第49話

 特に会話も無しに歩を進めるレグス達。

 ダナの街に来る道中では、頼んでもいないのにあれこれと喋り、レグスについて探りを入れていたファバだったが、今は別人のように押し黙っている。

 このまましばらく気が重くなるような空気のまま、二人は旅する事になるのだろうか。

 否、そうはならなかった。

「ちょっと!! ちょっと待って!!」

 二人の背後から女の声がする。それも聞き覚えのある声が。

 その声に慌てて振り返るファバ。

 そこにいたのは。

「よ、よかった。間に合って」

 よほど急いで走ってきたのか息を切らすロゼッタ。

「な、なんだよ」

「何って、見送りよ。まさかこんな朝早くに行っちゃうなんて思わないもの」

「別にいらねぇよ、そんなもん」

 さきほどまで静かにしていた少年とは思えぬほどの表情を見せるファバ。

「もう、そういう事は言わないの。こういう時はね、素直に受け取っておくものよ。レディの気持ちをね」

 そう言って笑顔を見せるロゼッタ。

 ファバは彼女の顔を気恥ずかしくてまともに見る事が出来ない。

「昨日迷惑をかけたうえに、わざわざ見送りまでとは、すまないな」

 レグスの謝罪にロゼッタは首を振る。

「いえいえ、気になさらないで下さい。うちに所属する冒険者があなた方にご迷惑をおかけしたのです。むしろ謝るのは私達の方」

 申し訳なさそうに頭を下げる彼女をファバが止める。

「やめろよ!! 悪いのはあんたじゃない!!」

 つい大きな声をだしてしまいはっとするファバに、驚いた表情を見せるロゼッタ。

「あら、優しいのね」

 そして彼女はまた笑顔を見せる。

「そんなんじゃねぇよ」

 顔をそむける少年に、ロゼッタは近付く。

「な、なんだよ」

「これを渡そうと思って」

 彼女が濃い青色をした水晶のついた簡素な首飾りを取り出す。

「旅のお守りよ」

 優しい口調。

「お守りって……」

「ちゃんとご利益あるのよ。なにせ私のお爺さんから兄まで、親子三代に渡って受け継がれた由緒あるお守りなんだから」

「はぁ? そんな大切なもん受け取れねぇよ!!」

「いいから、受け取って。このお守りも街で暮らすだけの私なんかより、旅をする人に持っていてもらいたいと思ってるはずだわ」

「いや、だけど、親子三代って、家宝みたいなもんだろそれ。あんたの一存で決めていいのかよ」

「いいのよ。私しかいないから」

 ロゼッタが悲しそうに笑う。

 その意味を察する二人。

「……それはそれで縁起の悪そうなお守りだな」

 下手な慰めよりもこんな言葉が出てきてしまうのは少年の性なのだろうか。

「失礼しちゃうわね。これはあくまで旅のお守りなの。旅からは三人とも無事に帰ってきたのよ」

「……でも大切なもんなんだろ?」

「ええ」

「だったら」

「だからよ。だからこそ、あなたに持っていてもらいたいの」

「なんで俺なんかに」

「心配だもの」

 この時になってようやくファバは自身の内につっかえていたモノの正体を知る。

 何故、あの時素直になれなかったのか。何故、言葉がでてこなかったのか。

 閉ざしていた扉から、押し止めていたはずの物が溢れ出す。

 それは臭いを放つ泥だ。

 必死になって隠し、目を背けてきた泥。

「……俺はあんたに心配されるほどの人間じゃない」

 ファバの声は震えていた。

「ごめんなさい。でも別にあなたを子供扱いしようと思ってこれを渡すんじゃないのよ」

 ロゼッタはファバが機嫌を損ねて言ってるのだと勘違いした。

「違う、そうじゃない、聞いてくれ。俺はあんたに言わなきゃならない事がある」

「言わなきゃいけない事?」

「俺は、俺は……、俺はドルバンの山猫にいた」

「えっ」

 ドルバンの山猫の悪評はダナの街にも届いている。冒険者ギルドで働くロゼッタが知らぬはずはない。

「ひどい事はたくさんされたよ、だけど同じぐらいひどい事もたくさんやった」

 自分が盗賊に拾われた事、そこでもおもしろ半分に暴力を振るわれた事、自分がされた事は昨日の時点で話していた。

 だが、拾った盗賊というのが悪名高いドルバンの山猫である事、そこで自分が彼らの悪行にどのように加担していたかは話せなかった。

 怖かったのだ。彼女に真実を知られる事が。

 心優しい彼女に軽蔑される事が、何より怖かったのだ。

 ファバという人間を知れば、間違いなく彼女は失望するだろう。その思いが昨日からずっと心の内にひかかっていた。

「俺は、あんたに助けてもらえるほど立派な命なんてもっちゃいない。俺は、あんたに心配してもらえるほど立派な人間じゃない」

 耐えられなかった。人を欺く事がこれほど辛いものだとは今まで思いもしなかった。

「たくさんしてきたんだ……、あんたに嫌われるような事をたくさんしてきたんだ……」

 涙を堪えながら、少年は真実を吐き出す。

 もう彼女の顔をまともに見る事は出来ない。

 顔を伏せるファバ、その頬にそっとロゼッタの手が添えられる。

「こっちを向いて」

 彼女の声にファバが恐る恐る顔を上げる。そこにはロゼッタの悲しくも優しい瞳があった。

「きっとあなたはこれまでにたくさんの罪を犯したのでしょう……。でもねファバ、誰もがいろんな罪を背負って生きているのよ。私も、あなたもそれは同じなの。償いも確かに大切だわ、でももっと大切なのはこれから同じ過ちを繰り返さぬ事よ、人はそうやって成長していくの。あなたなら大丈夫よファバ」

「俺、俺は」

「それとあなたの事を嫌いになんてならないわ」

「どうして」

「言ったでしょう、人を好きになるのに理由なんていらないと。私はあなたの事が好きよ」

 たぶん、救いというものは神が与えるのではなく、人が人に与えるものなのだろう。

 ロゼッタがファバに与えた物、それは間違いなく彼に対する救いであるのだろう。

 だが、その救いも、全てを解決するわけではない。

 結局これを活かすかどうかはファバ自身のこれからなのだ。

 レグスは二人のやりとりにそんな事を考えていた。

「ファバ、お前はこの街に残れ」

 レグスの唐突な一言に、ファバとロゼッタの二人は驚く。

「もう理解出来たはずだ。必要なのは剣の力などではないと。彼女なら、お前に本当に必要な物を与えてくれるだろう。無論、お前も学ぶ努力をせねばならんだろうがな。餞別はくれてやる。お前にやった弓、売れば一生食うには困らんだけの金になる」

 迷いがあるのかファバは何も言わない。

「俺が行くのは外道の旅、救いのない旅だ。今のお前にはもう必要のない世界だ」

 レグスの言葉にファバは覚悟を決める。

「いや、救いならもう貰ったよ。あんたについて来て、このダナに来たからこそ、ロゼッタと出会えた。感謝してる」

 少年の言葉に力がこもっていく。

「だからこそ、だからこそ今の俺には夢がある!! 強くなりたい。尊敬されるほどに、強く。そして世界を知りたいんだ、誰も見た事がような世界を。俺はいつかこの街に帰ってくる、その時、堂々とロゼッタの友達だと街の奴らに言えるぐらいの男になりたいんだ!! 連れてってくれ、レグス!! 覚悟は出来てる!!」

 いい目をしている。覚悟のある男の目をしている。

 たとえ地獄に行く道であろうとも、その目をした者は止めれやしない。

「後悔するぞ」

 レグスが何を言おうがもうファバの考えは変わらない。

「同じ事さ。今ここであんたと別れたら、俺は一生自分の愚かさを許せなくなる。そんな生き方御免だね」

 ファバのそれだけの覚悟を見てロゼッタが言う。

「ファバ……、止めても無駄ね」

「ああ、ありがとうロゼッタ。あんたにはほんとに感謝してる、けど俺は行くよ」

「ええ」

 優しく頷く彼女は手にした青水晶のお守りをファバの首へとかける。

「どうか二人共、お気をつけて。旅の無事を、女神フリアに祈っています」

 忘れはしないだろう、彼女の言葉を。優しさを。名を。

 ロゼッタ、ダナの街に暮らす女。

 それはファバにとって生涯忘れる事のない出会いだった。

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