3.差異

 シロ大陸北部には、いくつもの縦谷と丘陵が連なる雄大な山岳地帯が広がっている。鋼鉄の玉座と神々の国の間に位置する露天鉱山、鉱脈荒原もまたその一つだった。


 大小さまざまな丘が起伏を繰り返し、むき出しの鉱脈地帯を抜けてようやく、周囲の大地に木々や野草などの植物が生い茂るようになる。


 死んだ砂丘魔虫の巨大な身体の上に座り、ロンベロは高い位置から遠くを見渡した。


 果てしない空は澄み渡るような青一色で、広大な原野には緑が満ちている。上空ではエネルギーの流れが時折オーロラのような色彩を幾筋も描き、巨大な虫体を引きずる凄まじい物音に驚いた小さな温厚な動物たちが、あちこちへ逃げていった。


 わずかに冷気を帯びた風が服をはためかせるたび、むしろ冒険者としての血が熱くなる。


「うおおおおっ!」


 突然の雄叫びに、ほかの四人は揃って驚き、いつまでたっても静かにしていられない元気な隊長へ顔を向けた。


「ロンベロ! また何やってるのよ! 怪我人なんだから大人しく休んでなさい!」


 叫び声に驚いて身体を起こしたルリは、すぐに腰から腹にかけて痛みが走るのを感じた。先ほど砂丘魔虫に叩き飛ばされた時の傷だ。


 そのせいで余計に腹が立ち、大声で怒鳴りつける。


 聞き慣れた怒鳴り声に我に返ったロンベロは、気まずそうに頭を掻きながら笑った。


「ははは! 悪い悪い。俺たちのパーティが、こんな大型魔獣を倒したのは初めてだろ? ちょっと興奮しちまってさ」


 ルリは再び巨大な虫体の上へ横になると、横目で彼を睨んだ。


「倒したのはあんたじゃないでしょう。何をそんなに喜んでるのよ。帰ったらちゃんとヤガザンにお礼を言いなさい。私たちを助けてくれたんだから」


「もちろん! もう決めてる。報酬の半分を渡して、それからヤガザンにうまいものを腹いっぱい食わせてやる!」


「いいわね。そのお金はあんたの取り分から出しなさい」


 ロンベロの嬉しそうな顔が、一瞬で引きつった。


 常識外れの体格と信じられない戦闘力に負けず劣らず、ヤガザンの食べる量も凄まじい。いや、恐ろしいと言ってもいいほどだった。


 満足するまで一食食べさせれば、報酬が大きく減るどころか、手元に残るのはないよりましという程度になりかねない。


「ルリ、ヤガザンへの礼なら、パーティの共有資金から出すっていうのは……」


「だめ。隊長なんだから責任取りなさい! それに、さっきからうるさいのよ!」


 一方は必死に頼み込み、もう一方は怒鳴り返す。


 二人の騒がしい声が風に乗って原野へ流れ、ほかの三人までつられて笑い出した。


 その中で、アイリナはヤガザンの名前を聞くと、思わず頭の尖り帽子を押さえた。ほかの誰にも気づかれないように、そっと振り返る。


 視線の先には、一人で先頭を歩く巨大な背中があった。


 ヤガザンはたった一人で砂丘魔虫の死骸を引きずり、鉱山からここまで歩いてきていた。通ってきた大地には長く深い跡が残っている。この小山ほどもある巨大な魔獣を、そのまま鋳鋼山岳都市まで運び、依頼を完了させるつもりなのだ。


 若い地霊族の魔法使いは、丸い大きな瞳を輝かせながらその背中を見つめていた。そこには、隠しきれない憧れと慕情が浮かんでいる。


 傍らでは、いつも何も見ていないふりをしているゾラが、その様子にいち早く気づいていた。少し心配そうな顔をすると、自分より年上のジェオンを肘でそっとつつく。


 中年神官はゾラを見て、それからすっかりヤガザンに見入っているアイリナへ目を向けた。


 小さくため息をつく。


 そしてすぐ、おじさんらしい人のよさそうな笑顔を浮かべ、わざと大きな声で言った。


「アイリナ、ヤガザンを見てたのか?」


「えっ!?」


 こっそり見ていたことを言い当てられ、アイリナは飛び上がりそうなほど驚いた。慌てて帽子のつばを下げ、少し赤くなった頬を隠す。


「み……見てませんよ。わ、私はロンベロ兄さんと同じで嬉しかったから……その……周りを見てただけで……」


 若い魔法使いの恥ずかしそうな姿を見て、ジェオンはますます頭が痛くなった。


 これから、少し残酷なことを言わなければならないからだ。


「そうか。いやな、パーティの中じゃ、お前が一番ヤガザンと親しいだろ? 今回あいつに手伝ってもらえたのも、前にお前が街で迷子になった時、世話になったのがきっかけだ。だから帰ったら、お前から祝勝会に誘ってもらおうと思って……」


「はい! 私が誘います!」


 ジェオンが最後まで言い終わる前に、アイリナは可愛らしい顔をぱっと上げ、大きな声で答えた。


 表情には驚きと喜びが溢れ、今すぐにでも誘いに行きたそうだった。


「それにな。祝勝会だけじゃなくて、ヤガザンはあれだけ強いんだ。もし正式にうちのパーティへ入ってくれたら……」


 そこまで聞いた瞬間、アイリナの丸い瞳が星でも宿ったかのように輝いた。


「い……いいんですか!? ヤガザンに、私たちのパーティへ入ってもらっても!」


 普段は内気なアイリナが珍しく大声を出したため、まだルリに許しを請うていたロンベロも、横になって傷を休めていたルリもこちらを向いた。


 だが話の内容を聞くと、いつも騒がしい二人まで黙り込んだ。


 そこまで期待させてしまったところで、ジェオンは少し申し訳なさそうに顔を逸らした。あまりにも純粋で真っ直ぐな瞳を、まともに見ることができなかった。


「俺も、そうできたらと思う。だが……ヤガザンがうちのパーティに入るのは無理だ」


「え……?」


 天から一気に谷底へ落とされたように、アイリナの顔から喜びが消えた。頭の帽子までしゅんと垂れ下がったように見える。


「ど……どうしてですか? ヤガザンが食べすぎるからですか? 私、報酬を少なくしても大丈夫ですから……」


「いや、それは……ごほっ!」


 答えようとしたジェオンの脇腹へ、ゾラの肘が強烈に突き刺さった。振り向くと、彼女が恐ろしい目で睨んでいる。


 余計なことを言えば、アイリナをさらに傷つけるだけだ。


 そう悟ったジェオンは、すぐに本題へ入った。


「アイリナ。ヤガザンは強すぎるんだ。あの強さは、うちみたいなパーティじゃ抱えきれない。いや、鋳鋼山岳都市のどこを探しても、あいつを抱えられる冒険者パーティなんてないだろう」


「今はまだ大して名が知られていないかもしれん。だが実際に一緒に戦ってみて、俺には分かった。ヤガザン一人で、十大傭兵団や、伝説と呼ばれる一部の冒険者と肩を並べられる」


「たまに一緒に仕事をして、助けてもらうくらいなら問題ない。だが、あまり近くにいすぎれば、お前にもパーティにも余計な危険が降りかかる。それに、お前たちは種族も違いすぎる。体格だけ見ても……ごほっ!」


 そこから先は、若くて恥ずかしがり屋の魔法使いに聞かせるような話ではない。


 ゾラが今度は強く肘を叩き込み、ジェオンの余計な言葉を止めた。


 だが、言いたいことは十分に伝わってしまった。


 アイリナは再び顔を伏せた。帽子のつばをさっきよりも深く下げ、可愛らしい顔をすっぽりと隠す。


 震える声が、その下から小さく聞こえてきた。


「わ……分かってます。ヤガザンがすごく強いって、初めて見た時から分かってました」


「前は……怖かったんです。初めて会った時なんて、怖くて何も話せなくなって……でも……でも、ヤガザンは本当はすごく優しいんです!」


「いつも優しく慰めてくれるし……わざわざ腰を曲げて、無理して私に合わせてくれて……」


 声は次第に、小さなすすり泣きへ変わっていった。きらりと光る涙がぽろぽろと零れ落ち、どれだけ帽子を深く下げても隠しきれない。


 ロンベロ、ルリ、ゾラ、ジェオンの四人は、困ったように顔を見合わせた。パーティで一番年下の仲間が見せるやるせなさと悲しみを前にして、誰も何を言えばいいのか分からなかった。


 野蛮人の体格は、一般的な人族のおよそ二倍。


 ヤガザンはそれをさらに上回る。


 一方、アイリナはドワーフ族の一系統である地霊族で、身長は一般的な人族の三分の二にも届かない。


 二人の差は、あまりにも大きかった。


 想像するだけでも恐ろしいほどに。


 泣きじゃくるアイリナを見て、ゾラはそばへ寄ると優しく抱きしめた。


「大丈夫よ、アイリナ。ヤガザンはパーティには入れないけど、いい依頼があったら今日みたいに手伝ってもらえばいいじゃない」


 ルリも身体の痛みをこらえ、片手で腹を押さえながらアイリナのそばまで身体をずらしてきた。


「そうよ! 遊騎兵ギルドの掲示板なんてあんなに大きいのに、依頼で埋まって貼る場所もないくらいでしょう? 鋳鋼山岳都市には、私たちを待ってる仕事がいくらでもあるんだから」


「次はヤガザンにも手伝ってもらえる依頼を取ればいいのよ。そうすれば、またみんなで冒険できるわ」


「だから泣かないの。報酬が足りなかったら、ロンベロとジェオンおじさんの取り分まで使って、ヤガザンにご飯を食べさせればいいんだから」


 ゾラも頷いた。


「そうね。どうせ二人とも大して役に立たないし、荷物持ちくらいしかできないもの。アイリナ、それならいいでしょ?」


 いつの間にか自分たちの報酬を勝手に分けられていたロンベロとジェオンは、顔を見合わせた。せめて自分たちの権利くらい主張しようとしたものの、ルリとゾラから同時に鋭く睨まれる。


 結局二人は何も言えず、砂丘魔虫の巨大な身体の上へ揃って寝転がった。


 その生きる気力まで失ったような姿を見て、アイリナはとうとう泣きながら笑った。何度も頷き、それから首を振る。


「それじゃロンベロ兄さんとジェオンおじさんが可哀想です。もし……もしヤガザンに合いそうな依頼があったら、その時に私からお願いしてみます。なかったら、それでも大丈夫です。みんな、無理しなくていいですから」


 可愛らしい顔には、仲間を気遣う素直な気持ちが浮かんでいた。


 遠慮がちなその様子に、ゾラとルリはますます愛おしさを感じ、二人一緒にアイリナをぎゅっと抱きしめる。


「安心しなさい! ロンベロとジェオンおじさんを売り払ってでも、いい依頼を取ってきてあげる!」


「えっ……ルリ、売るならジェオンおじさんだけにしないか? 俺、荷物くらい持てるぞ」


「天翔る者よ、どうかお怒りをお鎮めください。この子は先ほど頭をひどく打ったのです。どうか知恵の風を吹かせ、昔からの欠陥をお癒やしください!」


「おい、ジェオンおじさん! 誰の頭に欠陥があるって!?」


 相手がルリやゾラならともかく、ジェオンに遠慮する理由はない。


 ロンベロとジェオンは二言も交わさないうちに取っ組み合いを始めた。


 それを見たゾラ、ルリ、アイリナの三人は、とうとう堪えきれず声を上げて笑った。


 軽やかで、楽しげで、何ものにも縛られない笑い声が、風の中へ、原野へ、そして天地の間へ広がっていく。


 これが、五人の冒険者パーティの日常だった。


 一方、その少し前方では、対照的にひっそりとした一つの影が、黙々と巨大な魔獣の死骸を引きずりながら歩いていた。


 ヤガザンは恐るべき肉体を持つだけではない。


 五感も驚くほど鋭く、感覚に秀でた天賦を持つ亜人にさえ劣らなかった。


 だから。


 話し声も、聞こえていた。


 泣き声も、聞こえていた。


 笑い声も、聞こえていた。


 それでも光神の灼熱の光が降り注ぐ中、ヤガザンはただ俯いたまま、鋳鋼山岳都市へ向かって歩き続けた。

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