お客様も一基いかがですか
人は何故、ホームセンターに隠れて住むのだろうか。
美雨はホームセンターで眠りに落ちる時にいつも同じ事を考えていた。
目が覚めた時、自分が横たわる寝床がホームセンターではなくなっている。そんな朝がいつかやって来るだろう。
その時、自分はどうするのだろう。どうなるのだろう。
ホームセンターは情報の坩堝だ。途方も無い広さの多層構造店舗内に、打ち寄せる波に洗われる砂のように数限りなく陳列されるありとあらゆる商品群。それは日々を生きるのになくてはならない生活必需品であったり、職人が必要とする唯一無二の道具であったり、大手メーカーでは拾い切れない小さなニーズを狙ったニッチなパーツであったり。世界中の商品がここに集められている、とホームセンターに通う者は言う。
しかしながら日々刻々と売り場環境は変化する。今週のバーゲンセールの目玉商品がホームセンターの背骨的な役割を担う中央大階段付近の商品棚を占領すれば、かつてセンターに鎮座していた流行売れ筋商品は可動式商品棚によってお客様流動の薄い非常口付近の閑散とした僻地売り場へ流されてしまう。
商品が最も理解しやすく陳列される環境展示、メーカーが新商品をダイレクトにお客様へ紹介する業務委託ロケテスト、港湾施設や貨物駅と直結された管理倉庫販売など、他に類を見ない無人販売方式が採用されている巨大ホームセンターで、何がどこで売られているのか、ホームセンター店舗内の全容を知る者はいない。接客応対ロボット達でさえ、情報更新が追い付かずにホームセンター全体像を把握し切れていない、とホームセンターに住まう者は言う。
ならば、それらの生きた情報を、目まぐるしく変容する情報模様を、完全に掌握して完璧に統率できれば、その者はまさしくホームセンターの王になれるのではないか。
ホームセンターに渦巻く情報を統べる者、ホームセンターの王。それこそホームセンターの住人が目指すべき究極形態だ。
何故、山に登るのか。そこに、山があるからだ。
イギリスの登山家、ジョージ・マロリーが遺した言葉だ。
蔡 美雨は常々思っている。
人は何故、ホームセンターに隠れて住むのだろうか。Because it is there. そこに、ホームセンターがあるからだ。
美雨はホームセンターで眠りに落ちる時にいつも同じ事を考えていた。
目が覚めた時、自分が横たわる寝床がホームセンターではなくなっている。そんな朝がいつかやって来るだろう。情報は不変ではない。ホームセンターと言う情報もいつかは変容するだろう。それならば、自らも情報へと姿を変えて統合してしまえば、ともに在り続ける事ができるのではないだろうか。
前代未聞に荒唐無稽な問答無用のホームセンターが、一秒でも長くこの場所がホームセンターで在り続けるように。美雨は情報を精査し、統率し、コントロールする。
そして、その玉座に座るのは自分だ。
階段にはロマンがある。登山に挑戦する崇高なる精神に似た気高きロマンがある。どんな高低差のある建築物でも、路面でも、地面でも、大地でも、そこに階段さえあればそれらを踏破できる。この自らの足で到達できる。
必要なものは体重を支えられる最低限の脚力だ。それさえあれば手の届かない高所でも自分の足で歩いて行ける。
一歩一歩はわずかな段差かも知れないが、その小さな歩みが数限りなく積み重なれば、どんな高みにだって登って行ける。家の二階にだって、学校の屋上にだって、高層ビルの展望デッキにだって、世界最大級建築物の端っこにだって、世界の果てにだって、階段はどこへだって連れて行ってくれる。
日差彦と有花は壁に沿ってL字に折れ曲がるかね折れ階段を登り、広い踊り場から店内を見渡して現在地を確認した。現地周辺売り場は一般小売向けと言うよりもむしろ業者向け売り場だ。数多の階段関連商品が実物展示委託販売されている。建築業者向け売り場なせいか、一般買い物客の姿はほとんどない。
ここは階段関連に特化した介護用品の環境展示売り場、通称『階段の森』だ。ロマン溢れる階段が所狭しと並んでいる。擬似家屋に設置されたあらゆる種類の階段が、その段板に、その手摺に、その踊り場に、介護用階段補助製品が実装されている。
日差彦は美雨が寄越した漢字だらけのメモの指示通りに指定された階段を上り、またすぐ隣のかね折れ階段を下り、階段の森の中に次の指定階段を探した。
それはすぐに見つかった。次の階段は椅子式自動昇降機が取り付けられた蹴上げが低く傾斜角の緩い曲がり階段だ。段板に奥行きがある緩やかな曲がり階段は小柄な有花の歩幅とリズムが合わずに案外上りにくそうで、なるほど、階段エレベーターがあると便利だな、と日差彦は上りながら思った。環境展示を選択した業者側の思惑通りだ。
そして登り切った擬似上階フロアで監視ドローンの機影を見つけて、慌てて目の前の急勾配の直階段を一段飛ばしで駆け下りる。段板のエッジに貼り付けられた滑り止め緩衝テープのおかげで一気に下りる事ができた。
それから即席的に建てられた壁に据え付けられた手摺に沿って真っ直ぐ歩いて、先の見えない折り返し階段を途方に暮れて登り続け、ぐるりと一回りして螺旋階段を降りたところで、有花は疲れ果てて段板に座り込んでしまった。
「あのさ、私達何してんの?」
ついに、心に留めておいた告白をするかのようの有花が言った。いい加減もう何段の階段を上り下りした事だろうか。
「美雨に会う時はいつもこうなんだよ」
日差彦も有花の隣に段板いっぱいに深く腰を下ろして、ずっと手に持っていたせいで少しくしゃっと歪んでしまった卓上メモ用紙に視線を落として面倒くさそうに言った。
「用心深い奴で、会いに行く時は必ずあちこち歩き回らせるんだ。本人いわく、尾行されてるかどうか確認するためだって。誰も尾行なんてしてねえし、そもそもされねえって」
「用心深いって言うより、なんかめんどい人っぽいね。で、日差彦くんとは、えー、そのー、どんな関係?」
別に日差彦くんと美雨さんとやらの関係なんて私興味も関心もありません事よ、とでも言いた気にぷいっとそっぽを向いて有花が言った。
日差彦は不意に視線を逸らした有花を訝しんで横目で眺めて、でもすぐにまた手元のメモ用紙に目をやった。
「どんなって、そんな変な関係じゃないよ。ただの情報屋とその客だよ」
またまた特殊なホームセンター専門用語の登場だ。情報屋だなんて、はたしてホームセンターに相応しい単語だろうか。有花はがっくりと肩を落とす。
「ごめん。意味わかんない」
「美雨ももともとは俺達と同じで勝手に住み着いてるお客さんだ。でも、そのホームセンターの住人相手に商売を始める特異な住人が出てきたんだよ」
複雑化するホームセンターコミュニティにむざむざと身を投じてしまった、と改めて有花は後悔する。うな垂れたまま日差彦の声に耳を傾けた。
「さっきの食糧の密売人もそうだよ。住人相手の商売人だ。で、美雨は情報屋。このホームセンターに関する情報なら何でも売ってる」
「ホームセンターに関する情報って、来週の特売品とかバーゲン売り場とか?」
「そんな情報わざわざ買わなくていいだろ。チラシ見れば一発でわかる」
「じゃあどんなよ」
「どこそこの売り場が改装されて住み易い物件が発生するとか、調理器具売り場で試食会をやる時の食材の搬入ルートとか、転売屋達の作戦行動情報とか。生きるために役立つ情報だよ」
螺旋階段の一段にぴったり身体を寄せ合って座ってる日差彦の脇腹を肘で軽く小突く有花。
「真っ当な大学生が必要とする情報じゃあありません」
「生きるためには仕事は必要だよ。ジョイトコチャレンジを成功させるためには仕事を見つけないと。稼がなきゃ明日のごはんも困っちゃうぞ」
日差彦は笑って応えた。
「日差彦くんは何か仕事してるの?」
「今はホームセンター友の会のお手伝いで買い占め要員と美雨の使いっ走りくらいかな。で、今度はホームセンターの運び屋をやろうと思ってて、自転車を改造中なんだ」
まるで新しい玩具のギミックを語る子供のように目をきらきらさせて言う日差彦。ジョイトコチャレンジは想像していたよりも相当に奥が深く、ホームセンターに隠れて住む者が抱える闇もまたかなり深そうだ。有花は小さくため息を漏らした。
「はあ、自分が何をやってるんだかわかんなくなってきた」
「ホームセンターで穏便に暮らすコツは現状を冷静に考えない事だ」
有花のささやかな後悔も他所に、日差彦はよいしょっと立ち上がって、螺旋階段の上段踏み板の隙間から上部フロアを仰ぎ見ながら言う。
「きっと美雨がどこからか監視してるはずだ。俺達の位置情報すら売られてるかも知んないよ。さ、先を急ごう。あとは収納式箱階段を一つ越えれば目的地到着だ」
「はーい」
有花も重い腰を上げる。ふと、遠くの階段はしごの上空を旋回していた一機の店内監視ドローンが、ふわり、階段をかすめるように静かに飛び去るのが見えた。日差彦の言う美雨の監視の目だろうか。
そして壁際に据え付けられた階段下が収納スペースにもなる箱階段を登り切ったところで、一体の奇妙な接客応対ロボットに出くわした。
それはひどく大きな機械めいたカタツムリか。あるいは、合体変形に失敗して周囲にある金属製品を手当たり次第に巻き込んだヒーローロボットか。
「何こいつ、かわいい」
有花がぼそっとつぶやく。
「情報屋美雨の登場だよ」
小型電動フォークリフトの後方駆動部に、ちょうどフォークリフトを背負うように後ろ向きになった接客応対ロボットが両腕を差し込んでいた。フォークリフトの車体後部にめり込むように一体化したデザインになったパステルグリーンのトコは、ゆっくりと車体を引きずって取り回してフォーク部位を有花へ向ける。
フォークにはパレットが刺さっていて、そこに外装剥き出しの家庭用エレベータのコンテナ箱形が固定され、ケーブル類に紛れてやたら長いアンテナが数本飛び出ていた。箱の天辺には一機の店内監視ドローンが巨大なセミのようにくっ付いている。
フォークリフトと合体したトコがフェイスマスクに笑顔のアスキーアートを浮かべて有花と日差彦に呼び掛けた。
『お客様のご家庭にも一基、秘密のエレベータはいかがですか?』
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