第31話 羅刹

 思い返してみれば、違和感や疑問点は少なからずあった。

 まず、それなりに広い森なのに、動物の気配がとぼしすぎること。

 村人が狩って食料にしている分を考慮こうりょしても、ちょっと不自然だ。

 鳥だけは結構いるようだが、それ以外の獣が殆どいない。

 そして、隠し牧場を作ってまで雑食性のクマに肉を与える行動。

 ドングリでも満足できる生物に、この手間は意図がわからない。


 更には、伯爵の館で堅牢けんろうな扉が破壊されていた、との情報。

 いくら大型サイズのクマでも、そこまでの怪力は発揮できない。

 何より明確な疑念が残ったのは、猛獣使いの老人が口走った一言だ。

 コチラの質問への「ワシも同じようにできんじゃねぇか」という返し。

 誰と同じことをしようと試みたのか――その答えが、多分これだ。


「それで、あれは何だ?」

「実物を見るのは初めてですが、恐らく【閑寂猴しじまざる】と呼ばれる不明新生物アンではないかと」

「しじまぁ? あんなにやかましいしいのに、何故そんな」

「あれがいると、付近の生物が狩り尽くされて静かになる、という由来だそうで」

「そいつは……相当な縁起えんぎの悪さだな」

「はい。戦闘能力は未知数ですが、『カリンの怪物』がもたらした被害と、先程の動きから推測するに、この半年に出会った中で最も危険な相手かと」


 閑寂猴しじまざるは月を背に、奇怪な挙動で手を叩き続けていた。

 威嚇いかく行動なのか、岩の上でピョンピョンと飛び跳ねてもいる。

 その姿を見ていると、落ち着きが失われて足腰がフラフラしてきた。

 自分よりはるかに強大な存在から向けられる悪意に、平常心が揺れる。

 明るい場所で直視していたら、より深刻な恐慌におちいったかも知れない。


「……どうしたものかな」

「手段を選ばなければ、速やかに消し去れるのですが」

「その場合、この森もあの村も一緒に消えるよな」

「そうなるでしょう」

「私の安全も危ういな?」

「否めません」

「では却下きゃっかだ」


 ディスターの竜への転変は、過去に一度だけ目撃している。

 それは正に『世界のことわり』の埒外らちがいにある、何にもたとえようのない異様な姿だった。

 竜の放つ規格外の攻撃も、どう形容すればいいか悩むたぐいの――


「ぎぃいいいいいぃひゃあひゃあひゃあ」


 サルの撒き散らす、叫びか笑いか不明瞭な騒音が、思考を寸断する。

 とにかく、この場で竜の力は使えそうもないし、どう戦うべきか。


「倒せるか?」

「わかりません」

「おいおい」


 呆れ気味に言うと、頭の中に「情報不足です」とのメッセージが。


「現時点でわかるのは、尋常ではない膂力りょりょくと、常識外れの機動力と、異常な容姿の持ち主である、の三点のみです。守勢に回りながらうかがいましょう」


 守りに入ろうにも、下手をすればガードごと即死しかねない。

 だが、積極策でこの状況を打開できる自信もなかった。

 なのでディスターの提案に頷いたのだが、その直後。

 岩の上で跳ねる閑寂猴しじまざる奇態きたいが、不意に視界から消える。


「なんっ――」


 予期せぬ状況に、狼狽ろうばいうめきが漏れてしまう。

 いくつかの衝撃音が連続して聞こえ、目の前が暗くなった。

 どうやらディスターが、私をかばう位置に移動したらしい。

 それから、獣を閉じ込めてある地下室の空気を凝縮ぎょうしゅくした、とでも表現すべきぎ慣れない異臭が漂ってくる。


「びぇへぇぇ! ぅぎゃひぁひゃぎゃぎゃ!」


 今までとは異なる、甲高い調子の咆哮ほうこうが響く。

 木々の間を跳んで高速移動したサルは、上空から私を狙ったようだ。

 びた短刀を並べたかのような、汚れた何十本もの爪。

 それらが体のどこかを引き裂く寸前、ハルバードの刺突が分厚いてのひらの一つを貫いた。

 このニオイは、閑寂猴しじまざるの体臭なのか血の臭いなのか。


「ぐきゃきゃきゃ、ぎょへぁきゃきゃきゃ」


 うらみがましい奇声を上げながら、サルは飛び退すさって姿を隠す。

 ディスターは追撃せず、ハルバードを振るって刃先の血糊ちのりを飛ばした。


「刃が通るなら、恐るるに足りません。薄気味悪いだけの害獣です」


 背を向けたままで言う、その口ぶりは平坦へいたんだった。

 さて、仕切り直しの契機けいきとしては十分すぎるほど十分。

 静かに息を吐いて長剣を構え、サルの再登場に備えて気配を追う。

 遠くない闇の中から、大型生物が騒々しく移動する音が。

 閑寂猴しじまざるは、我々を力押しで滅せると判断したらしい。


『右後方、伏せて――』


 下さい、と最後まで伝わる前にサルが飛び込んできた。

 二瞬前まで頭のあった空間を、剛毛と筋肉でおおわれた脚が切り裂く。

 屈みながら、牽制けんせいも兼ねて大きく剣を斬り払うが、手応えがない。

 外したのを後悔する間もなく、サルは跳躍ちょうやくして私との間合いを広げ、今度はディスターの方へと突進。


「ぅぎきぃいぇっ!」


 サルなりの気合なのか、短い叫びと共に腕の数本がうなりを上げた。

 ディスターは余裕のある動きで爪の乱舞をくぐり抜け、閑寂猴しじまざるの後背へと回り込む。

 そしてかさず、ハルバードのアックス部分を後頭部に叩き込んだ。

 だが、人体で言えば肩甲骨けんこうこつの辺りから生えている腕が、ポールをはじいて命中を阻止。

 影絵となって繰り広げられる攻防は、何やら幻想的ですらある。


「ぎゅぶるぁきゃ、ぎゃびゃぎゃぎゃっ!」


 またしても、にごった笑い声が響く。

 ささやかで必死な抵抗を見せる、貧弱な獲物たち。

 そうあざけっているのだと、言葉がなくともわかる。

 あなどられているのだと、わかってしまう。


「どちらが狩られているのか、思い知らせる必要があるな」


 早口で独り言ちると、剣を手にはしった。

 未知の敵に向かっていても、足取りは軽い。

 巨大な生物の奇怪な輪郭りんかくが、月明かりにハッキリと浮かんできた。

 改めて近くで見ると、1ジョウ3メートルはあったあのクマより、5シャク1・5メートル以上も大きい。

 獣臭にカビ臭さが混ざった不快なニオイが、近付くほどに濃くなる。


「はああっ!」


 掛け声と共に、すくい上げる軌道きどうで斬撃を放つ。

 その切先は、ディスターに気を取られているサルの、左脚の膝裏ひざうらあたりを深々と裂く――はずだった。

 しかし、次の瞬間に地面に転がったのは、目の前の不明新生物アンではない。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

メチャクチャなヴィジュアルの怪物は、どんな感じか文字だけで伝わってるのか不安になりますね……

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