第五章
第五章(1)
中島さんの家にいた女の子の幽霊を霊界に送ってから二週間程が経った。ラップ音騒動以来、僕の周りで大きなトラブルは起きなかった。高瀬さんも津島さんも、僕が見た限りでは平穏な日常を送っている。物語として特筆することのないが、それを不満に思わない。おとぎ話の王子様に憧れるのはもう止めたのだ。たとえ高瀬さんや津島さんに大きな悩みがなくても、あの二人を劇的に救う場面が訪れなくても、僕は二人と過ごす普通の日々を大切にしたい。これからは現実世界での王子様になるのだ。
昼休み、高瀬さんと津島さんと一緒に、屋上で昼食を取ることになった。誘ったのは僕だ。さらに長田君と春日さんも参加して、五人で輪になった。
そして五人全員が昼食を済ませて、歓談している時のことだ。
「堤君。最近積極的に話してくれるよね。何かあったの?」
「そうね。ここ二週間くらいは、何でもないことでも話しかけてくれるわね。それ以前は用事がある時にしか自分から来なかったものだけど。何かきっかけでも掴んだのかしら?」
高瀬さんと津島さんから同時に疑問を投げかけられた。
「実は会長にアドバイスされた。多分僕は、君達を助けることばかり気にかけて、日頃は二人に対して消極的なんじゃないかって」
津島さんが不思議そうに訊く。
「自分でそう言ったんじゃなくて、そう見抜かれたの?」
「そう見抜かれた」
そして高瀬さんと津島さんが感嘆の声を上げる。二人の気持ちは十分に分かる。僕だって、会長の人を見る力に感心させられてばかりだ。僕のことを分かりやすいと言った津島さんでさえ、はっきりと察していなかったようだ。
「まあ……そう言われればそうね。それにしても会長は良いところに目がつくわね」
「それはそうと、僕が積極的になったことって分かりやすかったの?」
この僕の問いには高瀬さんが応じてくれた。
「それはそうだよ。あからさまに変わったもん」
僕はさらに質問を重ねた。こんなことを本人に直接訊くのは失礼かもしれないと思ったが、後学のために教えてほしいという思いの方が勝った。
「しつこくない?」
会長にも言われたことだ。がっつき過ぎるのは良くない。むしろかなり悪い印象を相手に与えてしまうだろう。その匙加減をまだ掴めていないのだ。
「いいえ。不自然なほどではないわ」
津島さんが答えて、高瀬さんも首肯する。
「そう。よかった」
このくらい二人とのコミュニケーションを図ればいいというわけか。これからも焦り過ぎないように、それでいて慎重になり過ぎないように頑張ろう。
そこで長田君が会話に交じった。
「そう言われてみれば、堤って俺にも結構話しかけてくれるようになったな」
それはそうだ。好きな異性しか相手にしないわけにもいかない。もっといろんな人と関わらないといつまで経っても成長しないだろう。それに、長田君は《幻の呪い姫》のことがきっかけで友達になったのだ。自分を変えることと関係なしに、彼とは仲良くしていきたい。
「まあ、友達だから」
「言ってくれるじゃねぇか」
そこで、高瀬さんと津島さんの視線があるところに集まっているのに気づいた。そこには春日さんがいる。いい加減僕も分かっている。彼女を仲間外れにするなということだ。確かに春日さんも全く関わりがないわけでもない。
とはいえ僕が春日さんに対して話しかけるということはまずない。これで友達と言ってもいいのだろうか。何か無理に相手を喜ばせようとしているようで気持ち悪い。
「春日さんは友達の友達だから」
その瞬間、高瀬さんと津島さんの視線が僕に対象を変えた。二人とも目を細めて、僕に向ける眼差しを鋭く削っているようだった。
「私も堤君とはそうかなって思うから……」
春日さんの助け船のお陰で、僕は千枚通しのような視線から解放された。
それから高瀬さんが訊いた。
「そういうところは相変わらずだね。演劇部はうまくやってるの?」
「うん。うまくやってる」
今のところ、演劇部にはちゃんと溶け込んでいる。練習は真面目に取り組んでいるし、先輩の言うことはよく聞いている。自分から話しかけることは多くないが、だからといって会話が成り立たないこともない。
「そうみたいね。真美ちゃんがそう言っていたわ」
やはり八坂さんは僕のことをたびたび津島さんに話しているようだ。
「堤が演劇部に入るって言った時は、正直心配だったんだが、結構頑張ってるようだな」
「それはもちろん」
長田君にも感心された。日頃努力していることを褒められるのは悪い気がしない。
そこで津島さんが微笑みながら告げる。
「その調子で、私か高瀬さんに見合った王子様になってみなさい」
僕は頷いた後、春日さんが妙に顔を赤くしているのに気づいた。僕がそちらに振り向くと、彼女は俯いてしまった。一体何なのだろうか。
「どうしたの? 言いたいことがあったら言って」
すると、春日さんはおぼつかないながらも話し始めた。
「あの……堤君が高瀬さんや津島さんのことを……好きだっていうのは知っているけど、どうしてそんなに堂々としているの?」
「そうかな。よく分からないけど」
普通は、好きな異性の前ではもっと緊張するものだろうか。長田君は春日さんの相手をするのに緊張しているようには見えないが、それは幼馴染だからであって、この高校で出会ったばかりならばこうも自然に話せないものだろうか。
それから春日さんは津島さんに問いかけた。
「津島さんだって……堤君に好かれてるの分かってて、王子様になってみなさい、なんて言えるのはすごいね。そんなこと当たり前に言えるなんて」
全然まとまっていないが、春日さんが言いたいことは何となく分かる。確かに、自分のことを好いている相手に、自分のことを好きにさせてみなさいと挑発するのは、やはり異様な光景だろう。僕だって違和感を覚えているのだ。
「そうね。相手が堤君じゃなければそんな話していないわ。でも、堤君が必死になっているのを見るとね、なんだか応援したくなるの」
どうだろう。津島さんは僕を異性として見ていると捉えるべきか、それともやはり世話の焼ける弟のような存在としか見ていないと捉えるべきか。
「そうだね。あたし達、堤君の願いとか悩みとか聞いてるから。だから尚更、いろいろ教えたくなっちゃうというのはあるかもね」
高瀬さんもどっちだろうか。いや、今はそんな答えを求める時ではない。これからの生活を大切にしていけば、答えは自ずと見えてくるだろう。
「そういえば……」
春日さんが息を呑み、高瀬さんをじっと見つめる。その様子に高瀬さんは首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや……これは……」
依然春日さんは何か言いたそうに口を開いているが、言葉が紡がれない。高瀬さんは苛々することなく春日さんに優しく話しかける。
「いいよ遠慮しないで。何かあるならどんと訊いて」
飛び込んで来いと言わんばかりに、高瀬さんは自分の胸を叩く。すると春日さんは首肯した。
「うん……。その、キス……したことは……どう思ってるの?」
「誰と誰のこと?」
「高瀬さんと……堤君……」
世界が終わった気がした。何を呆けて聞いていたのだろう。高瀬さんとキスと言えば、姉さんと交霊した時のことを指しているに決まっている。高瀬さんに憑依した姉さんが僕にキスしてきたことは、春日さんも目撃したのだ。
高瀬さんはまだ状況を理解していないようだ。
「あれ……中島さんの家のことって話したっけ? でもあれはキスする寸前であって、キスしてなかったよ」
高瀬さんが気付く前に、ここから逃げてしまおうかとも思ったが、それでは何も解決しない。あのことを知られてしまうのも時間の問題だ。腹を括るしかない。
「どうもすいませんでした」
僕は高瀬さんに向かって土下座をした。
「何が……えっ……何の話?」
今は頭を下げているので、高瀬さんの姿は見えないが、彼女の慌てている様子は容易に想像できる。もう自分から言ってしまおうかと思った矢先、高瀬さんが声を上げた。
「ああああぁぁっ! あの時か!」
どうやら高瀬さんは理解したようだ。さて、足が地獄に着いてしまった。
「どうして? どうしてそれを言ってくれなかったんだよ?」
「高瀬さん。周りに人がいるでしょ。堤君も頭を上げなさい」
そう言われて僕は辺りを見回した。高瀬さんの大声により、関係のない人がみんな僕達を注目していた。高瀬さんは立ち上がっていたようで、周囲の視線を一通り確認してから、ゆっくりと腰を下ろした。それから僕を睨みつける。
「だって、堤君キスしたことないって言ったじゃない。あれは嘘だったの?」
周りに聞こえないように小声で言っていたが、高瀬さんの焦っている様子は彼女の表情と抑揚から手に取るように分かる。
「嘘でした」
まさかこの局面で、高瀬さんも僕が嘘をつくべきだということに賛成していたことを指摘できないだろう。裏目に出ることが分かり切っていることをしなくても十分危機的な状況なのだ。
「じゃあやっぱりあの時白川さんが……あたしの身体で……」
こうして高瀬さんが項垂れてしまった。さらに怒ってこないのが逆に怖い。何か慰めの言葉をかけようと考えていたところ、長田君が訊いてきた。
「あのこと、高瀬は覚えていないのか?」
「うん。高瀬さんだって、幽霊が憑依している間の記憶はないらしい」
「えっ、うそ……。覚えてなかったの……」
春日さんもそのことを知らなかったようだ。そういえばトランス状態時の記憶がないことは、長田君や春日さんに説明されていなかったような気がする。というか知っていたら、現在こんなことにはなっていないだろう。
「ファーストキスだったのに……」
高瀬さんはそう呟くと、勢いよく立ち上がった。
「うわぁぁぁぁぁああああああん!」
そして喚きながら走り去ってしまった。おそらく泣いているだろう。嘘なんてつかなければよかった。高瀬さんに悲しい思いをさせてまで、自分を変えようとは思えない。
続いて津島さんが腰を上げ、「心配だから見に行くわ」と言って屋上を後にした。僕と長田君と春日さんがその場に取り残された。
「ごめん……なさい……。まさか覚えていないとは思ってなくて……。でも、あの後高瀬さんがすごく普通に振る舞っていたから……どうしてかなって思って」
春日さんまで泣きそうになっていた。高瀬さんは今僕が何を言っても無駄そうなので、とりあえず目の前にいる春日さんだけでも何とかしよう。
「春日さんがあんなことを訊くのは意外だったけど、君は悪くない」
春日さんを責めるわけにはいかないだろう。彼女からしたら、疑問を解消しようとしただけだ。今回のことで一番悪いのは、どう考えても、嘘をついた僕だ。あの時正直に話してしまえば、高瀬さんへの衝撃はいくらか和らいだかもしれない。しかし高瀬さんに嫌われることを避けようとしたばかりに、僕は高瀬さんの悲しみを倍増させてしまった。これは最悪の事態を想定しなければならないだろう。
「これは僕の所為だ。春日さんは気に病まなくていい」
僕がそこまで言うと、春日さんは首肯した。まだ責任を感じているかもしれないが、納得はしてくれたようだ。
「とにかく俺達もここから出ようぜ」
依然として、周囲からの注目は止んでいない。これ以上和やかに居座るわけにもいかないだろう。長田君の提案通り、僕達はてきぱきと後片付けをして、屋上から出て行った。
教室に戻ると、高瀬さんが机に突っ伏して、津島さんが彼女を宥めているのが見えた。クラスの女子が「堤が何か悪いことしたんでしょ」と言って来たので、僕は肯定しようとしたが、その前に津島さんが、自分の所為だと言って僕を庇った。それから僕は自分の席から高瀬さんを見守ることしかできないまま、昼休みが終了した。
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