐらいの勢いで激しくむせ込んだ。

「ごほっ! えほっ! げっほっこ! うぇっほ!」

 悠は詩織の背中を軽く叩きながら、咳が治まるまで待った。

「大丈夫?」

「おごへっ! うん。あー、気管にモロに入っちゃった」

 詩織は涙がたまった眼をぱちくりさせながらハンドタオルで口をぬぐった。


―― ホントに嘘つきだなコイツは。


「ねえ、つらかったでしょ? 正直に言ってみな」

 優しくそう言うと、詩織の顔は薬がしみたようにぎゅうっとくずれた。

「詩織は出来ない事が色々あるのかもしれないけど、いい子だよ。りょうたも詩織の事大好きなんだから。さっきだって、どうしても一緒に来てほしいみたいだったし。あれは絶対嘘じゃないって」

 詩織はゆっくり息を吸うと、やっと正直に話し始めた。

「でもさ、私レポートとか……この前の課題もさ」

「それが何? 私なんて、そもそも大学入れないよ。それも国立だよ!」

「でも悠は料理すごく上手いし、しっかりしてるじゃん。私なんかさ、大好きな歌もギターも……」

「あ、ギター今度聴かせてよ」

「嫌! メッチャ下手だもん」

「何で下手なのがそんなに嫌なの?」

「だって恥ずかしいもん」

「私の方がもっと下手だよ」

「え、ギター弾けるの?」

「弾いた事ないよ。だからもっと下手」

 詩織は悠の足を「パチン!」と音がするほど強くはたいた。

「だから恥ずかしくないって。ホルスと一緒にしないで」

「……」

「さっきは、詩織の公園行きたいって気持ちもう少し尊重するべきだったよね。ごめん」

「ううん」

「誘った私が言うのも何だけど、そんなに公園行きたかった?」

「行きたいのもあるけどさ、翔聖君と蜂谷さんに、ダメな子って思われるのが嫌だったから。さっきも、私が体力ないせいで、翔聖君に嫌な思いさせちゃったしさ」

「嫌な思いなんかしてないでしょ。お気に入りのジュース、りょうたと二人で飲んで、楽しそうだったよ」

「……あのさ……私はさ、体力ないし、スポーツからっきしダメなんだよ。ギターも歌も、絵を描くのも下手。手先も不器用でさ、それに字まで汚い。書くのも遅いし。国語専攻のくせに、本読むのも遅くて、読んでもよく分かんない。不注意で忘れっぽくてさ、他の子たちがみんな把握してる事を私だけ把握してなくてさ…。授業でも集中力続かなくて、いつも先生の質問に答えられないしさ、レポートもしょっちゅう再提出だし、評定もCとかDばっかり。この大学も本当にギリギリだったもん。何を頑張っても人より下手。子供の頃からずっと」

「だから人より優しいよ?」

 この言葉を境に二人ともしばらく黙っていた。少し風が吹いてきて、日陰の駐車場はわりと涼しい。

「もう平気。だいぶ元気になったから。追いかけよう」

 詩織が立ち上がった。顔色も表情も、さっきよりはよくなっている。二人はコンビニでお菓子と飲み物を買い足して、公園へと自転車を走らせた。

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