4場 戦闘開始・バスルーム
シーン1 お祭りの前の修羅場にて
そして、文化祭の前日、土曜日の夜のことだった。
美少女忍者同士の熾烈な戦いが繰り広げられたのは……。
まず朝礼前から、高等部全体は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
この日ばかりは、生徒も教員も、「勉強」の二文字をやめた。
普段真剣にやって(働いて)いるんだから、この2日間ぐらいはバカになってもいいではないかと言わんばかりのはしゃぎようで、出し物の準備に取りかかったのである。
教室は朝礼もそこそこに、模擬店や映画上映とクラス演劇用の小劇場と化した。
あちこちの教室で、生徒たちの喚声と金槌の音が聞こえる。
机を並べた上にシーツをかけただけの、飲食店のテーブルが設置されてゆく。
映画上映の準備として、窓には暗幕代わりの段ボールが貼られる。
体育館での全体会で割り振られる15分やそこらのステージ発表では飽き足らず、30分を越える演劇発表をしようという学級は照明や音響効果用の機材をささやかながらレンタルで借りて、その仕込みを行っていた。
準備を進めていたのは、部活動も同じことだった。
校舎の外では、調理用のプロパンガスや、凝ったところではわざわざ備長炭と七輪が運び込まれる。
あまたの材木が翌日のためだけにノコギリで切られ、釘で屋台の形に組まれる。
縁日のごとく、お面が屋台に並ぶ。
駄菓子屋をやるところでは、派手な色のゼリー菓子や、懐かしのビー玉やメンコ、射的屋では、ぬいぐるみや「私をなめて」などと書かれた怪しげなステッカーなんかをせっせと段ボールから出して仕分けしている。
こうした屋台は文化祭が終われば解体され、用の済んだベニヤや角材は残らず、演劇部の倉庫に収まって後々の創作活動で舞台装置となって生まれ変わるのだった。
その演劇部はというと、文化祭前の喧騒は例外ではない。
体育館はその日の午前中、照明設営のための工事現場と化した。
まず舞台照明は、常に舞台から見て左右にあるギャラリーで埃をかぶっているスポットライトだけでは足りない。
舞台上にはボーダーライトと呼ばれる赤青緑、すなわち光の三原色の照明も吊ってあるが、これは舞台(用語でプロセニアムという)全体を照らす役割しか果たさない。
これだけでは、明るさが足りず、役者の顔が平板になる。
舞台にあらかじめ設置されている国旗掲揚用のバトンにサスペンションライトと呼ばれる単発の照明をいくつも吊り込む。
これを、レンズの種類によってぼんやりした明かり(フレネルという)と、輪郭のくっきりした明かり(凸レンズを使ったもの)で使い分け、舞台上のあちこちに向きを変えて当てるのである。
大変なのは、舞台の外の照明である。
この舞台となっている体育館ステージの外には、縦横1間(約1.8m)ほどの「張り出し」と呼ばれる鉄製の高台が4つ設置され、そこも含めた範囲がアクティングエリア(演技空間)となる。
その全体を照らすために、わざわざタワーと呼ばれる丈の高い棚を立てて照明を吊り込み、フロントサイドと呼ばれる斜めの明かりを作る。
これで、役者の姿を立体的に映し出したり、朝日や夕日を表現したりできる。
いちばんの力仕事は、シーリングと呼ばれる、天井から舞台を照らす明かりを吊ることである。
体育館の梁にワイヤーを引っかけ、照明を固定したバトンを吊り上げるのだ。
ワイヤーも照明も、切れたり落下したりすれば客席に大惨事が起こるので、万が一のことを考えて舞台に近いところに設営し、客席はその後ろにしてある。
それでも、事故が起これば怪我人が出なくても、文化祭そのものができなくなるのだ。
これを設営するには、梁越しにワイヤーへ固定したロープを、合図に合わせて同時に引き上げなければならない。
バトンが斜めに上がれば、落下の原因になるからだ。
だからこの作業は、顧問だけでなく引退する3年生も監督する監督のもと、部員総出で(もちろん、あまり役に立たないが冬彦も参加して)行われるのであった。
このときばかりは、中等部は授業中なので、瑞希も玉三郎も手が出せない。
さらに、その日も玉三郎は自分で弁当を作って朝早くから登校したため、瑞希は兄を追いかけて登校及び通勤ラッシュの道を駆け抜ける必要がなく、玉三郎は玉三郎で何をしていたのか、その朝は現れることがなかったので、前日の密談の結果がどうなったのかという情報交換などできるはずがなかった。
常識で考えれば。
だが、そこは現代に生きる忍者たちである。
授業の間の10分休みを使って、連絡を取り合っていた。
チャイムが鳴ると、生徒たちは教室からどっと出てくる。
これはいつものことだが、この日は事情が違った。
外で繰り広げられる高等部の喧騒が、中等部の生徒の注意を引かないわけがない。
窓から鈴生りに首を突き出す生徒たちを、次の授業の心配をする先生たちは大わらわになって追い散らさなくてはならなかったのである。
特にやんちゃな生徒はこっそり現場を見に行こうとするので、数少ない先生たちは学校中を走り回って阻止に回らなくてはならなかった。
もっとも、いちばん動き回りそうな玉三郎は、意外に大人しくしていた。
教室を出たのは1回きりである。
だが、それでもう充分に目的を達していた。
同じように、瑞希も1回だけ教室を出ていた。
2人の忍者が人混みに紛れて、それとなく情報交換をする機会も1回だけ。
教室を出てから戻るまでにすれ違った一瞬で、玉三郎が瑞希の耳元に囁いたのはこの一言だけだった。
「このゲーム、もう詰んだぜ」
瑞希に頼まれたことは全てやり遂げた、という意味である。
今朝、姿を現さなかったのも、引き受けたことを忠実に実行していたからであろう。
だが、そんな自信たっぷりの報告を聞いても、瑞希は一日中やきもきしていた。
「世話がやけるんだからあのバカ兄貴バカ兄貴バカ兄貴……」
そんなことばかりぶつくさ言いながら一日過ごして、高等部の体育館に直行したのである。
補習はなく、文科系部活動の活動も時間制限なしという超無礼講状態の中、この日ばかりは夜になっても帰るまい、こっそり泊り込んでやろう、あわよくば勢いに任せて彼氏ないし彼女ゲットという喧騒で、高等部の校舎も体育館も沸き返っていた。
瑞希が駆け込んだ体育館では、もう何度目かになる通し稽古が行われている最中だった。
体育館は、瑞希が体育の授業で出入りするいつものアリーナではなかった。
通常の床はラインテープが貼られ、ワックスでテカテカである。
だが、文化祭の全体会場となった今日はグレーのシートが敷かれ、その上には数百の椅子が整然と並べられている。
窓には暗幕が引かれ、天井や客席端から当てられる照明が、舞台を照らしだしていた。
といっても、舞台装置は大きな机といくつかの椅子だけである。
その簡素な舞台の上で、冬彦演ずるジョン修道士は、すでにステージで兄弟子とドタバタやっていた。
――兄弟子を見つけ出しはしたが、病人の看病疲れで寝込んでいる兄弟子。
「兄者? 兄者? 兄者あああああ!」
てっきり死んだと思い込んだジョン修道士は、葬式の準備を始める。
「天にまします我らが父よ、願わくばわが兄弟をおそばに……」
荷物を置いて棺桶屋を呼びに行くと、起き上がった兄弟子は病人の看病に出ていく。
「ああ、父よ、お許しください、私の務めを忘れておりました」
ジョン修道士は棺桶屋と共に戻ってくる。兄弟子の身体の寸法を測るためである。
「ここです、ここで兄が……あれ?」
棺桶屋は家の中をうろうろ探す。
「どこです、その、亡くなった修道士様は」
テーブルに上がり、兄弟子が横たわっていた辺りに寝転がるジョン修道士。
「ここで、この辺に、こう」
棺桶屋は困り果てる。
「生きてるあなたじゃしょうがない」
起き上がったジョン修道士は、ぽん、と手を打つ。
「そうか、ここ隣だ、隣の家」
悪態をつく棺桶屋。
「迷惑な修道士様だな、人の留守に空き巣とは」
真面目に務めを果たしているつもりのジョン修道士は食ってかかる。
「人聞きの悪い、何も盗っちゃいない」
棺桶屋は嫌味ったらしく言う。
「いえ、盗っていきました」
声を荒らげるジョン修道士。
「何を!」
棺桶屋は妙なシナを作って色っぽく答える。
「私のハート」
「気色悪いな!」
一瞬で引くジョン修道士を、棺桶屋はからかう。
「軽い冗談です」
ジョン修道士は、ほっとしてボヤく。
「重いわ! 鳥肌立ったぞ」
こんな具合に、二人してつまらないことを言いながら出ていく。
やがて兄弟子が、そこへ戻ってきて横になると、棺桶屋を帰したジョン修道士が帰ってくる。
「隣に行ったら腰抜かされちゃったよ……。どこいったんだろ、兄者は」
ふいと傍らを見れば、さっき消えた兄弟子の「死骸」。
腰を抜かす。
「ひええ、兄者? 死んで、行って、また帰ってきた?」
しばし慌てふためいた後、ぽんと手を打った。
「そうか、さっきも違う家に間違えて入ったんだ」
もちろん、その背後ではロミオと従者バルサザー、ジュリエットと婚約者パリスのやりとりが粛々と進む――。
そんな稽古を見ているともう日も暮れかかっていた。
帰宅を促す何度目かの放送が入り、部員たちがぶつくさ言う声と共に暗幕が開けられる。
天井の水銀灯がじんわりと光りはじめた。
客席に明かりが入る前に、瑞希は体育館を出て校門へ向かった。
冬彦本人はおろか、以前、稽古場で中等部女子のセーラー服に歓声を上げた無数の「お兄ちゃん」の誰一人として、瑞希が稽古を見ていたことに気付く者はなかった。
だが、声をかける女性はいた。
「あれ、瑞希、来てたの?」
瑞希の前にいた私服の女子高校生が振り向いて、呼び捨てにした。
夕暮れの薄暮に目を凝らすと、そこには一葉がいた。
「母さん?」
何でここに、と怪訝そうに尋ねると、一葉は急にもじもじと答える。
見かけは10代なので、「年甲斐もなく」という表現は適当でない、この場合。
「実は、父さんに……会いに行くんだ」
「はァ?」
素っ頓狂な声を上げる瑞希に気づいた亜矢が、ジュリエットの衣装のまま、いそいそとやってきた。
布を何枚か縫い合わせただけで彩りを極力抑え、舞台上で観客のイメージを膨らませるように工夫された衣装である。
「あら、瑞希さんのお母様でしたか」
「冬彦の母です、どうぞ息子を宜しく」
そういう一葉は、亜矢とひとまわりもふたまわりも年が違うようには見えなかった。
だから女というものは恐ろしい。
「ちょっと、母さん、この人は……」
「葛城亜矢さんでしょう? 知ってるわ、有名だもの、いろいろと」
微笑むその顔は、瑞希に対してなのか亜矢に対してなのかよく分からない。
たぶん両方だろう。
だが、瑞希の表情はひきつった。
亜矢もどう返していいのか分からないというふうに一葉を見つめていたが、やがて冷たい笑みを浮かべた。
会場撤収の喧騒の中、この三人の周りだけが異空間だった。
瑞希の緊張、亜矢の沈黙、そして、一葉の余裕……。
瑞希が恐れおののいているのも無理はない。
片や吉祥蓮のベテラン忍者、片や宿敵たる迦哩衆の放った刺客である。
しかも、その亜矢に夢中になって操られかかっているのは、血はつながっていないとはいえ、一葉の愛してやまない息子である。
だが、瑞希は母に亜矢の正体を告げてはいない。
一葉は知っているのだろうか? もし、知っているとしたら……。
そこから先を考えるには、瑞希はまだ幼すぎる。いや、知らないほうがいいかもしれない。
一葉は、迦哩衆をおびきよせるために愛息を餌にしたことになるのだ。
恐怖と猜疑と挑発とが渦巻く、忍者同士の一瞬の隙も許されない静かな戦いの場が、そこにあった。
何人たりとも破り難いかと見えたこの空間だったが、これを冒し得る者がたった1人いた。
「あ、母さん、来てたの、何で?」
これもポンチョのような布一枚だけをかぶったジョン修道士の衣装のまま、冬彦がやってきた。
女の戦いブチ壊しである。
「あ、ちょっと思い立って、九州へ……」
さすがに一葉も、元の人の好い母親に戻ってその場を取り繕わないわけにはいかない。
「え、父さん何かあったの?」
一瞬うろたえた冬彦を、親バカ全開で一葉は抱きしめる。
「ないないない、別に。ただ、どうしても来てくれって電話が」
最後の辺りはいささか年甲斐もない照れがあったが、そこは少女にしか見えない一葉のことである。端正な容姿の少年にしがみついてもじもじする様子に、帰途に
つく教員や生徒が目を奪われても仕方がない。
ある者は青春の瑞々しさに微笑を浮かべ、またある者は嫉妬の炎に身を焦がしていることであろう。
だが、当の冬彦には、周囲の視線が好悪いずれの感情がこもっていようと構うことはない。
一葉の豊かな胸に抱かれながら、苦しそうに尋ねる。
「電話って何の?」
そこで我に返るや、もがもが言う冬彦をキッと睨み付けて一葉は凄む。
「子供は知らなくていいの!」
目をぱちくりさせる瑞希は放っておいて、一葉は先ほどの心理戦などなかったかのような満面の笑顔で亜矢に向き直った。
「そんなわけで、今日の通し稽古、一日しっかり見せていただきました」
保護者が堂々とこういうことができるから、私学というところは恐ろしい。
さらに、一拍置いて付け加える。
「一筋縄ではいかない息子で、思い通りにならないかとは思いますが……」
声は朗らかで表情も親しげだが、目は笑っていない。
そこで口元に浮かべたのは眩ゆいばかりの笑顔から一転して、亜矢に負けずとも劣らぬ氷の微笑である。
「瑞希も付いておりますので」
その一言で亜矢は背筋を伸ばし、両手を体の前にそろえて一礼する。
それはまさに、キャピュレット家の令嬢そのままの姿であった。
丁寧に一礼を返した一葉は、まだ凍りついている娘に向き直った。
「じゃあね、瑞希。玉三郎君にもよろしく!」
しゅた、と手を挙げて、一葉はいそいそと帰っていく。
冬彦が大声を上げた。
「ちょっと、母さん、夕飯は?」
くるりと振り向いて、人差し指をびし、と突き付ける一葉。
「自分で何とかしなさい!」
言うなり、一陣の風のように姿を消した。
さすがに唖然と見送る亜矢に、冬彦が頭を下げた。
「すみません、恥ずかしい母親で」
「お兄ちゃんがそれ言う?」
くす、と亜矢が笑った。
「うらやましいわ……」
「え?」
意外そうに見つめる瑞希に、亜矢ははにかんで笑った。
「一人暮らしなんだ……私」
瑞希がリアクションに困っていると、亜矢は意外な申し出をした。
「ご飯作りに行っていいかな……菅藤くん?」
はい? とおたおた答える冬彦を瑞希が「めっ」と睨み付ける。
亜矢はかまわず、じゃあ、1時間後に、と一方的に言い残し、ジュリエットのスカートをひらひらさせながら走り去った。
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