アリバイ・デリバリー

ねおさん

第1話

午前零時の時計の音が、地下のオフィスに重く響いた。

「アリバイ・デリバリーへようこそ。どのような『過去』をお探しですか?」

僕、神谷レンが営むこの店の仕事は、客に完璧なアリバイを提供することだ。監視カメラの映像改ざん、SNSの投稿日時の偽装、サクラを使った目撃証言の捏造。デジタルとアナログの両面から、僕が作り出す「偽の現実」は警察の捜査さえもすり抜ける。

その夜、重い鉄の扉を叩いて現れたのは、街でも有名な若きIT投資家、進藤だった。彼の顔は青ざめ、高級なスーツの袖口は泥で汚れている。

「アリバイが欲しい。今から二時間前、午後十時のものだ」

「具体的な場所の希望は?」

「僕の自宅だ。一人で部屋にこもり、リモートワークをしていたことにしてくれ」

僕は手元のタブレットを操作しながら、淡々と条件を確認する。

「簡単なことだ。お使いのPCにリモートアクセスし、その時間にログを書き換える。スマートフォンの位置情報も自宅にあったように偽装しましょう。料金は三百万だ」

「頼む」進藤は震える手でアタッシュケースを机に置いた。「これで、僕は殺人を犯していないことになる」

僕はキーボードを叩く手を止めた。

「……殺人、ですか」

「そうだ。僕は二時間前、ここから車で三十分かかる廃ビルで、僕を脅迫していた男を突き落とした。今頃はもう息絶えているはずだ」

進藤の言葉に、僕は小さくため息をついた。うちの規約では、重大犯罪への加担は断ることになっている。しかし、進藤の次の言葉が僕の動きを完全に凍りつかせた。

「だが、おかしなことがあるんだ。僕が男を突き落としてすぐに、男の携帯電話が鳴った。画面に表示された着信相手の名前を見て、僕は耳を疑ったよ」

進藤は僕を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、明確な疑惑と殺意が宿っている。

「画面には、『アリバイ・デリバリー』と書かれていた。レン、君がなぜ被害者に電話をかけていたんだ? 君が男と裏で繋がり、僕をハメようとしたんじゃないのか!」

心臓が跳ね上がる。だが、僕はプロだ。表情一つ変えずにスマートフォンの画面を確認する。確かに、その時間に僕は発信していた。しかし、僕が電話をかけた相手は、進藤が殺したという男ではない。

僕がその時間に連絡を取っていたのは、別の依頼人――進藤のビジネスパートナーであり、共同経営者の「高城」だった。高城からの依頼はこうだ。『今夜十時、ある男を廃ビルから突き落とすから、その時間のアリバイが欲しい』。

すべてのピースが頭の中で音を立てて繋がった。

「進藤さん」僕は静かに微笑み、画面を彼に向けた。「落ち着いて聞いてください。一つ、面白い事実を教えてあげましょう。あなたが殺したと思っているその男、実はあなたが突き落とす一時間前に、別の人間によってすでに息絶えていた可能性が高いです」

「なんだと……?」

「僕のもう一人の顧客が、あなたより先にその廃ビルへ行き、その男を突き落とした。つまり、あなたが夜十時に暗闇の中で突き落としたのは、すでに死体だったんですよ。だから、その後に鳴った男の携帯電話は、僕が『死体を落とし終えたはずの共犯者』へ状況を確認するためにかけたものだった。登録名がうちの店名になっていたのは、僕が教えたダミーのアカウント名だからです」

進藤はガタガタと震え出した。「じゃあ、僕が殺したんじゃない? 真犯人は誰なんだ!」

「それは、あなたのパートナーの高城さんです。彼はあなたに罪を擦り付けるため、あらかじめ死体をあそこに配置し、あなたを誘い出した。あるいは、二人が偶然同じ男を狙い、タイミングがズレたか……。どちらにせよ、今この瞬間、高城さんは『完璧なアリバイ』を手に入れています。僕がそれを作ってしまいましたからね」

その時、オフィスのインターホンがけたたましく鳴り響いた。

モニターに映っていたのは、冷酷な笑みを浮かべた高城の姿だった。しかも、彼の後ろには数人の男たちが控えている。手には金属バットや不穏な工具が見えた。

「レン、開けてくれよ」インターホン越しに高城の声が響く。「アリバイの仕上げだ。さっき現場の近くで進藤の車を見たっていう目撃証言がSNSに上がっててさ。それを消してほしいんだ。ついでに、僕の秘密を知りすぎた君の存在も、ここで消させてもらうよ」

高城は進藤がここに駆け込むことを見越していたのだ。レンと進藤を二人まとめて始末し、すべてを闇に葬る。それが高城の計画だった。

「どうするんだ、レン! 囲まれたぞ!」進藤が取り乱す。

「ふふ、慌てないでください」僕はノートパソコンを開き、高速でタイピングを始めた。「高城さんは大きな勘違いをしています。僕たち『アリバイ・デリバリー』は、過去を偽造するだけが仕事ではありません。未来をコントロールすることだってできるんですよ」

僕は高城が「完璧なアリバイ」だと思い込んでいるデータを書き換えた。彼が午後九時に高級レストランで食事をしていたという偽の防犯カメラ映像、そのタイムスタンプを「午後十時」にスライドさせる。そして、先ほど進藤が白状した「高城が男を突き落とした」という内容の音声を、警察の匿名通報ダイヤルへ自動送信した。

さらに、オフィスのスマートロックを遠隔で全解錠する。

「な、何をするんだ! 奴らが入ってくる!」進藤が悲鳴を上げる。

鉄の扉が勢いよく開き、高城たちが武器を手に泥足で踏み込んできた。「終わりだな、レン。進藤、お前もここでまとめて――」

だが、高城が言葉を言い切る前に、地下オフィスの入り口から凄まじい足音と「動くな! 警察だ!」という怒号が響き渡った。

飛び込んできたのは、重武装した警察官の集団だった。高城とその手下たちは、あっという間に床に押し伏せられる。

「な、なぜ警察が……!?」高城が狂ったように叫ぶ。

「高城さん、あなたのアリバイデータ、少し時間をいじらせてもらいました」僕は倒れた高城を見下ろしながら微笑んだ。「警察には、あなたが『たった今、このオフィスで強盗殺人を犯そうとしている』と、あなたのスマートフォンから通報が行くように細工したんです。位置情報もバッチリここを示していましたから、現行犯逮捕ですね」

「お前……! 顧客の秘密を守るのが仕事じゃないのか!」

「ええ。ですが、代金を支払わない、あるいは僕の命を狙う悪質なクレーマーは、顧客とは呼びません」

高城は顔を真っ赤にして連行されていった。部屋に残されたのは、呆然とする進藤と僕だけだ。

「助かった……のか?」進藤が呟く。

「さて、どうでしょう」僕は進藤のアタッシュケースから三百万の束を取り出し、懐に収めた。「進藤さん、あなたの『自宅にいた』というアリバイは予定通り完成させました。あなたは死体を落としただけですから、死体遺棄罪には問われるかもしれませんが、殺人罪からは逃れられます。僕への依頼料としては、これで十分ですね」

進藤は複雑な表情を浮かべながらも、深く一礼してオフィスを去っていった。

静寂を取り戻した午前二時。僕は温かいコーヒーを淹れ、デスクに戻る。

画面の向こうでは、また新しい「過去を変えたい迷い子」からのメッセージが届いていた。

「さて、次の配達(デリバリー)に向かうとしましょうか」

深夜の街に、偽りの刻を運ぶ執事のタイピング音が、再び心地よく響き始めた。

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