第2話 魔王軍四天王、尻を失ったので勇者と手を組むことにした

 絶望とは何か。


 大切な人を失うことだろうか。


 築き上げた地位や名誉を奪われることだろうか。


 あるいは、己の存在そのものを否定されることだろうか。


 否。


 真の絶望とは、失ったものが二度と戻らないと知ったときに訪れる。


 そして、ここに四人。


 絶望の淵に立たされた女たちがいた。


「……お願いです」


 魔王城の医務室。


 氷結のエリザベートが、震える声で懇願していた。


「どうか……どうか、元に戻してください……」


 彼女の前には、魔王軍最高位の治癒術師が立っている。


 幾千もの命を救い、四肢を失った兵士すら復元させる伝説の治癒術師だ。


 その老魔族が、静かに首を横に振った。


「……不可能です」


「…………え?」


「これは欠損ではありません」


「……では?」


「存在の書き換えです」


 老人は震える手で診断書を差し出した。


「エリザベート様。あなたのお尻は……」


「…………」


「最初からドーナツだったことになっています」


「…………は?」


 老人は目を伏せた。


「治癒魔法は、失われた肉体を本来の形へ戻すもの。しかし、あなたの肉体にとって、現在の状態こそが本来の姿なのです」


「そんな……」


「つまり、治癒魔法を使えば使うほど……」


「…………」


「ドーナツとしての完成度が高まります」


「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 氷結の魔女が泣き崩れた。


 ◇


「……次の方」


 治癒術師の声に応じて、紅蓮のアリシアが進み出た。


「私ならどうだ!?」


 その瞳には、まだ希望が宿っていた。


「私は炎の剣士だ! 氷結の魔女とは肉体構造が違う! 何か方法があるはずだ!」


「……診察しましょう」


 老人が鑑定魔法を発動する。


 淡い光がアリシアを包んだ。


「…………」


「どうだ!?」


「…………」


「頼む! 何か言ってくれ!」


 老人は静かに眼鏡を外した。


「……アリシア様」


「うむ!」


「あなたの場合、少々特殊です」


「……特殊?」


「ドーナツが……」


「…………」


「焼きドーナツになっています」


「なんでだぁぁぁぁぁぁっ!!」


 炎の魔力とドーナツ化が共鳴した結果だった。


 アリシアはその場に崩れ落ちた。


「私は……私は炎の剣士だぞ……!」


 震える両手を見つめる。


「幼い頃から剣を振るい……魔王軍に忠誠を誓い……幾千もの戦場を駆け抜けてきた……!」


 その瞳から、涙がこぼれた。


「それなのに……!」


 アリシアは天井を仰いだ。


「なんで私の尻だけ、こんがり焼けているんだぁぁぁ!!」


 治癒術師は答えられなかった。


 彼にもわからなかったからだ。


 ◇


 三人目。


 暗黒のセレスティア。


 漆黒の長髪を持つ、寡黙な女魔導士だった。


「……私の診察は不要」


「セレスティア様?」


「……自分で調べた」


 彼女は一冊の魔導書を取り出した。


 表紙には『禁忌の存在干渉術』と記されている。


「……この呪いは、通常の魔法では解除できない」


「……左様でございますか」


「……だけど、唯一の可能性がある」


 治癒術師の目が見開かれた。


「そ、それは!?」


「……無を有へ戻す」


「……なるほど!」


 セレスティアは静かに頷いた。


「……無とは、存在しないもの」


「はい」


「……であれば、存在しないことを否定すればいい」


「……つまり?」


「……無ではない。と、宣言する」


 室内が静まり返った。


 セレスティアは杖を掲げる。


「……我が肉体よ。汝は無ではない」


 魔力が収束する。


「……有となれ」


 眩い光が迸った。


 轟音。


 そして。


「…………」


「…………」


「……どうなりました?」


 セレスティアはゆっくりと背後に手を回した。


「…………」


 数秒の沈黙。


「……穴が」


「はい」


「……二つになった」


「…………」


 セレスティアは無表情のまま天井を見上げた。


 そして、小さく呟いた。


「……帰りたい」


 誰も何も言えなかった。


「……もう、実家に帰りたい……」


 暗黒の魔女は、初めて人前で涙を流した。


 ◇


 そして四人目。


 聖滅のルクレティア。


 金髪碧眼の美しい女騎士であり、魔王軍随一の聖属性魔法の使い手だった。


 彼女だけは、まだ絶望していなかった。


「皆さん、落ち着いてください」


 ルクレティアは穏やかに微笑んだ。


「私たちは魔王軍四天王です。どのような困難も、力を合わせれば乗り越えられるはずです」


「……ルクレティア」


 エリザベートが涙を拭った。


「あなた……何か方法が?」


「はい」


 ルクレティアは胸の前で両手を組んだ。


「私は聖属性魔法の使い手。神々の奇跡を呼び起こすことができます」


「……!」


「失われた肉体を復元するだけではありません。運命そのものを改変する奇跡を……!」


「おおっ!」


 治癒術師が声を上げた。


「それならば、あるいは……!」


 希望が戻った。


 四人の瞳に、久しく失われていた輝きが宿る。


「……お願い、ルクレティア!」


「頼む!」


「……信じてる」


 仲間たちの期待を受け、ルクレティアは微笑んだ。


「大丈夫です。必ず、皆さんを救ってみせます」


 そして。


「《神聖なる完全治癒》!!」


 黄金の光が医務室を満たした。


 圧倒的な神聖魔力。


 天井には巨大な魔法陣が浮かび、無数の光の羽根が舞い散る。


 奇跡が起きた。


 誰もがそう確信した。


 だが。


「…………」


「…………」


「…………」


 光が消えたあと。


 四人は、ゆっくりと互いの顔を見つめた。


「……どう?」


 エリザベートが尋ねた。


 ルクレティアは、恐る恐る自分の状態を確認した。


「…………」


「……ねえ?」


「…………」


「ルクレティア?」


 聖女は俯いた。


 そして。


「……光ってます」


「…………は?」


「……私のドーナツが……」


 ルクレティアの声が震えた。


「神々しく輝いているんですぅぅぅっ!!」


 神聖魔法は正常に発動していた。


 ただし、現在の肉体を神聖なものとして祝福したのである。


『称号(聖なるドーナツ)を獲得しました』


「いらないですぅぅぅぅぅ!!」


 ルクレティアが号泣した。


 エリザベートは床に座り込んだ。


 アリシアは壁を殴り始めた。


 セレスティアは魔導書を燃やした。


 魔王軍最高位の治癒術師は、引退を決意した。


 こうして。


 四天王の治療は、完全に失敗した。


 ◇


 その日の夕方。


 魔王城の円卓会議室。


 四人の女たちは、重苦しい空気の中で沈黙していた。


「……皆さん」


 エリザベートが口を開いた。


「私たちは、重大な決断をしなければなりません」


 その声には、かつての威厳が戻っていた。


「もはや、魔王軍だけではあの男を捕らえることはできません」


「……同感だ」


 アリシアが頷く。


「我々は、今まで人間を敵としてきた」


「……ええ」


「だが、今は違う」


 彼女は拳を握り締めた。


「人間にも……守るべき尻がある」


「…………」


「そして、我々にはもう……」


 アリシアの声が震えた。


「……守るべき尻がない」


「やめて!!」


 エリザベートが叫んだ。


「それ以上言わないで!!」


「す、すまん……!」


 二人は泣いた。


 セレスティアも静かに涙を拭った。


 ルクレティアは祈っていた。


 だが、その祈りが届くことはない。


「……提案がある」


 セレスティアが呟いた。


「……人間の勇者に接触する」


「……勇者?」


「……あの男は、元勇者パーティーの一員らしい」


 全員が顔を上げた。


「なんですって!?」


「……最近、追放されたと聞く」


「追放……?」


 エリザベートの瞳が細められた。


「つまり……勇者も、あの男の危険性を理解していたということ?」


「……おそらく」


「ならば!」


 エリザベートが立ち上がった。


「勇者と手を組みましょう!」


「……敵と同盟を結ぶのか?」


「敵?」


 彼女は自嘲するように笑った。


「アリシア。今の私たちにとって、本当の敵は誰?」


「…………」


「魔王軍の敵は人類だった。でも、今は違う」


 エリザベートは、静かに告げた。


「私たちの敵は、あの男一人よ」


 誰も反論しなかった。


 四人の瞳には、同じ感情が宿っていた。


 憎悪。


 怨恨。


 殺意。


 そして。


 もう二度と戻らない日常への、深い悲しみ。


「……取り戻しましょう」


 エリザベートは呟いた。


「私たちの、当たり前だった日々を……」


 その声は、かすかに震えていた。


 ……なお。


 四人の会議用椅子は、すべて特注のドーナツ型クッションに変更されていた。


 エリザベートはその事実を知った瞬間、備品担当者を三日間氷漬けにした。


 ◇


 一方その頃。


 人間側の王都。


 勇者アレックスは、食堂で夕食を取っていた。


「……なあ、ミリア」


「何ですか、勇者様?」


「最近、魔王軍の動きがおかしくないか?」


 僧侶ミリアが首を傾げた。


「そうでしょうか?」


「ああ。前線から兵士が引き揚げているらしい」


「……撤退でしょうか?」


「わからん。だが、何か大きな動きがあるのかもしれない」


 アレックスは真剣な表情で考え込んだ。


 そのとき。


「勇者アレックス殿!」


 騎士が駆け込んできた。


「魔王軍四天王が、王都の門前に現れました!」


「何だと!?」


 アレックスが立ち上がる。


「敵襲か!?」


「い、いえ!」


「では何だ!?」


 騎士は困惑した顔で答えた。


「……それが」


「早く言え!」


「『勇者様に、尻の件で相談がある』と……」


「…………は?」


 ◇


 一時間後。


 王城の謁見室。


 勇者アレックスは、魔王軍四天王と対峙していた。


「……貴様ら」


「…………」


「何のつもりだ?」


 エリザベートが一歩進み出た。


「勇者アレックス。私たちはあなたに協力を求めに来ました」


「……協力?」


「ええ」


「人類を滅ぼそうとしていた貴様らが?」


「……はい」


「何を企んでいる?」


 エリザベートは俯いた。


 そして、小さな声で呟いた。


「……私たちは、被害者なのです」


「……何?」


「ある男に……大切なものを奪われました」


 アレックスの表情が変わった。


「……そうか」


 勇者は静かに頷いた。


「魔王軍の四天王ともあろう者が、そこまで追い詰められるとは……」


「…………」


「どんな男だ?」


 エリザベートが顔を上げた。


「カルトという、錬金術師です」


「…………」


 勇者の表情が固まった。


「……カルト?」


「ご存じなのですか!?」


「…………」


「勇者様!?」


 アレックスはゆっくりと椅子に腰を下ろした。


 そして、深くため息をついた。


「……あいつか」


「やはり!」


「何をしたんだ……?」


 エリザベートは唇を噛み締めた。


「……私たちの肉体を、取り返しのつかない姿に……」


「……肉体を?」


「はい……」


「……何に変えられた?」


 彼女は震える声で答えた。


「……ドーナツです」


「…………」


「尻を……ドーナツに……」


「…………」


 アレックスは目を閉じた。


 そして、額に手を当てた。


「…………」


「勇者様……?」


「…………」


「どうか、お力を……」


 しばらくして、アレックスが口を開いた。


「……ミリア」


「は、はい?」


「酒を持ってきてくれ」


「……え?」


「強いやつだ」


「勇者様!?」


「……もう、素面では聞いていられん」


 ◇


「つまり……」


 数分後。


 アレックスは、震える声で確認した。


「カルトがドーナツの穴について語り始め……」


「はい」


「それを聞かなかった貴様らが攻撃し……」


「はい」


「結果、尻がドーナツになった……?」


「…………はい」


「…………」


 アレックスは両手で顔を覆った。


「……あいつ……」


「勇者様?」


「……あいつ、ついにやりやがった……」


「……?」


「俺は言ったんだ……!」


 勇者が顔を上げた。


「ドーナツの穴について考えるのはやめろって!!」


「…………」


「そしたらあいつ、何て言ったと思う!?」


「……何と?」


「『穴を否定することは、世界の存在そのものを否定することだ』って!!」


「…………」


「俺だってなぁ!!」


 勇者の声が震えた。


「最初はちゃんと話を聞いてやったんだよ!!」


 アレックスは涙目になっていた。


「ドーナツが何だ! 無が何だ! イナゴが0匹って何なんだよ!!」


「…………」


「わかんねぇよ!! 俺には何一つわかんねぇんだよ!!」


 謁見室に沈黙が落ちた。


 エリザベートが、そっと勇者の肩に手を置いた。


「……勇者様」


「…………」


「……あなたも、苦しんでいたのですね」


「…………ああ」


「……お辛かったでしょう」


「…………ああ!」


 二人は固く握手を交わした。


 昨日まで、殺し合っていた敵同士。


 だが、今は違う。


 共通の痛みが、彼らを結びつけていた。


「……勇者様」


「……何だ?」


「私たちと、共に戦ってください」


「……わかった」


 アレックスは立ち上がった。


「あいつのドーナツ哲学を、この世界から根絶しよう!!」


「「「「おおおおおっ!!」」」」


 こうして。


 人類と魔族は、史上初めて手を取り合った。


 世界平和への第一歩だった。


 ……原因が尻でなければ、歴史に残る美談だっただろう。


 ◇


 翌朝。


 王城では、緊急の合同作戦会議が開かれていた。


 人間側からは勇者アレックスと僧侶ミリア。


 魔王軍側からは四天王全員。


 そして、両陣営の軍師たちが集まっていた。


「まず、カルトの能力について確認したい」


 アレックスが口を開いた。


「奴のスキルは《無限の無》。無を操作する能力だ」


「……しかし、無とは何なのでしょう?」


 ミリアが尋ねる。


 アレックスの顔が引きつった。


「……それを聞くな」


「え?」


「それを考え始めたら終わりだ」


「……ですが、対策を立てるには……」


「いいか、ミリア」


 アレックスは真剣な表情で告げた。


「あいつの理論を理解しようとするな。理解した瞬間、こちらもドーナツになるぞ」


「そ、そんな……!」


 室内がざわめいた。


 だが、ここでセレスティアが静かに手を挙げた。


「……待って」


「何だ?」


「……一つ、気づいたことがある」


 全員が彼女に注目する。


「……ドーナツの穴は無」


「……ああ」


「……しかし、無を無限に増やすということは……」


「…………」


「……無限の無が存在することになる」


 アレックスの顔色が変わった。


「……おい」


「……ここで問題になるのは、無限の無は無なのか、それとも無限なのか……」


「やめろ」


「……もし無が無限であるならば、有もまた……」


「やめろって!!」


 だが、遅かった。


『世界の真理への接近を確認しました』


 どこからともなく声が響いた。


「…………」


『追加効果(ドーナツ共鳴)を発動します』


「……え?」


 セレスティアの身体が光った。


「…………」


 数秒後。


「……穴が」


 彼女は震える声で呟いた。


「……また一つ増えた」


「…………」


「……三つになった」


 沈黙。


 そして。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 暗黒の魔女が泣き崩れた。


「だから考えるなと言っただろぉぉぉ!!」


 勇者が絶叫した。


「……私、もう嫌……」


 セレスティアは床に座り込み、膝を抱えた。


「……何も考えたくない……」


 かつて世界最高峰の知性を誇った暗黒の魔女。


 その彼女が、自ら思考を放棄した瞬間だった。


 ◇


 その頃。


 森の奥。


 俺はドーナツを食べながら、世界の真理について考えていた。


「……ふむ」


 無とは何か。


 そもそも、なぜドーナツには穴があるのか。


 そして、なぜ尻もまた穴を持つのか。


 この二つには、何か共通する法則があるのではないだろうか。


「……なるほど」


 俺は一つの結論に辿り着いた。


「つまり、世界そのものが巨大なドーナツなのでは?」


『世界の真理を確認しました』


「なんと!?」


『固有スキル《世界ドーナツ化》を習得しました』


「素晴らしい!」


 俺は満足して頷いた。


 ……しかし。


 一つだけ気になることがあった。


「……そういえば」


 俺は空を見上げた。


「なぜか最近、空に穴が開いているような気がするな」


 青空の中央。


 そこには、巨大な円形の空洞が浮かんでいた。


 ……まあ、いいか。


 ドーナツなのだから。


 俺は最後の一口を頬張った。


 ◇


 同時刻。


 王城。


「勇者様ぁぁぁ!!」


 騎士が駆け込んできた。


「大変です!!」


「今度は何だ!?」


「空が!!」


「空がどうした!?」


 騎士は震える指で窓の外を示した。


「空にドーナツの穴が開きましたぁぁぁ!!」


「…………」


 アレックスはゆっくりと窓の外を見た。


 そこには、巨大な輪っか状の雲。


 その中央には、底知れぬ暗黒。


 まるで世界そのものが、何者かにくり抜かれたようだった。


「…………」


「勇者様……?」


「…………」


「これは……魔王の仕業でしょうか?」


 アレックスは首を横に振った。


「……違う」


「……え?」


「魔王じゃない」


 勇者は震える声で告げた。


「……あいつだ」


「…………」


「カルトが、ついに世界をドーナツにし始めやがった……!!」


 エリザベートが静かに立ち上がった。


「……勇者様」


「…………」


「もう、迷っている時間はありません」


「ああ……」


「このままでは、世界そのものが……」


 エリザベートの瞳から涙がこぼれた。


「私たちと同じ姿になってしまいます……!」


 アレックスは剣を握り締めた。


「……必ず止める」


「……はい」


「何としても……!」


 勇者は空を睨みつけた。


「この世界の尻を守ってみせる!!」


 その瞬間。


 人類と魔族の運命は、一つになった。


 ……なお。


 彼らはまだ知らなかった。


 この戦いの本当の恐ろしさを。


 なぜなら。


 カルトが次に考えていたのは。


「……そういえば、バウムクーヘンにも穴があるな」


 という、新たな世界の真理だったからだ。


『新たな概念を確認しました』


『固有スキル《無限年輪錬成》の習得条件を達成しました』


 世界は、静かに震え始めた。


 ◇


 その夜。


 エリザベートは一人、魔王城の自室に戻っていた。


 机の上には、一枚の古い写真が置かれている。


 四天王に任命された日の記念写真だった。


 エリザベート、アリシア、セレスティア、ルクレティア。


 四人とも、誇らしげに笑っている。


「……あの頃は」


 エリザベートは写真を手に取った。


「……幸せだったな……」


 もう、あの頃には戻れない。


 どれだけ強大な魔力を持っていても。


 どれだけ努力を積み重ねても。


 どれだけ神々に祈っても。


 失ったものは、決して戻らない。


「……許さない」


 彼女は呟いた。


「……絶対に、許さない……」


 そして、写真を胸に抱き締めた。


「……私たちの未来を奪った、あの男だけは……」


 涙が、静かに頬を伝う。


 そのとき。


 机の上に置かれた魔導通信石が光った。


『エリザベート様! 緊急報告です!』


「……何?」


『魔王城の食堂で異常事態が発生しました!』


「……またなの?」


『本日のデザートが!!』


「…………」


『すべてバウムクーヘンに変化しております!!』


「…………」


 エリザベートは目を閉じた。


 そして、静かに呟いた。


「……もう、嫌……」


 氷結の魔女は、再び曇った。


 第2話 完


 次回予告 第3話『勇者よ、尻を守れ! 無限年輪錬成によって世界の尻がバウムクーヘンになる日』


 作者あとがき


 本作は「人は何を失ったとき、最も深く絶望するのか」を問う、極めて真面目なダークファンタジーです。


 第二話では、激重感情を「愛」ではなく「純粋な憎悪」として描き、敵味方の垣根を超えた共闘を実現しました。


 また、現代Web小説の重要要素である曇らせを、肉体的・精神的・組織的・哲学的な四方向から表現しています。


 なお、今回の執筆によって判明した事実が一つあります。


 ドーナツの穴について真面目に考察すると、最終的に世界が滅びます。


 読者の皆様も十分にお気をつけください。


 そして、最後に。


 PVとは無である。

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