廓の中 其ノ參

 お袖がくるわに来て、かれこれ十年の年月が経つ。

 その間にどれだけの女郎が死んだことか……やはりここは苦界なのだ。病気で死んだ女郎、自殺した女郎、逃げ出そうとして捕まり見せしめに折檻されて死んだ女郎。

 一番怖いのは客に無理心中させられた女郎もいた。人はひとりで死んでいくのは淋しい、それで最後に抱いた女を死出しでの道ずれにして、無理心中をしようとする客がいるのだ。女郎は客と寝ていても、いつ首を絞められるか分からない恐怖があった。ここはまさに生き地獄だった。

 そんな中で、この苦界で十年生き抜くのは並大抵なみたいていではない。

 御見世おみせでは器量良しで人気の女郎だったお袖も、そろそろ女盛りが過ぎようとしていた。お客の男たちは、次々と若い女郎たちに目がいく、客を取れなくなったら女郎はお終いだ。

 このまま年を取って客が付かなくなったら、さらに下級の女郎屋に売り飛ばされて、悪い病気に罹って死んでしまうのが落ちだ――。

 だが、そんなお袖に身請けの話が持ち上がった。

 両替屋の御店おたなのご隠居が、お袖の借金を全て返済してくれるという。隠居暮らしの慰めにお袖に妾奉公めかけぼうこうに来ないかと言ってくれている。

 女将も大いに乗る気で、お袖は年明けには廓から身を引く――。


 古い女郎たちは。

「お袖ちゃんはいいねぇ~旦那がついて……」

「ここから出られるなんて羨ましいよ」

「あぁ~あたいたちもお袖にあやかりたいもんだ」

 真っ白な水おしろいを刷毛で首に塗りながら、口々にそう言った。

 廓の女たちはこの世界でしか生きられない。――けれど人並みの幸せを掴みたいという希望も捨ててはいないのだ。けれど、この苦界から生きて出ていくことは難しい、身請けでしか大門の外へ出るすべはないのである。


 だが、身請けが決まってもお袖は実はあまり嬉しくない。

 両替屋のご隠居はお袖を縄で縛る、恥かしい体位や、淫らなことさせる。それはたとえ女郎といえども、女として耐えられない辱めであったが……花代はなだいを倍払ってくれるので、強欲女将は良い客だと喜んでいた。

 こんな、爺さんの寝所の相手をずっとさせられるのかと思うと身の毛がよだつ。お袖は両替屋のご隠居が嫌で嫌で仕方がなかった。

 ――実はお袖には好きな男がいた。

 三月みつきほど前から通ってくる客で、半次はんじという粋でいなせ遊び人風の男だが、遊廓の女たちにも人気があって、お袖は張見世はりみせで自分を選んでくれると嬉しかった。

 女郎というのは仕事で男に抱かれるので、ほとんど不感症である。

見知らぬ男に抱かれて、いけるほど女の性器は単純ではない。気持ち良さげによがり声を出すのも、絶頂に達した振りをするのも全て演技で、客を喜ばせるための、遊女の手練手管てれんてくだなのだ。

 ところが半次とは違う――。お袖は心底惚れて半次の女になっていた。

 女の扱いに慣れた男で、半次に抱かれるとお袖は夢心地で何度も本気でいった。客に惚れるのはご法度の廓だが、お袖はどうしようもないほど半次にぞっこん惚れて込んでいた。女郎に間夫まぶ(恋人)がいることが、御見世にばれたら厳しい仕置きをされる。

 間夫を作って、御見世を追放され、下級の女郎屋に売り飛ばされて、ぼろぼろになって死んだ女郎たちを何人見てきたことか……。分かっていても半次を想う気持ちはいつわれない。


 お袖は煙管きせるに火を付けると半次に手渡す。

 旨そうに紫煙をくゆらす半次の横顔を見つめながら、情事の後の汗ばんだ肌の火照りにうっとりとするお袖。――ふたりは床の中で腹這いになっていた。

「半次さん、好きだよ……」

 見惚れるほど、いい男の半次である。

 だが、もうすぐこの人と逢えなくなってしまう……と、考えただけで辛くて仕方ない。

「半次さん、あたい年明けに両替屋の隠居に身請けされちまうんだ」

 お袖の言葉に、半次はうつろな目でゆっくりと煙を吐いた。

「隠居の妾になったら、もうおまえさんとも逢えなくなっちまうよ」

「お袖……」

「嫌だよ! あんな爺さんのものになるくらいなら、いっそ死んだ方がましだ」

 お袖は半次の肩にすがって泣いた。

「おいらもお袖と逢えなくなるのは辛いぜぇ」

「半次さん、あたいと一緒に死んでおくれよ」

「馬鹿を言うな、死ぬくらいなら一緒に逃げよう!」

「――えっ!」

 逃げるって!? 足抜あしぬけしようという半次の言葉にお袖は驚いた。

 今まで、男と逃げて捕まらなかった女郎はいない。もし捕まったら、男は簀巻すまきされて川に放り込まれる。女郎には世にも怖ろしい折檻が持っているのだ。

「足抜けなんて無理だよ」

「お袖にはおいらがついてるさ」

「ほんとかぇ、あたいと逃げてくれるの……」

「おいらと一緒に上方へ逃げよう。そこで世帯を持とう!」

「しょたい……」

 その言葉は、女郎のお袖がとうの昔に諦めていた言葉だった。好き男に所帯を持とうと言われて、心底、お袖は嬉しかった。

「半次さん、ほんとにあたいを女房にしてくれるの?」

「おうさ! おいらの子をいっぱい産んでくれよ」

「その言葉。信じていいのかぇ?」

「嘘じゃねぇよ。お袖、おいらのお袖……」

 そう言って半次は強く抱きしめてくれた。信じられない言葉に、お袖は嬉しい涙が止まらない。

 何があっても、この人を信じてついていこうと心に誓った。


 そして、ふたりは遊廓の大罪『足抜あしぬけ』の相談を始めた――。

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