第六章

黒いドローン


 情報を制する者はホームセンターを制す。いつの世も、どの時代でもどこの世界でも不変の摂理だ。


 するするとすばしこく、 すぐにその姿形を変化させて、物陰を渡り歩く臆病な生き物、情報。そいつを捕まえるには、その懐に深く踏み込む勇気が必要になる。遠くから恐る恐る腕を伸ばし、たとえひょろ長い尻尾を掴めたとしても、ぷつり、手に残るのは途切れた断片だけだ。情報の本質をがしりと鷲掴みにしなければ、知り得た知識と経験を自らの血肉にする事など出来やしない。


 情報と言う名の怪物と戦う者は、自らも怪物とならぬように心せよ。ホームセンターを覗く時、ホームセンターもまたこちらを覗いているのだ。


 ここにまた一人、ホームセンターの本質に一歩近付いた者がいた。




 有花は幅の広いベッドにばたりと横たわり、高くて、そして狭い空を見上げた。空と言ってもホームセンターの高い天井だが。


 異常な数の薄青色したパネルがそろって狭い間隔で張り詰められ、目の届く範囲の天井全体を偽物の空に仕立て上げている。その天井パネルの隙間を縫うように配管やケーブルが巡り、尋常ではない数のLED蛍光灯から白く柔らかい光が降り注いでいた。それが有花にとっての太陽であり、空であり、部屋であり、そしてホームセンターだ。


 仰向けに寝転がり、ベッドの縁からぶら下げた膝から下をぱたぱたと揺らす。何だ、この寝心地の良さは。ここ三日間ほど窮屈なデスクの裏部屋で適度に低反発なヨガマットに寝ていたのだが、さすがに寝具売り場街の売れ筋商品は違う。寝心地レベルの差は歴然だ。


 そりゃそうだ、ベッドだもん、と有花は首をぱたんと倒して横を見た。日差彦の横顔がそこにあった。有花がロボット専用通路の隠し売店で見つけた月刊ホームセンター最新号のページをめくっている。


 うつ伏せで頰杖をつき、眉を寄せて少し唸るように声を漏らす日差彦。ふと、仰向けに寝っ転がってこっちを見てる有花の視線に気付き、しばし見つめ合う。


 若い男女が一つのベッドの上で、一人は仰向け一人はうつ伏せで、言葉もなく静かに見つめ合う。何だ、このホームセンターに似つかわしくないシチュエーションは。有花の豊かな想像力が余計な妄想を展開させてしまう。


「見てみ」


 日差彦が月刊ホームセンターを有花の目の前へ差し出した。妄想に駆られて頬が赤らんでしまったのを日差彦に気付かれないよう、有花は慌てて誌面に顔を寄せる。


「やっぱり可動式商品棚が隔壁となって道を塞いでいるっぽいな」


「っぽいね」


 仰向けに寝っ転がっている有花の足元には、高さ五メートルほどのカラフルな商品棚がそそり立っていた。ベッドに横になりながら仰ぎ見ると、色取り取りのベッドカバーのカラーサンプルが展示された可動式商品棚に飛び降りているような、まるで重力を無視して壁にへばり付いたベッドに降り立っている錯覚に陥ってしまう。


 ジョイトコ店舗には三種類の壁が存在する。一つはジョイトコそのものの柱的な役割を持った天井パネルをぶち抜いて建てられている構造物としての壁。もう一つは後付けで建てられた仕切りとしての壁。この壁は天井まで高く伸びてはいるが、同時に商品陳列のための大型商品棚も兼ねている。そして隔壁としてレールの上を稼働する可動式商品棚だ。この動く壁が今現在の迷路のようなマップ構成の原因だ。


「私達、どこにいるの?」


「よくわからん」


 月刊ホームセンターに掲載されている今月のジョイトコ最新マップを見る限りでは、有花と日差彦は寝具街を抜けて収納家具街へすんなりとたどり着けるはずだった。しかしベッド売り場には二人の行く手を阻むように商品棚隔壁が高い天井までそびえ立っている。ベッド売り場から続く道は目の前でぷっつりと途絶えていた。


「ふざけたデモ隊のせいで緊急売り場区画変動が起きたんだ」


 日差彦はベッドに突っ伏してまた唸った。ジョイトコはセール商品特設売り場を月毎に新設する。その際に発生する区画変動に応じて、月刊ホームセンター毎号にセール予告も兼ねて最新マップを付録掲載している。そのマップと現実の光景とがあまりにもかけ離れていたのだ。


 有花は仰向けに寝っ転がりながらちょっとだけバッテリーが回復したスマホをタップ。スマホアプリ『ジョイトコ・ナビ』を起動する。瞬きする間もなくすぐにアプリは立ち上がった。


「アプリの地図もまだ書き換えられてないみたい」


 しかしジョイトコ・ナビのマップを呼び出してみても月刊ホームセンターの付録ページと変わった点は見られなかった。ベッド売り場に立ちはだかる大きな商品棚隔壁はアプリのマップに見られない。


「カートのナビ通りにここまで進んできてこれだもんな。まだナビのデータも更新されてないだろうな」


「つまり、私達ってさ……」


 言い淀む有花の声に、微妙な間を置いて日差彦が言う。


「軽く迷子、だな」


「軽く迷子、ね」


 そういえば。有花は腹筋運動でもするように上半身を起こし、ベッドだらけの周囲を見回した。平日の昼の日中だと言うのに買い物客の姿は見られなかった。誰もいない。従ってお客様の狩る接客応対ロボットもいない。


「誰もいないね」


「緊急売り場区画変動の時にトコ達がお客さんを避難誘導させてたよ」


「みんなホームセンターで迷子になってるのかな」


「程度の問題だな。正規の入店タグを持ってればこんな迷子なんてロボットが速攻で売り場まで案内してくれるって」


「悪かったわねー。ロボット用通路に案内されちゃって」


 と、正規の入店タグを所持していない有花。


「それはある意味羨ましいな。俺なんて次トコに捕まったら何買わされるかわかんねえよ」


 と、不審買い物客として攻勢接客の対象とされている日差彦。


 そんな二人の現状では接客応対ロボットの助けは期待できない。何としてでも収納家具街宅配ボックス売り場まで自力でたどり着かなければ。ごはんが待っている。


「ナビが役に立たない以上は自分で運転するしかないかな」


「でも道わかんないから迷子には変わりないよね」


「だよなー」


 仰向けに寝転んだ有花はホームセンターの高い天井へため息を吐いた。


「日差彦くん、お腹空いたー」


「はいはい、なんとかするよ。ねえ、有花さんって見かけによらずけっこう意地悪なタイプ?」


「んー、どうだろう。お腹空くと意地悪なコになっちゃうかも」


「はいはい、気を付けます」


「で、お腹空いたんだけど、ごはんまだ?」


 と、ふざけて笑う有花の耳に聞き慣れないハム音が飛び込んできた。


 ジョイトコ各モジュールにエンドレスで繰り返されるジョイトコ・オリジナルソング。その耳に焼き付くような音源に混じって重低音が近付いてきていた。その音は日差彦の耳にも届いたようで、日差彦はベッドに突っ伏していた姿勢からむくりと頭をもたげた。


「なんだ、このノイズ」


「これ、何の音?」


 二人は顔を見合わせる。あっと日差彦が何かに気付いた。この重低音は、大型化したドローンの飛行音だ。


「まずいな。有花さん、隠れるよ」


「隠れるって、どこに?」


 ここは寝具街のベッド売り場。実際にベッドに身体を横たえて寝心地を確認できる環境展示コーナーだ。この一画は見渡す限りあらゆる就寝環境が再現されたベッドが並んでいて、背後には天井まで届く隔壁商品棚が、行く手には可動式ショーケースがそびえている。


 寝台列車のコンパートメントのような背の低い仕切りはあるものの、ざっと周囲を見回しても影ができるような遮蔽物や身を潜められる展示商品棚は見当たらない。とっさに隠れるスペースなんて、有花には見つけられなかった。


 重低音のする上空へ目をやれば、いつも頭上を飛んでいる店内監視ドローンより何倍も大きな黒い影が真っ直ぐこちらへ迫ってくるのが見えた。


「何よ、あの大きいの」


 日差彦はごろりと身体を回転させてベッドから転げ落ちるようにして降り立った。


「いいからベッドの下に」


 言うが早いか、日差彦の身体はベッドの下に滑り込んで消えた。そしてにょきっと腕一本が伸びて、手首だけくいくいっと折り曲げて有花を手招きする。


 ちょっとベッドの下って、と有花は大型ドローンの黒い影と日差彦の手招きする手とを交互に見比べた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る