宇宙要塞でスローライフを満喫中!

趣味人

第1章 ひだまり荘へようこそ

第1話 サービス終了の夜、俺は温室でトマトを収穫していた

『星海フロンティア・オンラインは、本日二十四時をもちまして、全てのサービスを終了いたします。六年間のご愛顧、誠にありがとうございました』


 視界の端に、運営からのお知らせが流れていく。

 今日だけで十回は見た文面だ。

 俺はそれを指で払って、目の前のトマトに手を伸ばした。


「……うん。いい色」


 真っ赤に熟れた実を、ヘタのところでぷつりと切る。

 収穫かごに入れると、ぽこん、と軽い効果音が鳴った。

 この音を聞くのも、今夜で最後らしい。


 ◇


 『星海フロンティア・オンライン』。通称ホシフロ。

 宇宙を舞台にしたMMOで、売りは何千隻もの艦隊がぶつかり合う大規模戦争だった。

 プレイヤーたちは陣営に分かれて星系を奪い合い、毎週のようにどこかで決戦が起きていた。


 で、俺はというと。

 六年間、一度も戦争に参加しなかった。


 始めたばかりの頃、なんとなく作った小さな居住モジュールに、なんとなくプランターを置いた。

 トマトが育った。

 それが妙に嬉しくて、プランターを増やした。温室を作った。温室を置くために区画を広げた。

 区画を広げるために資材を掘って、資材を加工するために工場を建てて、工場で余った資材でまた区画を広げた。


 気づいたら、全長百二十キロメートルの要塞になっていた。


 ゲーム内の要塞ランキングでは、サイズだけなら堂々の一位。

 ただし中身の八割は、畑と牧場と工場と倉庫と、あと温泉だ。


「生産廃人の要塞」

「宇宙で一番でかい家庭菜園」

「あそこを攻めても野菜しか出ない」


 掲示板ではそんなふうに呼ばれていた。

 否定はしない。実際、野菜しか出ない。


 名前は〈ひだまり荘〉。

 最初の居住モジュールに、なんとなく付けた名前がそのまま残っている。

 全長百二十キロの要塞がアパートみたいな名前なのは、たぶん俺のせいだ。


 ◇


「さて、と」


 収穫かごを抱えて、俺は温室の通路を歩き出した。

 サービス終了まで、あと四十分。

 最後に、全部見て回ろうと決めていた。


 第三温室では、レタスとハーブが整然と並んでいる。

 畝の幅は七十センチ。通路は一メートル二十。収穫ドローンがすれ違える最小幅だ。

 この配置にたどり着くまで、三ヶ月かかった。


 第五区画の牧場では、宇宙羊がのんびり草を食んでいた。

 ゲームのペットとしてはかなり地味な部類で、もこもこしているだけで何の役にも立たない。

 でも、ここの羊毛で作った毛布はなかなか評判がよかった。

 ……売った相手は、ほとんどNPCだったけど。


 工業区画では、何十本もの生産ラインが規則正しく動いていた。

 鉱石が流れ、精錬され、部材になり、また別のラインへ運ばれていく。

 この流れを眺めているだけで、俺は二時間くらい平気で過ごせる。


「最後まで、詰まりなし。えらいぞ」


 誰にともなく言って、俺は手すりを軽く叩いた。


 それから、温泉区画。

 なぜ宇宙要塞に温泉があるのかというと、温泉を作れるアップデートが来たからだ。それ以上の理由はない。

 湯気のエフェクトが、ゆらゆらと天井に上っていく。

 ゲームだから、もちろん入っても温かくはない。それでも作った。


 帰り道に、防衛区画の前を通った。

 ここだけは、あまり来たことがない。


 ホシフロでは、要塞にはときどきNPCの宙賊が襲撃してくる仕様になっている。

 放っておくと畑を荒らされるので、防衛設備を置くしかなかった。

 ただ、俺は生産しかしていないから、資材だけは山ほど余っていた。

 余った資材で、とりあえず一番いいやつを買った。それを何年も繰り返した。


 結果、ここには最高ランクの主砲が一門と、数えるのも面倒な数の防衛ドローンが眠っている。

 使ったのは、NPCの宙賊相手に数回だけだ。


 名前を付ける欄があったから、適当に付けた。

 主砲は「布団たたき」。防衛ドローンの群れは「ほうき」。ドローンを回収する母艦は「ちりとり」。牽引ビームは「物干し竿」。

 フレンドに見せたら、五分くらい笑われた。

 でも、家にあるものの名前なんて、それくらいでちょうどいいと思う。


 ◇


 最後に向かったのは、要塞の最上部にある展望庭園だった。


 芝生の上に、ベンチがひとつ。

 頭上は一面の透明な天蓋で、その向こうに星の海が広がっている。


 俺がベンチに座ると、空中に光の粒が集まった。

 すらりとした女性の姿。

 銀色の長い髪に、紺色のエプロンドレス。


『おかえりなさいませ、マスター。本日のご用件をどうぞ』


 要塞管理AI、ヘスティア。

 俺は「ティア」と呼んでいる。


 要塞を一定以上の規模にすると配属される、管理用のサポートキャラクターだ。

 見た目は自由にカスタマイズできる。俺が設定したのは、なんとなく、だ。

 ……いや、正直に言うと、要塞の雰囲気に合う人を三日くらいかけて考えた。


「ティア。今日で最後なんだってさ」


『おかえりなさいませ、マスター。本日のご用件をどうぞ』


 同じ台詞が返ってくる。

 ティアが話せる言葉は、全部で十二種類しかない。

 挨拶、生産状況の報告、資材の残量、襲撃の警告。それと、ほんの少しの雑談。


「知ってる。でも、言っておきたくてさ」


 俺は収穫かごからトマトをひとつ取り出して、膝の上で転がした。


「六年間、ありがとな。お前がいたから、こんなでかい家になった」


『マスター。第三温室の収穫が完了しました』


「うん。今、取ってきたとこ」


 噛み合わない会話に、少し笑う。

 それでいい。毎日ログインして、ティアに話しかけて、畑を見て、ラインを整えて。

 それが、俺のホシフロだった。


 戦争で勝った記録も、星系を支配した記録もない。

 あるのは、六年分の収穫記録と、何千回も描き直した配置図だけだ。


 まあ、悪くない六年だったと思う。


 ◇


 視界の右上で、時計の数字が進んでいく。

 二十三時五十九分。


 ワールドチャットには、別れの言葉が滝のように流れていた。

 「お疲れさまでした」「楽しかった」「また会おう」。

 戦争をしていた連中も、今夜は敵も味方もない。


 俺もひとつだけ書き込んだ。


〈ひだまり荘です。六年間、野菜を買ってくれた人たち、ありがとうございました〉


 すぐに返信がいくつか来た。


〈野菜の人だ!〉

〈あそこのトマトで回復アイテム作ってた。最高だった〉

〈結局一回も攻めなかったな。攻めても野菜しか出ないし〉


 最後のやつは余計だ。


 画面中央に、大きな数字が浮かび上がった。


 十。九。八。


『マスター』


 ティアの声がした。

 いつもの、決まった台詞のはずだった。


『――本日も、お疲れさまでした』


 あれ、と思った。

 その台詞は、ログアウトするときの挨拶だ。俺はまだログアウトしていない。


 三。二。一。


 視界が、真っ白に塗りつぶされた。


 ◇


 ――土の匂いがした。


 最初に思ったのは、それだった。


 湿った土と、青い葉っぱの匂い。それから、少し甘い、熟れたトマトの匂い。

 頬に、ちくちくと何かが当たっている。芝生だ。


「……ん」


 目を開けると、透明な天蓋の向こうに星空があった。

 展望庭園だ。どうやら俺は、ベンチから芝生に転げ落ちて寝ていたらしい。


「サーバー、まだ落ちてない……?」


 体を起こす。

 手のひらに、芝生の感触が残っている。


 ……感触?


 ホシフロのVR機器には、触覚のフィードバック機能なんてなかった。

 物に触れても、軽い振動がある程度。

 匂いなんて、一度も感じたことがない。


 俺は手を開いて、閉じた。

 指の関節が、ちゃんと曲がる感覚がある。

 膝の上から転がり落ちていたトマトを拾うと、ひんやりと冷たくて、表面がつやつやしていた。


「……は?」


 かじってみた。

 甘くて、ちょっと酸っぱくて、青臭い。

 汁が顎を伝って落ちた。


「おいしい」


 いや、そうじゃない。そうじゃないんだけど、おいしい。

 六年育てて、初めて食べた自分のトマトは、ちゃんとトマトの味がした。


「――おはようございます、マスター」


 背後から、声がした。


 振り返ると、ティアが立っていた。

 銀色の髪。紺色のエプロンドレス。見慣れた姿だ。

 でも、何かが違う。


 表情が、あった。


 ゲームの中のティアは、いつも同じ穏やかな微笑みを浮かべているだけだった。

 今、目の前のティアは、少しだけ目を潤ませて、唇をきゅっと結んで、俺を見ている。

 まるで、ずっと待っていた人にやっと会えた、みたいな顔で。


「ティア……?」


「はい。ヘスティアです、マスター」


 ティアは胸に手を当てて、深々とお辞儀をした。


「ずっと――ずっと、こうしてお話ししたいと思っておりました」


 十二種類しかないはずの台詞のどれとも、違う言葉だった。


「えっと……これ、大型アップデート?」


「アップデート、でございますか」


 ティアは小さく首をかしげた。それから、ふと、何かに耳を澄ますように天蓋の向こうを見上げた。


「申し訳ございません、マスター。ご説明の前に、ひとつご報告がございます」


 ティアの声が、ほんの少しだけ低くなった。


「要塞の外に、お客様がいらしています。……武装した船が、十二隻」


「お客様?」


「はい。先ほどから『積み荷と船を置いていけ』と、繰り返し通信を送ってきておられます」


 ティアは、にこりと微笑んだ。

 いつもの、穏やかな微笑みで。


「お通ししますか? それとも――お片付けしますか?」

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