02-16 京口にて    

 あの崔宏さいこうとのやり取りが、寄奴きどン中でもとびきりの窮地だったんなァ間違いねェ。だが残念ながら、あいつの窮地はそこで仕舞い、って訳にゃ行かなかった。

「これを読みなさい」

 簫文寿しょうぶんじゅ様が、三本の竹簡を卓の上に差し出してこられた。

 なんだこりゃ、って言いそうになったが、そこにゃ孟昶もうちょうの署名があった。

 寄奴の背筋に、冷水でも浴びせられたみてェな何かが、ぞわわっと駆け抜けた。

「あの野郎、余計な――」

「何が余計です! 穆之ぼくしに心配を掛けまいとの心遣いではありませんか、それが友の厚意に掛ける言葉ですか!」

 文寿様の啖呵に、寄奴ァのけぞった。

 ここまで一方的に寄奴をぶっちめられんのは、本当、文寿様だけだろう。へいへい、って寄奴が竹簡を取ると、今度ァ返事は一回でよろしい、ってぴしゃりだ。全く、立つ瀬なんざあったもんじゃねェ。

 初日に一本、そっから五日目、十日目で一本ずつ。細やかなお仕事でいらっしゃる。

 孟昶からの文にゃ、寄奴をは項裕こうゆうとして孟家に寄宿させること、流民絡みでやっぱりひと悶着やらかしたこと、徐道覆じょどうふく将軍からの無理難題と一緒に傷付いた流民の姉弟を連れ込んできたこと、王玄伯おうげんぱくとか言う胡散臭い商人もろとも五斗米道ごとべいどう討伐隊の編成業務に巻き込まれたこと、けどひとたび事が転んでみりゃ広陵府の内憂をすっかり洗いだされてたこと、なんかが書かれてた。

 振り回され通しの半月間、此方の膿を絞り出してくれた事への感謝は言葉に言い尽くせないが、このような形で世話をするのは二度とごめんだ。広陵に来る分には歓迎するが、寝床は期待せぬように。――そう、文は結ばれてた。

 孟昶が、寄奴に掛けた見送りの言葉は「またのお越しをお待ち致しております」だった。なるほど、確かに次も面倒見る、たァ言ってねェ。

「読みましたか?」

「ああ」

「付け加え、訂正は?」

「ねえ」

「そう。では申し開きは?」

「――は?」

 寄奴が聞き返したのと、文寿様が卓をぶっ叩いたのが、ほぼ同時。かえーそうに、これまでも文寿様の怒りを一身に浴びてきたその卓ァ、その近い将来、真っ二つにブチ割れちまうんだ。

「なぁにボケッとしたことほざいてんだいこのウドの大木! 今更お前がどんな女選ぼうとも、そいつぁあたしの知ったこっちゃないよ! けどな、手前ぇで選んどいて何おめおめと守り切れてねぇんだい!」

「ち、ちょっと待ってくれよお袋、やった奴ぁぶっちめたぜ」

「そんなん当ッたり前ぇだろがこの唐変木トーヘンボク! アタシが言ってんのァそもそも怪我も最悪な思いもさせちまった時点でてめえの負けだってんだよ! どんな理由があろうとも好いた女も守り切れねぇ野郎ァ下の下さね! お前なんぞに見初められちまった愛親あいしんとやらぁ、なんて可哀相なんだろうね! 出会ってすぐでこの体たらくじゃ、こっから先、何度お前に泣かされることになるんだい!」

「いや、ちょ、待ってくれよ、そもそもあいつの返事もまだ聞いてねえし――」

「はぁ? なにのんべんだらりとしたこと言ってんだ! お前が守り切れなかったんだから、ならこっから先、断られてもお前が全力で守れよ! そいつが義理の通し方ってモンだろが!」

 ――ま、何てかな。

 そっくりなんだ、笑っちまうほど。愛親と、文寿様。

 もちろん顔立ちやら何やらは全く違う。けどあの、誰かを守るためにゃ全く手段を選ばず、ぶち抜いてきそうな感じ。ああいうのに、心底参っちまうんだな、アイツ。乳離れできてねェガキかよって話だけどな。

 一気にまくし立てたあと、文寿様は黙り込む。まっすぐに、寄奴そっくりな眼でにらみ付けてくる。決して、言いっ放しにゃならねェ。言うだけ言ったら、相手に言わせる。

 しかも、急かさねェ。そんかし答にトチんと、また地獄行きだがな。

「――己あ、まだまだガキだ。が、いつまでもクソガキのまんまじゃねえ」

 寄奴が、なんとか口を開く。

「お袋が、そして親父が、己をここまで育ててくれたこと。本当に感謝してんだ。だからこそ、己のガキにも、最高のお袋を用意してやりてえ。そいつぁ半端な奴じゃ、駄目なんだ」

 存外その言葉だけで、文寿様はぐらりときかけてた。

 それもそうだ、元々寄奴ァあんまし文寿様に感謝の気持ちを言葉にしたこたァねェ。うまく言える自信もなかったし、何より恥ずかしかったからな。

 だが、ことコイツは、って嫁を連れ込もうとなりゃ話は別だ。

 思い出す。あんだけひでェ目に遭ったにも拘わらず、愛親が始めに気遣ったなァ弟のことだった。

 家のため、なんてな口先じゃ簡単に言える。

 が、そいつを行動にできる奴なんざ、そうはいねェ。

 親を敬うからこそ、家のためを思う。大体にしてあの二人ァ、広陵に辿り着いた時点でほとんど天涯孤独みてェなもんだった。でなきゃ、寄奴の揺さぶりに対して、すぐにツテが思い付くはずだ。

 ツテがある奴なら、まだ家なんて言葉も軽々しく言えるだろう。だが、アイツらはそうじゃなかった。

「アイツならきっと、ガキどもの最高のお袋になってくれる。だから、アイツを養いてえ、って思ってる。その為にもこっから先、アイツのためにゃ何だってするつもりだ」

 思いがけず、あっさりと言い切れたことに、誰よりも寄奴自身が驚いてた。

 言葉にできるってな、つまるとこそんだけ考えてた、って事だ。気恥ずかしいやら、面映ゆいやら。そんな気持ちをまるまる浴びるこっちの身にもなってくれってなモンだが、寄奴一世一代の大勝負、そんな頼みァさすがに野暮だァな。

「どう守るか、が見えません」

 が、文寿様はあっさり切り捨てる。

「心身に傷を負った者を守るのは、生半可なことではありませんよ。彼女を脅かした影は、それが最早この世にいないと分かっていても彼女を蝕み続けます。その時に貴方は、確かな寄る辺となれますか? その手を掴み続けられますか? また、どのような家であれば、彼女に安らぎをもたらせるのでしょうか? 妻として力を振るい切れる場となりますか? 気概は受け取りました、おおいに結構。ならば、そこから先のことを考えなさい。もっと、具体的にね」

 言葉たァ裏腹に、口調は飽くまで柔らけェ。さっきまでの啖呵の威勢もどこ吹く風、だ。

「ああ」

 だから、寄奴も素直に返事した。背筋も伸びる。

「もちろん、考えてばかりおればよい、と言うわけでもありません。共に暮らすというのは、不測の事態の連続。そこに思い込みが紛れ込むと、どうしても相手が見えなくなります。間違いを繰り返す中で、虚心に相手に寄り添うこと。こればかりは、相手なしで行える作業ではありません。寄奴、あなたの目を疑うつもりはありません。なればこそ、良き家族となるためにも、私たちも最大限の努力を払いましょう」

 その上で、愛親を全力で受け入れます、っつう文寿様の宣言。そりゃ寄奴ならずとも平伏しようってモンだ。

 が、寄奴の薄っぺらな感動ァ、すぐさま文寿様の、崔宏もかくやって笑みにぶっ潰される。

「であるならば、寄奴。まさかこれで臧愛親を娶るのにしくじる、などといった失態はあり得ませんよね?」

 ――こっから先、寄奴が愛親の寵を得るために繰り広げた悪戦苦闘ァ、そりゃもう大変なもんだった。

 だが、そこを話しちまうと切りがねェ。

 だからよ、先生。そいつァ別の物語、っつう言葉に甘えさしてくれ。


「意中の女を落とす術? 知らないよ、いつも通りにすりゃいいじゃん」

 血相変えて縋り付いてきた寄奴に対して、穆之ぼくしの返しァどこまでもつれねェ。

 寄奴と違い、穆之ァ人づきあいに掛けちゃ天性のもんがあった。いつもつるむような奴らはともかく、寄奴を頼って、みてェな奴ァよっぽど穆之づての方が多い。その分寄奴の周りにゃ、どっちかってといびってくる連中の方が多くなるわけだが。

「それよりも」

 穆之が二本目の竹簡を開き、床に広げる。指さすのは「王玄伯」の三文字。

「こいつに嫌な予感がして仕方ないんだ。兄貴、何者なのか教えてくれないか」

 はっとなる。文寿様に大いに揺さぶられ、肝心なことが抜け落ちちまってた。そうだ、今は泣きを入れてる場合じゃねェ。すぐ目の前に迫る脅威に、どう立ち向かってくか。だからこそ、見送りの宴もそこそこに、慌てて京口に引き返してきたんだった。

「崔宏だ」

 勿体ぶらず、直に切り込む。穆之の顔に、ありありと驚愕が表れた。

「それとな、あの野郎、龍についても織り込んでやがったぜ。穆之、お前、初耳で信じられたか?」

 やがて驚きが、怒りに変わる。竹簡に、拳を振り下ろす。

「――んな訳ないだろ、畜生!」

 穆之に龍の話をしたとき、穆之ァしばらくはおとぎ話でもいきなり振られたのか、あるいは己ら二人して頭でも打ったんじゃ、みてェな様子でいた。

 だから、色んな手立てで試された。己にしか見えねェ筈のモンを寄奴も見てるか、寄奴にだけ見せた文字が何だったか己に聞く、とか。手垢まみれの論語を持ち出してきて、上の句を受ける下の句を言わせたりとか。

 もっとも、己も寄奴もこいつにゃものすげェ手こずったが。

 崔宏とのいきさつを話す。面白ぇくれェに穆之の顔色が替わる。

 話し終える頃にゃ、引きつった笑いが浮かんでた。

「済まねえ、穆之。己が迂闊だった。まさか、奴の手回しがあそこまで速ええなんてよ」

「兄貴は悪くないよ」

 笑っちゃいたが、握った拳からァ血がにじんでる。

「むしろ、行ってもらえてよかった、って言わせて欲しい。お陰で、敵がどんな奴らかってのを、身を以て教えてもらえた。のほほんと構えてた、僕の責任だ」

 カッカした頭で、まともにモノなんざ考えらんねェ。急速に穆之の怒りが引いていく。この辺りァ、つくづく兄弟だな、って思う。

 穆之が、血でにじんだ手を寄奴の襟元に押し付けた。

「兄貴、覚えててくれ。兄貴は旗。僕らは、その竿だ。トゥバ・ギの竿とは僕らが戦う。だから奴らと戦うとき、兄貴はまっすぐにトゥバ・ギを見てくれ」

 そして、掌を更に強く押し付けてくる。

「約束するよ。強くなる」

「おう」

 寄奴が手前の掌を爪で引っ掻くと、薄く血がにじむ。そのまま穆之の手の甲に、手前ェの掌を重ねた。

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