Middle Phase 6 ~焼却炉~

 いち早く異変に気づいたのは、後方支援を担当していた焼却炉インシナレイターだった。山荘に入るまで聞こえていたはずのデルゲットの笑い声が、突如として消失したのだ。

「どうした? 状況を説明しろ、デルゲット。カルキノス、デルゲットの様子がおかしい。侵入経路から即座にバックアップを。ベントリロクエスト、表に回ってデルゲットを確認してくれ」

 カルキノスとベントリロクエストから指示に対する了解の応答を受けると、インシナレイターは山荘に向かって目を凝らした。雨と夜闇で視界は良好ではなかったが、オーヴァードとして発症したシンドロームのおかげで、彼の視力はサーマルゴーグル同様に動体の熱源を感知できる。

「――ッ!?」

 インシナレイターの鉄面皮が驚きに歪んだ。その表情を見たらカルキノスとデルゲットの方が驚いたかもしれない。

 小柄な人影が玄関を飛び出し、西側の林へと逃げこむ姿をインシナレイターは目撃した。次いで、裏口から回ってきたのであろうベントリロクエストが玄関に入り込むのが見えた。インカムからベントリロクエストが舌打ちしたのが聞こえた。

「……デルゲットが殺られたわ。喉をナイフで一突き――いえ、脳幹まで貫通してるわね」

「馬鹿な」

 ベントリロクエストの強張った報告を聞きながら、インシナレイターは苦々しく口走った。怪物化したデルゲットを倒す人間など居るはずがない。ましてや、普通の女子大生に、あの凶暴な怪物デルゲットを反撃すら許さずに殺しきることなど出来るはずがない。

 だとすれば、考えられるのは二種類のケースだけだ。

「どういうことだ。私が調べた情報でも、貴様が調達した情報でも、敵対勢力UGNの介入は確認されていないはずだぞ」

「マズいんじゃないかしら。標的、人間辞めちゃったオーヴァードかもしれないわよ」

 ブリーフィング時の懸念が現実となっていた。

 標的の早宮詩織がオーヴァードだったという情報は、インシナレイターの耳には入っていない。だが、兄の死、山荘への避難、危機的状況に置かれたことによるストレスが早宮詩織のオーヴァードへの発症を促したというのか。

「だとしても任務は変わらん。標的を追え。西の林へ逃げこんだ」

 ベントリロクエストが、追加料金は後で請求させてもらうわねとインカム越しに軽口を叩き、カルキノスとともに玄関を出て林の中へと飛び込んだ。

 インシナレイターも後を追うべく、早宮詩織が逃げた林へと向かった。インシナレイターは、作戦決行前に見た山荘の見取り図以外にも、この周辺の地図を頭に叩き込んでいた。

「林を真っすぐ行けば国道方面に抜けることが出来る。車を奪って逃走するのが狙いだろう。カルキノスは真っ直ぐ追え。俺は南側から回り込む。ベントリロクエストは北側だ」

 指示を出して目を凝らす。ベントリロクエストと思しき熱源が北西側へと方向を転換し、カルキノスが走るスピードを速めるのが見えた。二人の位置を確認しながらインシナレイターは握りしめていた右拳を開いた。

 実際のところを言えば、インシナレイターは戦闘向きではない。彼が特化しているのは工作員としての情報操作と――今でこそカルキノスに大半を任せているが、インシナレイターが最も得意とするのは暗殺である。

 右掌に二千度以上の高温ガスを発生させるという、至ってシンプルな能力と身体能力、情報操作を活かして標的に近づき、超高熱のガスを吸い込ませて呼吸器系を焼いて殺害する――それが焼却炉インシナレイターと呼ばれる所以でもあった。

 相手が生物であって呼吸をするかぎり、鼻と口を塞げばインシナレイターには十分に勝ち目がある。だが、今回の相手は生け捕りにして情報を引き出さねばならない。相手が人間ならまだしも、オーヴァードとなれば勝手が異なる。戦闘員として連れてきたデルゲットが反撃する前に倒されたとなれば、相当のポテンシャルを秘めたオーヴァードと考えるべきだろう。ならば油断をするべきではない。

「――カルキノス。相手はオーヴァードだ。殺さぬ程度なら、邪魔な手足は斬り落として構わん」

「……私、達者女ダルマを抱く趣味はないわよ?」

 カルキノスの返答よりも早く、ベントリロクエストが抗議の声を上げる。どこまでも食えない女だ。インシナレイターは苦虫を噛み潰し――鉄面皮は見る影もなく剥がれ落ち、普段使われていない表情筋が不愉快そうに歪んでいた。

「口を閉じろ、ベントリロクエスト。お前の趣味に付き合うつもりはない。我々は任務を遂行するために――」

 苛立ちを露わにしていたインシナレイターは、そこで通信を切った。否、常に冷静沈着を心がけていた彼が思わず切ってしまったというのが正しいだろう。

「馬鹿な」

 目の前、約十メートルほど先の木立の間に標的が――早宮詩織が立っていた。

 無数の疑問がインシナレイターの脳内を駆け巡る。どうやってカルキノスの追跡を撒いた? 何故逃げない? どうしてこっちに来た? 何のシンドロームだ? どうするべきか――

 インシナレイターの能力は捕獲に適した能力ではない。最悪、戦闘となれば殺害してしまうこともあり得る。だが、それは任務の完遂には程遠い。

(ならば、カルキノスたちが来るまでの時間稼ぎか)

 インシナレイターは腰を落とし、背広の裏から抜いた軍用ナイフを左手で逆手に構えると、右手の中に熱風を渦巻かせた。

「カルキノス、ベントリロクエスト、標的を発見した。援護攻撃カバーしろッ!」

 インカムに向かって叫び、インシナレイターは標的に向かって飛び出した。カルキノスにナイフ術の基礎を教えたのはインシナレイターである。正面切っての戦闘は得意ではないインシナレイターであったが、それは相手がオーヴァードであり、ある程度の特殊戦闘訓練を積んだエージェントの場合だ。相手が覚醒したてのオーヴァードであれば、付け入る隙もあるだろう。

 腕の動脈を狙って繰り出したナイフを避けたところで、右手を押し当てる。たとえオーヴァードであっても二千度の熱風を直に喰らえば無事では済むまい。行動不能に陥らせ、後は時間を稼ぐだけだ。

 インシナレイターは早宮詩織の無防備な右腕に向かってナイフを振り抜き――彼女の親指と人差指が、汚れたハンカチでもつまむようにナイフの刃を受け止めていた。

「馬鹿な――」

 ナイフを避けずに受け止める。オーヴァードに覚醒したばかりの一般人が、そんな暴挙に出るとは予想していない。今すぐにナイフから手を離し、距離を取るべきだったが、標的の予想外の行動にインシナレイターの反応は遅れてしまっていた。

 その遅れは、彼にとって命取りであった。

「――――ッ!?」

 左胸に衝撃。至近距離で銃撃されたような痛みが服を突き破り、肺に達する。指だ。早宮詩織の指が、インシナレイターの左胸に突き刺さっていた。肺胞が潰され、動脈や静脈が悲惨な音を立てて千切れていくのが体内にこだまする。あふれた血液が気管を逆流し、インシナレイターは雨の中に喀血した。

(馬鹿な。馬鹿な。馬鹿な!)

 なりふりを構っている場合ではなかった。ナイフを捨て、突き刺さる早宮詩織の腕を引き抜こうとするが、インシナレイターの腕力よりも彼女の押し込む力の方が強い。彼女の指は既に根本まで突き刺さり、新たに親指が食い込み始めている。

(こんなはずはない。こんなのは何かの間違いだ!)

 もし、この指が心臓に到達すれば、いくらオーヴァードであっても死は免れない。片肺を自らの血で溺れさせながらインシナレイターは能力を行使する。右手の中に熱風を作り出し、早宮詩織の顔面に押し当てる。

 だが――

 彼の上げた驚愕の叫びは、血に塗れた咳となって雨の中に霧散した。

 早宮詩織は焼けただれた顔を晒したまま、インシナレイターの心臓を握り潰した。

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