残酷な愛情表現とそれに付随したなにか


 草木も眠るとはよく言ったものだ。時折聞こえてくる虫の羽音や風の音以外はほとんど無音に近い。本業は今日はお休みだ。(とは言ってもほぼ開店休業に近い。そもそもここ最近は傭兵の仕事なんて皆無だ)


 かつての上司であり恩師でもあるネフラ様の口ぞえで月に4、5回ほど王宮の夜間警備ならびに結界の維持を担当している。

 この王宮には空に瞬く星々の動きをすべて把握し、理解し、それを表すことができる王がいる。この世界は文字と数字が絶対的な力を持つ。純粋な人間は……ほとんどいない。急激な気候や地殻変動が起こったのは数十年前。脆弱なたんぱく質の塊である人間には耐えられないものだったからだ。

 此処、星都クルアートメルフはそれほどその被害を受けなかった。同時に獣人や妖精などなど台頭してきた勢力も合わさって地方都市から主要都市になった。王が精力的に行ったのは人間の保護。このままでは滅んでしまうという危機感が蒐集にも近い勢いで大陸中から集められた。

 正直なところ、わたしもそのひとりだ。亜人類にはないものが人間にはあった。言葉や数字を的確に、正確に扱える。腕力や体躯では亜人類には叶わないが言葉や数字が絶対的な力を持つこの世界ではむしろ人間のほうが強いのかもしれない。


 まぁそういった理由でこの王宮付近の警護や結界は非常に複雑で頑丈だ。そしてそれを四六時中維持しなければならない。今回わたしがやっているのはいわゆる徹夜で数式や文章を保持し続ける作業で、もともと不眠に近い自分には暇で仕方ない時間を有効に使えるうえに小遣いまでもらえるというなかなかに美味しい話だ。


 しかしながらここでひとつ問題がある。当然と言うべきか、必然と言うべきか、わたしが頭を悩ませる元凶はほぼ相棒であるアスラに直結する。日中はいい。わたしが直接とまではいかなくともあの馬鹿の行動を制限できるし、なにかあっても見えるのと隠れているのでは大違いだ。ものすごく単純に表現するのならばわたしがいないところでなにをしているのかがわからずに不愉快極まりない。まったくもって気に入らない。あの馬鹿のことだ、監視するものも静止するものもいないことをいいことに好き勝手に行動するに決まってる。


 アスラは竜とのハーフだという。この世界では竜はかなりの上位精霊に近く、むしろ神にも等しい。私は省略してアスラ、と呼んでいるが本名は『アスラ=ドラクル・A・ナイイェル、えーと、なんとかかんとか』ええい、長ったらしい。わたしは前半部分の最初の方で記憶することをあきらめた。面倒くさいし。

 そのアスラのなにが問題かというと。ひとえにその外見の良さである。完璧な造形の肢体、きらきらと陽を反射して煌く月色の髪。鋭い瞳は竜の血をひいているからなのか、月の光のような神秘的な色彩をしている。薄く形の良い口唇から零れ落ちるのは鼓膜を優しく揺らす低い声。

 嗚呼、なにもかもがわたしとは違いすぎる。美しいものは3日で飽きるとか前人は言ったが、それはきっと間違いだ。毎日見続けている私でさえ、ふとした瞬間のアスラの美しさに息を飲んでしまう。

 いつも背に負われている大剣の手入れをしている指先の曲線だとか、アスラが偏愛している猫を撫でている時の優しく緩んだ頬のラインだとか。

 あああああ。思い出しただけで鬱になってくる。死にたい。


 もやもやとした漠然とただよう不安と不快感が体の奥底に澱のように溜まっていく。もしかしたらどこかで誰かといちゃいちゃしているのかもしれない。だってあいつは無駄に綺麗だからそこらを歩いているだけで声をかけられないという奇跡はまずおきない。むしろ娼婦をはじめ魅力的なエルフなどの女性が放っておかない。むかつく。そもそもわたしがいなくてもあいつはまるでなにもなかったかのように生活をするのだろう。少なくともあいつに手を差し伸べる女性はそれこそ星の数ほどいる。たまたまわたしが相棒としていっしょに仕事をしているからそれが実行されないだけで。


 どうぞ、という控えめな声と同時に目の前にす、とカップが差し出された。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


「……どうも」


 一応礼を述べると、いえ、と返された。

 共に番をしているが、名前と顔くらいしかしらない。元来わたしは口がうまいほうでもないし、饒舌でもない。思考の段階ではたくさんの言葉が出てくるがそれをいざ口に出すとなるとどう言っていいのかわからなくなる。

 その点、アスラとの会話は楽だ。投げられた言葉をそのまま打ち返してしまえばいいだけだから。 思考に沈んでいたせいか、視線に気付くのに遅れた。


「……なにか?」


 まじまじと顔を見られていた。たしか、えーと、タルゼ、だったか。

 不審な表情を浮かべていたであろう私に、タルゼはかすかに苦笑したようだった。


「その、アカデミーで聞いていたうわさとは違うと思って」


 すみません、と謝罪を述べたタルゼには、素直に好感をもてた。そして同時にそのうわさとやらに若干の興味を持った。


「どうせろくなうわさじゃなさそうだ」


 笑んでみると、タルゼがまとっていた緊張にも似た雰囲気が和らいだ。どんだけ酷い印象だったんだろうか、わたしは。まぁどうでもいいが。


「アカデミーに籍をおいていたら貴女の名前を耳にしますよ、必ず」

「それは驚きだ、そんなに悪名高いことを成したおぼえはないが」

「とんでもない、むしろ逆ですよ」


 即座に否定の言葉が返ってきたので正直なところ、吃驚した。恩師とはいえど鬼のように厳しかったかつての上司は一度も私に賞賛の言葉などくれなかった。むしろそのくらい出来て当然というような扱いだった。まぁ、たしかにアカデミーに入ってからずっと主席を維持したというのは自分でも頑張ったほうだとおもってる。が、それをひけらかすことはほとんどない。それは自分にとってはだと教え込まれてきたから。


 タルゼはやや興奮した様子でアカデミー内でまことしやかにささやかれているというわたしの噂を教えてくれた。事実が半分、虚飾が半分、といったところだろうか。


「実は毎回ものすごく緊張してたんです。臨時とはいえ貴女と一緒に仕事するということはアカデミーでは名誉に近いんですよ。ほぼ毎回変われと脅迫されましたが、断固!拒否しました」

「腕っ節でか?」

「ええ、まぁ」


 照れたように笑うタルゼは、笑顔になると目じりにしわがよる。それがなんとも純朴そうな印象を強める。もともと術式よりは武術メインの前衛人材らしい。術式によって形成される結界の補強目的で配置される前衛の人材。しかも王宮の中枢に近いということはそれなりに腕がたつのだろう。ちらりと全身を覆う鎧の端から見えた腕や胸元はしっかりとした筋肉に覆われている。


「うらやましいな、どうやったら前衛に立てるようになるんだろう」


 純粋な興味というか疑問だった。純血の人間だからなのか、生来のものなのか、残念なことにわたしは前衛に立てるほどの膂力に恵まれなかった。精々扱えるのは細身のナイフやオリジナルで作った針くらいだ。アスラが羽根のように扱うあの大剣もわたしは持ちあげることすらできない。

 タルゼの全身は見るからに重そうな鎧で覆われている。よく見れば若干瞳の色彩が人間のそれとは違う。タルゼも混血なのだろうか。


「その、俺の個人的な意見なんですけど、ナナキ様は」

「様とかやめてくれ、むしろこそばゆい」

「え、あ、その、ナナキ、さんは、かよわい女性だから後衛に居てくれたほうが、うれしいというか、安心というか、その、」


  熱でもあるんじゃないかと心配になるくらいタルゼの頬は赤かった。というかそれより。

 なんだこの妙にこそばゆい空気。え。なんだ、これ。えーっと。どういう反応がこういう場合は「正解」なんだろう。


「すみません!調子に乗りました!忘れてください!」


 深々と頭を下げると物凄い勢いで走り去っていったタルゼ。

 取り残されたわたしは若干困惑している。

 ……いまのは、一般的に言う「告白」に近かったような、気も、しないでもないような。いや、気のせいだ気のせい。そんなことあるはずないない。単に憧れが行き過ぎて若干ドリーム入ってるんだろう。うん。間違いない。徹夜仕事だからな、きっと正常な判断ができなかったのだろう。


 第一、わたしが「他人に好かれる、或いは好意を抱かれる」ということ自体が有り得ない。

 嗚呼、アカデミーの話などしたからいやなものを思い出しそうだ。駄目だ駄目だ、思い出すな。あんなものはもう過去で過ぎ去ったものでもう意味もなく時間という濁流に遠く遠く流されていったはずだ。忘れているのだから思い出されるはずもないのに、不快感と胸を抉るような痛みはいとも簡単に甦った。




 色彩の消えた光景。札束を数えるかつて父と母と呼んでいた人物たち。それは実の両親ではなく捨てられていたわたしを憐れんで拾ってくれた混血の亜人だった。やさしいひとたちだった。おさないころはたしかに愛情にちかいものをあたえてもらっていた。しあわせだった。けれどしあわせなんてそれがこわれてしまった時にしか気付かないもので、しかも壊れてしまえばもう取り返しのつかないところまで転がり落ちている。

 嗚呼、わたしは気付かなかったのだ。いいや、気付くのが遅すぎた。わたしは無知だった。かつてぬくもりに満ちていたその空間は恐怖で覆われ、そしてそれは薄汚い欲望に汚されて。


 『ありがとう』と最後に伝えた言葉は、きっと届くことはなかった。目の前に積まれた札束しか、その瞳には映っていなかった。嗚呼、おもいだしたくなかったのに。ずくん、胸の奥が鈍く痛む。思い出してしまった記憶はあまりにも重すぎた。


 とっくに冷えていたコーヒーを煽り、空を見上げる。もう東の空は白んでいる。あと10分もすれば陽が昇る。そうすれば今度は交代の術者がきて、わたしは帰宅する。帰ったら、お風呂に入ろう。うんと冷たい水風呂がいい。不愉快なほどに生ぬるいこの体温が気持ち悪い。いっそ冷え切って人形になれたらよかっただろうに。くそ。嗚呼、神様。貴方はどうして人間というものを滅ぼしてしまわなかったのですか。


 交代人員が来たことはすぐにわかった。必要最低限の引き継ぎを済ませ、わたしは足早に王宮を後にした。誰の顔も見たくなかったし、誰の声も聞きたくなかった。空腹を感じたような気もしたが、気のせいだと思い直す。空腹など元々感じるようには出来ていない。わたしはであるのだから。








 ざああ、湯船に水を張る音だけが響いている。それほど小さくはない浴槽に満たされていく透明の水。溶けることが出来たらいいのにな。もう面倒くさくなって浴槽に身体を沈めた。あ、そういえば服脱ぐのわすれた。まぁいいか。切るような冷たさは徐々に沁み込むように皮膚に馴染んでいく。蛇口を開いたままだから水かさはどんどん上がっていく。

 腰の辺りから腹、腹から胸、胸から首、と水が上がってきたところできゅ、と蛇口を閉める音がした。……わたし、閉めてないはずだ。手も足も、もう感覚がないから。


「……なにをやっている?」


 頭上から落ちてくる水と同じくらい冷たい声。低く、時に甘く響くその声は、なんとも美しい。まるで天上から響く喇叭のようだ。

 ふわふわとした意識のなかで顔を持ちあげられたことに気づく。白い肌、月色の瞳、この世に存在する全ての美しいものを凝縮して創られた竜の血を持つ、アスラ、だった。


「……?」


 質問の意味がわからなかったので、首を傾げた。頭の重みで身体が傾いてそのまま壁に側頭部をぶつけたが、痛みも感じない。


「私を見ろ」


 うるさいな、言われなくても見てる。そしていやになるほどわかってしまう。袖口からふわり、漂ってきた甘い香り。

 どうせわたしがいないことをいいことに酒場ででも遊んでいたんだろう。わたしと違って綺麗なアスラは誰からも愛される。そしてわたしはそれがとてつもなくおそろしい。愛されることのないわたしが誰からも愛されるアスラを、好き、だなんて。

 おそろしくて、とてつもなくこわい。わたしにはアスラしかいないのに、アスラにとってはそうではない。わたしの代わりなどいくらでもいるのだ。たとえばいまこの瞬間にわたしが消滅したとして、それでアスラに爪の先ほどの疵すらもつけられない。その決定的な事実が、私を壊していく。嗚呼、いいやもともと壊れていたんだ。壊れた人形は、歪な笑みを浮かべるだけでいい。


 ゆっくり、口唇の端を上げる。笑顔に見えるようにと練習した、その表情をつくりあげる。


「笑うな」


 柳眉をひそめてものすごく不愉快そうに言われてしまった。……では、どうしたらいいんだろう。


「貴様は人形ではないだろう。『人形』としての貴様は死んだのだ。2年前に」


 ざぶ、水のなかに腕をつっこまれ身体を持ちあげられる。冷え切った身体には、アスラの体温が炎のように感じる。おそろしい。このままわたしは焼かれるのだろうか。


「泣きたい時は泣け。笑いたい時は笑え。私に言いたいことがあるのならば言えばいい」


 言う?なにを?わたし以外の女のところへ行くなと?わたし以外の女の匂いを付けるなと?



 ―そんなこと。

 出来るなら、とっくにやってる。


「わ、た、しは、」


  震える口唇で、ようやく言葉を吐きだした。


「な、にもの、ぞんで、は、いけ、な、い」


 何も望んではいけない。望めばそれが叶わなかった時に絶望が更に暗さを増す。痛みを増す。

 そして。


「わたし、を、生か、しているおまえ、に、なにか、い、える、た、ちば、じゃ、な、い」


 アスラがいなければ、わたしは確実に今ここにはいない。それは事実だ。もらっている。口ではなんとでも言えるが、その事実は揺るがない。だからわたしはなにもかもを呑み込まなければ。こんな痛みなんてもう慣れている。


「言っていい」


 抱きしめられているその手が、ほんの少しだけ震えていることに、ようやくわたしは気付いた。


「言え。もっと望め。貴様はだ。人間は貪欲に出来ている。貴様は生きていていい」


 なにかが、あふれたきがした。

 ぼろりぼろり、こぼれていくあついしずくがあった。それが涙だと気付くのに、私は随分と時間を要した。


「……貴様が描いたアレは、私が求めていたものそのものだった」


 おそらく、わたしが最後に描いた絵を言っているのだろう。アカデミーを去る時に衝動のままに仕上げた、駄作としか言えない代物。


「……私から理想を奪うな」


 うつむかれた口唇からこぼれおちるのは、懇願だった。











 求めていたものはなんだったのだろうか。無条件に与えられるものだったような気もするし、滅多に与えられるものでもなかったような気がする。

けれど、すこしだけ。ほんのすこしだけ、それがわかったような気がした。



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