シーン3 美少女忍者の大記録と避けられない死闘

 くどいようだが飛燕九天直覇流奇門遁甲殺到法は日本に歴史というものが語られ始めてから、瑞希たち吉祥蓮の女たちに脈々と受け継がれてきた門外不出の技である。一夜の内に千里を駆け、拳の一撃でクマをも屠る。その技は人を傷つけるためには用いられず、世に泰平をもたらす器を持ちながらもその力を発揮できない男たちが子孫を残せるよう守り抜くことを大義とする。

 その術の一つ『間殺まさい』では、戦う相手との必殺の間合いを一瞬で詰め、相手が一呼吸する隙に攻撃不能な位置にまで跳び退ることができる。

 その幅、5間半と2尺9寸(10m弱)。

 しかし、今日の瑞希は1700年以上の歴史を持つ飛燕九天直覇流奇門遁甲殺到法の限界を超えてみせた。

 8間と5尺4寸2分。(約16m20㎝)。

 その偉業は、吉祥蓮に末永く語り継がれることであろう。

 本人が自覚していれば。 

 だが、自覚する余裕などあろうはすがない。

 いかに吉祥蓮が縁を結ぶ女たちであるとはいえ、それは男女の間の事に限られる。

 ましてや、弱冠13歳の瑞希に、いわゆる衆道(そう、腐女子の大好きな、男性の同性愛のことだ!)に関する知識があろうはずはなかった。

 因みに「武士道とは死ぬことと見つけたり」の名文句で知られる『葉隠』には、お侍同士の同性愛のあり方が説かれているが、これを読んでいたとしてもおそらく、何のことやらわからなかったであろう。

 それはともかく。

 瑞希の目は見開かれたまま、表情は一瞬、楳図かずおの恐怖漫画のように強張った。

「え? え? ええ!」

 屋上の強い風に髪をなびかせ、玉三郎はゆっくりと歩み寄る。

「俺は、君の兄さんが、好きだ」

 畳み掛ける愛の告白に、瑞希は表情を失った。やがて、凍りついた笑みを浮かべてあとずさる。

 だが、玉三郎の歩みは速い。

 拳の間合いに入ったとき、瑞希はようやくつぶやいた。

「近寄らないで、くれる?」

 玉三郎は止まらない。

 瑞希は屋上のコンクリートを蹴った。

 わずかに浮かんだ小さな身体は、背後のフェンスに阻まれて滑り落ちる。

 それでも爪先から静かに降り立つことはできたが、その時には鼻先に玉三郎の顔が迫っていた。

 その両手はフェンスの網目をしっかりと掴んでおり、逃げることはもはや物理的に不可能であった。

 瑞希の白い喉が、こくっと動く。

 その耳元に、玉三郎の唇が迫った。

「ウソだって」

 囁くや否や、瑞希ほどではないが並々ならぬ跳躍で飛び退る。だいたい3間(約5m半)といったところか。

 一瞬前まで長身の少年の姿があったところで、ローリングソバットが横薙ぎの居合刀のごとき勢いで空を切る。

「たーまーさーぶーろー!」

 肩を怒らせ両拳を握りしめ、顔を伏せて瑞希は唸った。その頬は羞恥を溜めて赤く染まっている。

 だが、玉三郎はそんなことまで気にする様子もなく、体を真っ二つに折ってバカ笑いした。

「本気にしてやんの!」

 指さした手を上下にぶんぶん振って、空いた方の手は腹を押さえている。

「そ、そんなんじゃない!」

 身悶えして否定する瑞希に、足取りも軽く歩み寄る。

「大丈夫、お前からお兄ちゃん取ったりしないよ」

「要るか、あんな兄貴!」

 ろくに狙いもしない連続回し蹴りが、高く、また低く襲いかかる。

 最初の2発で飛んできたスリッパを紙一重の差でかわし、繰り出される小さな白い靴下を軽いステップでよける玉三郎は、目を開けもしない。

「ば、バカにするな!」

 その顔面に迫った跳び膝蹴りは、一瞬で標的を失う。

 尻から落ちそうになる瑞希は、しゃがんで側面に回り込んでいた玉三郎にお姫様抱っこで受け止められた。

「スカート履いてハイキックするのは、女の子としてどうかと思うんだけど」

 再び耳元で囁かれた瑞希は抱えられたまま、下ろせ下ろせヘンタイとじたばたする。

 はいはいと屈んでやる玉三郎に、ぽんと飛び降りるや、礼も言わずに背を向けたまま命じた。

「拾って」

「何を?」

 小首をかしげる玉三郎に、キッと振り向いて叫んだ。

「あたしのスリッパ!」

 へいへい、と屋上の反対側にあるフェンス際へ歩き出した玉三郎は、立ち止まって厳かに言った。

「でも、君の兄さん、いい人だよ」

「どこが?」

 鼻で笑う瑞希に、一言ひとこと区切るように答える。

「確かに君から見たら要領悪いかもしれないけど、それは欲がないから。単純だけど、それだけに純粋なんだ。いつも誰かのためにひたむきになってる。俺は、そんな兄さんがうらやましい」

「だったら、あんたもそうしたらいいじゃない」

 瑞希が振り向いたとき、足元には中等部1年女子用の淡いピンクのスリッパが揃えて置いてあった。

 玉三郎の姿はなく、声だけが、どこからか微かに流れてくる。

 ……だって俺は、鳩摩羅衆だから……。

 中等部に下校を促すチャイムが鳴り響く。

 無言でスリッパを履き、階下へ向かう瑞希は再び辺りを見回した。

 玉三郎の声は、チャイムに紛れてはいるが、かき消されてはいない。

 ……気をつけろ、あの葛城亜矢、迦哩衆だ……。

「迦哩衆?」

 瑞希のつぶやきに答えるかのように、その鼻先をかすめたものがあった。

だが、彼女はよけもしない。そんなものは当たりもしないと知っていたかのようである。

 ただ、おあつらえ向きに飛んできた一枚の木の葉は、真っ二つに切り裂かれた。

 その凶器を、白く細い指が受け止める。

 薄い鋼の輪であった。その端は、鋭く研がれている。

 チャクラムと呼ばれる、古代インドの武器であった。

 瑞希を襲った飛び道具の持ち主は、裏山を背にした屋上の隅に立っていた。

 うまい具合に高等部と中等部の建物が乱立しており、学園の敷地のどこからも死角になる辺りである。

「初めまして、菅藤瑞希さん」

 長い黒髪を風になびかせて微笑む少女。

 稽古場から出てきたばかりと思しきタンクトップにトレパン姿。

 それは、まさに玉三郎が警告した相手であった。

 葛城亜矢。

 迦哩衆の娘。

 1000年、いや、もっと昔から吉祥蓮が闘ってきた女たちの末裔。

 男たちを誘惑し、自分たちが栄華をむさぼるための道具にしてきた……。

 足元を見下ろして尋ねる。

「この子、彼氏?」

「冗談」

 瑞希は真顔で答えた。

 亜矢の足元には、ついさっき、夏の夕暮れに声だけ残して風のように消えたはずの玉三郎が転がっている。

「吉祥蓮よね? だったら」

 爪先で玉三郎を軽く蹴る。

「男の人を放ってはおかないわよね」

 ゴム人形のように力なく手足を床に投げ出す哀れな少年忍者だったが、口だけは達者に動いていた。

「面目ない、格好よく消えようとしたんだけど」

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