04-08 司馬元顕    

 王恭おうきょうの天幕に向かおうっつう寄奴きどに、孫季高そんきこうが近付いてきた。

「買うか?」

「言い値でいい」

 ごくごく短いやり取りの後、孫季高が示してきた指の数に、寄奴の顔が引きつった。が、何も言わずに、ゼニの入った袋ごと寄越す。

「気前エエの」

「わざわざお前から売り込んでくるネタなんざ、どうせろくでもねえだろ」

 キキッと小さく孫季高が笑う。が、すぐにいつものツラに戻り、ゼニを懐にしまい込む。

「こっそり鎮北の天幕より出てきおった輩がおる。間もなく死体で沼に浮かんだがの」

「……嵌められたか、将軍」

 孫季高との付き合いァ、決してそう深いわけじゃねェ。っが、奴が持ってくるネタにゃ、ここまででもずいぶん助けられて来たんなァ確かだ。

 だから寄奴ァ、孫季高そのものはともかく、奴が持ってくるネタの値段についちゃ全く疑わねェ。

「分かった、これも取っとけ」

 孫季高に対して、更に駄賃を払う。受け取ると、すっと孫季高ァ消えた。

 寄奴ァ、考える。

 劉牢之りゅうろうし将軍が、王恭を殺す。そうなることで、誰がうま味を覚えるか?

 ってェ事になると、考えられんのァ司馬元顕しばげんけんか、桓玄かんげんかのさしがね。

 陣中で大将を部下が殺すなんざ、ただ事じゃねェ。っが、なのにわざわざそこを狙ってくる。それなりにでけェ企みが裏にある、って考えとくべきだろう。

 念のため懐刀だけ忍ばせて、天幕に向かう。既に出来てる人だかりも、寄奴が来たことに気付くと勝手に道を譲ってくれる。

 ざわついちゃいる、が、乱れ過ぎちゃねェ。何が起こるか分かってた奴でもなきゃ、こうまで場を抑え込めねェだろう。

 天幕の周りにゃ、きらびやかな鎧に身を固めた兵らがいた。北府の兵じゃねェ。かといって西府の軍だって、こうまで鎧兜にゃ金かけらんねェだろう。

 って、事は。

 見りゃ、謝琰しゃえん将軍やら劉毅りゅうきやらも中にゃ踏み込めてねェでいた。

 やがて天幕ン中から、劉牢之将軍が出てきた。眉間に深いしわが寄っちゃいるが、それ以外のこたァ伺えねェ。

 それと、もう一人。明らかに戦場むけじゃねェ、ひらひらしたおべべの公達。お厳しそうなツラこそしちゃいるが、どうにも薄ら笑いが隠し切れちゃねェ。

 謝琰将軍が、思わず洩らした。

「まさか……会稽かいけい王?」

 そう。

 劉牢之将軍と一緒に現れたんなァ、建康で五斗米道ごとべいどうどもに震え返ってるはずの、会稽王。司馬元顕だった。


 そう上背があるわけじゃねェ。ぶ厚くもねェ。だが、いくら飛ばそうったって飛びそうにねェ。

 軽いが、重い。

 そいつが寄奴の、司馬元顕についての印象だった。

「我が、敬愛する大晋の英兵よ」

 抑えた口調で、兵たちに向けて。

 ひと言で分かる。聞かせるつもりの言葉だ。王恭みてェに、語りてェ手前ェを押し出すやりくちじゃねェ。

「此度、逆賊王恭を、我らが劉将軍が、みごと討ち果たした」

 言って、劉牢之将軍を一歩前に出す。

 のっけから、己らを煙に巻きに来てやがる。会稽の賊を払おうとした王恭が、なんでいきなり賊呼ばわりになんのか。

 だがそんな疑問なんぞ、のきなみ司馬元顕さまがそこにいる事で吹き飛ばしちまってる。

「我が名は、司馬元顕と言う。帝よりこの会稽の地を賜り、治むるべく仰せ付かった者である」

 びり、と寄奴の背筋に痺れが走る。

 ――変えやがった。

 司馬元顕の奴、手前の大義とやらを語ろうとしたんだろう。

 だが、どいつもが何者に語られてんのかわかんねェでいた。

 そんじょそこいらのお貴族さまどもなら、「まろを知らぬとは不届き千万ぞよ!」ってブチ切れるとこだ。だが司馬元顕ァ、敢えて、名乗った。

「この会稽に暴虐の賊を招いたは、我が不徳に他ならぬ。なれど王恭は、賊徒の擾乱に乗り、この会稽を私せん、と企んでいた。故に我は劉牢之将軍に渡りをつけ、逆賊を監視して頂いていた」

 わずかに将軍のまなこが揺らぐ。

 ほんの僅かなゆらぎ、だからこそ寄奴ァ見逃さずにいた。

 どうやら司馬元顕が引いた筋書きァ、まるで将軍にゃ伝わってねェらしい。ってこた、出会いしなに死体を突き付けて、あっちゅう間に身動きを取れなくした、って辺りか。

 おいおい、寄奴が笑いそうになる。

 舌先三寸にゃ違いねェ。勝ち筋にも遠い。が、そいつらを、「手前ェさまおん自らを種銭にして」張ってきやがる。

 お公達のくせに、ずいぶんな博打好きでいらっしゃる。

「会稽王!」

 謝琰将軍が進み出る。

「道理が通らぬ! この会稽は王の封地ではないか! 王鎮北にこの地との縁故はない! 何の言いがかりで――」

 まくし立てる謝琰将軍の少し後ろ、劉毅が「莫迦バカが」って舌打ちした。

 全くもって同感だ。こんな仰々しい茶番仕立ててくる奴が、何の仕込みもなしで出てくるわけねェだろうに。わざわざ、司馬元顕の当て馬になりに行ったようなもんだ。

 司馬元顕と謝琰将軍との間に割り込みつつ、劉牢之将軍が、懐から紙束を取り出す。

 で、そいつを思い切りぶちまけた。

「証は揃っておる! 故にこその誅滅である、謝龍譲りゅうじょう! これ以上場を掻きまわさんで頂こう!」

 劉牢之将軍が、吼えた。

 寄奴ァぶちまけられた紙のうち、一枚を拾い上げる。べらべら書かれる中身ァともかく、宛名が王恭、差出人が孫恩そんおん

 にしても五斗米道ごとべいどうにゃ、よほど学のあるヤツがいるみてェだな。ずいぶんな達筆でいらっしゃる。

 謝琰将軍と王恭ァ、それ程親しい仲ってわけでもねェ。

 っが、謝玄しゃげん将軍がお編みになった北府軍の生え抜きどもから見りゃよそもんだ。いくら謝玄将軍と謝琰将軍がいとこの間柄だろうが、棟梁の親戚ってェだけででけェツラしてきやがるお貴族さまに心底ついてく奴なんざ、そうそういねェ。だから謝琰将軍ァ、いやでも王恭にすり寄るしかなかった。

 そいつも、王恭っつう後ろ盾がなくなっちまや、ご破算だ。

「――き、っきき、貴様!」

「提訴はいかようにでも。ただし、会稽の賊を夷滅いめつしたる後にて」

 劉牢之将軍も、何だかんだで役者でいらっしゃる。

 ぎり、と謝琰将軍が歯噛みする。が、それ以上のこたァ何も出来ねェ。眉間のしわ以外は涼しい顔でいらっしゃる劉牢之将軍と、その後ろでほくそ笑む司馬元顕と。誰の目から見ても、勝負にもなっちゃねェ。

「英兵らよ」

 司馬元顕が、前に進み出る。

「これで卿らが、謂われなき凶逆の誹りを被る恐れはなくなった。迷うことなく戈矛を賊徒に振るうべし。厚き褒賞を、この会稽王が約しよう」

 集まってる奴らァ、どいつもこいつもまるでいきさつを飲み込めてねェ。そりゃ褒美は誰だって欲しい、が、いったい何についてきゃいいんだ? そいつを、さっぱり飲み込めねェでいた。

 と、

「――大晋、会稽!」

 血のついてねェ剣を抜き、劉牢之将軍が、吼える。

「大晋、会稽!」

 もう一度。察した何人かが、大晋、会稽を繰り返す。

 もう一度、もう一度。

 迷いながらも、それでも陣内にだんだんと「大晋、会稽」の声が広がってく。

 寄奴ァその流れに乗らねェ。見りゃ、劉毅もだ。

 ちらりと、目が合う。

 交わしたんなァそんだけだが、それで十分でもあった。


 翌朝、いよいよ会稽に攻め入る段に至って、その総大将ァ謝琰将軍に委ねられた。

 もともと会稽出身、その路地も水路もよく知る将軍の軍は、あっちゅう間に五斗米道どもを追い払ったって言う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る