幕間 ある、穏やかな日
幕間 いとしき人と
「
「ああ」
「そっか、面倒かけるな」
「本当だよ」
生まれたばっかの娘、興弟の隣から戻ってきた
「全く、このどら息子ときたら、いつまでも娘ひとりもあやせないと来て。愛親、いつまでも世話を焼かせますね」
「いえ、姑様。穆之様も良くして下さりますし、家内にひとつ、漬け物もつけられない岩が転がっているくらいは我慢します」
「お前らな……」
女二人は茶をすすり、寄奴ァちまちまとわらじ編み。
妙なもんで、奴の編むわらじァ履き心地がえらくいいってなモンで、隣近所から頼まれることが多かった。人間、どこに長けてるか分かったもんじゃねェな。
寄奴がわらじを編み、食いモンやら着るもんやらを交換してもらう。家の外れにゃ、ちょっとした畑もこさえてある。
わらじ編みと畑の収穫、こう言ったので劉家は日々を食いつないでた。
寄奴ァ泣く子も黙る晋の驍勇、穆之にしてみても
「そう言えば、兄貴。隣の
炉の光を頼りに竹簡に目を通してた穆之が、顔も上げねェで聞いてくる。
「あ? 面倒くせえな、そんなん穆之、お前がやれよ」
「いやないでしょ、なんで兄貴を差し置くのさ」
「その手の奴ぁ、どう考えてもお前のがうまく転がせんだろうが」
「言っとくけど、それやって肩身狭くなんの、母さんと愛親さんだからね?」
「何でだよ」
「何でも。はいこの話し終わり。兄貴は明日、向さんのところに行って話を聞いてくること。以上」
のちの宋王さまも、お家じゃいちばんの下っ端でござい、ってな。「納得いかねえ」ってスネてみたとこで、家ん中はみんな穆之の味方。どうしようもねェやな。
つーか寄奴ん中にゃ、長幼の序、ってのがまったく染みこんでねェんだよな。よっぽどのロクデナシでもねェ限り、弟は兄を敬うもの。そいつが世の道理じゃある。だが寄奴にしてみりゃ、すげェ奴がそいつに合ったことをやる、その何が悪りィんだ、って感じだった。
まァ、こいつをおとぎ話ならともかく、ご近所付き合いにまで持ち込まれちまや、ただの厄介もん扱いになっちまうってのにな。なんでそんな事もわっかんねェんだろうな、あいつ。
「以上じゃねえよクソ、じゃ穆之、お前もこれ手伝え。今晩じゅうにあと一つ編まなきゃいけねえんだ」
「何言ってんの? 僕の編んだわらじ、近所の人になんて言われたか知ってる? 桑の葉巻いた方がまし、だよ? あの柔らかい葉っぱより簡単に破れるとか言われて、誰が編むと思うのさ」
「ふざけんな手前、何でそこでいばってんだ! いいから上手くなれ!」
後ろで興弟が寝てるせいで、さすがの寄奴も大きく怒鳴れりゃしねェ。頑張って声を殺しながら、それでも穆之に噛みつく。
そいつを文寿様、愛親が、やっぱり声を殺して笑った。
たァ言え、響くもんは響いちまう。興弟がむずがり出しちまったんで、四人して口を押さえ、見合った。
ふふ、と蕭文寿様が微笑まれた。
「そろそろ、火種も尽きますね。寄奴、そこまでで。続きは朝になさい」
「へいへい」
編みかけのわらじと、わらを脇に除ける。穆之も竹簡を結び、脇に寄せ。んで愛親が椀を片付け、文寿様が寝床をこしらえる。
寄奴ァ炉の隅に灰をかき集める。三人が床に入るのを見届けると、ちィとだけ微笑み、火に灰を落とした。
覗きたくもねェむつみ合いほど、目の毒になるモンもねェな。つくづく思うぜ。
寄奴と愛親の営みァ、だいたいが納屋。天気がいい日にゃ京口の南にある、見晴らしのいい丘の上、なんてこともあった。
前にも言ったが、そこに辿り着くまでのあれこれは省かせてくれ。くさっても天下の英雄さまだ、あの醜態についちゃ晒してやんねェほうがいいだろう。
一旦迎え入れられたたァ言っても、傷モンにされた愛親が、寄奴に身体を委ねんのにゃずいぶん月日がかかった。ひとたび許してくれても、いきなり奴らの顔が浮かんできたりとかもあったみてェだしな。だから、寄奴ァ辛抱強く、愛親の傷に付き合ってった。
そいつを知ってるからだろう。口を開きゃ腐してきてばっかの愛親だが、いざことに及ぶに至っちゃ、しまいにゃ信じらんねェくれェ甘い顔になりやがるようになってった。
分かるか、先生。そん時の
「寄奴」
何発決めたか数えんのも面倒くせェが、その後のことだ。
小高い丘の上。麓にゃ京口の街と、その向こうに広々と横たわる長江、そこに浮かぶ沢山の船が見える。
丘の上からでも、やっぱり向こう岸なんざ見えねェ。ぼーっと眺めてっと、京口から出てく船の帆が江に沈んでったり、逆に江ン中からひょっこり船が出てきたりする。
「時々な、この時間がずっと続けば、って思うんだ」
寄奴ァ木の幹に寄り掛かり、着物を肩掛けにしてる。愛親も似たようなモンだ。で、寄奴の胸板に、身体をあずけてる。
「そうだな」
寄奴が愛親の髪を撫でた。
撫でる中のそこここで、ちょっとした引っかかりがある。古傷だ。
この一つ一つを、愛親ァ無力の証って手前ェを責めた。
だから、寄奴ァ言ってやった。何度でも。
一つ一つが、臧家の誇りなんだ、って。
「己とお前がいて、興弟がいる。お袋に穆之、近所の奴ら。ずっとそいつらと笑い合えてりゃ、幸せだと思うぜ」
分かっちゃいた。
世の流れァ、寄奴の、愛親の願いなんざお構いなしだ。
国の内外じゃきな臭せェ話に事欠かず、ことに北府軍のお膝元、京口の街じゃあっちにいざこざ、こっちに小競り合い、が起こりゃ兵どもがわらわらと動き回る。淝水の前よっかずっと忙しねェくれェだ。
「ここ暫く、穆之様の竹簡の数が増えてるだろう。詳しく聞くつもりはない。だが、これだけは教えてくれ。また、何かが始まるんだな?」
愛親が、まっすぐに寄奴を見る。
全く、ついつい寄奴ァ苦笑したくなる。どんだけ聡いんだ、愛親が男だったら、あっちゅう間に将軍にまで駆け上がってたろうにな。
寄奴が、愛親を抱き寄せた。
「ああ。穆之の筋じゃ、割とやべえ乱が南のほうで起こるくせえ、ってこった。たぶん、京口からもかなり駆り出されちまうだろう」
「そんなに大きいのか?」
「少なくとも穆之の奴ぁ、かなり泡喰ってたぜ」
ふと、
穆之が掴んだのァ、五斗米道の動きだった。
だが、この辺は愛親に言っていいことじゃあらんめェ。
五斗米道の奴らァ、どこに潜んでるともわかんねェ。変に愛親に話したのがバレちまや、この京口に潜んでる奴らにいきなりとっ捕まる、なんてことだってあり得る。広陵じゃあっさり軍部にも溶け込んできたような奴らだ。なまじ見えづれェ分、五胡どもよかずっとタチ悪りィ。
「暁勇どのも、また呼び出されることになるのかな」
枯れるような声で言うと、愛親が寄奴を抱き締めてきた。
その腕が、かすかに震えてる。
どうしたもんか、ひとしきりの思案のあと、寄奴ァ愛親を、強く抱き締め返す。
「安心しろ、手柄挙げて、帰ってきてやっからよ」
愛親の望んでる答えがそこじゃねェのは、重々承知してる。だが、そう言うっかねェ。寄奴ァどう転んでも戦場に行かなきゃいけねェんだ。なら、生き延びる。
生き延びて、また、愛親を抱いて。
――なんて考えるうちに、あんだけ出し尽くしたはずのいちもつが、やおら元気になってきやがる。
「愛親」
「……まじかよ」
言うが早いか、愛親をがば、と押し倒した。
見つめ合うと、その顔がさすがに引きつってる。
「どこまで底なしなんだよ……勘弁してくれよ寄奴、あたしの
「やだね。己がぶち込みてぇのはお前だけだ」
あーもう、勝手にしてくれ。
五斗米道蜂起の報が京口に届く、数日前の話だ。
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