03-04 劉牢之     

 持てるモンァ持てるだけ、ただし逃げ足にゃ障りのねェくれェで。

 幸い、謝玄しゃげん大将軍ァ道みちに補給基地を作って下さってた。身一つ、得物一つがありゃあ、あとは殺されさえしなきゃ逃げ帰れる。もっとも、最後がとんでもなく難しいわけだが。

「余計なモンは持つなよ! ただし動けねえ奴のは別だ! 連れてけねえんだ、少しでも形見を預かってやれ!」

 陣中を見渡し、敢えて寄奴きどァそいつを口にする。なにせ相手は騎馬。全力で逃げても、なお足らねェ。形見なんか持ったって、じゃあそいつが逃げ切れんのか、って話だ。

 ゴンズ・ウロの強襲で、寄奴の隊にも結構な損害が出た。幸いなのァ指揮できる奴らがあんまやられなかったことか。

 死んだ奴には短く黙祷を捧げ、残さざるを得ねェ奴には手を取り、謝る。

劉裕りゅうゆう、来賓だ」

「あぁ?」

 邪魔すんじゃねえよ、怒鳴ろうとした寄奴だが、そうも行かなかった。

 右腕を吊った虞丘進ぐきゅうしん、その後ろにゃ、他でもねェ。劉牢之りゅうろうし将軍がいらっしゃった。

 舌打ちした、が、それ以上は何も言わず、拱手する。

鮮卑せんぴの強襲、よくぞ受け止めてくれた。貴様の働きが無ければ、我が軍の被害は甚大なものになっていただろう」

「とんでもねえです、やることやっただけで」

 言葉の裏にゃ、多少のトゲも交えてる。寄奴にしちゃ、今はお偉い方のために割いてやれる時間なんざまるっきりねェ。だから暗に、随分みっともなかったじゃねえかよ、お前の部下どもは、ってのを匂わせた。

 と、将軍がお笑いになった。

「なるほど、聞きしに勝る跳ねっ返り振りだ。この局面においては、心強い限りだ」

「は?」

 楽にせよ、将軍は仰ると、辺りを見渡す。

「吾輩としても、だらだらと話をしているつもりはない。叙任やらもしてはおれぬでな。劉裕、貴様には、当座吾輩の司馬として働いてもらう」

 虞丘進が、驚きの顔を示した。

 寄奴ァ将軍の配下、って訳じゃねェ。仕えてんのは、飽くまで孫無終そんむしゅう将軍だ。他ならねェ総大将さまが指揮系統をすっ飛ばす。ふだんならあっちゃいけねェはずの事だ。

 そう、ふだんなら、な。

「ケツモチですか」

 余計なこたァ聞かず、すぐに本題に切り込む。

 こっから先、逃げるにしても、ただ走ったところでケツを抜かれちまうのが精々。だから、寄奴ァケツに張り付いたクソになって、穴を塞ぐ。

 そんかし、寄奴にゃ矛よ矢よが雨あられと飛んでくる。

龍譲りゅうじょう仮節だ。悪くはあるまい」

「手違いが起こるかもしれませんぜ?」

「已むを得まい、非常の際だ」

 ここまでを言い合って、将軍と寄奴がにらみ合った。

 なりゆきを飲み込めてねェ奴らが、二人の様子にビビり上がってんのが分かる。

 だが、とうの寄奴ァお構いなしだ。大将軍さまの威圧をまともに浴び、

 遂には、噴き出した。

 ほぼ同じく、将軍も噴き出す。二人して、ひとしきりの大笑い。

「なるほど、無終がやたらと推すわけだ!」

「じゃ引き立てて下さいよ、帰ったら」

 飽くまであけすけな寄奴の物言いじゃあったが、将軍の笑顔が揺らぐこともねェ。ご自身から歩み寄り、寄奴の肩を叩く。

 徐道覆じょどうふく将軍みてェに荒々しいもんじゃねェ。ただし、重い。

 初めて間近で見る劉牢之将軍の圧は、寄奴が思ってたよりもデカかった。握ってた拳に、じんわりと汗がにじむ。

 きびすを返し、将軍ァ引き返そうとなさった。

 だが二、三歩ほどして、ふと立ち止まられた。

「そう言えば劉裕、貴様の本籍、彭城ほうじょうだそうだな」

「はあ、そいつがどうかしたんで?」

 将軍は、地面を指す。

「貴様のいる、ここが彭城だ。懐かしさはあるか?」

「いや全く。とっとと京口の酒かっ食らいてえです」

 ふ、と将軍が笑われたのがわかった。

「奇遇だな。吾輩も彭城人だが、全くの同感だ」


 輪になって立ち合う。寄奴、虞丘進、孟龍符。それから部隊の指揮を執る何人か。どいつもこいつも、生傷は絶えねェ。中でも虞丘進の腕ァえらい勢いでねじ曲がってる。歩いてんのだって相当辛れェだろうにな。

「親分からのお達しだ。死ねってよ」

「そうかよ、分かりやすいな」

 妙に嬉しそうな寄奴に、孟龍符もうりゅうふがニヤニヤ顔で応じる。「なんだお前らは……」虞丘進がしかめっ面なのァ、腕の痛みから、ってだけでもねェだろう。

「すぐ後ろに鮮卑鉄騎、目の前には土地勘なき夜の森だぞ。気でも触れたか?」

「莫ァッ迦、丘進。大将だぞ。何今更なこといってやがんだ」

 寄奴の「おい」ってツッコミは、虞丘進もしれっと流す。「問題は」って、まるで否定しようともせずに話を進めちまう。

「生憎と、まだ気の触れておらん者が多いことだ。何かあれば、信じられん大崩れを起こすぞ」

 何回か「おい」だ「お前ら」だ言っちゃみたが、どいつも取り合おうたァしねェ。オレが「人徳だな」ってからかってやったら、「お前八回殺すからな」って返して来やがった。

 寄奴ァ小さくため息を漏らす。

「どのみち四の五の言ってもらんねえんだ。己らで支えるぞ。龍符、隊のケツにはお前がつけ。囲まれそうになったら、叫べ。丘進は怪我がひでえ奴らと一緒に、真ん中だ。先頭の己とケツの龍符、どっちも見失わねえようにしろ。こっちもお前に見失われねえようにする。龍符が叫んだら反撃に出るぞ。龍符は丘進の前について、本陣の守りになれ。お前が踏ん張ってる間に己も戻る。その頃にゃある程度状況も見えてきてるだろう。飽くまで丘進と龍符が本陣、己は遊軍になって奴らを叩く。中途半端に背中見せるくれえなら、いちど叩いといた方が追い足も鈍るだろうしな。ただし、何度も使える手じゃねえ。ちっと寿命を延ばすのが関の山だろう。そいつで、どこまで逃げ道を残せるかだ」

 それから、輪から少し外れたところにいた孫季高そんきこうに目を移す。

「頼むぜ季高、おめえの鼻に掛かってっからな」

 聞いてんのか聞いてねェのか、どうにも季高の仏頂面はよく分かんねェ。そんかしこん時は、少しの間のあと、寄奴を見ながら、顎でちぃと離れた先を指してきた。

 何か、話してェ事がある。それも、他の奴らには内緒で。

 一旦寄奴は輪に向き直ると、それぞれに支度を進めるよう伝えた。

 季高の所に向かう。

「珍しいな、お前から呼ぶなんて」

「仕方なかろ、鎮悪ちんあく郎からの伝言やさけ」

 孫季高が出してきた名前に、ほんの少しだが、寄奴が固まった。

 王鎮悪。材木問屋のできた長男坊ってことになっちゃいたが、その正体ァ鮮卑トゥバ部の密偵総元締め。

 孫季高ァ、崔宏さいこうが言う「草」のひとりだ。これまでも王鎮悪の、崔宏の伝言を寄奴に伝えてきた。

 いっぽうじゃ、どんな話が奴らの手に渡ったんだかな。

寿春じゅしゅんに向かえ。西府軍の救援が急行しとる」

「寿春? こっから近けえのか?」

広陵こうりょうよりはの。それに道のりも悪い。ワシらにとってもきついが、馬に取っちゃさらにきつかろ」

「なるほどな。しかし西府の動向までご存知たぁ、どんだけのとこに忍び込んでんだ、お前ら」

「草はそこかしこに生える。そう、崔老も言うちょったろ」

「だな。野暮だった」

 聞いても答えるはずもねェことを、敢えて問う。

 立場が立場ってこともあるんだろう。寄奴の率いる隊の中でも、孫季高は決して他の奴らとなれあったりはしねェ。一方じゃその身軽さ、耳目の鋭さ、際立った土地勘で、際立った活躍もしてた。

 どんな立場の奴であれ、仕事さえしてくれりゃそれでいい。そう、寄奴も考えちゃいたんだ。だが、ついつい聞いちまった。さすがにちっとヤキが回っちまったかな、寄奴は内心で苦笑した。

 と、そこへ、

「――ときに劉君。アンタ、彭城人なのか?」

 まさかもまさかだった。孫季高からの質問。

 仕事がらみ以外じゃ、初めてのことだった。

「ひい爺さんかその爺さんの話だ。己に至っちゃ縁もゆかりもねえよ」

「そうか」

 寄奴にゃ住所が二つある。

 一つが本籍、つまり先祖の住んでた場所。黄籍にゃ「彭城郡彭城県綏輿さいこう」って記されてる。つまり、晋が彭城の辺りを無事取り返すことができたら、寄奴は晴れてご先祖の生まれ故郷に戻ってこれますよ、ってお話だ。

 だが、寄奴が生まれ育ったのァ「晋陵しんりょう丹徒たんと京口けいこう」だ。そこにじい様の代から暮らしてる。寄奴にしてみりゃもう、彭城に戻れって言われたって、それこそ生まれ故郷をおん出されるようなもんだ。

「ワシのじい様も、うまく逃げられりゃ平和に暮らせてたんかの」

 特に、寄奴に向けて言ったわけでもねェ感じだった。

 だがその呟きァ、妙に寄奴の耳に響いた。

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