第43話 040 劫火

「兵も巻き添えとなりますが、よろしいのですか」

「……ああ」


 ディスターからの静かな問いに、私は少しの間を置いて答える。

 多少の迷いはあったが、親衛軍は全て志願者で構成されていると聞く。

 それはつまり、無辜むこの者などいないということだ。

 自分が命じる行為の結果を考えると、胃の腑に焼けるような痛みが走る。

 だが、それを表には出さずにディスターから離れた。


 周辺の気温が急激に下がり、空気が山のいただきに似た薄さになる。

 どこからか湧いた群青の霧が、天を仰いだディスターを中心に渦を巻く。

 目にするのはこれで三度目となる、人から竜への変化だ。

 冷気を孕んだ旋風は緩やかに見えるが、周辺の砂礫や小石を空中へと巻き上げている。


 砦から出撃してきた親衛軍の将兵は、只ならぬ気配の高まりを感じ取ったのか、足を止めて霧が濃くなる様子を遠巻きに見守っている。

 やがてディスターの姿が見えなくなり、その身を包んだ紫紺は闇夜を思わせる漆黒へと色合いを転じる。

 そして巨大な繭に似た形状に膨らんだ霧が、音もなく盛大に弾け飛んだ。


「――――――――!」


 表音不能な咆哮が、不可解な反響を起こしながら大気を震わせた。

 不吉な色合いをした繭から現れたのは、古い伝承にあるような神々しい姿ではない。

 灰を混ぜた雪のような体色をしたそれは、高さ十五ジョウ(四十五メートル)を超えていそうな巨躯を大きく震わせる。


 それは蛇に似ている。

 それは骨に似ている。

 それは草に似ている。

 それは鮫に似ている。

 それは火に似ている。

 それは梟に似ている。

 それは虫に似ている。

 それは狼に似ている。

 それは岩に似ている。

 それは人に似ている。


 そして、何にも似ていない。


 雑多な生物と数多の無生物の特徴を備えながら、総体だと正体不明としか言えない巨大生物。

 私のレゾナ、ディスターの正体である竜とは、そういう存在だった。

 以前に二度の変化を見ているし、あれがディスターだと理解している。

 理解はしているのに、人知を超えた生物への畏怖からか、心胆が急速に冷却されていくのを感じている。


「――うっ、あああぁぁあっ! あああぁああぁあああっ!」


 呼吸するのを忘れたような兵達から、悲鳴と絶叫を混濁させた声が上がった。

 シュナースはその中心あたりにいて、腫れた顔を無様に歪めながら周囲に怒鳴り散らしている様子だ。

 救い難く愚劣な男ではあるが、この光景を目の当たりにして遁走しないとは、少なくとも臆病ではなかったらしい。

 硬直していた親衛軍の面々は、悲鳴を合図に恐慌状態へと陥り、醜態を丸出しにしながら我先にと砦に逃げ込んでいる。


「――――! ――――――――!」


 二度、続けての咆哮。

 地面が激しく揺れ、視界が上下にブレる。

 立っていられない。

 臓腑を凍らせるような冷えた突風に、心と体を持って行かれそうになる。

 それでも両手両膝を地面について、どうにかその場に止まった。


 数秒の静寂を経て、竜は予備動作も見せず上空高くへと舞い上がる。

 四つん這いのまま首を捻って見上げると、竜の顎門――だと思われる部位が大きく開かれているのが目に入った。

 そして、『虹色を帯びた漆黒』とでも呼ぶべき、例える対象の思い浮かばない炎が轟音を伴って降り注ぎ、瞬時に砦を黒く塗り潰す。


 耳を塞いで目を閉じて、地面に丸まって終わりを待つ。

 鼓膜を引き裂かんばかりの放射音は、徐々に薄れて溶けていく。

 熱気を感じさせない爆炎は、一頻り吐き尽くされたようだ。

 身を起こした時には、堅牢なコルブズ砦は跡形もなく消え去っていた。

 砦のあった場所には、深々と抉られた大穴だけが残されている。


「相変わらず、凄まじい威力だ……」


 分かってはいたが、言わずにいられない。

 これが、竜の炎。

 他の追随を許さない破壊の具現。

 世の理の外にあるとしか思えない巨大すぎる力は、『世界の始まりと共にあるもの』との自己申告に信憑性を与えている。

 ディスターとは――竜とは一体何なのだろうか。

 そんな、今更で身も蓋もない疑念が湧き上がるが、強く頭を振って散らしておいた。


 穴に近づいて覗き込むが、その底は覗えない。

 シュナース少将とその部下達は、底なしの底でまとめて塵か炭になっている。

 砦には何人の兵がいただろう――百人か、二百人か。

 親衛軍第五戦闘団が丸ごと、というのはさすがにないだろうが、決して少なくはない人数が居合わせたのは確かだ。

 

 そんな大量殺戮を指示したというのに、妙に白けた気分になっている。

 生かしておく理由の見当たらない、際限なく害毒を垂れ流す屑みたいな連中に同情するには、汚いものに触れ過ぎているし厭なことも知り過ぎている。

 もしかすると、シュナースや親衛軍が何をしているのか、もう一つ理解していない少年兵などもいたかも知れない。

 しかし、知るべきことを知らないでいるのも、この国に生きる者としては罪が深い。


 また一つ重荷を背負った気分は拭えず、溜息を吐いて空を見上げた。

 再び暗色の霧に包まれた竜が、たっぷりと湿気を含んで重そうな六対の翼を羽ばたかせながら、自分の作り出した大型クレーターの外縁に降下してくる。

 やがて霧は人体サイズに凝縮され、着地と同時に弾けてディスターが姿を現した。


「只今戻りました、姫様」

「……ああ」


 ディスターの面差しに疲労の色はなかったが、別種の翳りは濃く浮かんでいる。

 私も似たり寄ったりの状態だろうから、それ以上の労いの言葉は重ねず、二人で並んで大穴の奥へと視線を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る