11. バロア大城

 南方未踏地帯――五大国から広まった総称である。


 その地の実情が分かっていないことに加え、ここ五十年ほど大小さまざまな事件や動乱が相次ぎ、開拓に回せる人手を確保できなかったことから、そう名づけられた。


 しかしここ数年、人の魔王の台頭は、まるで新たな時代の象徴のようだった。


 三国連合による死亡峡谷への進攻が失敗して以降、探検、開拓、移民、発展、進歩――あらゆるものが加速し、人亜連合の最南端の国境よりさらに南に広がる未踏地帯にも、多くの冒険者や傭兵団が押し寄せるようになった。


 その中には邪教徒の集団や盗賊団、野外を拠点とする勢力など、さまざまな思惑を抱く組織も少なくなかった。五大国のように秩序を維持する強大な勢力が存在しないこの地では、未踏地帯は血と殺戮と混乱の代名詞となっていた。


 すべては、自らの力で語るしかない。


 そんな血肉がすり潰される南方の地獄で、輪と足跡商会、遊騎兵ギルド、人亜連合、神々の国が先駆けて協力し、最初の都市を築いた。そして移住者の居住と安全を保障すると宣言した。


 未踏地帯に生まれた新興都市は、闇の中にただ一つ灯る灯台のように、大勢の行商人、住民、冒険者、傭兵団を引き寄せた。その発展ぶりは、死亡峡谷の外にある希望町をも上回りつつあった。


 人の魔王の存在を警戒する蒼藍帝国を除き、ほどなくして鋼鉄の玉座までもが南方開拓への参加を表明した。


 そして、知性種族を代表する戦略兵器である飛空艇が初めて新興都市へ降り立ったことで、この都市が南方未踏地帯における発展と開拓の中心となることが決定づけられた。


 現地の人々は、この都市に一つの名をつけた。


 バロア大城。


 闇の中の灯火を意味する名だった。


「……以上。これが私たちの向かう場所と、そこへ行く理由。あそこならお前への約束を果たせるだけじゃなく、アンダの消息も聞けるかもしれない。分かった?」


「うん、分かった。そこへ行けば腹いっぱい食えて、アンダも見つけられる」


「そう。簡単に言えばそういうこと。私の正体は絶対に漏らさないで。でなければ約束は即刻なし。誰かに聞かれたら、私は亜人だと言いなさい」


「ヴァネッサ、翼があるなら亜人じゃないのか?」


「私は堕天使族よ! あんたたち知性種と敵対している悪魔! このデカブツ! 何を言っても覚えられないの!」


 迷いの荒漠を抜け、黒い虫の群れの追撃から逃れて以来、堕天使が野蛮人を叩いたり怒鳴ったりすることは道中ずっと途切れなかった。


 ときおり男から反論や疑問が返ってくれば、女の不満げな声はますます激しくなり、男が何度も謝り始めて、ようやく収まる。


 そして今日、二人の目にようやく一つの都市が映り、先ほどの会話へとつながった。


 緑豊かな大草原の上に、まるで継ぎ接ぎしたような、設計も美観もない醜い都市が建っていた。丘の高みから見下ろせば、それはなおさらはっきりと分かった。


 思いつくたびに増築してきた仮設住宅のように、外周を囲む城壁は四角でも円でも、何か名をつけられる形でもない。でたらめに重なり合い、目が眩むほど入り乱れていた。


 さらに内部を切り分けるように城壁が交錯し、大小さまざまな細かな区画がいくつも生まれていた。その中には、粗末でありながら高く組み上げられた家々と人の群れがひしめき、影が多く、いかにも混沌として見えた。


 さらに近づけば、どの城壁にも不安を誘う暗い褐色がこびりついているのが見えた。乾いてはまた重なり、いったい何層になったのかも分からない血痕だった。いくら懸命に洗おうと、もはや落ちることはない。


 内から外へと乱雑に重なるその一枚一枚の城壁こそが、バロア大城の血塗られた発展の歴史そのものだった。


 光神の午後。


 城外の通行門では、見張りを務める衛兵小隊が戦々恐々と、それでも一つ一つの仕事を確実にこなしていた。


 いつ生死に関わる危機が起きてもおかしくない南方未踏地帯では、何が起きても不思議ではない。強大な盗賊団が潜入して城を攻めたことすら、過去にはあった。


 自分たちが城内で暮らし続けるためにも、そこで暮らす家族や友人のためにも、彼らは真剣に仕事をしていた。


 だが、山のような巨体が目の前に立ったときばかりは、衛兵小隊の兵士たちも思わず逃げ出したくなった。


 衛兵隊長は野外巡回に出ていた。


 仕方なく一人を城内の治安隊長への連絡に走らせ、ほかの入城待ちの人々をなだめながら、小隊長は部下たちの期待に満ちた視線を背に、わずかに脚を震わせつつ、自分の二、三倍はありそうな正体不明の訪問者へ近づいていった。


「な……何者だ? 城へ入るなら通行証が必要だ。もし……もし持っていないなら、何か必要なものがあれば城外市場を見てくるといい。あそこにも商人はかなり集まっている」


 バロア大城にはすでに数十万人が暮らし、収容はほぼ限界に達していた。加えて、以前には盗賊団が潜入して城を襲ったこともあった。


 そのため安全管理上、この都市を共同建設した二大ギルドと三大国が発行した通行証を持つ者しか、入城を許されていなかった。通行証を得られなかった訪問者の多くは、バロア大城の周囲にそのまま住み着いた。


 安全な庇護を求める一方、次に都市が拡張されたときには、自分たちの住む場所も城壁の内側に取り込まれることを期待していた。


 さらには別の目的を秘めた集団まで現れ、やがて活発に取引が行われる城外市場が生まれた。単独で、あるいは非正規に活動する行商人や冒険者も、ここで商売をしたり機会を探したりしていた。


 ただしバロア大城にとって、それは違法な灰色地帯だった。


 通常なら城外の衛兵隊が見つければ追い払い、取り締まるため、夜間や人目につかない場所でこっそり取引するしかない。


 小隊長がここまで積極的に詳しく説明したのは、目の前の巨大な訪問者から受ける圧力があまりにも重かったからだ。緊張のあまり何度唾を飲み込んだかも分からず、それでも近づいて愛想笑いを浮かべながら、親切に城外市場の方向まで指し示した。


 法の手が届かず、危険に満ち、個々の実力差もあまりに大きい南方未踏地帯。彼は、わけも分からないまま死にたくなかった。


 そのせいで足止めされていた入城待ちの人々も、笑い声を上げたり不満を口にしたりする者はいなかった。彼らとて、あの小さな巨人を正面から相手にする勇気などない。


 冒険者のパーティや傭兵団までもが静まり返り、事の成り行きをじっと見守っていた。


「……出しなさい」


「え?」


 小さな巨人のほうから、気位の高い冷ややかな女の声が聞こえてきた。


 小隊長は一瞬ぽかんとした。ぼろぼろの獣皮をまとったその姿からして、どう考えても目の前の相手が女だとは思えなかった。


「すみません……何を、出せばいいのでしょうか?」


 小隊長は表情を曇らせ、不安げに尋ねた。無意識に、身につけていた金貨の入った小さな財布へ手を伸ばした。


 切り詰めてようやく貯めた金に、いくらかの「心付け」まで加えた蓄えだった。


 同時に、腹の底から怒りも湧いてきた。バロア大城の門前で強盗とは、盗賊団もいくらなんでも図に乗りすぎだろう!


「出せって言ってるの!」


 気位の高い女の怒声が、苛立たしげに響いた。


 小隊長はたちまち、周囲の天地が狭まったかのように感じた。視界が巨大な影に覆われ、自分の身体を丸ごと掴んで握り潰せそうな大きな手が、ゆっくりと伸びてくる。


 額には冷や汗が浮かび、恐怖が心を満たした。


 金か命か、小隊長が迷っていたそのときだった。


 小さな巨人が近づいたことで、その背後に、分厚い外套で全身を覆った人影がいることにようやく気づいた。


 よく見れば、小さな巨人は背中に粗末な骨の椅子を巧みに背負っており、そこには大柄な人物が一人座っていた。先ほど声を発した女だった。


「悪いわね。こいつ、反応が少し鈍いの。これが私たちの通行証よ」


 伸びてきた大きな手は金を要求していたのではなかった。開かれた掌には、特殊な素材で作られた一枚の通行証が載っていた。少し古びてはいたものの、文字はまだはっきりと読み取れる。


「神々の国発行……ヴァネッサ……亜人の魔法使い……未踏地帯に出没する魔獣の調査……うん、問題はなさそうだ。お、お二人が差し支えなければ、これを持っていき、魔紋機器で再確認する必要があります」


 小隊長は不安げに言った。女から「嫌だ」と返された瞬間、あの大きな手に頭を叩き潰されるのではないかと恐れていた。


「頼むわ」


 拒絶も不満もなく、冷ややかな女の声が返ってきた。


 小隊長が震えの止まらない脚で急いで城内へ戻っていくと、業を煮やしたヴァネッサはヤガザンの肩を何度も強く叩きながら文句を言った。


「デカブツ、何してるの! ここは五大国とは違うって言ったでしょ! 城に入りたいなら、人を見たら通行証を出しなさいって! どうしてずっと相手をぼんやり見てるのよ! あの小隊長、たぶんあんたが城を攻めに来たと思ってたわよ!」


「忘れてた。ごめん」


 ヤガザンは少しばつが悪そうに頭を掻いた。


 実のところ、彼はずっと道中でヴァネッサから聞いたバロア大城の歴史を思い返していた。


 身体を鍛えること以外で、彼が何より好きなのは物語を聞くことだった。夢中になりすぎて、言いつけられていたことを忘れてしまったのだ。


「まあいい。何も起きなかったならそれでいい」


 小さくため息をつき、ヴァネッサは頭が痛そうに骨の椅子へ座り直した。


 迷いの荒漠を出てからバロア大城へ向かう道中、こうしたことは何度もあった。一度など、ある冒険者パーティと危うく戦いになりかけたほどだった。


 ヤガザンの鈍くてのんびりした性格に、あの威圧感のある外見が合わさっているのだから、誤解や恐怖を招くのも無理はなかった。


 どうせ城に入り、自分の約束を果たしたあとは相手と別れることになる。そのときになれば、ヤガザンが何をしようが好きにすればいい。自分にはもう関係ない。


 ヴァネッサがそう考えていると、座っていた骨の椅子がふっと揺れ、同時にヤガザンの声が聞こえてきた。


「ヴァネッサ、少しはよくなったか? 城に入ったら、先に神官様かお医者様を探そう。あの人たちはすごい。前に一緒に冒険隊を組んだことがあるんだ。みんな、どこか具合が悪くてもすぐ治してもらえた……」


 空を埋め尽くす黒い虫の群れから逃れたあと、ヴァネッサは短時間のうちに無理なやり方で大量の魔法を炸裂させたため、かなり衰弱していた。


 そのうえ、一日の半分は光神の光が差す時間であり、道中には身を隠せる適当な日陰が必ずあるわけでもない。


 何より、彼女自身が先を急いでいた。


 そのため、まともに休息を取って回復することができずにいた。


 ヤガザンも、ヴァネッサが急いで進みたいという要求を拒むことができなかった。そこで自らこの粗末な骨の椅子を作り、身体に括りつけ、彼女を乗せたまま半月をかけてバロア大城まで歩いてきたのだ。


 ヴァネッサは、骨の椅子の肘掛けにしっかりと巻きつけられた柔らかな獣皮に触れた。背もたれには鳥獣の羽毛を詰め、粗布で縫い上げた背当てが置かれ、座面にも同じ作りの座布団が敷かれていた。


 そのすべてが、目の前の野蛮人の手によるものだった。


 あの男に、こんな器用な一面があるとは想像しがたい。あれほど巨大な両手でありながら、こうした細かな作業も実に手際よくこなしていた。


 ヤガザンが時折かけてくる気遣いの言葉を聞きながら、ヴァネッサは表情を曇らせた。胸の内には、にわかに複雑な思いが広がった。


 結局、彼女は何も言わず、ただ静かに通行の確認が終わるのを待ちながら、ヤガザンが一人でいつまでも話し続けるに任せていた。


 そのとき。


 少し離れた入城待ちの列の中から、悪意を帯びた一対の目が、二人の異変を捉えていた。

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