第87話
「まずはァ! ……《オバル街道》をぉッ! 真ぁっ直ぐ、北上する。ふつうの馬車でさえ、かなりの速さで移動できるから……なァ!」
ハギルが、ハガルに扮装したまま大きく跳び退り、そう言った。
「ハガル! それはいいのですけれど! ……大丈夫なのですかっ?」
オルレイウスは少し離れたところから、そう声をかける。
市外にはそれほど背の高い建造物は存在しないようだった。
遠くまで見渡しても、一階建てを越えるような建物の姿は見えない。
代わりに太い並木が河沿いの道に植えられており、また、建物を囲うようにオルレイウスの背丈ほどの壁があるおかげであまり見通しは利かなかった。
建物と建物の間隔も市内に比べればかなり広く、路地といえるほど狭い道もない。
だが、背が低いわりに敷地の広い建物が多い。
ほんのりと獣の臭いが漂っているし、馬のそれのような嘶きも壁の向こう側からも、眼の前からも聞こえていた。
「なにが、……だあッ?」
ハガルは、彼の頭上を風鳴りを上げて通り過ぎる角を、腰を屈めて避ける。
「いえ! 僕も、あなたの腕前は承知しているつもりですけど!」
「なら、ちぃっと! 待っとけ! ……コイツらぁ、一遍ッ……こうしとかにゃあ、ならねえンだ!」
先端に輪を作った二本の縄を振り回しながら、ハガルは器用に跳んだり跳ねたり、宙返りしたりしながら、オルと会話を続ける。
「毎回、このようなことをしているのですか?!」
「ああ……っと! コイツらぁ、憶えが悪ィうえに、
そこで、ようやく、ハガルの試みは成功した。
《
彼が、思いっきり縄を引くと二頭の角がぶつかり合い、金属音とは異なった響きのない鈍い音を奏でる。
『イイイイィィィィッ!!!』
馬の嘶きよりも甲高い悲鳴が、すらりと伸びた首の奥から流れ出す。
「コイツらの角は堅ぇ! だけどなぁ、頭蓋に直でつながってンのよォ! ……血ぃ上ってるとこによォ、頭の骨を直でぶっ叩かれりゃあ、弱るわなあッ! そこを、こうすンだ!」
小柄なハガルの肉体が、まるで影を置いてきぼりにするように素早く駆ける。
ふらついた二頭の巨体が、角に繋がった縄に引かれてよろめきながら並木のうちのひと際立派な一本へと向かう。
がつんっ。
そんな音と伴に、鋭い二本の角の先端が一本の木の幹へと潜り込んだ。
ハガルは手早く、二本の角と一抱え以上はありそうな二頭の首に余った縄をぎゅるぎゅる巻きつけて幹へと固定した。
「いっちょ上がりだ。……こうしとかにゃあ、コイツらぁ、暴れて角を折っちまうンだ」
――一見、美しい生物だとオルレイウスは思った。
太いが引き締まった体から伸びる細く長い四肢は、馬のそれよりも長く、真っ白な長毛に覆われている。
鍛えられたというよりも、磨かれた彫刻のような曲線を描く筋肉は、白い毛並みによく映えた。
だが、一歩でも近づけば、その巨大さと猛々しさが見る者を捉える。
細長い四肢よりもより一層長くて鋭利な角は、それに貫かれた姿を否応なく想像させる。
巨大な体躯と、地面を打ち削る、巨大な蹄。
獲物にかぶりついた肉食獣さながらの、首を左右に振って、角で幹を
なによりもこの《
碧色の瞳を持ったそれが、大きく見開かれ、ずっとハガルへ視線を注いでいる。
「なッ? 大人しくなったろ?」
ルダニスに扮装したルドニスに
オルは、二頭の美しくも獰猛な《
区画としては第八区になるというこの場所も、《一角獣》の怒れる瞳と嘶きを別にすれば、静かなものだ。
「さて、話を戻すぜ。…………どこまで話した?」
「《オバル街道》を往けば、通常の馬車でも、かなりの速度が出るというところまでですね」
「ああ、そうだったなァ。……それでも、てめえも知っての通り、馬車じゃあ《オクトダラス》まで、急ぎでひと月ちかくかかっちまう」
オルは頷き、さらに離れたところで荷造りに勤しむリザルとリシル、そしてルクレシアをちらりと見た。
第七区に入ったあたりから、すこぶる機嫌の悪いルクレシアのためか、彼らは無言を貫いていた。
ルダニスとマイヤーズが、大きな
「もちろん、今回は《オクトダラス》なンて行かねえが、《アブノバ鉱山》までの距離は似たようなモンだ。だから、かかる時も同じようなモンだと思え」
「この《一角獣》の馬車なら、どれだけの速度が出るのですか?」
「コイツらぁ、《
「無茶苦茶な生き物ですね。しかし、それなら、ずいぶんと早く目的地に辿り着けますよね? ひょっとして何度か昼夜兼行すれば、六夜とか七夜程度でも着けるのでは?」
なにせ、彼らに与えられた時間は二か月を切っている。
そして、オルは友人たちを捜す時間を捻出したかった。
オルが期待の眼差しを向けるとハガルは緩く首を振った。
「だが、んなことすりゃあ、いくら《オバル街道》走ってたって、嬢ちゃんらのケツが先にイカれちまわァ。……それと、《アブノバ鉱山》に着く前にやっときたいこともある。……《オバル街道》から少しばかり西に外れた属領都市――《カビローナム》に寄って、《
「……では、実際には、どのくらいかかるでしょうか?」
「《カビローナム》まで、そこそこに急いで十ニ、三夜。できれば、十夜ぐれえで往きてえなあ。……そっから、《アブノバ鉱山》まで、俺の脚で一昼夜ほどだが。甲冑なんぞ着こんでる
「片道半月なら、余裕じゃねえか?」
その声に後ろを振り返れば、いつのまにか近寄って来ていたルクレシアが立っていた。
彼女の陰に隠れるようにして、きょどっているリザルもいる。
リザルの視線を追うと、積み上げられた荷の傍でマイヤーズとルダニスに話しかけるリシルがいた。
ルクレシアを見て、ハガルは大きなため息をひとつ。
「ばかッ。道中なにがあるかわかったモンじゃねえだろうが? だいたい、てめえら《アブノバ鉱山》に行ったこたぁ、ねえのか?」
「オレはねえ。……リズもねえはずだ。オレたちは、《下級》だからな」
ルクレシアがちらっと背後のリザルの鎧姿を窺って答えた。
リザルは未だハガルに怯えているようで、ルクレシアの陰から出て来ない。
「だけど、それがなんか問題か?」
「……いいか? 《アブノバ鉱山》はでけえンだ。辺りを探んのに、並みの《工兵》で三夜から五夜はかける。俺でも、丸っと一夜はかける。さらになあ、坑道に入るとなりゃあ、また一苦労だ。長ェ穴なら、数マイルから十数マイル。先に進めば、別の穴にも繋がってるだろうさ。しかも、真っ暗闇の狭ェ坑道だ。出たり入ったりになンだよ。一夜二夜で終わるわきゃあねェだろうがよォ」
「……いちいち、うるせえチビだなぁ……」
「ああん?! てめえ、今、なんつったッ?!」
オルは慌てて、ハガルとルクレシアの間に跳び込む。
「それでっ! ――どの程度を見ているのですか?」
「……そりゃ、くだんの坑道の長さによらぁ。第二十なんぼだ? ……とにかく、半マイル以下で、ほかの穴にも繋がってなけりゃ、一昼夜ぐれえでなんとかなるだろうが?」
「資料館の資料を参考にすれば、第二十七坑道は、おおよそ一マイル。ほかの坑道に繋がっていたかどうかは、定かではありませんが」
オルは資料館にあった大まかな坑道の断面図を思い出していた。
あの資料には概算ではあったが、坑道それぞれの長さも書き込まれていた。
オルの言葉に、ルクレシアの陰から疑問の声。
「だ、だけど、オルくん。それは、いつの資料だったの?」
「確か……三か月ほど前の資料だったような」
「……そそ、そうすると、もうちょっと延長している可能性が高いし、ほかの坑道にも繋がってると思う。……《アブノバ鉱山》が休鉱になったのは、ひと月と少し前のことだから。……あそこは、いくつもの坑道を繋いで、広範囲をひと息に水で崩すものだし。……現地に行けば、最新の坑道図があると思うけれど」
「なるほど」
オルがひとつ頷いて、リザルからハガルへと視線を移すと、彼は腕を組んで興味深そうにリザルを見ていた。
「まあ、繋がってる穴にもよるが、厄介ってほどでもなさそうだなぁ」
「どの程度、延長されているでしょうか? それに、ほかの長い坑道に繋がっていたら?」
「長ェ坑道っつっても、どこをどう繋げるかは、
そこで、ハガルは少し考えるようにする。
静かになったなと、ふと、オルが二頭の《一角獣》に目やると、先程まで暴れていたはずの《一角獣》が大人しくなっている。
ハガルが改めて口を開く。
「まあ、短くても二夜。長けりゃ、五夜かそれ以上だぁな。長引いても、二十夜以上は坑道なんかにゃいたくねえ。闇ってェのぁ、体より先に、こっちの心に来るモンだ。……幸い、灯りは、嬢ちゃんがいる。《祈りの炎》ってーヤツがある……が、それにずっと頼り切りってワケにもいかねえし」
「灯りについては、僕も少々備えがあります」
「そうかぃ。……まあ、細けぇこたァ、道々だな。《カンビローナム》に着きゃあ、まあ、準備もできンだろ」
そこでふうっ、とハガルは一同を眺める。
いつのまにか、リシルもルダニスも荷積みを終えてハガルの話に聞き入っていた。
「往きと探索で、まあ、ひと月ちょいと俺ぁ見るね。その代わりといっちゃあ、なんだがよォ、帰りは急げるだろうさ。……最悪、手に負えねえ事態にブチあたっても、逃げて帰りゃあイイ話だ」
そして、ハガルはオルを見る。
ほかの皆の視線もオルに注ぐ。
「……それでは、出発しましょうか」
そうして、オルレイウスたち六人の〈
おかしな扮装はしているが、平常通り手練の《盗賊》と《狩人》。
幼く世間馴れしていないが、実力は確かであろう《神官》。
どこか不機嫌そうな《軽装槍兵》と、どこまでも怯えた《重装僧侶》。
そこで《魔法剣士》のオルは小さな懸念に捉われた。
マイヤーズは、ハガルとルダニスのことをどのように認識していたのだろうか――?
だが、《一角獣》はハガルへの恨みを思い出したとでもいうように、オルの懸念とマイヤーズを置き去りに、荒々しく《オバル街道》を一目散に駆け抜けるのだった。
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