第2話 遠いあの日

 私は布団から飛び起き、日付を確認する。そう、4月1日だ。2016年4月1日。世間がエイプリルフールと浮かれるこの日に毎年見る夢。性質の悪い冗談だ、と言えたらいいのだけれど。


 結局8年前のあの日、私たち姉弟は海外へ出発しなかった。空港へ着いた姉は保田ほださんと電話をしていたが、通話中に電話の向こうから何かが爆発するような音が聞こえた。姉が必死に呼びかけると、保田ほださんは「こちらには来るな、状況が落ち着いたら連絡する」とだけ言って通話が切れてしまったそうだ。その後、保田ほださんには連絡がつかない。


 姉は安田さんに連絡を取り、保田ほださんの状況が不明なので出国を取りやめると伝えたが、安田さんは行くという。安田さんは現地の言葉もわかるし、遺跡の現場に行ったことがあるので土地勘もある、保田ほださんが泊まっているホテルの場所もわかるのでとりあえずホテルを目指すと言っていた。

「落ち着いたら連絡しますね、問題なさそうなら後から来てください」

 安田さんはそう言って飛行機に乗り込んだ。


 数日後、テレビでも断片的な状況が報道された。反政府組織が遺跡に見学に来ていた政府高官を襲撃して人質とした、軍部がクーデターを起こして反政府組織を攻撃した、人質になった政府高官は皆殺しにされたようだ。恐らく軍事政権が樹立されて反政府組織と内戦状態になるだろうと伝えていた。日本政府は現地にいる邦人の安全を最優先に状況を確認中であるとのことだった。


 保田ほださんが日本に帰ってきたのはそれから3週間後だった。連絡があったのは彼が日本に着いてから。彼の話によると、遺跡を襲撃したのは反政府組織なのか軍部なのかもわからず、遺跡の発掘は中止、調査隊は解散となって帰国した。調査隊に怪我人は出たが命に別状はないだろうとのことだった。


 安田さんは、安田さんの消息は不明だった。飛行機は問題なく現地空港に着いていたが、宿泊予定だったホテルへは来ていないという。遺跡の襲撃時点ではクーデターの情報は広まっておらず、軍部による戒厳令も出ていなかったため、移動に問題はなかったはずだが、足取りはふっつりと途絶えた。


 姉や保田ほださんの心境はわからないが、私は徐々に関心を失っていった。関連する情報がテレビで流れれば見たりはするが、安田さんとは空港で初めて会った人であるし、私にできることもないだろうと思っていた。

そう、翌年の4月1日が来るまでは。


 2009年4月1日、安田さんから電話があった。電話ではしばらくとりとめのない話をしていて、ふとこんな会話をしている場合じゃないと思いだした。

「安田さん、今どこにいるんですか? 空港についてから消息が不明だって聞いていたんですけど」

「今ですね、どこにいるのかわからないのです。空港についてタクシーに乗ったところまでは記憶にあるのですが」

「えっ、どこかに監禁されたりしているのですか? 周りの景色はわかりますか? 電話はどうやってかけてこられたのですか?」

「う~ん、ごめんなさい。わからないの、わからないの。あの、こちらにはこないのですか」


 目が覚めると姉に聞いた。

「安田さんの消息って何かわかった?」

 姉は少し悲しそうな顔をして首を横に振った。

「残念だけど空港を出たっきり行方不明のまま。ちょうど政情不安になったこともあるからしばらくして捜査は打ち切られたみたい」

「夢を見たんだ。安田さんと電話している夢で、空港からタクシーの乗ったところまでしか記憶がないそうで、今はどこにいるのかわからない。こちらにはこないのかって言ってた」

 姉は怒りの形相で私の胸倉をつかんで壁に叩きつけた。目からは涙が止まらない。何度も叩きつけながら低い声で言った。


「あんた、言って良い冗談と悪い冗談もわからないの」

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