第85話
「こちらが、ミアドール様のギルド登録証となります。……それでは、新規パーティー名をこちらにご記入ください」
提出した一通の書簡とリシル以外の身分証を一瞥しただけで、羊皮紙を一枚と《下級冒険者》の身分証を差し出した老年の《冒険者ギルド》の職員からそう言われて、オルレイウスは呆気に取られてしまった。
高い吹き抜けの天井は、いくつもの尖塔の内側へと伸びあがり、まるで蜂の巣の裏側のようにも見える。
尖塔の所々に空いている窓から落ち込む光は、かなりの高さから差し込んでいるために、一階には直接届かない。
資料館が森ならば、ここはさしずめ水の底だろうか。
そして、ほかの《冒険者ギルド》とは大きく異なり、ここでは酒を飲むような者はほとんどいないらしい。
誰もがどことなくせかせかと気忙しく動いていて、立ち止まっている者はほとんどいないように見えた。
今、この水の底のような《冒険者ギルド》本館で停止しているのは、オルひとりぐらいだろう。
呆気に取られたまま羊皮紙を受け取ろうとしないオルに、初めて職員が書類から目を上げた。
「《中級冒険者》オルレイウス様の名義で受諾された依頼を、本人を含む新しいパーティーで受諾し直すのでしょう? なにか、問題でも?」
「……いいえ」
オルは大人しく、笑顔で頷く職員から羊皮紙を受け取った。
最初にオルを応対した若い職員が、カウンターの奥からちらちらとこちらを窺っている。
――やはり、舟の上で、アマリアの言っていたことは正しいのかもしれない。
そう、オルは考える。
小一時間ほど前、《ダンの酒場》に現れたリシルの姿に、誰よりも反応したのはアマリアだった。
「――《アルヴァナ大神殿》の神童?! リシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドールっ??!」
巨乳を揺らして立ちあがったアマリアに名を呼ばれたリシルは、その巨乳の動きに唖然としながらも、オルやハギル、ルドニスを見て少し安心したように笑みを溢した。
「オルレイウス。ハギルさんに、アーナさん。……それに、そちらにおわしますは、《陽神アプィレスス》様の御寵愛をお受けになられるアマリア・ラングバル様ですね?」
リシルの問いかけに、放心しかけたアマリアが息を吹き返す。
「……ごめんなさい、失礼だったわ、ミアドール様。……それに、私はもう《ルエルヴァ神官団》の《アプィレスス大神殿》系列から除名されておりま」
「姐さん、あのちんちくりんがなんだってんだよ?」
ルクレシアの問いかけに、彼女を諫めるように卓に乗り出したのは、リザルだ。
興奮した様子で、オルを挟んでルクレシアに語りかける。
「……あああ《アルヴァナ大神殿》で、まままだ十二歳なのに、ここ《高位司祭》相当に任じられているひとだよ……《最高位司祭》様の秘蔵っ子……」
「よくわからねえけど、なんで、そんなのがこんなとこに来んだ?」
リザルに首を傾げられて、ルクレシアはオルを見た。
オルは、まさか、と考えながらハギルを見る。
「あの
「待って、ハギル! ミアドール様は《冒険者》ではないでしょう?! それが、どのような」
「俺もロっさんから、嬢ちゃんが入るって聞かされただけだから、知らねえよ」
「サルドーラム様が?! ……いえいえ、待って? いかに《奇才》サルドーラム様といえども、《アルヴァナ大神殿》にまで」
「よろしいでしょうか……?」
リシルが長い銀髪を揺らして、とことこと戸口からオルたちの卓へと近づいてくる。
そして、皆に軽く会釈すると、手に持っていた羊皮紙をハギルに両手で差し出した。
「わたくしも、理解が及んでいるとは、とても申し上げられないのですけれど。……こちらの書簡を《冒険者ギルド》に提出するように、申し遣っておりますの」
「あん? 俺ぁ、字が読めねえンだ。……オル」
ハギルの言葉にオルは、リシルから差し出された封をされた手紙へと手を伸ばす。
オルの手許に収まった手紙を横からルクレシアとリザル、さらにアマリアまでが覗き込む。
確かに、宛名は《冒険者ギルド》になっている。
裏返すと差出人の名が記載されていた。
「……ライオス・レンス・メプロバスト……?」
オルが読み上げるとほぼ同時に、リザルの鎧の奥でごくり、唾を飲む音がした。
アマリアの顔色がまた変化する。
「……なぜ、《準位最高司祭》様が、このような」
「とにかく、だ」
アマリアの言葉を断ち切るように、ハギルが宣言する。
「オル……これで、てめえの仲間は揃った」
オルは、リシルを見、リシルを見ているルクレシアとリザルを見て、最後にハギルとルドニスを視界に収めて、曖昧に頷いた。
《ダンの酒場》から出ると陰気そうな顔をした大柄なふたりの《神官》がオルたちを待ち構えていた。
リシルによれば、彼女の送迎をするために足を運んだのだそうだ。
言わば、彼女のための護衛なのだろう、とオルは理解した。
《冒険者ギルド》へと向かうために、オルたちは一時、三手に別れた。
ハギルとルドニスは徒歩で移動するというので、リシルと護衛の《神官》ふたりがひとつの舟に、残りはもうひとつの舟に乗り込んだ。
アマリアが先を行く舟の上を見ながら、小声で話し始める。
「オルレイウス? あなた、《準位最高司祭》様……あるいは《ルエルヴァ神官団》に強力な縁故があるの?」
オルは首を傾げ、そして横に振った。
「リシルとは、共に旅をした仲ではありますが?」
「そうなの? ……それは《妖鳥王》討伐の? …………うーん。でも、やっぱり解せないわ……」
そう呟いて、腕を組んで巨乳を持ち上げるアマリアに、ルクレシアが疑問を呈する。
「姐さんよう、あのちんちくりんがオレたちの仲間になるのが、マズいのか?」
「……いいえ。決してそうではないけ」
「とと、とっても自然とは言い難いよね」
リザルがオルの影に隠れるようにして、もうひとつの舟に乗るリシルを見て呟いた。
そのリザルの息は、なぜか荒い。
「《冒険者》ではない
「そそ、そこだけじゃないよ。……るる《ルエルヴァ神官団》の指導者の秘蔵っ子のあのひとが、しかもメプロバスト様の書簡を携えて、っていうところが、もの凄いことだよ?」
「《高位司祭》相当の《神官》というものは、それほど重要な地位なのでしょうか?」
オルとリザルの会話を聴いていたアマリアが口を挟む。
「オルレイウス。あなたは、《ルエルヴァ神官団》――七つの《大神殿》とその系列について、それほど知ってはいないようね?」
「《世界を治める七神》の名を冠する《大神殿》が存在することと、《冥府の女王》、《陽の神》、《夜の女神》、そして《純潔の神》の信奉者たちが多いということ……という程度でしょうか」
アマリアはオルの言葉に真剣な表情で頷いた。
「間違ってはいないけれど、十分とも言えないわね。でも、《神官》ではない人たちの印象はそんなところだとも思うわ。……一般的に《神官》と呼ばれる《ルエルヴァ神官団》の内部にも序列が存在」
「いい、一番偉いのは《アルヴァナ大神殿》の《最高位司祭》様だよ。《神官団》を指導されているんだ。そして、次に偉いのは、ふつう《大神官》って呼ばれる六人の《大司祭》様と、一人の《準位最高司祭》様なんだ。《準位最高司祭》様を含めて、《七大神官》とか言ったりもするけれど。《アルヴァナ大神殿》以外の六つの《大神殿》を、六人の《大司祭》様たちがそれぞれに率いているんだ」
アマリアの言葉にかぶせるようにして、リザルが説明に参加した。
「別に、《高位司祭》相当さんっていう人は少なくないと思うよ。もちろん、《助祭》さんや《司祭》さんよりはずっと少ないけれど。その上の《高位司祭》様になると、たぶん二百人もいないだろうし、もうひとつ上の《監督司祭》様になると、ひとつの《大神殿》にふたりずつしかいないけど」
「では、なにがそれほど不自然なのですか? 《神官》でも《冒険者》として活動する者はいるのでしょう?」
「ちち、違うんだよ、オルくん! あの子は違うんだ! ……ねえ、お師匠?」
オルの質問に、リザルの兜がアマリアのほうを向く。
どうも、リザルではうまく説明できないようだ。
アマリアもまた少し困ったような顔をする。
「ええと、そうね。なんと言えばいいのかしら。……《最高位司祭》様に近い《神官》が、俗世に積極的に関わるようなことは、あまり無いのよ」
「俗世、ですか?」
「ええ。がっかりするかもしれないけれど。一般的に《ルエルヴァ神官団》の内部においては、《冒険者》や《兵員民会》の、なんというか、修羅場に関わることは歓迎されていないわ」
「高位の《神官》は、戦闘や政治には参加しない。……そういうことでしょうか?」
アマリアはちょっと渋そうな顔をして頷いた。
そして、声を落として説明を続ける。
「もちろん、そういう人ばかりではないのよ? ただ、《ルエルヴァ神官団》――《七つの大神殿》も一枚岩ではないの。そして、現在の《アルヴァナ大神殿》も一枚岩とは言えないわ」
「《アルヴァナ大神殿》の内部で、確執があるということですか?」
「確執、というほどではないのだけれど」
そこでアマリアは一層、声を落とす。
「……とにかく、《アルヴァナ大神殿》にだけ存在する《準位最高司祭》という官職は、六人の《大司祭》と同等視されるのだけれど――現在の《準位最高司祭》様――メプロバスト卿は、噂の絶えない人物なの」
オルにも、それとなく《ルエルヴァ神官団》の構図が飲み込めた。
つまり、《ルエルヴァ神官団》にはおそらく《大神殿》の数だけ派閥が存在するということなのだろう。
そして、いわば第八の派閥の首魁としてライオス・レンス・メプロバストという人物が存在するのではないか。
ただ、オルにはもうひとつ気になっていることがあった。
「……ちなみに、アマリアさんは《アプィレスス大神殿》に所属していたのですか?」
「直接、というわけではないわ。私の師だった方が《アプィレスス大神殿》の《監督司祭》なのよ。だから、《陽神》様の加護を賜った私も系列としては《アプィレスス大神殿》に仕えることになったの」
オルは少しだけ考えてから口を開く。
「……アマリアさんは、《陽の神》の神託を得たことはありますか?」
アマリアは怪訝そうに首を傾げる。
「《神官団》でも、ご神託を賜れるほどの信仰者は多くないわ。私も《高位司祭》に任じられていたけれど、未だ一度も御声を拝聴することは叶わないの。……でも、どうして?」
「いいえ。……それほど、深い理由があっての問いではありません」
「? そう?」
オルは少しだけ安堵していた。
リシルは《アルヴァナ大神殿》に所属しているようだし、アマリアもまた《陽の神》を信奉しているが、近しいというわけではない。
だが、アマリアは先を往く小舟を眺めて囁く。
「……《元老院》にも所属されいるメプロバスト卿は、各機関に縁故をお持ちだというわ。……もしかしたら、《冒険者ギルド》にもそうしたものがあるのかもしれない」
「リシルが僕らの仲間になるのも、そのメプロバスト卿の意図だと、アマリアさんは考えているのですね?」
「あるいは、《最高位司祭》様の御意思かもしれない。……ただ、どちらにせよ、少なくとも《アルヴァナ大神殿》は、あななたちの誰か――おそらくは、オルレイウス、あなたに注意を払っている」
――オルは、自分のパーティーの名前に頭を悩ませるふりをしながら、実際は別のことを考えていた。
メプロバスト名義の書簡を出した途端に、《冒険者ギルド》職員の対応が大きく変化したからだ。
というよりも、応対する人間まで変わってしまった。
十中八九、ライオス・レンス・メプロバストという人物は、《冒険者ギルド》にとって重要な人物なのだ。
その事実は、《ルエルヴァ神官団》内において、メプロバストが異端であるということをも示しているようにオルには考えられた。
だが、オルにはその先が読めない。
オルレイウスはメプロバストに会ったことさえない。
だから、彼がどうしてオルに注意を払っているのかがわからない。
漠然と、《妖鳥王》の討伐が関係しているであろうことは推測できても、その注目が好奇からによるものか、敵意からによるものかも判然としない。
オルの大師匠にあたる、ロス・レギウス・サルドーラムがリシルの派遣に関わっているとしても、メプロバストと《アルヴァナ大神殿》の意図が読めなければ、安易に警戒を緩めるわけにはいかない。
問題は、リシルが誰の意図に副って動いているか、ということ。
もうひとつ、メプロバスト、あるいは《ルエルヴァ神官団》の《最高位司祭》という人物が、オルに敵対的な意図を秘めているかどうか、ということだ。
……オルの《
それが、オルの最悪の想像。
そこから《
「おいおい、オル? なにチンタラやってンだよ?」
茶色い毛皮をカツラ代わりに頭に被って、顔に煤を塗りたくった小男がオルの肩を叩いた。
「ハ……ガル。……来なくても……」
オルは内心びくびくしながら、変装しているハギルを眺めた。
ハギルを見慣れた者ならば、一目で彼であると断じるであろう、粗さ。
入口付近に立つルドニスのそれもまた、同じような出来だった。
徒歩で《冒険者ギルド》に向かった彼らは、どこに立ち寄ったのか、落ち合うとこんな格好になってしまっていた。
ふたりとも、どこから持って来たのか、長毛の毛皮を頭にかぶり、炭についている煤のような黒いものを顔に塗りたくっているだけだ。
いつ誰が、「よう、ハギル」とか「ルドニス」とか声をかけてもおかしくはない。
だが、驚くべきことにリシルには彼らの変装が通用した。
今も、彼女はル
それに自信を持ったハギル――もとい、ハガルの行動は大胆さを増し、彼らを見慣れている《ギルド》職員に接近するほどである。
その得意げな顔を見て、オルはちょっとだけハガルの頬を張りたくなった。
そして、理解した。
おおよそ、この男は違法行為の危険性などというものに頭を悩ませたことがないのだ。
「いいか、パーティーの
ハガルの言うことも一理あった。
これ以上、この《冒険者ギルド》本館に長居することは危険だった。
明らかに挙動不審にきょろきょろしているリザル。
ずっと険しい顔でオルの一挙一動を注視しているアマリア。
言葉では応じないルダニスに話しかけるたびになぜか声を弾ませていくリシルに、彼女に眼を飛ばしているルクレシア。
そして、言わずもがなルダニスとハガルの格好は、どう控えめに見ても山籠もり中の猟師のそれだった。
幾人かが、オルの仲間たちの姿に足を止める。
オルを指さしてなにかを言っている《冒険者》までいる。
長居は不要。
オルは急いでペンを走らせ、そして、羊皮紙を老年の職員へと押し出した。
「はい……確かに」
その言葉と同時に彼が差し出した身分証を、がさっと鷲掴みにすると、オルはハガルの袖を引いて入口へと歩き出した。
ほんとうならば、資料館に立ち寄って、ニコラウスの残した資料を精査したいと考えていたのに。
集まる視線を振り払うように駆けながら、オルは仲間たちと共に出発を決意する。
「……ふむ、〈
職員は小さな呟きと伴に、彼らの背を見送った。
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