罪と罰  ~序

 空がある。青い、蒼いそらだ。ところどころ透き通るように色彩を変え、ふわりふわりと浮かぶ雲はもこもこと積み重なっているため綿菓子のような印象もあたえる。

 わたし―ナナキ・R=メティスは森を歩いていた。鬱蒼と茂る森ではなく、光も風も通るようななんというか、いろいろと足りないような感じもする森だ。星都クルアートメルフから直線距離にして300kmほど離れた場所にある。では何故わたしが森を歩いているかというと。それにはもちろん理由がある。なんの理由もなく森を彷徨う変な人だと思わないでもらいたい。

 前衛に立てない非力なわたしではあるが、一応武器は扱える。そのひとつが長さ40cm程の針だ。針、と言っても斬れるほどの鋭さがある。引けば剣、突けば槍、と言ったところか。いわゆる暗器のひとつで、本来ならば袖の下に仕込んで対象の懐に潜り込みぐさり、とやるわけだが。

 元々前衛、もしくは諜報に近い任の者が持つような武器だ。それほど長身でもないために油断した相手ならばそういう使い方も出来るが、わたしはどうも戦闘スキルに恵まれなかった。先日、活性化した悪鬼の制圧を依頼され、やる気もないアスラを引き摺ってそれに赴いたのだ、けれど。

 不意打ちボンバー!とか叫んできた悪鬼の一匹が放った攻撃を、わたしはこともあろうに針で受けてしまったのだ。本来ならば反対側の手に仕込んでおいた防御用の術式が掛かったナイフで受けるべきだった。

 当然というかなんというか、針は曲がり、わたしはショックで咄嗟に反対側の手に持っていたナイフで悪鬼を殴り倒した。依頼としては成功。報酬としては赤字。どう考えても赤字だ。ちくしょう。本当にありがとうございました。


 思考を無駄に巡らせながら歩いているうちに、森を抜けたようだ。一気に視界が広がる。

 眼下に広がっているのは今まで歩いていた森よりももっと薄暗い、無秩序に立てられた建築物の群れ。ふわりと風に乗って漂った香りは血と硝煙のにおい。人はこの場所をこう呼ぶ。

 「悪の咲き誇る場所」「憤怒の街」と。



 数年訪れていなかったようだが、街はそう変わりないようにも見えた。あくまでも、外見上は。

 裏で暗躍している勢力図がどのように変化しているか、残念なことにわたしにはわからない。まずは情報を集める必要がある。情報屋が生きていればいいんだけど。

 記憶を頼りに路地を進む。時折窓からうかがうような視線を感じる。他所者には基本的に更に厳しい街だ。目立つことは避けたい。少なくなった純血の人間を売買する組織もいると聞いたことがあって、わたしは今回身体全体を隠すような長いローブに、顔まで隠せるようなおおきなフードを付けた。

 視界が確保できないのは困るので、フードの内側には視野展開の術式を施しておいた。これで顔を俯かせていてもある程度周囲の状況がわかる。

 大通りに出て、一直線。突きあたりに派手な看板を掲げる店がある。店の名前はラーイ。「楽園」を意味する言葉が書かれていた。楽園、とはこれまた皮肉な。

 銃声や悲鳴が常に絶えないこの街は、【力こそが全て】だ。星都やそれ以外の都市では通用しないまた別の理で動いている。

 力を持ち、他を圧倒することこそが正義。力なく服従するものもあれば、容赦なく淘汰されるものもいる。数字と言葉が理の殆どを占めている星都とは大違いだ。いや、比較すること自体が間違っているような気もする。

 「楽園」に入ると、店にいた亜人やそれ以外のものの視線がいっせいにこちらを向く。他所者がいるということは既に情報が流れているようだ。

 わたしは視線を無視しながらカウンターへ向かう。バーテンは記憶と変わらぬ姿をしていた。


「やぁ、ずいぶんとひさしぶりだが憶えているか?」


 フードの下から覗いているだろう唇を薄く歪めて見せた。バーテンはちらりとこちらを見ると、はぁ、と溜息をつく。


「その声は厄介事を運んでくる声だなぁ」


 グラスを拭く手を止め、たくましく突きだした角を撫でる。やれやれ、と言った風情だ。カウンターシートに座ることなく、わたしは尋ねた。


「”教会ツェールコヴィ”に用があるんだが、修道女モナヒーニャは祈りをささげておられるか?」

「フン、教会はいつものように街を見下ろしておられるよ。あんなところに用があるってこたぁ、てめぇもクソ喰らえだ」

「お互い様だろう、わたしも出来るならば近寄りたくないが事はそうもいかないってことだ。生きてるならばそれでよし、死んでしまったのならだれも振り返る者はいない、そういうことさ」

「厭な渡世だねぇ……まぁ仕方ないか。教会になら奥を通って行きな。そちらが天国への近道だ」


 バーテンは指先で店の奥を示す。小ぢんまりした扉だ。軽く礼を述べて、わたしがカウンターから離れたその時だ。


「よぉ他所者。ここの礼儀を知ってるか?」


 酔っ払っているのだろう、頬が少し赤い。背丈は私の倍ほどある。獣人だろう。わたしは立ち止まらなかった。


「てめぇ、コラ!」


 掴みかかろうとしたでかい手を横に半歩ずれることでかわし、わたしは振り返らないまま言った。


「知っている。”此処”は騒ぎを起こす所じゃない、そのくらいはな」


 この「楽園」はこの街を仕切るいくつかの組織が認めた「中立地帯」だ。だからこそ情報屋があつまるし、時には集合場所にもなる。「此処」で騒ぎを起こすということは、それはつまり組織にたてつくということで、それは得策じゃない。わたしの言いたいことがわかったのか、獣人はぐぅ、と喉をならした。ざまぁみろ。

 わたしは静かに奥の扉を開き、その奥に身を滑り込ませた。



 その『教会』は小高い丘の上に建っている。穢れた背徳の都を悠然と見下ろしているようにも見える。

 教会の屋根には救世主スパシーチェリと呼ばれた人物が磔になっている。いや、正確に言うならばそれを模した鉄の塊だ。救世主はずっとずっと昔に磔刑に処されて死んだ。救済スパセェーニエを祈った救世主は人の手に拠って死んだ。つまりそれは、神と呼ばれた存在が最後に差し出した救いの手を自ら振り払ったのと同じ事で。それからほどなくして世界を取り巻く環境は一変した。

 めまぐるしく変わる世界を支える理、それを具現化した魔物や天候の変化。いま一番世界で猛威を振るっている理は「言葉」と「数字」だ。

 それを理解できないものが我先にと死んでいく。けれどしぶとく生き残っている者もいて。

 この街に居るものがその最たるものだろう。魔法と呼ばれていた理を使いこなすことが出来ず、もっとも単純で明確な理に沿って生きている。

 教会の重い扉をたたくより前に、ぐ、と押した。勝手知ったる身だ。


「ヘイヘイヘイ、教会に来たのは祈りにか? それとも懺悔にか?」


 奥から声がきた。黒い修道服を着た、一見修道女に見えるその姿は、その出で立ちに最も似合わないものを背負っていた。

 黒光りする鉄の塊、わたしはそこまで詳しくないがおそらく高威力を持つ銃器だろう。


「懺悔するほど清くないし、今更祈りをささげるほど愚かでもないつもりなんだが」

「善良な修道女モナヒーニャを愚弄するたぁいい度胸だ。ずいぶんと久しいねぇ、元気そうでなによりだ」


 懐から煙草を出して火をつける、その表情は不敵な笑顔だ。


「本当に善良なら煙草は赦されるのか?」

「全能なボークは赦してくれるのさ、人間なんてもんは失敗作だからな」


 ふぅ、と紫煙を吐きだすのがいやに様になっている。

 彼女の名前はカシマールと言う。悪夢を意味する言葉だ。それが本名かどうかは知らない。この街で本名を知られるということはすなわち死に繋がる。

 名前とはそれを表す「言葉」であり、またそれそのものでもあるから。


「で? 今日は一体何の用だい? 冷酷ジェストーコクチが何をやらかすか、ウチとしても放っておけないんでねぇ」


 冷酷と呼ばれたことに、違和をかんじない。この街に脚を踏み入れた瞬間に”そう”ならなければならない。でなければ己の身を削り、消えるしかない。


「修理を頼みたい」

「修理? ああ、アンタの得物かい?」

「ああ、ちょっと下手打ってしまった」


 懐から曲がってしまった針を取り出す。ぐんにゃりと曲がってしまった針を見て、カシマールはやれやれと言ったように顔をゆがめた。


「こりゃまた派手にやったもんだ。鍛冶屋クズニェッツに頼むしかねぇわなぁ」

「鍛え直しか?」

「そっちが早いだろうねぇ。作り直すって手もないわけじゃないが、馴染む前の得物はそれこそ両刃の剣に等しいからねぇ」

「そうか。では……いくらだ?」


 前もって対価を確認しておかなければならない。無理難題をふっかけられるより、金で解決できるなら御の字だ。


「まぁ……このくらいならゾロートでこのくらいかねぇ」


 カシマールは両手で杯を作って見せた。少々割高だが、手間賃を含めると相場相当だろう。

 わたしは右手を振って見せた。カシマールの両手の杯が金で埋まっていく。


「相変わらず見事なもんだ」

「そうでもない」

「おやおや、アンタでも謙遜するんだねぇ。こりゃ嵐がくるんじゃないか?」


 茶化してくるカシマールに、憮然とした表情を作ってみせ、軽く息を吐いて見せる。嵐なら毎日だ。いや、毎日と言わず毎分毎秒。アスラがいると騒動に事欠かない。

 何も言わず出てきてしまったが、アスラはいまどうしているだろうか。あいつのことだ、煩い目付がいなくなったのをいいことに、好きなように過ごしているのかもしれない。

 嗚呼、だめだ。苛々する。娼婦に囲まれて満足げに笑んでいるアスラの顔が容易に想像できてしまった。


「ずいぶんと消耗してるようだが、大丈夫かい?

 求めよ、されば与えられん。ゾロートさえ出すならいくらでも休んでいって構わないよ」

「いや、いい。それよりもどのくらいかかる? 依頼が立て込んでいるから、出来るだけ早いほうがいいんだが」

「そうさねぇ、まぁあのケツを蹴っ飛ばせば1日2日で出来るだろうね」

「そうか。では頼む」

「おやおや、もう帰るのかい。

 星都と此処を往復するなんてただの時間の無駄遣いさ。

 うろちょろされてなにかやらかされるより、目の届くとこに居てもらったほうが、んだけどねぇ」


 踵を返そうとしたわたしの前にカシマールが立ちふさがる。まぁ、彼女の言い分も解る。数年前、わたしが傭兵業を始めて少しした頃。この街で騒ぎが起こった。事態の鎮圧に乗り出したひとつの組織はそれなりに大きく、街全体を揺るがす騒動に結果的になってしまった。そして、その場にわたしはいたのだ。


「……心配しなくても、本当に今回は修理のためだけに来た。

 特にどこかから依頼が来ているわけじゃない」

「それは本当だろうさ。しかしね、連中もいるんだよ、冷酷ジェストーコクチ

 アンタが望む望まないに関わらず、この街には火種が燻ってる。

 小さい火花でも散ろうならそりゃもう大事さ。どこもかしこも大火事だ。アッチッチどころじゃないんだよ」

「……ずいぶんと迷惑なことだ」

んだ、教会ツェールコヴィの中に居な。それがアンタのためだよ」


 諭すように柔らかい口調のカシマールの弧を描く口唇の曲線にすら苛立ちは募る。


「降りかかる火の粉は払う。教会の庇護下に入るつもりはないし、ビジネス以上のかかわりを持つつもりもない」

「そうじゃない、のさ、冷酷ジェストーコクチ

 アンタが知ってる姿は既に過去だ、影は更に暗く深く、血は更に濃く澱み、屍の山は嘆きの川を埋め尽くした」

「……なるほど」


 詩編のようなカシマールの言葉だったが、わたしには嫌という程意味がわかってしまった。

 つまりはこうだ。

 この街の勢力図はわたしが知らないうちにかなり大きく書き換えられたようだ。以前は三勢力がそれぞれを牽制し合うことで不安定なバランスを保っていたが、三勢力のうちの二つが統合。残りのひとつを駆逐し始めた、というところだろう。

そしてなんとも間の悪いことに、わたしがそのタイミングでこの街に来てしまった。

 先程述べた通り、わたしは数年前の騒動に結果的に絡んでしまっている。


なのさ、冷酷ジェストーコクチ

 アンタ自身がそうでなくとも、


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