4(Hyde)

数時間前 卓也が喫茶店を出てしばらく後

『ラグーナポリス』商業エリア


 魔族と人間の共存、魔術と科学の融合を目指して創設された地域、魔族特区。そこは、人類のさらなる可能性を模索する場であると同時に、底なしの利益を秘めた市場でもあった。

 魔族を新たな顧客と捉え、もしくは魔術を応用した新たな商品開発を狙った各業界は、積極的に進出。近畿地方の魔族特区である『ラグーナポリス』もその例に漏れず、商業エリアは国内外の有名ブランドが、見本市の如く立ち並んでいる。

 そんな大御所たちが軒を連ねる大通りの一角、テニスコート2面分の敷地に構えられているのが、『易占奇術』だ。『易占』をそのまま『えきせん』、『奇術』をひねって『トリック』と読むこの場所は、4階建てのビルの内、2階層分にゲームセンターとスポーツジム、カラオケボックスを突っ込んだ娯楽施設。その知名度はラグーナポリス海上都市の観光ガイドにも載る程度。

 その為、春休みという束の間の青春を謳歌する若人たちで、店内は賑わっている。


 しかし、今回目を向けるべきはそんな青春の1ページではなく、その最奥部。サービスカウンターの脇から伸びる、L字の通路の先。普通の客なら気づかないエレベーターでのみ訪れることができる場所だ。

 表向きは、従業員の控室や景品その他の倉庫という事になっている3階フロアの一角に、古い行燈が目印としておかれた部屋がある。

 かつては闇に生きた怪異たちが公の存在になった現在でも、なお起こる奇怪な事件、それを解決してくれる相談所、『占い処 暁-アカツキ-』である。


 ふすまを模したスライド式のドアから中に入ると、そこはおよそ8畳の応接間。左右の壁際には本棚と茶箪笥たんすが並び、部屋の中央には、カラオケの備品を流用したL字ソファとテーブルが1セットおかれている。そのさらに奥には、大通りを見渡せる窓を背に執務机が一式置かれ、脇には天井をブチ抜いて梯子を掛けただけの、大雑把な上階への連絡口が設けられている。

 そして現在、『占い処』の主人である異邦人2人は、とある夫婦を来客として中央のテーブルに迎えていた。


「どうか、お願いします。娘の、シズクの無念をどうか・・・」


 夫とそろいで喪服に身を包んだ夫人は、テーブルの上に茶色く分厚い封筒を置き、ハンカチで顔を隠しながら頭を深々と下げた。

 やや大げさに見えるその仕草を向ける相手は、彼女らとは祖父母と孫ほども歳が離れていそうな、白いワンピース姿の少女。アジア系の顔立ちだが、目元が隠れる長さの髪は濃い茶色で、その隙間からは灰色の瞳が覗いている。

 彼女は夫婦が差し出した、大勢のが顔をのぞかせている封筒を、困った様子でしばらく見つめると、助けをうように、隣に座る女性を見上げる。

 少女より10歳ほど年上と思われる、長い金髪に蒼い瞳を持った赤いドレスの女性は、その意を汲み取ると頷き返し、卓上の封筒を丁重に押し返す。


「お気持ちはお察ししますが、これはお戻しください、ご両人。こういったご依頼は、我々ではなく警察へされた方がよろしい」

「そんな!?『魔物』の被害者なら必ず助けてくれる、そう聞いてわざわざ足を運んできたのにっ!」


 ハンカチを握りつぶし、夫人は青筋が浮いた顔を見せつける。その目元に、涙の跡は見られない。

 やはり芝居だったか、と内心で呆れながらも、赤いドレスの女性、新井あらいララは冷徹な表情のまま、間違いを訂正する。


「我々が助力できるのは、あくまでも『民事』で解決できる案件です。今回のような、警察が捜査をしている『刑事』の事件は、お引き受けできま・・・」

「もう良いわ!あなた達に頼もうとした私が馬鹿だった!」


 夫人はヒステリックに叫ぶと、狼狽うろたえている夫を放って、独りで部屋を出ていく。


の分際で、人間のマネなんかしてんじゃないわよ!!」


 入口のところで振り返り、そう捨て台詞を吐いて出て行った夫人に、店主2人はポカンとした顔で、互いに顔を見合わせる。


「・・・妻が、申し訳ない事を。私の仕事の都合で、娘と3人でこの街に越してきたのですが・・・」

「お気持ち、お察しします」


 少女が同情の声をかけると、夫はそそくさと『占い処』を去った。

 ちゃっかり、札束入りの封筒を懐に入れて・・・。


「「はぁ・・・」」


 来客が去り、戸が閉まったのを見届けた2人は、やれやれと体の力を抜いた。

 すると、それから数秒もせぬ間に、再び入口の戸が開けられる。入ってきたのは、なぜか左頬を腫らした卓也だった。


「・・・今すれ違った2人組が、メールにあった『依頼人』かな?やけに足早だったけど」


 喫茶店に居た時とは、がらりと雰囲気が変わっている彼は、保冷剤をキッチンペーパーで巻いた即席の氷嚢ひょうのうを頬に当てながら、部屋に居た2人に尋ねる。

 それに答えたのは、白の少女、新井ミカだった。


「ううん、刑事案件だったから断った。『魔物』呼ばわりされちゃったけどね」


 『魔物』、その単語を聞いた卓也は、びくりと肩を震わせ、踵を返そうとする。

 だが、即座に赤の女性、新井ララがソレを制する。


「まてまてまて!怒るのは判るが反射で動くな!!こら

「・・・・」


 その言葉で、卓也は『非常口のポーズ』で数秒固まった後、渋々ながら来客用ソファに腰を落ち着かせた。


「まだが残ってんのか?人間ってくっだらねぇ事を、いつまでも引きずるよなぁ」

 

 他人ごとのように言う卓也を、ララは諫めようとする。


「お前だって元人間・・・ああ、は最初からこっち側だったか」

「珍しいわね、あなたが昼間から出てくるなんて。その左頬の所為?『ハイド』ちゃん」


 ミカが患部を指さしながら問うと、卓也ハイドは忌々しげな顔で、ソファの上でゴロンと寝ころんだ。


「どこぞのが、『ジキル』を休日出勤させやがった所為でもあるけどな。こっちに上がろうとしたら、一階の隅の方・・・ほら、新しくプリクラの台置いた辺りで、カツアゲをやらかしている連中を見つけちまったんだよ。で、お客様対応係なジキルは、当然それを止めに入り、カツアゲ犯の一人のヘッタクソなアッパーで、って訳だ」

「この店でそんな事をするとは、島外からの旅行客か?・・・で、その哀れな不良たちは今?」

「地下一階のフィットネスクラブだろうよ。俺様ちゃんがした後、テイカーの旦那がまとめて担いでいったからな」


 それを聞いた2人は、連れていかれた不良たちのその後を想像し、そっと祈りをささげる。


「かわいそうに、この店で暴れたばかりに・・・」

「あ、あとでアルムさんに電話しておくわね。おいてって」

「放ってても大丈夫な気がするけどなぁ。・・・って、俺様ちゃんの事は、もうどうでも良いから」


 再び体を起こしたハイドは、氷嚢をポイッとくず籠へ投げ入れる。その頬は、最初から腫れてなどいなかったように、完治していた。


「さっさと本題に入ろうぜ。呼び戻した理由は、さっきの夫婦だろ?喪服だったって事は、最近、街の方でオイタしてる殺人鬼に絡んで、か?」

「ああ、喫茶店で新聞に目を通したか?昨日の夜、夫妻の一人娘であるシズク嬢が、4番目の被害者となったんだ。17歳、4月で高校3年になる予定だった」

「17歳の女子高生、ね。最初が不良グループの頭目ヘッド、次が泥酔したサラリーマン、風俗嬢と続いて、か。手当たり次第だな」


 ドブの中の汚泥を見ているような目つきで、ハイドは呟く。

 まったくだ、とララは彼に同意しながら、独自に調べていた内容がまとまったファイルを、戸棚から取り出す。


「犯行は夜遅くである事。全員が身体を貫かれて殺されている事。現場に残った血液の量がやけに少ない事。この3つが共通点だ」

「夜に活動して、人間の体を貫通できる力があって、血を食らう者。吸血鬼だな」

「それも成り立てで、かつ単独で行動している、ね。『親』が一緒に行動してるなら、血の接種方法をきちんと教えて、連続殺人なんて起こるはずないもの」

「独りでやってるなら、犯人は自分の痕跡を完全に消せないはずだろ。警察はどこまで追い詰めているんだ?」

「既に身元の特定はできているようだな。情報屋によれば、私服の刑事たちが、この男の行方を聞いて回っている」


 ララは一枚の写真を、卓上に置いた。

 そこに写っているのは、髪を緑と赤で染めピアスを顔にむやみやたらと付けた、チンピラの見本のような男だ。

 背景がなく真正面を向いていることから、何かの証明写真として撮られたものらしい。


「名前は――――。25歳、島外にて喧嘩や軽犯罪で複数の前科あり。最近特区に渡ってきたみたいだな。最初の被害者と、グループの主導権について争っていた事、犯行現場がすべてこいつの活動範囲内という事から、警察は確保に奔走している」

「だが捕まっちゃいねぇ。警察にだって対魔族用のチームがあるはずだろ?ジンノの旦那は何してんだか」

「向こうは人間だった頃からの札付きだからな。警察の動きをうまく察知してかわしているのだろう。だが、遺族にはそんなことは関係ない。しびれを切らして、我々『法の外に居る者』を頼ってきた」

「でも、私たちはやっぱり刑事事件には関われない。下手を打てば私たちが捕まるし、ジンさんにも迷惑掛かっちゃう」


 懇意にしている警察官の顔を思い浮かべながら、ミカは残念そうにかぶりを振った。

 闇に生きる者たちに人間の法が適用される。それは彼らの悪行を罰する機会を増やしたが、同時に懲戒する側にも厳しい制限を課す結果となったのである。

 すると、ハイドがある提案を持ち掛ける。


「だったら、正当防衛、って事ならどうだ?」

「正当防衛?・・・囮を使うつもりか」


 意図を察したララにハイドは頷くと、ミカの方を向いて説明する。

  

「お母様かあさまの能力で、奴の居場所を絞り込む。で、その近くに叔母上様を潜ませた状態で、ジキルをうろつかせ、襲わせる。そしてした俺様ちゃんと叔母上様でこいつをボコって、ジンノの旦那に引き渡す」

「・・・ジキルタクちゃんに、そんな痛い役目をさせたくはないのだけれど」


 目の前の卓也ハイドではない、別の卓也ジキルの身を案じるミカ。ララはそんな彼女の前にひざまずくと、下から見上げる姿勢で、励ましの声をかける。


「私がついている。安心してくれ、。それに、この甥っ子は既に一度、体に穴をあけている。2度目だからすぐに復活するさ」

「ちっ、昔の事を掘り返すなよ。というか、やったのはあんただろうが、叔母上様よぉ!」


 若干イラついた声で、ララを睨むハイド。その両眼は日本人とは・・いや人間からも程遠い、真紅の光を宿していた。

 

「うん?今から予行練習でもしたいのか?相手は所詮素人だからなぁ、私と違って、無駄に痛いかもしれないからなぁ」


 売られた喧嘩を買うように、手刀を作りながら威圧的に立ち上がるララ。サファイアのようだったその双眸そうぼうも、彼と同じく紅に染まっていた。


「もう、2人とも!喧嘩は外でやりなさい!」


 そして、テーブルに飛び乗り、2人の間に割って入ったミカも。


「この部屋の家具、高かったんだから!壊したらお仕置きよ!」


 を交互に牽制するその幼い瞳は、2人よりもはるかに強く、紅に輝いていた。

 

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