第63話
その日の朝、なぜか困惑しているアウルスに連れられて僕は久しぶりに城を出た。
北の森でなにか問題が起こったみたいだ。
その日に限って家にはニックどころかガイウスもいなかった。
アウルスも最初はニックに相談しようとしたのだけど捉まらなかったらしい。
「《
僕だけを乗せた馬車の御者台からアウルスはそう話し始めた。
持ち上がった問題はどうやら外的な要因によるものらしい。
「《ギレヌミア人》ですか?」
ニックの話によれば、まだ千人弱ほどの《ギレヌミア人》が北の森の向こう側にいる。
とうとう、彼らが動いたのだと僕は思った。
「いいえ、オルレイウスどの。それが《
「《魔獣》ですか? 北の森の中に現れたということですか?」
「そのようです。……しかしながら、あのエレウシスとやらはこの身が森に入ることすら許さぬのです!」
困惑していたはずのアウルスは今度は怒っている。
相変わらずの沸点の低さだ。
《人馬》たちの首領はアンリオスの跡を継いだエレウシスへと代わっている。
そのエレウシスの性格はアンリオスよりも単純で、彼に輪をかけて気難しく、人族嫌いらしかった。
人族嫌いの原因の一端は、《ザントクリフ軍》が森に火を放ったことにあるのだろうけど。
「あの《人馬》はわからず屋にございます。……『小さき者ども、森に入らば射殺す!』などと申すのです!」
御者台に座るアウルスの声は憤りに満ちていた。
それにしても、《人馬》たちの手に負えない《魔獣》?
僕やニックに加勢を頼むぐらいの敵だって?
そんなものが急に出現するなんてにわかには信じがたい。
「一度、《人馬》どもを懲らしめるべきではありませんか?!」
鼻息を荒げたアウルスの声に僕は思考を中断する。
「懲らしめるって……彼らは仲間ですよ、アウー?」
「奴らがこちらを仲間だと思っていないのでございます、オルレイウスどの。……ひとたびこの身にお命じくだされば」
「彼らに捕まるのがオチだと思いますよ、アウーじゃ。……それよりも。アークリーやコリーから連絡はありませんか?」
あのふたりがいてくれれば、と僕は思わずにいられない。
人当たりも《人馬》当たりもいいアークリーがいれば、エレウシスの重い口も少しは軽くなるような気がする。
そうすれば情報も集まりやすい。
そこにコルネリアがいれば、善後策を講じてくれただろう。
「……オルレイウスどの、この身ひとりでは頼りないと、思し召しですか……?」
アウルスがちょっと傷ついたように、そう言う。
アウルスがまったく頼りにならないと思っているわけではないけど。
こういうときには、あのふたりのほうがずいぶんと頼りになりそうだとは思う。
「そういうわけでもないですが。僕としては、なんというか、……そのう、ふたりの友人の近況がやっぱり気になるじゃないですか?」
アウルスのがっかりしている顔が見えるような気がした。
「確かに、この身は御身の脚にすぎませぬ。ゆえに、アークリーも、あの女も、なにを考えているかわかりませぬ。脚は歩むのみですから。ただ」
「ただ?」
「アークリーに関して申さば、地位に執着する男ではありません。あやつは、忠義と友愛を履き違え、軽佻浮薄に振る舞っておりますが、それ以上に譲れぬ義務を抱えております」
そう言ってアウルスは言葉を切った。
アウルスの言いたいこともわかる。
たぶん、アークリーが抱えている義務というのは血縁に対するものなのだろう。
アウルスが忠誠を優先するように、アークリーは血の繋がりに正直だということ。
実際に彼を邪険にした父親ですらアークリーは命を懸けて守った。
それと同じようにアークリーは兄を助けることにしたのだろうか。
「アークリーのことをよく知っていますよね」
「腐れ縁にございます。……それにしても、オルレイウスどのに一言もないというのが解せませぬが」
僕とアークリーの主従の契りについては、アウルスにも伝えてある。
それを知ったアウルスは「なぜ、この身よりもあやつが先なのです……?」と言って、愕然としていた。
「……そのうちふらりと戻って参りましょう。アークリー・ウォード・アドミニウス・ガステールとはそのような男です」
「そうですね……」
なんだか、ちょっと落ち込んでしまう。
「コリーについてはなにか新しい情報はありますか?」
「変わらずにございます。しかし、あの女も、忠義忠誠というものに目覚めているはず。いずれ、参りましょう」
「そうでしょうか……?」
コルネリアは相変わらずお見合いを続けているらしい。
こちらへ姿を現さないということは僕を見限ったということではないのだろうか。
個人主義者の彼女が父親のためにお見合いを続けているとは思えないし。
彼女は自分の力を認められたがっていたし。
今回の一件で、彼女の評価はうなぎ登りだと聞くし。
「……やはり、僕が全裸で闘ったことが……」
「オルレイウスどの、もうすぐご領地でございます。皆、オルレイウスどののお出ましを心待ちにしております」
アウルスが僕を慰めるようにそう言う。
けれど、アウルスの言うことがほんとうだとは僕にはちょっと信じられない。
だって、これまで僕が全裸で出歩いているのを見た人たちはほぼ全員怪訝な顔をしたもの。
……いや、だけどアウルスの言うことを疑うのも良くない。
僕の味方は今や両親とガイウスと彼ぐらいなのかもしれないんだ。
それにまったくあり得ない話じゃないとも思う。
僕がこの国を護るために闘ったということはみんなだってわかってくれているはず。
もの凄く歓迎してくれるとも思えないけど、あからさまに嫌われるとかそういうことはいくらなんでもないだろう。
「到着致しました」
アウルスが馬車の扉を開けてくれる。
ひとつ深呼吸してから、僕は座席から立ち上がって、馬車を降りる。
おそるおそる視線を地面から前に……。
「オルレイウスどのに最敬礼!」
僕の真横に控えたアウルスから大声。
それとともに一斉になにかが地面に落ちるような音。
『素晴らしいっ!!』
嘲るような《
素晴らしい? なにが?
――僕の視界。さらに大きく切り拓かれた開拓村の地面。
その開拓村を横断しているのは、懐かしい《人馬とニコラウスの壁》。
ここは、かつてニックとアンリオスが話し合っていた森の広場のあたりのようだ。
けれど、その面影はあんまり残っていない。
広場は戦争からふた月ほどの間にさらに広げられたらしく、小屋のような家々も増えている。
それよりも広く元々小川のすぐ北までだった開拓村から《壁》まで開墾地が拡大している。
馬車ですんなりここまで来れたということは、木製の柵も取り払われたのかもしれない。
だけど、問題はそこじゃない。
僕の眼の前に跪いた人の群れがいた。
広い、千切れた根や石がごろごろしている荒れ土の上。
家々の隙間にも、路地を埋めるように。
何人いるのだろうか? 五百人以上はいそう。
最前列にはちらほら見覚えのある若者たち。そして、その後ろには武装した兵士たち。
考えてみれば、ここはまだ前線だ。
それなりの軍備が用意されていて然るべきで、ここに集まった人々の三分の二ほどは壮年の民兵たちのようだった。
だけど、民兵ばかりで《騎士》の姿が目につかないというのはどういうことだろう?
いや、それよりも。
問題はさらにその後ろ。
老若男女、萎れたようなお年寄りから僕よりも遥かに幼い子どもまでが、地べたに膝をつけて頭を下げている。
「…………あ、アウ」
「そこ! もっと頭をさげろ! 貴様の忠誠はその程度か!」
どういう状況なのか尋ねようとしたら、アウルスが怒鳴りだした。
どうやら後ろのほうの《壁》際に座っている幼児に怒っているらしい。
隣にいた母親らしい女性が、慌てて子どもの頭を掴んで地面に押しつけるようにした。
子どもがくぐもった泣き声をあげる。
よくよく見れば、その子だけじゃない。
頭が下げられているから表情はよくわからないけれど、大多数の人が震えている。
だけど、そんなみんなの様子には構わずにアウルスは宣言する。
「お前たちは救われた! どなたの御手によるものだ?!」
「オルレイウス・アガルディ・ザントクリフ・レイア様っ!!」
アウルスの問いかけに前列の若者たちが大声を上げる。
「後ろっ! 声が小さいっ!!」
「オルレイウス・アガルディ・ザントクリフ・レイア様あっ!!!」
最前列以外の人々の声は悲鳴に近い。
「では、お前たちの命はどなたの所有物か?!」
「オルレイウス・アガルディ・ザントクリフ・レイア様っ!!!」
追いつかない。思考がとても追いつかない。
予想もしていなかった。こんなこと。
「そうだ! 救国の英雄にして、この身を初め、お前たちが尊崇すべきオルレイウスどのが参られたのだ! お前たちが示すべき当然の礼とはなんだ?!」
「すべてを捧げることですっ!!!」
――ヤバい。これはヤバい。
僕の脳裏をよぎったのは、「
「さあ、ひれ伏せ! 忠誠を体で示すがいい!」
童顔の頬を紅潮させて、大柄なアウルスが長い腕を振り回して吠える。
僕はその顔を呆気にとられた思いで見上げるしかなかった。
そう。なぜかアウルスは、僕を圧政者に祭り上げようとしている。
僕はその現実を容認できなくて、この状況が
〓〓〓
〈――ルエルヴァ共和新歴百十年、ザントクリフ王国歴千四百六十七年、ヘカティアの月、二十八夜
昨日からマルクスは私の傍らを離れようとしない。
どうやらイルマから身を守るためには、私の隣が最も安全な場所だと思い込んでいるらしい。
確かに、イルマが消えたのはオルが倒れたその日の夜ではある。
が、彼女には息子が倒れたことを知る手段がない。
その符合は単なる偶然に過ぎない。それにオルは快復しているではないか。
どう考えてみても、マルクスの考え過ぎだとしか思えない。
だが、マルクスはまったく譲らなかった。
それどころか。
「クラウディアとオルレイウスの婚姻を早めるぞ、ニコラウス。そうだ、すぐに準備に取り掛かるのだ」
その言葉しか返って来ない。
戦時、あれほど光彩を放ったマルクスが、イルマが関わると見る影もない。
「イルマが来るっ! イルマが来るのだっ!!」
まるで心を病んでいるようにそればかりを繰り返すマルクスに皆呆れているのだ。
そして、その世話を私は押し付けられたわけだ。
私にはまだまだ仕事があるというのに、こんなマルクスの相手をしている時間は無い。
仕方がないので早朝からガイウスも呼び寄せてマルクスの相手をしてもらっている。
今日も雑務が多い。
それにしても、《モリーナ王国》から消えたイルマはいったいどこにいるというのだろうか?〉
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