第1話 貧乏神来たりて

「暑っちぃ……」

 暑い日差しの下、一人の青年が汗を拭いながら呟いた。

 良く言えば精悍せいかんな、悪く言えば悪人然とした面立ちの青年である。歳の頃は二十代半ばといったところか。軍服を着て、金属質な床に座っている。その襟章から、階級は中尉であるということがうかがえた。

 青年――七道しちどう行馬ぎょうまは雲一つない青空を仰ぎ、恨めしそうに繰り返した。

「暑い暑い暑い……雨でも降らねーかなぁ……」

 軍服をはだけ、ぱたぱたと手で風を送る。

 だが、そんなことをしても焼け石に水だ。赤道近くの強烈な日差しは、空気すら熱風へと変える。生温い風を浴びながら、行馬は甲板上に揺らめく陽炎を眺めていた。

「今日の太陽には謙虚さが足りないな。少しは俺を見習うべきだ。そう思わないか、ベルンハルト?」

「はっ。本当に謙虚な奴はそんなことを言わねえよ、『』殿」

 少し離れたところから、野太い男性の声が応えてくる。

 視線だけを声の方向へと向けると、そこでは大柄な男性が、上半身裸になって腕立て伏せをしていた。

 ここからでは背中しか見えないが、それでも彼の肉体が凄まじく強靭であることは分かった。丸太のような首に、子供の胴体ほどもある腕。鋼のごとき筋肉は隆起して、彼の身を包む鎧となっている。どれほどの間、腕立て伏せをしていたのか、彼の下には大きな水溜りができていた。

 ベルンハルト・オーティス曹長。行馬の小隊における副官であり、長年組んできた相棒と呼べる存在だ。

 彼はフライパンのごとく熱された甲板の上に平気な顔で素手をつき、その巨体を上下させる。

「暑いなら中に入ってろ。ここよりはいくらかマシだろうが」

「艦内のクーラー壊れてるの忘れたのか? 中は地獄のサウナ状態だ。あんなところにいるくらいなら、甲板に出ていた方がまだマシだ」

「じゃあ黙ってろ。そもそも、こんなボロい輸送艦になったのはお前のせいだろうが。『歩く負けフラグ』こと七道行馬中尉が小隊長だって分かった途端、回されるはずだった艦の型式が一世代昔のものになったぞ」

「負けフラグと言うな、せめて生存フラグと言え。確かに俺が回される戦線はことごとく負け戦になるけど、小隊の中から死者を出したことはないだろ」

「まあな。けど死者が出たら、行馬は確実に死神呼ばわりされるぞ。貧乏神程度の扱いに留まっていることを喜ぶべきだな」

「うるせーよ」

 行馬は苦い顔で返し、それからふと遠くを見つめ、独り言のように呟いた。

「死神。死神、ね……」

 何か思うところがあるのか、その声には畏怖に近い感情が滲んでいた。

 ふねが緩やかに進路を変える。正面にあった馬鹿でかい岩を避けるためだ。日差しが変化し、今まで日陰だった場所が日光にさらされる。

 行馬は障害物の影へと逃げ込んで直射日光を避け、硬い声で続けた。

「リアル死神なら六日前に会ったぞ。38ミリ突撃銃を持ってた、近代型の死神だったけど」

「ああ……この前言っていた、敵の新型機か」

 相棒の言葉に、行馬は「そうだ」と頷く。

 六日前の戦場で出会った、あの赤い装甲機。第三世代特有の流麗なシルエットを有したあの機体は、まさに死神と呼ぶに相応しい相手だった。予想外の支援砲撃がなかったら、あのままやられていただろう。

 ベルンハルトが筋肉を震わせながら、興味深そうに尋ねる。

「そこまでやばい相手だったのか……西方戦線に現れる『赤い死神』の噂、単なる与太話だと思ってたが、本当だったってことだな」

「ああ、大マジだ。あれは第三世代のS級に相当する機体性能だった。ついでに中身も優秀だ。もしかすると、俺より強いかもしれない」

「ほぉう? なら、これからが一層楽しみになったなあ。まったく、てめぇと一緒の部隊にいると刺激が多くて助かるぜ。ハハハハッ!」

 本当に嬉しそうに笑い、ベルンハルトは腕立て伏せを止めて立ち上がった。

 二メートル以上の巨躯が、太陽の光を浴びて暑苦しく輝く。

 威圧感とむさ苦しさが満載で、見ているだけで目眩がしてくる。こいつの場合は顔がマフィア並みに凶悪なので、なおさら近寄りがたい。これで行馬と同い年だというのだから恐れ入る。

 ベルンハルトはタオルで汗を拭きつつ、彼方へと目を向けた。

「それより、まだ目的地に着かないのか? 早いところ俺は暴れたいんだがな」

「黙れ戦闘狂バトルジャンキー。俺は永遠に着かなくても問題ない」

 投げやりに言って、行馬は彼方を見やる。

 陽炎の向こう側に見えるのは、赤茶けた荒野だ。生命の営みなど欠片も見えない不毛の大地が、ただ延々と地平線の果てまで広がっている。砂と岩、そしてまばらに生える赤茶色の植物だけが、目の前に広がる全てだった。

「ヘタレたこと言ってんなよ、行馬。軍人オレたちは戦うのが仕事だろうが。乗り手がそんなことじゃ、こいつも泣いちまうぞ」

 隣までやってきたベルンハルトが、日差しを遮っている障害物をコンコンと叩く。

 それは仰向けの姿勢で甲板に固定された、巨大な人型の機械だった。

 全身を漆黒に塗装された、鋭角な輪郭の装甲機だ。激戦を潜り抜けてきた証である傷が、機体のあちらこちらに刻まれている。行馬たちの足元……輸送艦の中にも、似たようなものが二機ほど眠っているはずだ。

 浮動型汎用装甲機フローティング・フレーム

 今や最強の矛でもあり、盾でもあるその兵器を、行馬も軽く手の甲で叩いた。



 全ての始まりは、今から二十年ほど前のことだった。

 二十一世紀も半ばを過ぎた頃、地球にいくつかの隕石が飛来した。

 巨大なそれは地球へと激突し、いくつもの都市を灰燼に帰せしめた。だが隕石そのものは、それだけの衝撃の中心にあってなお原型を留め続けており、人々はやがて、その調査を開始した。

 その結果分かったのは、この隕石は地球上に存在しない金属の塊であるということだった。

 アダマントと名付けられたこの金属は、特定条件下で力場ベクトルを放出するという特殊な性質を持っていた。

 これを利用することによって人類は半永久機関を実現し、エネルギー問題をほぼ解消した。だが反面、有限な資源であるアダマントを巡って争いも生じ、それは地球規模での戦争へと発展した。

 その中で誕生したのが、この装甲機フレームである。

 アダマントの落下によって地磁気が大きく乱れた今の世界では、航空戦力は使い物にならない。よって主体は地上戦となるのだが、アダマントの落下地点周辺は地面の陥没やら液状化やらで、戦車が進むにはこのうえなく不向きな地形となっていた。

 ――ならば、そんな悪路でも踏破できるように『足』をつけてやればいい。

 そんな発想から生まれた装甲機は、アダマントを利用した斥力場せきりょくば発生技術により、二足歩行でありながら抜群の安定性と機動性の確保に成功した。どんな地形でも走破でき、精密作業もこなせる装甲機は戦闘力において戦車を大きく引き離し、わずか数年で戦争の主役となった。

 そして現在。

 装甲機は最強の兵器として、いまだ前線に君臨し続けていた。



「そんな装甲機をまともに相手取れるのは、装甲機だけ。俺らが暴れるのは義務みたいなもんだろ、なあ行馬?」

 仰向けの《影式》を見上げて獰猛な笑みを浮かべるベルンハルトに、行馬はうんざりした様子で抗弁した。

「せめて平和のために戦うとか言っとけよ。人格を疑われるぞ」

『ベルンハルトが戦闘狂なのは、僕たち全員が知っているから別にいいけどね』

 耳に付けたままの通信機から、気弱そうな男の声が聞こえてきた。

 声はくたびれた中間管理職のように、どこか疲れを滲ませて要請する。

『そろそろ目的地に着くよ。二人とも、中に入って作業を手伝ってくれ。僕とマリアさんだけじゃ無理だよ』

「中は死ぬほど暑いから嫌だ。頑張れ教授」

『僕たちはその死ぬほど暑い中で作業してるんだけどね! ……まあ、クーラーなら今、直ったところだよ。だから早く戻ってきてくれ』

「マジかよ! さすが教授、天才だな! ほら行くぞ、ベルンハルト!」

「変わり身が早いな、てめぇは……おっ」

 ベルンハルトが、その視線を地平線の彼方へと向ける。

 つられて行馬も瞳を巡らせると、遙か遠くにひとつの銀影を見つけることができた。

 それは戦艦だった。

 複合装甲に守られた、巨大な船だ。ただし、この船は海を航行するためのものではない。地上を走り、戦場を駆け抜ける、陸の移動要塞だ。アダマントが生み出す斥力場を専用の機器で増幅することにより、いまや多くの戦艦は陸上移動能力を備えていた。

 陸を泳ぐ鋼鉄の鮫を見て、ベルンハルトが呟く。

「エセックス級甲母艦か。意外と大きな部隊になりそうだな」

「ああ。だが、護衛艦がいない。今度もまた、寄せ集め部隊になることは間違いなさそうだ」

 六日前の大規模な会戦で、行馬たちの軍は兵力の三分の一を失う大敗を喫した。

 大きな負け戦の後では、動ける装甲機と戦艦をかき集め、応急的に部隊を再編成することがままある。今度もその類だろう。あれだけズタボロに負けたのだから、ここは一度戦線自体を後退させるべきではないかと思うのだが……まあ、上層部にも意地があるということか。

(マジでやめてもらいたいんだがな、そういうの。大抵、もう一度ボロ負けするだけなんだから)

 これまでの経験を振り返り、行馬は溜息をつく。それで命令が覆るわけでもなかったが、嬉々として受け入れるような気分にもならなかった。

『早く来てくれよ~。隊長じゃないとできない作業もあるんだからさぁ』

 通信機から、助けを求める声が情けなく響く。

 行馬たちは顔を見合わせると、互いに肩をすくめて、艦内に戻っていった。



「で、俺にしかできない作業ってこれか?」

『そうだよ。今、起動できるのはその《影式》しかないんだ。生体認証をベルンハルトに切り替えるのは時間がかかるし、ぱっぱとやってきちゃってくれ』

「分かったよ……マリアにも準備をしておくよう伝えてくれ」

 投げやりに言って、行馬は装甲機の機動手順を進める。

 反応導体を活性化。動力を静止状態から戦闘状態に。各部に取り付けられた小型の力場制御針リプルバー・ホーンを順次作動させ、機体の重量を擬似的に軽減。

「立ち上がるぞ。推進器は使えないから重量が偏る。艦の対地斥力を前方だけ上げてくれ」

『了解。艦首付近の対地斥力を20パーセント上昇』

 輸送艦がわずかに傾き、舳先へさきを上げる。

 そのタイミングに合わせて、行馬は甲板で仰向けになっていた《影式》を慎重に立ち上がらせた。そして狭い甲板の上で器用に体制を整えると、船体に負担をかけないよう最小限の出力で跳躍。体操選手顔負けの軽やかさで、《影式》は地上へと静かに降り立った。

 一人、輸送艦から離れた行馬へと、『教授』から再び指示が飛ぶ。

『対地斥力を通常状態に移行。行馬、こっちはこっちで準備をしておくから、君はに行ってくれ』

「了解」

 行馬は輸送艦から離れ、目の前にそびえ立つ鋼鉄の塊を見上げる。

 これが今回、行馬たちの母艦となる船だ。

 エセックス級甲母艦シルバーエッジ。全長は300メートル近くあり、装甲機も六機を搭載できる。甲母艦としては小型な方だが、六日前に大量の戦力を失っていることを考えれば、母艦を持てるだけマシだと言える。

(もっとも、それはこいつがまともに動けばの話だがな……)

 諦念に近いものを抱えつつ、行馬はシルバーエッジへと接近していく。

 遠目には立派な戦艦に見えたこの船だが、近くに来ればその惨状が嫌と言うほど目についた。

 複合装甲にはいくつもの傷がつき、場所によっては表層部が剥落している。航行に支障が出ない程度の応急処置でお茶を濁してあるが、砲撃を受ければひとたまりもないだろう。副砲は半分以上が破壊され、近接火力を望むことはできない有様だ。この様子では、主砲もまともに撃てるかは怪しいところだ。

「今回も、やっぱりきつそうだな……」

 モニタ越しに戦艦の様子を見ながら、行馬は溜息をついた。

 そもそも自分が《影式》に乗って移動しているのも、『先の戦いで資材搬入口が被弾して歪み、自動開閉が行えないから、装甲機を使って外から手動で開けてくれ』という要請がシルバーエッジから下されたせいだ。

 着いて最初の仕事がこれとは、先行きに不安を感じざるを得ない。そんなオンボロに乗って、本当に大丈夫なのだろうか。戦闘になった時のことを考えて、行馬は暗い気持ちになった。

 それでも仕事をこなすべく、彼は頭を振って、友軍のチャンネルへと呼びかける。

「こちらテイル小隊、七道行馬中尉。コールサインはテイル1。開かずの間をこじ開けに来た。誘導を頼む」

『こちらシルバーエッジ。協力感謝する。B-7付近にある昇降用ガイドを使って、第二階層まで上がってくれ』

 管制の指示に従い、行馬は指定のポイントまで《影式》を進める。

 この荒野は結構な悪路であったが、コクピットに縦揺れはほとんど伝わってこない。

 陸上戦艦と同じく、装甲機も地上からわずかに浮いて移動しているためだ。

 全ての装甲機には、アダマントの性質を利用した力場生成機構が備え付けられている。それによって装甲機は自身の重量に押しつぶされることなく、二足歩行で軽快に動くことができていた。アダマントがなければ、装甲機の搭乗資格には『船酔いに弱い者は不可』という一文が加えられていたことだろう。

(それどころか、人間型を実現できたかも怪しいところだな……っと、ここか)

 考え事をしているうちに、行馬は目的の場所を通り過ぎそうになっていた。

 少しだけ後戻りさせ、《影式》を巨大な作業用昇降機に乗せる。艦内からの指示で動き出したそれは、装甲機の重量に悲鳴を上げながらも、《影式》を戦艦の中腹あたりにある、狭い足場へと運んでいった。

 通路と呼ぶには狭すぎる空間を進み、行馬は巨大な扉の前へと到着する。

「こちらテイル1。今、搬入口の前に着いた」

『こちらフェザー小隊、フェザー1。上にロックボルトがありますので、それを三本とも外して下さい。壊さないよう、慎重にお願いします』

 行馬が通信機に向かって問いかけると、先程と異なり、澄んだ女性の声が返ってきた。

 おそらく、この壁の向こう側でも装甲機による手作業が行われているのだろう。彼女はその搭乗者か。今時、女性兵士など珍しくもないのだが、行馬はその声にどこか聞き覚えがあるような気がした。

『……テイル1? なにか疑問点でも?』

「ああ、いや。了解した。今からロックボルトを解除する」

 しばし記憶の海を探っていた行馬だが、再び通信機から聞こえてきた声に、思索を中断した。

 気を取り直して、彼は作業を開始する。操縦モードを『戦闘』から『作業』に。マニピュレーターを巧みに操って、小さな――といっても一メートル以上はあるが――ボルトを外していく。

「外し終わったぞ、フェザー1」

『了解しました。では、少し離れて下さい』

 行馬が《影式》をわずかに後退させて応えると、目の前でゆっくりと鋼鉄の扉が下がっていった。

 通路内に日差しが侵入し、中の様子が露わになる。

 外壁と違い、内部に目立った損傷はないようだった。鋼鉄の壁は煤に汚れているが傷もなく、歪んだ床枠以外は眉をひそめるような箇所も見当たらない。

 搬入用通路の中央には、一体の装甲機が立っていた。

 刃物を思わせる鋭角なシルエットに、群青の隠蔽ステルス塗装。随所に取り付けられたウェポンラックが印象的なその機体は、機能美を追求したナイフのようだ。

 日本製の第二世代型装甲機影式。色こそ違うものの、行馬と同じ機体であった。

「ご同輩だったか」

『借り物です。私の機体は今、動かせる状態にありませんので』

 少しおどけたような仕草を見せ、通路内の《影式》はシルバーエッジと通信を行う。すると、入り口横から可動式の連結路が伸びてきて、緩慢な動きで地上へと展開していった。

『こちらを使って、輸送艦内部の資材と機体を搬入して下さい』

「了解した。……マリア、そっちの準備はどうだ?」

『いつでもOKよ』

 輸送艦との通信チャンネルから、鉄同士を擦り合わせたような声が聞こえてきた。

 通信機の向こう側にいるのは、マリア・アップルトン軍曹。横方向に貫禄が広がっている、重量級の女性である。行馬たちの小隊で、通信管制や索敵、補給などを一手に引き受ける役割をしていた。

 連動リンクのためのデータを送りながら「戦場の保存食で、よくあんなに太れるようなぁ」などと考えていると、通信機の向こう側でドスのきいた声が脅しをかけてきた。

『ちょいと隊長、あんたまた無礼なことを考えてたんじゃないだろうね』

「HAHAHA、まさか。少しばかり質量保存の法則に思いを馳せていただけさ」

『ふん、まあいいけどね……データ取得完了。これから搬入作業に入るよ』

「ああ、任せた。それじゃ、この《影式》は……」

 一緒に搬入するか、と言いかけたところで、先程の女性兵士の声がそれを遮った。

『テイル1、貴方と私の機体は甲板上で係留することになります』

「そんなに狭いのか?」

『いえ、最大六機が搭載可能ですので、容量自体はあります。ですが出撃口カタパルトも調子が悪いので……外に何機かは置いておかないと、という判断です』

「本当に満身創痍まんしんそういだな、この艦……」

 行馬はげんなりしつつも了解、と答えて《影式》を甲板へと上がらせる。

 巨大な船体のわりに、甲板は手狭な造りになっていた。

 陸上戦艦の多くは自重を支えるため、接地面積を増やして斥力を稼ぐ必要がある。それ故に形状は三角錐に近い形となり、必然的に甲板の面積は削られる傾向にあった。

 資材やら何やらが散らばる甲板上を慎重に歩き、行馬は奥まった場所で機体を停止させる。

 関節部をロックして動力を低下させ、停止状態に。即席の固定機材で係留が完了したことを確認してから、行馬は《影式》から降りてきた。

 頬を叩く風が心地よい。

 相変わらず生温い風ではあったが、それでも密閉式の操縦席にいた身には、生の空気がありがたい。あの独特の閉塞感が、行馬はあまり好きではなかった。

 行馬が一息ついていると、すぐ隣で軽い着地音がした。

 音のした方向へと、顔を巡らせる。

 そこに立っていたのは、装甲機用の操縦服を着た少女だった。

 恐らくは隣でひざまづく群青の《影式》から降りてきたのだろう。彼女もまた大きく深呼吸をして、外の空気を堪能していた。白銀色の髪が風になびいて、翼のように広がっている。まるで天使のようだと、行馬は思った。

 不意に、彼女と目が合う。

 少女は穏やかな微笑みを行馬に向けると、静かにこちらへと歩いてきた。そして、

「初めまして、七道行馬中尉。私はシーネ・ヴァルセル少尉です。よろしくお願いします」

「あ、ああ。俺は……って、名前はもう知っているのか。こちらこそ、よろしく」

 差し出された手を、慌てて握り返す。

 少女――シーネの手は小さく繊細で、触れれば壊れてしまいそうなほどだった。小柄な体躯といい、あどけなさの残る顔といい、とても前線に立つ兵士とは思えない。いや、それ以前に彼女は、兵役が可能な年齢なのだろうか?

「学徒動員までいくほど劣勢ではなかったはずだが……」

「はい?」

「いや、なんでもない。それより、今回の作戦は君の小隊と組むことになるのか? 俺の名前を知っているってことは、編成人員はもう確定しているのか?」

 多分、行馬はシーネと初対面だ。こんなに綺麗な子を見たのなら忘れるはずがない。知り合いという線がない以上、情報の出所は部隊資料くらいしかない。

 シーネはやや驚いた様子だったが、少しして、「ええ」と小さく頷いた。

「その……今回は行馬中尉のテイル小隊と、私のフェザー小隊を合流させての運用となるそうです。ごめんなさい」

「? なんで謝るんだ?」

「え、えっと、それは……」

「それは、お嬢ちゃんが死神の娘だからだろ」

 二人の間に、唐突に低い声が割って入った。

 声の主は、日焼けした中年の兵士だった。行馬たちから少し距離を置いた場所で、こちらを睨んでいる。骨折しているのか、右腕は包帯で吊られていた。

「死神?」

「そうだ。グランツ・ヴァルセル中将の名前くらいは知ってるだろう。我らが防衛機構軍、西方面軍の指揮官様だ」

 吐き捨てるようにして、男はその名前を告げた。

 大雑把に言えば現在、世界は二つの陣営に分かれている。

 金融・工業・経済規模の面で優位に立ち、先進国が中核となる『ユーラシア及びアメリカ防衛機構』、豊富なアダマント資源を後ろ盾にした中小国家の集まりである、『新世界国家連合』。戦力としてはいずれも互角であり、それが泥沼化の原因ともなっていた。

 行馬たちが属するのは、防衛機構のスエズ西方面軍だ。

 その総司令部にいるグランツ・ヴァルセル中将は、兵を平然と使い捨てにする戦術をとることから、現場の下士官に忌み嫌われる存在だった。無理なごり押し戦術によって、いらぬ被害を出したことも一度や二度ではない。死んだら奴の後ろに化けて出てやる、というのが、スエズ西方面軍の合い言葉になっていた。

「シーネ・ヴァルセル少尉殿は、死神中将の一人娘であらせられるんだよ。あんたらはそのお守りに抜擢されたってわけだ。羨ましいこったな」

 行馬に、というよりはむしろシーネに向かって、男性兵士は吐き捨てた。

「後ろでぬくぬくしてれば良いだけの楽な任務だよ。俺たちが最前線で命を張ってる間、せいぜいお喋りに励んでいてくれ。少尉殿もどうせ、見学気分で来ているんだろう?」

「そ……それは違います! 私もこうして、前線に出て――」

「うるせえ! だったら何で、あんたは生きてるんだ! 同じ戦線に出た俺たちは全滅して、そっちは無傷で生き残ってる! こんなのはおかしいだろうがよ!」

 中年兵士に怒鳴り返され、シーネはびくりと身を竦ませた。

 なるほど。どうやら彼は、仲間を失った怒りを手頃な対象シーネへとぶつけているだけらしい。

 戦場で生き残るかどうかは、ひとえに実力と運の問題だ。どれほど凄まじい腕を持っている奴でも流れ弾一発で死ぬことはあるし、逆に怯えているだけの新兵でも、幸運に恵まれて生き残ることはある。仲間が死んだからといって、生き残った奴を恨むのは筋違いというものだ。

(本当に親の七光りで優遇されてるならともかく、多分シーネは違うだろうな。少尉にしては若く見えるってところはあるが……それを言えば、俺も似たようなものだし)

 この人手不足の時代、戦功さえ積めば二十代でも中尉程度まで昇り詰めることは可能だ。そもそも階級自体の意味が薄れてきているという側面もある。若くして尉官になっているからといって、それが親の威光によるものとは限らない。

「あんたも、あまり関わらない方が良いぞ。どうせ、こいつも――」

「問題ない。むしろ、俺とは相性が良いかもな」

 男性兵士が罵声を浴びせるより早く、行馬は彼の言葉を遮った。

「……あん? あんた、何を言ってるんだ?」

「自己紹介がまだだったな。俺は七道行馬。階級は中尉。得意技は撤退戦。『歩く負けフラグ』って言った方が分かりやすいかな?」

 にっこりと、人懐っこい笑みで行馬は語る。

 対照的に、彼の言葉を聞いた中年兵士は、その顔をあからさまに引きつらせた。

「あんた……あの、七道行馬か」

「なんだ、知ってるのか? 俺も有名になっちゃったな。サインなら百ドルから受け付けてるけど、どうする?」

「いらねえよ、くそっ……死神と貧乏神が一緒の部隊かよ。ついてねえ。今度こそ、俺も死ぬかもしれねえな」

 怒りではなく嫌悪をあらわにし、男は踵を返す。

 甲板上に転がっていた工具を苛立ち任せに蹴り、彼はそのまま去っていった。

「……そこまで嫌われてるのか、俺?」

 自分の名前が予想以上の効果を発揮してしまったことに、行馬は少し落ち込む。

 やっぱり他人から見ると、俺は貧乏神扱いなのか。負けてはいるけど死者は出していないんだから、もうちょっと評価してくれてもいいのに。もういっそのこと、改名でもしてしまおうか。そうすれば、今よりマシな扱いになるかもしれない。

 背中を丸める行馬に、シーネがおずおずと尋ねてきた。

「あの……中尉、負けフラグとは?」

「ああ、俺の渾名あだな

 やや不本意そうに、行馬は眉根を寄せた。

「俺の部隊って、行く戦線が全部負けるんだよな。俺を見かけると負け戦が確定するから『歩く負けフラグ』。テイル小隊っていうのも、尻尾切り《テイル》からきてる。でも俺の小隊って誰も死んでないから、せめて生存フラグとか言ってほしいんだけどな」

 納得いかねえ、と愚痴る行馬。その表情は幾多の死線を潜り抜けた猛者ではなく、大勢でした悪戯の責任を一人だけ取らされた子供のようだった。

 そんな行馬を見て、シーネの表情もわずかに和らいだ。

「そうだったのですね。てっきり私は、破片フラグメント手榴弾のことかと……」

「一体どんな問題行動を起こしたら、そんな渾名で呼ばれるんだ……」

「そ、そうですよね! 失礼しました!」

 直立不動で謝罪するシーネ。

 そんなに畏まらなくてもいいよ、と手を振って、行馬は艦内に続く階段へと目を向けた。

「とりあえず、中に降りよう。俺の部隊の問題児どもは、放っておくと何をするか分からない。シーネのことも、教えておかないといけないしな」

「あ、はい。では案内しますので、私についてきて下さい」

 シーネはそう言うと、行馬を先導して歩き始める。

《シルバーエッジ》の中は、思ったよりもひんやりとしていた。

 つい先程まで暑さにうだっていたので、この冷気はありがたい。行馬は無骨な造りの階段を下りながら、前を歩く小柄な背中に向かって問いかけた。

「ところでシーネ少尉、そっちの小隊は何人いるんだ? 俺らと合流すると、結構な大人数になると思うんだが」

「あ、その心配ならありません」

 シーネは、声のトーンを落として答えた。

「私の小隊は、事実上解体されています。現在の状態では、その……十全な連携が小隊内で取れないと、隊長が判断しまして。私だけ移籍するような形になったんです」

「あー……それって、さっきの奴みたいな?」

「そう、ですね。やはり、私の存在自体が火種になってしまうようでして」

 あはは、と力無くシーネは笑う。

「さっきの人が言っていたことも、分からなくはないんです。結局、私は遠ざけられるか、遠慮されるかのどちらかですから。実際に後方に置かれて、何もさせてもらえなかったこともあります。だから、私は足を引っ張――むぎゅっ!?」

 唐突にシーネは言葉を詰まらせ、足を止めた。

 理由は単純。行馬が後ろから手を伸ばし、彼女の頬を思い切り引っ張っていたのだ。びよーんと左右に広がった頬が、彼女の発音を阻害する。シーネは手足をじたばたと暴れさせ、行馬へと抗議を行った。

「ひ、ひひゃいれす! にゃにをふるんれすか!」

「ああ、悪い。ネガティブなことばかり言ってるから、つい」

 謝りつつも、行馬はシーネの頬を離そうとしない。張りのある肌をつまんだまま、ぐにぐにと左右に引っ張る。

「色々言ってるけどさ、サボったり逃げ腰になったりしてるわけじゃないんだろ? さっきの操縦を見る限りじゃ、腕前も悪くはない。なら、卑屈になる理由はないんじゃないか?」

「れ、れすけろ――」

「戦場で頼りになるのは経歴じゃなくて実力だ。それがあれば、仲間は評価してくれる。外からの雑音なんて、気にする必要はないだろう」

 そこまで言って、やっと行馬はシーネの頬から手を離した。銀髪の少女はやや赤くなった肌をさすり、涙目で行馬を見上げてくる。

「でも、私の場合はその仲間に疎まれてしまっているんです。だから、」

「俺は疎んでなんていない」

 決然と、行馬は言い切った。

 そしてすぐ、彼は人懐っこい笑みに戻り、

「ま、気楽に行こうってことだよ。少なくとも、俺たちはくだらん言いがかりをつけたりはしない。自分にできることを精一杯やってくれれば、それだけで十分だ」

 軽くシーネの肩を叩いて、行馬は先に進んでいく。

 シーネはしばしの間、目を丸くしてその場に立ち止まっていた。なにか、自分の常識では計れないものを見たかのように。だが、やがて我に返ると、嬉しそうにぽつりと呟きを漏らした。

「……ありがとう、ございます」

「うん? どうかしたか?」

「いえ、なんでもありません。行馬さんは凄いなと、そう思っただけです」

 彼女は笑みを見せ、小走りに行馬を追いかけてくる。その表情からは、先程のような寂寥の陰は見られなかった。

「では、行きましょうか。格納庫まではもう少しです」

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